Once upon a time 1969
後藤さんが、手話で語る時は、いつも思ったことがある。
そのひとつは、後藤さんは、非常にナイーブな人だということである。
その人の人柄がよく現れる手話表現
ろうあ者が、手話で語りかきける時には、その人の人柄がよく現れるように思う。
自由奔放な人は、手話も大きく表現し、自分の言っていることが間違っていても気にせず、全体的にどうなんだ、と手話表現する。
自己中心的で人の言うことを受けとめようとしない人は、よく言えば、「立て板に水を落とすごとく」。悪く言えば、自分の意見に意見を言うすきを与えない手話表現をする。
ところが、後藤さんの手話表現は、何かなよなよとしているようで、いつでも話に入っていけるような「すき」だらけであった。
「私は手話が下手だから」という後藤さんの話にいつも合点がいかなかった。
が、ある時気がついた。
全日本ろうあ連盟の全国代表者の会議の時である。
みんなの意見をどこまでも大切にする話し方
話はともすれば、理事側だけの話になるが、なぜか、理事の後藤さんが話すと次々と意見が出てくるのである。
よくよく考えて見ると、理事の意見はそんなに考えがまとまったものでないのに理事は、同じ事を繰り返して言う。
ところが、後藤さんの話は、ポッリ、ポッリとなる。とまどいも見える。
と、参加者から次々と質問が出たり、意見が出て会議は盛り上がる。
間(ま)をとる手話表現
ポッリ、ポッリと表現したが、間(ま)をとると言ったほうが適切だろ言う。
みんなは、その間に考えることが出来るのである。
さまざまな意見や複雑な福祉行政の中で、みんなの意見をまとめることの大事さを痛感した後藤さんは、「ろうあ者みんなに意見とそれがまとまる」ことを一番大事にしていたのではないか。
だから、ポッリ、ポッリと間をとったのではないか、と4年前に岐阜城に登るケーブルカー近くの喫茶店で「追求」したら、照れたまま、何も言わなかった。
何を置いてもすきな画業を捨てて、ろうあ者運動や福祉活動に身を投じた後藤さん。
ひたすら、みんなの様子や話を聞き、まとめる仕事に徹した。
煮えくりかえる怒りを経験した事も数え切れなかったことだろう。
耐えに耐えた。耐え続けたからこそ
だからこそ、後藤さんは、耐えに耐えた。耐え続けた。
このこと彼が画業に徹しても、なおかつ福祉や障害者問題について鋭い意見を発する原動力だったのである。
死を知らずに怒りを込めて書いた後藤さんの最後の文章が、本人はもちろん回りのものも大学入試センター試験の問題となるとは、思いもしなかったのである。
短い間。中間の間。長い間。
手話表現にとって非常に大切な事だが、それはすべての人々の会話にも共通して言えるのではないだろうか。
後藤勝美さんについては、以下のホームページをご参照ください。
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http://www.gayukobo.com/
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