Once upon a time 1969
ろうあ者の基本的な要求 ( その2 )
3,コミニケーションの保障
イ、手話通訳を養成し、必要な公的機関に配置する。
ロ、テレビに字幕をつけるなど、マスコミについても、ろうあ者に配慮する。
ハ、補聴器の改善および普及に努力する。
ニ、ビデオレコーダーなど聴力障害者に役立つ新機械の開発。
ホ、ろうあ者問題について社会に啓発し、我々が話し合いに困らない、温かい社会をつ くる。
※ ろうあ者のコミニケーション保障として、手話通訳だけ、と限定しないで聴覚機器、視覚機器等について、幅広く考えている証としてこの基本要求を考える必要があるだろう。
現在、一部の人たちの中で手話通訳さえ補償されればすべての問題が解決するかのような傾向が見られ、昔から(この昔という年代がいつも不鮮明だが。)手話通訳を唯一ろうあ者は要求して来たとする考えが一方的に広められている。
だが、京都においても全国的にも決してそうではなかったことをこの基本要求は証明している。
コミニケーション保障の文中に「聴力障害者」という名称が書かれているが、この概念は当時から聴覚障害者全体を意味する立場から書かれている。
この名称は、全日本ろうあ連名の機関紙が「日本聴力障害新聞」という名称で引き継がれていることにも見受けられる。
ろうあ者もろうあ者という名称を嫌う人々も含めてコミニケーション保障をすすめて行こうという姿勢として理解する必要があるだろう。
なお、現在、マスコミ各社は放送禁止用語、禁止コードなどさまざまな禁句集をつくっていてよく「不適切なことばを使いました。おわび申し上げます。」というような、どのようなことが不適切で、どのように言うべきであったのか、を明らかにしないでことなどなどを「ろうあ者に対する配慮する」として基本要求されているのではない。
聞こえる人々と同じように伝達されるようにという基本要求であった。
1969年当時、京都府ろうあ協会に白黒ポータブルビデオカメラ・録画機が寄贈されてみんなは小躍りした。
これほど高価なものが自分たちの映像伝達手段として使えるとは夢にも思ってもみなかっからである。
だが、ビデオテープは非常に高価で、みんなが見たあと消去せざるを得なかった。
記録として残しておきたい、と思いながら泣く泣く消去したことが、後々のビデオ機器、ビデオ室、編集室へと発展させるエネルギーとなって行った。
現在では、考えられないことだろう。
なお、現在、テレビに字幕や手話通訳がつくことは広く普及しているが、普及と同時に手話禁止コードも密かにつくられていることはあまり知られていない。
某放送局で、手話通訳をしていた故M氏に対して、放送局側からいくつかのクレームがついた。
「ワイロ」という手話は、袖の下にお金を入れる表現をしていたが、放送局側から
「ワイロを受けとったかどうか裁判になっているのにお金を受け取ったかのような手話をすることはやめていただきたい。」
などなどのクレームがつき、故M氏は、
「困ったよ、ワイロという手話は、この表現だよね。」
と相談に来たことがある。
この基本要求以降、マスコミとの関係はさまざまな問題が出てくるが、基本は、ろうあ者も聴覚障害者もわかるように、という基本であった。
4,参政権の保障
イ、立合演説会に手話通訳を置く。
その他について、ろうあ者が不利な扱いをうけることのないようにする。
ロ、議会に手話通訳を配し、必要な時はいつでも傍聴できるようにする。
※ ロについては、すでに京都府議会で実現されたことだが、すべての市町村議会においても同様のことが出来るように、というねがいも込められていた。
イ、の立合演説会は現在廃止されてしまったが、この基本要求が実現することでろうあ者の政治や国・地方自治に対する急速な関心が高まることになる。
このことは、別途説明したい。
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