Once upon a time 1969
1960年に書かれた手話について、口話法がよいか、手話法がよいか、かって激烈な理論的、実践的論争が繰り返されました。そして、一応、口話法の時代になった今でも、「手話も必要か、必要でないか」といった形で論争が続いているのが今日の姿です。
もともと一人の人間がこのややこしい世の中で、人間としての権利の享受を全とうして、生きていくという大テーマの内容は想像するだけでも複雑なもので、それを、いくら教育の方法論だといっても、口話法、手話法の一筋なわ、二筋なわだけで律し切れる。全責任をもてるという訳ではありません。
ということは、1969年に繰り返し、ろうあ協会の人たちやろうあ者から教えてもらった。
ろうあ者のレジスタンス(rsistance)と手話の創造・ひろがり
いま、現存する文章で過去にろう学校の教師やその他の人々が「ろう学校では、手話は禁止された。」ということを理由に「ろう学校に手話を」と主張し、ろう学校の教師が手話を学べば、ろう学校の生徒が授業を理解出来るかのように短絡的に主張する傾向が強くなっている。
だが、明治、大正、昭和(戦前)のろうあ者の
「白い紙に黒い文字でかいた知識としてではなく、実際に手話を学ぶグループの中で学習し、さらにろうあ者の人々と交際し、ろうあ者が持っているいろいろな喜びや悲しみや社会問題に、じかにふれた生なましい実感の中から学んだ」
ことからすると、京都のろう学校では、口話を導入した時に「口話教室」と「手話教室」を隔絶し、その教室の生徒が交流できないようにしたこと。
しゃべれる、まあまあしゃべれる、しゃべらないという序列化・ランク付けされて教室がつくられたこと、など数え切れない事実を聞いてきた。
生徒同士の中での対立と不信感から
「お互い聞こえないもの同士じゃないか」
その結果、口話教育をうけたろう学校の生徒が手話をする生徒を見て「猿みたい」と笑うなど、殴り合いのケンカになったことなど「生徒同士の中での対立と不信感」が広がっていった。
だが、ここで「お互い聞こえないもの同士じゃないか」と生徒同士が何度も話し合い、紆余曲折はあったが強い友人関係が産まれ、それが戦後のろうあ協会の再結成となっていったとのこと。
だから、
「はっきりとした発語として表現するにせよ、表にあらわれない内言語として使用するにせよ、完全・不完全の程度の差はあっても言葉で話をしている」「ただ、それをお互いに伝達する手段として、口話や手話や指話をいろいろまぜ合わせて使っている」
と互いのコミニケーション方法を唯一化して、排除することなく、お互いのコミニケーションを認める関係が出来上がっていったのである。
手話は、ろうあ者同志の集団の中から発生させ
発展させ、日常の生活の中の会話として
みんなでつくったという誇り
口話教育をうけた生徒は、手話で会話する生徒と話をする時は、教師や親などの目につかないところで「ひそかに交流をしたし、手話も覚えたり、その手話の方法や表現はおかしいのじゃないか」などと、「ことば」がどんどん増えていったし、お互い教えあい、読み書きの援助もした。
だから
「手話は、たとえ手話法で教えられたとしても、ろうあ者同志の集団の中から発生させ、発展させ、日常の生活の中の会話としてみんなでつくったのだ。」
「そのことを知っておくように」
と言われた。
人間は、自分たちの自由意志を束縛され、圧力を加えられた時、それに従順に従うのではなく「抵抗」する。
手話はその抵抗の中で、ろうあ者たちが育み、育ててきたのだ、だからこの手話でないとダメだというような手話通訳になってくれるな。
ろうあ者の人たちをよく知って、その人たちの日常使っている手話で手話通訳してほしい、とも言われた。
ろうあ者が、日常使っている手話で手話通訳してほしい
だが、「ろうあ者の人たちをよく知って、その人たちの日常使っている手話で手話通訳してほしい」ということを踏まえた手話通訳は、非常に難しかった。
三者三様どころではない、手話表現の水準を見極めて、まったく異なった手話表現する人がいる時は、二つ、三つの手話をして「意味(理由・わけ)」「同じ」と手話通訳しなければならなかったからである。
この頃の手話通訳を思い出しても今もこころが熱くなる。
会場にいたろうあ者が「なるほど、私はこのように手話してたけど、こんな手話と同じなんだ」という手話をしていることが、見えたからである。
笑いの中の「手話話術」
手話通訳を終えると、いつも
「ありがとう」
「同じ手話覚えたから、意味・同じと二つも、三つもせんでいいよ。」
「あんた、ろうあ者以上に手話知ってるのとちがう」
などと褒められたりもした。
そして、みんななけなしの財布をはたいて夕食代を出してくれて、夜おそくまで話し合った。
もう、その時は笑い話しかなかったが「手話話術」に魅了された日々だった。
「ろう学校の先生が手話をしてほしい」
「いらんいらん」
「これ以上手話を使って干渉されたらたまらん」
「ろう学校の先生が手話をしてほしい」
「いらんいらん」
「これ以上手話を使って干渉されたらたまらん」「ろう学校の先生が、手話を知らんから楽しいろう学校生活過ごせたんや。」
「手話を覚えたら言うこと決まってる、もっと宿題してきなさい、」
「静か?に」
「勝手な話をしないで」
「そんなことばっかり言うだけや」
「勉強はそっちのけ」
「勉強分かるように教えてくれないのに、叱るのがふえるだけ。」
何度このようなことを聞いたことか。
教育とは、手話通訳に求められていることと同じで、生徒の状況を把握して、「意味」・「同じ」としていかないといけないのだなぁ、と漠然とした気持ちだった。
この頃は、ろうあ者同士で多くの対立があったけれど、大局でみんながまとまり、大きな力を形成していたのだということに気がつかなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿