Once upon a time 1969
何とろうあ者の多いことか
京都府ろうあ協会はじまって以来の140名を超す大規模な京都府との交渉。
京都府の幹部は、その人数の多さだけでなく、作業服のママやってくるろうあ者や家族ぐるみでやってくるろうあ者の様子を間近に見て非常に驚いたようである。
Oさんが、初めてろう学校を見学した時の気持ちのように、何とろうあ者の多いことかと思った、とのちのち打ち明けられた。
机上での仕事で、ろうあ者の人数は把握しているものの実際に出会うとまったく違う印象をもつのはごくごく自然なことだったが。
ろうあ者の目は、手話通訳に釘付けに
手話通訳者は京都府の責任で2人のベテランが配置され、それぞれ京都府の幹部のながずくえの側に立ち手話通訳された。
140名余のろうあ者の目は、手話通訳に釘付けになった。
だが、真剣な眼差しに映ったのは、社会課長の「団体の自主的活動に対して京都府としては……」の繰り返し。
ことばを手話通訳する場合は、ことばのごまかしはあまり効かない。
「分かった振り」をしていることは手話の上では一目瞭然
例えば、
「団体としてなされていることは充分承知していますが、団体がなされることで行政といたしましては……」
「善処していますが、とうてい出来かけることではないので……」
「言われていることはそうのとおりですが……」
など決まり切った行政の言い方がある。
「承知しています が 」
「善処しています が 」
「そうのとおりです が 」
の「が」は手話では、「けれど」に置き換えられる。
すなわち、「手のひらをくつがえす手話」のとうり「先に言ったことが、くつがえす、」ことになる。
「分かった振り」をしていることは手話の上では一目瞭然になる。
京都府が同じことばかり繰り返し言っているんやで。
ことばで、ごまかしとる
ろうあ者の中に京都府に対する少なくない信頼があったため
「どうも手話通訳がまちがって通訳しているのではないか」
「いや、京都で一番信頼する手話通訳者の二人がそんなことをするはずがない。」
「あれは、京都府が同じことばかり繰り返し言っているんやで。ことばで、ごまかしとるんや」
という手話のざわめきが次第に多くなった。
そこで、ろうあ協会役員から
「京都府が言う、聞く、答えると言うのは平等ではない。」
「私たちが、主張している時に、京都府がはなしを遮ることがある。それならば、もう一人手話通訳をわれわれの側につくようにしてほしい。」
という申し入れがされた。
京都府がろうあ協会のはなしを遮るなら、私たちにもはなしを遮ることが出来るようにすべきであって、今のままではただ同じことの繰り返しのはなしをされるだけになる。
と言うのがろうあ協会の主張であった。
このことは、京都府もすんなり認めて、約140人を超える会場に3人の手話通訳者が配置され、手話通訳が行われたが、京都府の幹部のの回答中にはなしを遮り、ろうあ協会側の主張が出来るようにされた。
知事の祝辞に書かていたことは
それでも京都府の幹部は、相変わらず、
「団体がなされることで行政といたしましては……」を繰り返したが、その時、「ちょっと待ってください。」とろうあ協会から回答を遮る話が出された。
「あなたたちは、京都府を代表していっておられるのですね。それは、知事も同じ考えと言うことですか。」
「もちろんです。」
「では、ここに今年のろうあ者新年大会に寄せられた知事の祝辞があります。それを読ませていただきます。」
とろうあ協会役員が和紙に包まれた知事の祝辞が書かれた文章を広げ、読みはじめた。
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