Once upon a time 1969
選挙管理委員会も予測できなかった大人数の中の立会演説会。
初めてのろうあ者の参加・手話通訳保障。
そのような中で立会演説会は始まった。
間近に見る候補者の表情、しぐさ
に対してろうあ者は非常に敏感
会場には、丹後各地から1時間、2時間以上かけてろうあ者が集まった。
生まれて初めて見る立会演説会。未就学のろうあ者もそうでないろうあ者も参加している。
そのろうあ者に候補者の演説内容が通じるように、手話通訳者は、手話を大きくし、出来るだけ身振り表現からくる手話もとりいれながら手話通訳した。
さいわいなことに、ろうあ者席に座っているろうあ者の人々は一目で見渡せる。
そのため、ひとりひとりのろうあ者の独自の特徴ある手話表現は一瞬にして分かった。
そのことを思考しながら手話通訳したが、ろうあ者は、手話通訳に真剣な眼差しを注ぎ込んだ。
同時に、候補者の表情、しぐさも、ろうあ者の視界に入る絶好の席だった。
候補者の表情、しぐさ、に対してろうあ者は非常に敏感だった。
もうひとつ他の立会演説会の参加者には見えない、次の候補者が舞台裏で待っている様子もろうあ者席から見えた。
何もかも、初めてであり
ろうあ者にとって非常にうれしいことだった、と
何もかも、初めてでありながら、演説している候補者、次の候補者を直接間近に見ることは、ろうあ者にとって非常にうれしいことだった、とあとから感動の声が寄せられた。
この立会演説会で、一番手話通訳が難しかったのは、現職の京都府知事蜷川虎三氏であった。
この時候補者として演説したことは、のちのち手話通訳者の中で論議された。
現職の京都府知事蜷川虎三氏は、比喩が多く、その比喩に多くの意味合いが籠められていた。
ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
を瞬時にどのように手話通訳するか
立会演説会の当日、現職の京都府知事蜷川虎三氏は、次のような演説をした。
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな そのようなふるさとになるように、努力してまいりたいと思います。」
という丹後地方の人々が、ふるさとを離れることなくふるさとで仕事が出来、ふるさとで暮らしていけるようにするようにするのが京都府知事の仕事であるという演説内容であった。
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
この演説を聞いたとたん、手話通訳者は、候補者の演説は、石川啄木の有名な短歌にかけていることをとっさに判断し、過疎化する丹後をいつまでも守りたいというような意味が込められていることを理解して手話通訳をすることが求められる。
「生まれた」「ところ」=ふるさと 「山」・「向かう」
「感情が次第に高ぶる」「うれしい」「ありがとう」
だが、参加したろうあ者にほとんどは石川啄木の短歌も知らないことは充分推定されたが、立会演説会の手話通訳者には、手話通訳の「速答」が求められた。
この時の手話通訳者は、
「生まれた」「ところ」=ふるさと 「山」・「向かう」「感情が次第に高ぶる」(当時の京都の手話表現にあった。)「うれしい」「ありがとう」・「意味同じ(当時の京都の手話表現にあった。)」「生まれた」「ところ」「いつまでも」「続く」「よう」「努力」「したい」
と手話通訳した。
「なるほど、」「そうなん」「そうだ」などのろうあ者の反応
この「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな。」という演説を石川啄木の短歌に込められた心情と候補者の心情とその演説の趣旨を、とっさに表現できること、しかも同時通訳することは至難の業を必要としたが、手話通訳の高度な手練(スキル)が求められた。
会場にいたろうあ者は、「なるほど、」「そうなん」「そうだ」などの反応があったので、手話通訳が充分出来たことの手応えを感じることが出来たが、非常に難しい手話通訳であった。
ただ、「ふるさと」「山」「向かう」「言うこと」「ない」などのことで参加したろうあ者に手話通訳したとはとうてい言えないし、そんのようなことはろうあ者のための手話通訳でない、と考えていた京都の手話通訳者にとっても歴史に残る手話通訳であった。
マイクを引きちぎった候補者と信じられない出来事
立会演説会がすすんで、信じられない事件が起きた。
ある候補者が、「こんなマイクは必要ない」と演壇のマイクを引きちぎり、演説をはじめた。
満員の体育館、第一会場、第二会場の人々は、候補者が何を演説しているのかまったく分からなくなってしまった。
だが、手話通訳者の位置は、候補者の近くであり、候補者の演説はマイクやスピーカーがなくても聞こえた。
一瞬、手話通訳者はとまどったが、聞こえることを受けて手話通訳を続けたが、このことが満員の体育館に居た人々に信じられない影響を及ぼすことになる。
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