山城貞治(みなさんへの通信82)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その62)
立ち遅れている 民間労働者・労働組合の申告権行使
いのちと健康にかかわる問題は当の労働者にいち早く知らせるのが当たり前のことである。
知る権利、知らせる義務の問題である。
それでなくても毎日・まいにち健康障害が進行しているのだから。
申告権の行使は大事な運動である。
民間労働者・労働組合の申告権行使も、いくつかの単組や職場の「健康を守る組織」は、意外に非常に遅れているたたかいの分野である。
この運動のすすまないのは企業意識にとりこまれているかリストラの波の中の「不安定な身分」に大いに影響されていることによるところが多いと思う。
少なくとも各地域において教育委員会ならびに人事委員会に対する「立入調査」結果を公表させるはたらきかけが必要である。
学校の合理化がつくる 教職員の健康破壊・過労死・過労自殺
(3)私は、学校職場のケガや病気だけでなく健康障害や不健康状態、過労死・過労自殺などは学校「合理化」の結果であることを指摘し、学校「合理化」を次のように定義した。
国および財界は、学校職場を国の教育政策と文部省の教育行政、そして直接的には教育委員会により、体系的な多忙化攻撃、とくに労働条件切り下げと管理強化によって、安上がりで政府財界の期待する人づくりの構造にたえず変えようとしている。
この支配と安上がり(搾取)の体系的方法を学校「合理化」と呼んだ。
なお、多忙化という用語について、あいまいであるから使わないほうがよいという考えもあるが、私は教職員のなかで日常使い慣れているようなので、私なりに解釈して使った。
ただ、行政による「多忙」の押し付けとその結果の「多忙状態」の拡大・深化を区別しながら実態に迫る必要を提起しておいた。
ところで、多忙化状態といわれる現状すなわち教職員のいのちと健康を破壊し、生徒の教育条件悪化をもたらしている実態の分析は急務である。
教職員・生徒のいのちと健康を守る立場から
教育政策、教育思想、教育行政が目指すものを分析を
そのためには、
第1に現場の教育労働すなわち、毎日まいにちの学校職場で果たさなければならない、あるいは、果たし切れない「仕事」のいっさいがっさい、及び管理支配が教職員に与えている心身への労働負担 (あわせて家族への影響と生活障害さらに生活障害が教職員にはねかえる負担)の調査研究が必要である。
第2に、その背後にある教育政策、教育思想、教育行政が目指すものを教職員及び生徒のいのちと健康を守る立場から分析する必要がある。
多忙化の分析、労働負担と教育政策と管理方式の研究に対しては教職員の健康障害を対象にした労働衛生、教育学者、社会科学者らの先ずは現状認識を共通にするための意見交流i勉強会などの場が必要なのかも知れない。
運動の主体である教職員組合の意向にまかせたい。
いのちと健康を守る攻勢的運動は
労働安全衛生活動として運動化できなかった原因の確認から
ところでこのような積極的な運動として第2 ラウンドを前進させるためには1972年以来20年近くも労働安全衛生法が適用されなかったということが、単に政府。文部省の「怠慢」とし時の教職員組合のいのちと健康を守る考えや運動に対する問題点とくに労働安全衛生活動として運動化できなかった原因の確認が必要である。
この確認は、単に観念的な反省や発想の転換ではなく学習と経験交流となによりも毎日の安全で健康で快適な職場改善活動のなかで実践的に可能になるものである。
かくして、攻勢的ないのちと健康を守る運動を前進させることができるのではないか。
第1 ラウンドの学習熱を冷めさせないこと。
経験交流はとくに他産業・他職場の労働者との交流が有効である。
その労働者は教え子や生徒の父母兄姉にもっながる人達であることに目を向けることも大切である。
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