Once upon a time 1971
市の身体障害者連合会は、肢体協会・盲協会・ろうあ協会の3団体で構成されていた。
その中で身体障害者連合会の役員は、肢体協会が多数を占めていた。
市は、ことあるごとに身体障害者連合会に助成金や一定の寄付金を渡すのが常であった。
だが、職員は身体障害者連合会の役員会議に呼ばれても参加することを嫌がっていた。
それは、いつも役員会議が紛糾するからである。
なぜ、平日に身体障害者連合会の役員会議をするのか
そのことを知らず、身体障害者連合会の役員会議に参加するように言われて参加した。
役員会議と言っても人数は多くない。
それも平日の昼に行われていた。
会議の最初からそのことで、もめた。
盲人協会の役員は、鍼灸の仕事を休まなければならないこともあり、休んだ場合収入が減るからである。
ろうあ協会の役員は、零細企業を休まなければならず四苦八苦して休ませてもらって役員会議に参加しな蹴ればならないからであった。
元軍人ばかりだった肢体協会の役員
また、なぜこんな時間に役員会議をするのか、なんど言ったらわかるのか。最初から盲人協会やろうあ協会の役員から不満の意見が出された。
しかし、肢体協会の役員は、多数。
会長は、「みんなの都合を聞いたら、この時間しかない。」と言いきり紛糾する。
議題には行き着かず押し問答が続いた。
働いている障害者にとっては休んだだけ収入が減る。いくら、みんなのためと言っても生活がかかっていた。
その点では、盲人協会とろうあ協会は意見が一致していた。
いつもとちがった助成金の配分をめぐる争い
結局、いつものように、まあまあ、と言うことで助成金の話になったが、その日のろうあ協会の会長はいつもと違っていた。
身体障害者連合会として行う行事は、助成金を使うことは異議がないが、残った費用の配分問題は反対だと強固に主張して譲らなかった。
従来ならば、残った助成金は、肢体協会、盲人協会・ろうあ協会の順で配分され、ほとんどは肢体協会がその配分金を受け取っていた。
徹底的に食いさがったろうあ協会
ろうあ協会は、それにクレームをつけた。
ろうあ協会としては各種学習会や教養講座や読み書き援助などの取り組みをしていてみんならお金も出してもらっているが、みんなは貧しい、これ以上の負担を言うことは出来ない。
肢体協会は、それらのことをしてないので助成金をなぜ多く受け取るのか、という主張であった。
盲人協会からは、役員会議1つ開くのででも大変で、市内各所から「てびき」を頼んで集まるが、お礼も出来ないし、今の社会の動きを知るためにさまざまな取り組みをしているのに費用がかかって、鍼灸の仕事をしている盲人の生活からこれ以上負担を言えないと言うことであった。
助成金は三等分すべきで紛糾
すると身体障害者連合会会長であり、肢体協会の会長は、いつものごとく「みんなも同じ。わしらの団体も同じことだ」と言った。
いつもなら、ここで話は終わったらしいがその日はちがっていた。
身体障害者連合会の役員は、盲人協会一人、ろうあ協会一人、であとの役員は全員肢体協会から出ていたからである。
会長の一声ですべてが決まるはずだった。
ところが、ろうあ協会から「肢体協会はなんの事業もしていないし、学習会も会合もほとんどしていない。のに、同じて言えるの。肢体障害者もそういうこと必要じゃないの。」というと会長は「人数が多くてやってられない。」と言い切る。
「それなら、盲人協会やろうあ協会に助成金を回すべき。この際、3等分するのが平等では。」とろうあ協会はやり返した。
すると、会長は、「人数は肢体協会のほうが圧倒的に多いのになにが3等分だ」と言う。
この時はろうあ協会は、引き下がらなかった。「肢体協会に入っている人は盲人協会やろうあ協会より少ない。たしかに、市内には、肢体障害の人は多いけれど肢体協会がなにもしてないから、協会に入らないのでは。」とまで言い出した。
お国のために障害者になった おまえらと違う
ここまで来ると会長は激怒して、
「おまえらは、自分で障害者になってなにを言う。私らは、お国のためにこのような身体になったんだぞ。」
と言い出した。
このことばは、火に油を注ぐようなことで、盲人協会もろうあ協会も会長以上に激怒して
「俺らの責任で障害者になったと言うのか」
と役員会は終始が着かなくってしまった。
戦争で傷ついた兵士の階級差別に怒り
でも、この日のろうあ協会は違っていた。
「お国のため、あんたらは障害者年金+軍人恩給をもらって仕事をしてないじゃないか。わたしらより、まだましな状況に置かれているではないか。」
とまた火に油を注ぎ出して、今にも暴力沙汰になりそうな状況になった。
威張る会長の失墜と新たな動き
この時ある役員が、「軍人恩給言っても戦争の時の階級で金額が違うのです。私らは、ほとんどありません。」と言い出した。会長のほうが上級士官だったから軍人恩給が高い、と言うことをさらけ出したのである。
この話を聞いて、盲人協会もろうあ協会も驚いた様子で、「同じ戦地に行って、一番危険な所にいた軍人のほうが恩給が少ないの」「こんな馬鹿なことはない」と怒りは別のほうに向かいはじめた。
そして、日頃、威張る会長のほうが苦労をした他の役員より違っていたことへの同情がはじまった。
収まりがつかなくなって、会長は、「三等分」と言い出して、この日の会議は終わったが、後味の悪い会議になったと少なくない人は思ったようだった。
この日から、障害者団体同士でもめることなく、行政に目を向けていこうという動きになっていく。
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