今は昔と言うこともあるが、1970年初頭にあったある市の福祉の話を述べる。
いろいろな状況の変化があるが、本質的にあまり今の状況と変わっていないように思えるからである。
日曜日に野球をしたい、と障害者団体の要望を受けて
福祉事務所にある障害者団体から日曜日、野球をしたいから、どこかのグランドを貸してくれないか、という話が出され、係長は簡単に約束した。
市のグランドなんてない時代、係長は「小学校か、中学校のグランドを貸してくれないか、と問い合わせるように」と部下の職員にふってきた。
電話で、いくつもの小学校や中学校に問い合わせたが、日曜日ともなれば学校は誰もいなく(当時)、管理上貸すことが出来ないという返事だった。
ところが、ある小学校では用務員さん(当時の呼称)が理解のある方で当日出勤してやろうと言ってくれたようで、貸してもいい、との返事をもらった。
炎天下2時間の往復と「あ、そう」
でも学校長は「市の福祉事務所の正式な依頼分をもってくるように」という条件をつけた。
今でこそ、舗装道路が縦横に走り、高層マンションが建ち並んでいて、どこに小学校があるかわからないが、当時は違った。
広々と続く田んぼにくねくねと曲がった道が続き、その先に小学校があった。
バスなんて走ってもいなかったし、私鉄の駅もなかった。
ともかく、起案書を書き、所長の印をもらい「公文書」を携えて、炎天下、市役所から延々と歩き続けて小学校にたどり着いた。
校長に会うと「あ、そう」で終わりで、また延々と歩いて市役所までたどり着いた時には、汗で体中がビッショリ。
往復2時間以上の炎天下の「行軍」と思えるほどだった。
福祉事務所に何か乗り物はないのか、と聞いたところ税務課などはバイクなどの「公用車」はあるが「福祉」にはないとの返事。
数日経って、係長が「車あった」と言われて、教えられた所に行くとさびきった自転車が一台。
「福祉」と白いペンキで描かれてあった。
係長は言う「福祉の仕事は出かけるものではないと。
身体障害者手帳をこちらから届けに
ある時、「身体障害者手帳は、まだでしょうか」と言う方が窓口に来られた。
ご主人が車いすに乗って、奥さんは車いすを押して来られたようであった。
身体障害者手帳は、申請して府庁で審査される。
交付まで非常な時間がかかっていた。府の担当者に聞くと「まだまだ時間がかかるとの返事」。
「あのっ、まだまだ時間かかります。」と言うと「そうですか。」と落胆した返事をして帰られた。
それから、事務的な作業をしてから、さびきった自転車に乗り、グランドを借りに行った小学校へ続く道をギーギーと音を鳴らして走っていたら、とっくに別れた車いすに乗ったご主人と奥さんの姿が見えた。
一瞬、「えっ、あんなに時間が経っているのにまだここを…」と思ったが、深く反省した。
私には往復2時間であっても、車いすではその倍もかかるのだ。
この凸凹道を苦労されてやってこられたのに、たった数分で返事しただけ、わざわざ来られたのに…と思うと、自転車を前に進めることが出来なかった。
そうだ、これからは身体障害者手帳が交付されるとこちらから届けに行こう、と決意した。それがどんな波紋を呼び起こすのかもわからずに。
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