Once upon a time 1969
ろう学校の先生たちのろうあ者に対する見方考え方。
激しい抵抗を感じ、その後の学習意欲につながって行く。
働くろうあ者を守る会は 消滅したが
A鉄工所問題は、結局第二組合が圧倒的に多くなり、第1組合はどんどんと先鋭化して行った。
ろうあ者3人は、第二組合に入り働くことが出来たが、結局、地労委が入り一応A鉄工所では平穏な状況が続くことになる。
働くろうあ者を守る会は、その後、細々と活動したが次第に消滅することになる。
みんなが集まり、相談する、助け合う、労働問題の学習をする
しかし、たえずみんなが集まり、相談する。助け合う。労働問題の学習をする。
このことは、ろうあ協会の中にも引き継がれ、伝承されていった。
また、手話通訳者も大いに学習した。
さらに、ろうあ者・手話通訳者と働く人々のいろいろな団体との知り合いになり、協力関係が出来たことは、ろうあ者問題の広がりだけでなく人間連帯の広がりとして大きな教訓を残すことになった。
このことの意味は、非常に大きかった。
さらに試行錯誤を繰り返しながらもろうあ者が生きる基本である、働く、という問題に直接取り組むことになって行った。
そのいくつかを1969年当時のこととして以下報告しておきたい。
労働組合の統制を乱す行為であるから除名と「むずかしい」
ろうあ者Cさんは、製造業の職場で働いていたけれど、とても生活できなかった。
そこで、残業はすすんで行い生活費をかせぐ一方で、会社に対して個人的に1万円の給料アップを申し出た。
それを知った労働組合は、残業をむやみにやらないという会社との労働協約、組合員が個人で会社と話し合うことは労働組合の統制を乱す行為であるとして労働組合からの除名をCさんに伝えた。
なにもわからないCさんは、自分の言う1万円の給料アップに対して「むずかしい」ということしか伝わっていなかった。
「むずかしいって なんで」
労働組合の言うことおかしい、と思いろうあ者Cさんはみんなに相談にきた。
Cさんの本当のねがいや要求は
Cさんの疑問も聞きながら、十分話し合ってみると
職場の人たちともっとうちとけたい
ひとりぼっちで黙々と仕事をするのは悲しい
自分がナゼ給料を上げてほしいのかを知ってほしい
というねがいが永く続いていたことが解った。
Cさんも職場に人も
歓迎してくれた
手話通訳者の職場訪問
そこで、
1,職場の人とうちとけたい
2,自分の要求も知ってほしい
という二つのことから取り組んでいこうということになった。
もうその時点で、Cさんは大喜び。
手話通訳者がCさんの職場に行くと心待ちにしていてくれた。
また職場の人々も待っていてくれた。
職場の人と手話通訳を交えて話が出来ること自体Cさんにとって大きな喜びだったが、同時に職場の人々も大いに歓迎してくれた。
昼・ご飯・一緒・食べよう を教えて
昼・ご飯・一緒・食べよう
などの簡単な手話を教えてほしいということだったのでCさんと一緒に手話通訳者は、その手話を教えた。
職場の人の眼差しは真剣だった。
知らないうちに 要求やねがいが実現していた
この簡単な会話から、職場の輪が広がり労働組合の人々をはじめ職場の人々がCさんと交流するようになり、Cさんと簡単な手話で冗談も言えるようになって行った。
Cさんの悲しい思いは吹っ飛んで、職場に行くのが楽しくて仕方がないとみんなに報告するようになった。
また、Cさんの家の近くに住む職場の青年が、Cさん宅に行って話をしたり、職場の人を誘って手話学習会に参加するようになって行った。
Cさんが、労働組合の統制を乱すなどの話はみんなが忘れ、Cさんの2つのねがいはとっくに実現してしまっていた。
昼・ご飯・一緒・食べよう
大切なコミニケーションだった。
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