教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
高野の教育 (その7)
先生の話を胸にM君は必死になって、
「盲学校の人は、ぼくの書いた手紙を読めないのでは」
から
「盲学校の人は、ぼくの書いた手紙を読めるように」
手紙を書きはじめます。
完成した「M君の点字手紙」
時間がすぎても、まって、まって、と言うM君を先生は待ち続けました。
そうして出来上がったのが「M君の点字手紙」だった。
「M君の点字手紙」をどのようにして作ったのかを先生が聞いてみるとM君は、まず、はじめに普段通り鉛筆で手紙を書いた。
次に、自分の書いた手紙をひっくり返して、書き写した。
そして、ひっくり返して書き写した文字に、鉛筆でていねいに、細かく凹を打ち続けた。
そして、細かく凹を打ち続けた手紙を、ひっくり返して凸面が表になるように先生のところに持ってきたのである。
凸を手で触っていくことにより、M君からの手紙が盲学校の生徒さんたちに「読んでもらえる」という熱い思いを込めたM君からの手紙だった。
いやあ あれ、宇宙人かもしれんど からの変化
はじめに普段通り鉛筆で手紙を書いた手紙は、ろう学校の生徒のみんなに読んでもらい、凸面が表になった手紙は盲学校の生徒のみんなに読んでもらおうというM君の気持ちだったことが、高野小学校の先生に初めて解ったのである。
先生 遠足はいろんな人が行きます。
目が見えん人や耳の聞こえん人も来とってかもわからんよ。
出合ったらどうする?
先生 いっしよに遊ぶ?
生徒 (即座に)いやあ(と体を傾けて何かをさける様子をする)
先生 そう………
そして、
「何言うとってんや、わからへん」
「あれ、宇宙人かもしれんど」
「イギリス人かもしれん」
「フランス人や」
と、会話をしていた高野小学校の1年生。
それに対する「こころからの返事」が、「M君の点字手紙」だった。
「M君の点字手紙」は、そのまま京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校に届けられた。
先ず大感激したのは先生たちだった。
点字でない点字だけれど、M君の汗の結晶が点々と残っている「M君の点字手紙」に子どもたちのこころからの思いが込められ、相手を思いやる純な気持ちをしっかり受けとめられたからだ。
京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の先生は、高野小学校の子どもたちからの手紙を生徒に手渡したが、「M君の点字手紙」は盲学校の生徒にその意図をきちんと説明されていった。
100点をやりたい思いで何度も読みかえしていました
のちのち「M君の点字手紙」も含めた高野小学校と京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の生徒たちの交流文集を読んだM君のお母さんから
「子どもなりに、自分の思いを相手に知ってもらいたいと思って、時間がくるのも忘れて一生懸命、最後まで点書きしたことに対して100点をやりたい思いで何度も読みかえしていました。」
との手紙が両校の先生に届けられた。
かくまくをあげる人が見つかるように
3学期。
角膜手術を受ける盲分校の友だちを心配して
「かくまくをあげる人が見つかるようにといのっています」
という手紙や千羽鶴が京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校に届けられた。
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