Once upon a time 1969
ろうあ者の労働問題は、すべてうまく解決したのではなかった。
いや、ほとんど解決しなったというほうが正確だろう。
また、解決までに多くの時間がかかったこともある。
だからこそ、みんなはA鉄工所問題にこころからの連帯感を抱いたのかも知れない。
ろうあ者Eさんの仕事ぶりに目をつけたある社長が
Eさんは、京都市内の製材所で一生懸命働いていた。
そのことをよくよく知っている別の製材所の社長が自分の工場内にあるバラックに住ませてやるからEさんに住み込みで働かせてやると元の製材所の社長と話をつけてきた。
Eさんは、自分の仕事ぶりが認められたことや住み込みで住むことで家賃がいらないので助かった、と思い込んで誘われた製材所に行った。
でも、はじめの約束と違っていた。
協調性に欠けるから
解雇する と社長
ろうあ者相談員もみんなも、おかしいなぁ Eさんだまされたのと違うか、と言う。
どうしよう、と迷っていた矢先。
1969年12月末で会社から「解雇する」と言われた。
調べてみると、解雇の理由は、協調性に欠ける、ということだった。
この時代、ろう教育もろう教育研究者もろうあ者の特異性として「協調性に欠ける」とされてきた。
会社は、それを知ってか、知らずか「協調性に欠ける」ということを全面に言い出してきたのである。
事実調査や聞き取りを十分すすめて福祉事務所の障害者福祉担当のところに話を持ち込んだ。
他の社員が 首にしてくれないと全員辞めるというから、と
ところが、「本人の解雇には問題がある。」としながら会社に状況を聞きに行っただけで「問題は、労働問題だから」と言いだし、なにもしなくなった。
そのためろうあ者の代表者が会社の社長に会い話を聞くと、
「本人が首にならなかったら、他の社員が言い出すのでどうしようもない」
と言う社長の返事だった。
そこで、他の社員と話をさせてもらうと、解雇は撤回された。
身を粉にして働いたことが 解雇の理由なんて
ろうあ者Eさんは、自分が身を粉にして働き、他の人のことを思いやっていた。
でも、そのことが、結果的に「協調性に欠けるとして解雇の理由」になったことを知って、とても悲しんだ。
自分が仕事をすることが
「ダメなんだ、なっていないのだ。」
「(みんなにとって)ありがた迷惑なんだ、」と沈みこんでしまった。
みんなにとってよかれ、と思う気持ち。
コミニケーション十分とれない中での食い違い。
手話通訳を交えて話してみれば、思いやりの気持ちは通じるのだが。
ろうあ者Eさんの「協調性のなさ」は
現代人の協調性のなさにすり替えられているが
協調性がない、と決めつけられ、それが聞こえない人の特異性とされて来たことは、現代ではなくなっているのだろうが。
コレコレの障害のある人たちの特徴は、他の人との違いは、と強調される現代。
協調性は、障害者の周りの人々にもとめられ、理解と非理解に区別されていないだろうか。
問題は、お互いが理解し合う、という関係。
お互いが努力し合う関係。
なのだが
0 件のコメント:
コメントを投稿