2012年5月31日木曜日

全盲の女の子が、高野川に入ってうぐいを一匹素手でつかみとることが出来た


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


 京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちと教師・親(1)

 高野小学校の取り組みを掲載してきたが、次に京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちと教師・親の取り組みについて先生の記録や子どもたちの手紙を掲載して行きたい。

              生れてから普通の人といっしょに勉強するのが初めて

分校の子どもたちの感想と先生たちの感想記録より

1972年3月合同体育学習 

……僕は生れてから普通の人といっしょに勉強するのが初めてです。
 また、府立盲・ろう舞鶴分校も生れてから初めてのことでしょう。
 このことは大変うれしいことと思った。


 行く前に「はずかしくない。平気でする。」と決心した。
 ……今日のことは大変よい思い出です。死ぬまで忘れません。
 今までの交流で一番おもしろかったのは、今日の体育の授業です。
 高野校との交流の前は、僕達は普通の人とは別に勉強するのが良いと思っていたが、交流をやってみるとやはり一番良いことだった。

 ろうの人だけでなく、普通の人といっしょに勉強するのが良いことだということがよくわかったし、よく勉強できました。



1972年9月自慢話大会

 いつも消極的で発表をきらうA子さん。
 とても発表は無理だろうと担任は準備させなかった。
 ところが、友達が発表するのを見で、自分にもさせてくれと申し出、堂々と発表した。


                 うぐいを一匹つかみとることが出来た  全盲の女の子

1973年6月合同運動会

 自分達が、はじめて力を合せてガリ切をやり作りあげたプログラムを、閉会式の時、高野の校長先生に「よくがんばりました」といわれてとてもうれしかった。

1973年4月 高野小学校の前に流れる高野川を遡上してくるうぐいつかみ

 全盲の女の子が、うぐいを一匹つかみとることが出来た。

 魚にさわることがどうしても出来なかったのが以後可能になり、教室で飼育しているタニシにもさわることが出来る。

1973年4月 ふきつみ

 つみとったふきは、両校の教職員が買った。

 売上げ金は今後の共同学習のために使用することにしている。
 子供達は生れてはじめて、自分の労働によってお金を得た経験である。

  文通も個々に行なわれている。

 ろう児にとって苦手な文を書くことが、だんだん苦にならなくなり、手紙をもらったら当然返事を書く認識が出来た。

高野の人たちは、私たちを差別しなかった
  けれど、私たちは重複の友だちを差別していた

「高野の人たちは、私たちを差別しなかった。けれど、私たちは重複の友だちを差別していた。私達も差別しないようにしょう。」

とH・Rで話し合われたり、卒業生の就職先へ職場見学に行った中学部生徒は、

 障害者は何人働いていますか。

 聞えない人のための通訳は、どのような方法でしていますか。

 大勢の中に手話のできる人が一人もないのですか。

 障害者が淋しい思いをしていませんか。

 障害者のことを、みんなにどのように話していますか。

といった障害者と健常者とのかかわりの観点に立った質問をし、付添の教師を驚かせたりしている。












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