教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
高野の教育 (その6)
京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちと高野小学校の子どもたちはそれぞれ別の道から山道を登り、山の頂上近くの円隆寺で出会った。
グリコのおやつの「おまけ」が きっかけに交流がはじまる
でも、それぞれの学校の子どもたちは、それぞれの学校のグループに別れて、お互いが知らんぷりでお弁当を食べていた。
が、しかし、子どもたちが、お弁当も食べ終わった頃、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちは、グリコのおやつの「おまけ」が同じものであることに気づきだした。
一部の子どもがそれぞれの学校の子どもたちに近づきあった。
その輪は次第に大きくなり、高野小学校の子どもたちも京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちも一緒になって、おまけとが「同じ」というように、くっつけあったり。
「同じでないキャラメルのおまけ」をとり替えようとしたり、しはじめた。
コミニケーションがうまくいかなくても楽しい
それからは、お寺の本堂の階段、石段などを一緒になってあがったり、下ったり。
草むらの中でずっ・こけたり。
古木のほら穴へいっしょに入って、くずだらけになったりしながらはしやぎまわったりしだした。
高野小学校の子どもたちが、
「こつち、こつちやで」
と大声で呼んでも、京都府立ろう学校舞鶴分校の子どもたちは、向うへ走って行く。
その子らの後を追いながら
「ああもう、いうとんのに」
と高野小学校の子どもたちが独りごとを言ってはいても、とても楽しそうだった。
ことばにならなかったが 大きな変化が
遠足の帰り道。
高野小学校の子どもたちと京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちは、自然に手をつなぎ合って山道を下っていった。
高野小学校の担任の先生は学校に帰ってから
「きょう、何かめずらしいことあったか?」
「びっくりしたことなかったか?」
とたずねてみても、へび、犬などなどの話は出てきても、分校の子たちについては、ひとことも出なかった。
言葉にならなかったのか、遠足先での、ひとこまに過ぎなかったのか……。
と高野小学校の担任の先生は悩むが、子どもたちの気持ちの中には大きな変化があった。
宇宙人かもしれんど イギリス人かもしれん からおはじまり
その後で解ってきたのは、高野小学校の子どもたちは京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちに出会った時、
「何言うとってんや、わからへん」
「あれ、宇宙人かもしれんど」
「イギリス人かもしれん」
「フランス人や」
と、そのような会話をしていたそうである。
それは、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちに対して、おもしろがったり、からかかったりして言った会話ではなかったのではなく、ほんとうにそう思ったと言うことだった。
盲学校の人は ぼくの書いた手紙を読めないのでは
そんなことがあって5ヶ月後、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちへ高野小学校の1年生が手紙を書くことになった。
その時、M君が先生に
「盲学校の人は、ぼくの書いた手紙を読めないのでは」
と先生に聞いた。
先生は、
「盲学校の生徒さんは、点字と言って、点の出っぱった部分を指で追って読むのよ」
と説明した。
するとみんなが手紙を書き終わってもM君はずーっと何かを書き続けて止めることはなかった。
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
高野の教育 (その6)
京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちと高野小学校の子どもたちはそれぞれ別の道から山道を登り、山の頂上近くの円隆寺で出会った。
グリコのおやつの「おまけ」が きっかけに交流がはじまる
でも、それぞれの学校の子どもたちは、それぞれの学校のグループに別れて、お互いが知らんぷりでお弁当を食べていた。
が、しかし、子どもたちが、お弁当も食べ終わった頃、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちは、グリコのおやつの「おまけ」が同じものであることに気づきだした。
一部の子どもがそれぞれの学校の子どもたちに近づきあった。
その輪は次第に大きくなり、高野小学校の子どもたちも京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちも一緒になって、おまけとが「同じ」というように、くっつけあったり。
「同じでないキャラメルのおまけ」をとり替えようとしたり、しはじめた。
コミニケーションがうまくいかなくても楽しい
それからは、お寺の本堂の階段、石段などを一緒になってあがったり、下ったり。
草むらの中でずっ・こけたり。
古木のほら穴へいっしょに入って、くずだらけになったりしながらはしやぎまわったりしだした。
「こつち、こつちやで」
と大声で呼んでも、京都府立ろう学校舞鶴分校の子どもたちは、向うへ走って行く。
その子らの後を追いながら
「ああもう、いうとんのに」
と高野小学校の子どもたちが独りごとを言ってはいても、とても楽しそうだった。
ことばにならなかったが 大きな変化が
遠足の帰り道。
高野小学校の子どもたちと京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちは、自然に手をつなぎ合って山道を下っていった。
高野小学校の担任の先生は学校に帰ってから
「きょう、何かめずらしいことあったか?」
「びっくりしたことなかったか?」
とたずねてみても、へび、犬などなどの話は出てきても、分校の子たちについては、ひとことも出なかった。
言葉にならなかったのか、遠足先での、ひとこまに過ぎなかったのか……。
と高野小学校の担任の先生は悩むが、子どもたちの気持ちの中には大きな変化があった。
宇宙人かもしれんど イギリス人かもしれん からおはじまり
その後で解ってきたのは、高野小学校の子どもたちは京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちに出会った時、
「何言うとってんや、わからへん」
「あれ、宇宙人かもしれんど」
「イギリス人かもしれん」
「フランス人や」
と、そのような会話をしていたそうである。
それは、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちに対して、おもしろがったり、からかかったりして言った会話ではなかったのではなく、ほんとうにそう思ったと言うことだった。
盲学校の人は ぼくの書いた手紙を読めないのでは
そんなことがあって5ヶ月後、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちへ高野小学校の1年生が手紙を書くことになった。
その時、M君が先生に
「盲学校の人は、ぼくの書いた手紙を読めないのでは」
と先生に聞いた。
先生は、
「盲学校の生徒さんは、点字と言って、点の出っぱった部分を指で追って読むのよ」
と説明した。
するとみんなが手紙を書き終わってもM君はずーっと何かを書き続けて止めることはなかった。
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