教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
高野の教育 (その2)
奪われている
みんなで菊を、朝顔、ひまわり、へちまいも、稲、その他四季の草花
一 自主的、創造的な学習を発展させよう
○ 創造的な学習、解放された子どもの表現
○ 教科書批判、自主編戊めざして
○父母、地域とともに、市販テスト批判
学力とは赤軍学生などの問題
二 集団づくりの学習
○ 児童会の活動、創造的、民主的運営
○ 教育目標、学習内容、指導法の統一
以上のことが、教師集団としてとりくんできた部分であるが、いつも教育内容や指導法を相互批判するとき、
その基準となるものは、
科学的認識がどのように変ったか
集団としてのとりくみで、その質はどのように変革されたか。
子どもの全面発達にどのように意義つくのか、という点であった。
子どもたちが自主的に積極的に
京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校との共同教育を提起
このように教育が、民主的に人権教育であり、差別をゆるさないよりよい社会の変革をめぎして発展するものと考えている。
このような高野教育のあゆみの中から、子どもたちは自主的に積極的に、京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校との交流を提起してきたのである。
以下数多くの交流をしていくが、たんなる交流でなく、子どもたち自身は、同一の目標にむかって学習する「共同教育」という方が適当といえる。
共同教育の経過
1971年
12月4日 盲ろう分校へ竹馬をプレゼン
12月19日 高野校六年全員「盲ろうクリスマスの集い」に招待をうける。
12月24日 盲ろう分校へ礼状を出す
1973年
1月 両校で図画と習字の展覧会
1月20日 交流第一集発行
第二集発行
2月21日 両校合同スケート学習会
3月6日 高野小六年、ろう中学部、合同教育学習会
3月17日 交流記録第三集発行
3月6日 両校職員学習会
3月6日 ろう分校卒業式、高野小六年参加
3月18日 盲分校卒業式、校長参加
3月23日 高野小卒業式、ろう分校参加
4月21日 合同遠足
共同教育から知った 何か大事なものが奪われていること
子どもから何か一番大切なものが奪われているのとちがうだろうか。
われわれ教師 も奪われている。
しんどい。
仕事にたのしみがない。
何か大事なものが奪われているのとちがうか、
地域の人はどうか、やはり奪われているようだ。
何だろう、みんなででかけてきいてみよう。
みんなで ほんとの教育を考えよう
何とかしようもっと勉強しよう
ほんとの教育を考えよう
学力とは、真の学力とは何か
自主的にとりくもう
みんなでやっていこう
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