教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
高野の教育 (その4)
1973年
1月15日 高野小学校・京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校全員、書初大会、正月遊び大会、たこあげ大会
2月15日 (高野小学校・京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校)合同学習会
2月17日 両校委員会
3月
両校スケート学習会、給食会、反省会
両校の卒業式の交流
子どもの発案と要求によってスタートしたものであり、同情とか、ほどこしてやる、お世話になるという関係でなく、集団としてのとりくみの中で、お互いに対等平等の立場でともに学ぴあい、理解しあい、全面発達をめざしたものなのです。
1972年4月
高野小学校1年生の前の日
「あしたの遠足で一、二年は目的地の円隆寺で(京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちと)合流します。特別の配慮や事前の指導をしないでいきましょう」
ということである転任して間もない新米の私は迷った。
交流の出発にあたって、子どもの実態を大事につかみたいが、気のむくままに行動する一年生と、盲ろう分校の四、五歳という小さい子たちである。
とんでもない行動によってとりかえしのつかないようなことがおこったら、私には何事も全く予想ができなくて不安でならなかった、何をどうおしえたらよいかわからないままに、とにかく、盲ろうの障害のある子どもがあること、遠足で会うかも知れないことを知らせておくことにする。
先生 あした遠足で学校の外へ勉強に行くね
そとえいくとどんなことがあるかな
生徒 自動車、バス、トラック(交通安'全)
先生 いろんな人に出会うね、おじさん……
生徒 おばあさんおかあちゃん……
先生 おじいさんやおばあさんに出会ったらどうする?
生徒 先に通してあげる
生徒 大事にする
先生 なんで?
生徒 長いこと働いちやったで
生徒 ゆっくり歩いてやで
生徒 ぼくとこのおじいさん目がみえんでおうちにおってやもん
先生 目が見えんのは、おじいちやんではないね
生徒 うちのおじいさんかって耳聞こえんで
先生 そんな耳が聞こえん人や目が見えん人どう思う?
生徒 だいじにしてあげる
生徒 かわいそう
生徒 うつる?
先生 うつるかな?
(声なし)
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