2012年5月16日水曜日

盲ろうの人は、かわいそうだと考えなくてもよろしいよ でも、行ってみてとても安心しました


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


  高野の教育   (その2)で

  共同教育の経過
1971年
12月4日 盲ろう分校へ竹馬をプレゼン
12月19日  高野校六年全員「盲ろうクリスマスの集い」に招待をうける。
12月24日 盲ろう分校へ礼状を出す

と紹介されている部分について、すべての子どもたちが延々と時間をかけて書いたり、自分の気持ちを現すために書いた分厚い交流冊子があった。

 それを紹介したほうがより、深く共同教育のことが解っていただけると思い掲載するつもりであったが、それを掲載出来ていなかった。
 そこで、前後するが前号の部分に子どもたちの手紙のやりとりを付け加えたい。


 なお、子どもたちの率直な気持ちの表現については、高野小学校、盲学校舞鶴分校、ろう学校舞鶴分校の先生は一切訂正や加筆を指示するなどをしていない。


竹馬をプレゼンからはじまった共同教育 子どもたちの育ち合い

  1971年
12月4日 盲ろう分校へ竹馬をプレゼン

12月19日  高野校六年全員「盲ろうクリスマスの集い」に招待をうけた時の子どもたちとの文通から。

招待のあった日、そんなのを見るのはとてもかわいそうではないかと思って

高野校から盲ろう分校へ

「皆さんから招待のあった日、そんなのを見るのはとてもかわいそうではないかと思っていました。
 でも、行ってみてとても安心しました。私たちとぜんぜんかわらないように、私の目にうつったからです。
 すず虫姫、友達を助けたきつね、心臓手術、とみな心をうつ作品ばかりでした。 特に心臓手術なんかはすばらしかったです。
 それに自作でしたね。
 みんなで感心して見ていました。


 私達でもなかなかできないのに、あなた達はやりとげました。

 大変な力の持ち主ですよ。
 自分達のいいたい所がよくでていました。
 でも、もう少し長くして見せてほしかったです。そして、盲・ろう、いっしょにした劇も見たかった。
 合奏はそろってできていました。がんばって練習をしたのでしょう。……」(六年M・J)


 上手ですと書いてありましたが、少しお世辞ではないですか

盲ろう分校から高野校へ

「舞鶴市の町はずれにある高野小学校六年から、手紙をもらってサソキュー。

 僕達は、『心臓手術』の劇をしたが、少し失敗がありました。
 皆様からの手紙には、心臓手術は上手ですと書いてありましたが、少しお世辞ではないですか?
 僕達は、まだ下手だと思っていたので少し変だと思いました。


 盲ろうの人は、かわいそうだと考えなくてもよろしいよ。

 僕達は、普通の人と同じ人間だと考えています。

 君達、さかだちが大変うまかった。
 僕は出来ません。ぜひ教えて下さい。
 ……僕達は、心臓手術の前にむねが、ドキドキしましたが、だんだん平気になりました。

 12月上旬、竹馬をもらいましてサソキュー。
 僕は、まだまだむずかしいです。
 最後に、おもちを食べましたネ。

 ほかほかで、やわらかくてうまかったネ。
 これでおしまい。
 では、高野小学校六年の皆様、三学期もガンバラナクッチャー。
 また、会う日まで。
 バイバイ。さようなら。グッドバイ。」(中学部一年A)


  そういう意味で書いたのでなく
    内容がよかったと書いていたのです

おりかえし(高野小学校の生徒から)盲ろう分校へ

「A君、返事の手紙ありがとう。
 君達の、やった心臓手術は、失敗もあったし下手と書いてあったのは、よく見ると失敗もあったと思いますが、僕達は、そういう意味で書いたのでなく、内容がよかったと書いていたのです。

 かんちがいしていたようですネ。
 君が、言っているようにきみ達をかわいそうだとは思わないようにします。


 君達は、僕達と一緒にスケートへ行きたいと言っているそうですネ。
 僕連は、それを聞いてぜひ一紺に行きたいと思います。
 必ず行こうネ。


 これからも、長く長く友達として行こう。パイパイ。さようなら。」(六年H・M)

 これらの文章のやりとりの中で、子どもたちは文を通して心を通わせ、文も通して理解し合うようになって行く。

 そして、書いた文章の返事を心待ちにするようになる。

 このゆったりした時間の中で、子どもたちの共同教育がはじまるのである。


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