教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー
京都府立盲学校、ろう学校舞鶴分校の子どもたちと教師・親(2)
1973年3月
お祝のことばより
六年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。………
わたし達は、耳が聞えないのでお話が下手です。だから買物に行っても、お店でみんなからめずらしそうに見られます。
くやしいと思ったことが何度もありました。………
10歳を過ぎると 自分の障害を人にうったえられるようになった
高学年になると、自分の障害を他人に語ることに抵抗を持っていた子供達が、自分の障害を人にうったえられるようになった。
集団としてのたかまりにまだまだ弱点は残されている。
しかし、盲の人が……、
ろうの人が…、
と非難し合っていた子供集団とそれを見過していた教職員集団であったけれど、この共同教育のとりくみの中で集団としての高まり・発展が見られるになってきている。
子どもたちが変わり 教職員も変わる
全盲の子供の手を引くろう児の姿。
自転車の荷台にろう児をのせて走る弱視の子供の姿。
また週一度体育学習と朝礼を合同でやるようになっているし、盲児・ろう児がお互の名前を知り合うためにとろう児も教職員も点字プレートつきの名札を全員がつけている。
教職員集団も変革された。
一昨年まで、盲・ろう別々の職員室で職員会議等も年に数回行事調整のためのものが持たれるにすぎなかったが、現在は同じ職員室に机を並べ職員会議もそれぞれの独自性は尊重しつつ、分校の子供の問題は全員での考え方から、必ず合同会議で検討されるようになった。
障害のある子をつれて人の中に出るには大変勇気がいりますが
お母さんからの手紙
高野小学校・盲ろう分校交流のスケート教室におさそいいただきありがとうござます。
高野校のお友達と仲良しになってもらい、盲学校だけよりも友情の輪が大きくなることは本当に良いことだと思います。
私自身、障害のある子をつれて人の中に出るには大変勇気がいりますが、さそっていただいたことで、昨日のような楽しい集団の中へ入れたことを心から喜んでおります。
M代も、このような集団の中で苦しみものりこえて行くだろうと思います。
いつまでもよい友達として、この友情の輪をさらに大きくしていって下さい。
と、喜びと手紙に託した盲分校の母親。
三つの学校の運動会とは思えない
一つの学校の運動会のようだ
高野のお母さん達は、この交流をどう思っておられるのだろう。
内心迷惑に思ってわられるのでは……。
反対しておられるのでは……。
と心配した分校の母親が、数々のとりくみの中で、共に走ったり、菊なえを植えたりする経験を通して、障害を持った子どもの幸せには人々の正しい理解がいかに大切か、そしてその理解を深めるためにに自らが積極的に働きかけることの重要さに気づき、高野校保護者との文通交流の提案をするようになってきている。
今年六月、合同運動会が盲ろう分校で行われた。
高野の育友会員の半数の参加があった。
この運動会は、来賓の地元のろうあ協会の会長が三つの学校の運動会とは思えない。
これは一つの学校の運動会のようであったと感想をもらす程楽しいものであった。
今年はみなさんばかりでなく
私たち親どうし交流したいと思います
《メッセージ》
盲・ろう学校のみなさま、こんにちは、私達は高野小学校育友会の者です。
今日は運動会ですね。高野校といっしょに、みんな仲良く走ったり、とんだりして下さい。
私達は、盲・ろう学校のみなさんと高野校のみなさんが仲艮く交流していることを知っています。
それで今年はみなさんばかりでなく、私たち親どうし交流したいと思います。
それで今度、みんなが一番都合のよい日に親子そろって交流会をもちたいと思います。
そのときは、みなさんのお父さんやお母さんに是非来てもらうようにおねがいしてください。
今日の運動会が盛大に終ることを祈っております。さようなら
高野小学校育友会教育文化部
子供達からスタートしたこのとりくみも、このようにして親の中へとその輪の拡がりをもちはじめた。
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