滋賀大学教育学部窪島務氏らは、かって故田中昌人氏から学んだり、共同研究したことを言っている。
しかし、故田中昌人氏の発達研究から何を学んだんであろうか。
故田中昌人氏が、IQで教育権を奪われている障害児の教育保障のために絶大な努力を惜しまなかったことすら承知していない。
そればかりか、故田中昌人氏の発達について逆風を巻き上げていることを指摘しておきたい。
故田中昌人氏は
1960年代の早い時期から
人間連帯を勝ち取る「人間発達」の筋道を提起し続けた
故田中昌人氏は、1960年代の早い時期から以下のようなことを提起し、広範な人々が人間連帯を勝ち取る「人間発達」の筋道をあきらかにしてきた。
その一部を紹介しておく。
「小中学校全児童生徒を例にとろう。就学率は99.8%と世界一である。
これは、しかし、校門をくぐった率にすぎない。
適切な教育がなされているかどうかはまた別である。
精神薄弱児をみよ。
校門はくぐっても適切な教室へはいっていない。
特殊学級と養護学校へいっている人たちを、かりに適切な教育をうけているとしても、その率は1964年度で小中学校年令精神薄弱児推定数80万人の中の9%にすぎない。
盲児46%、ろう児66%、肢体不自由児12%、病弱・虚弱児3%をみ、さらに難聴、弱視、各種小児精神病、心臓病などを問題にしていくと、つぎのことがはっきりする。
すなわち、数が少なく、金がかかり、外にあらわれにくく、役に立たないとみられる人たちの対策があとまわしになっているのである。
例を精神薄弱児にとると、学校教育法では精神薄弱児のための特殊学級や養護学校を設けることを義務づけている。
現状はどうか。文部省が施行細則をつくらないために、学校教育法ができて18年たつのに、いまもって校門をくぐった精神薄弱児に適切な教室を用意することが義務づけられていないのである。
文部省は学校教育法の精神を具体化する努力を自らせずして、法を守れと誰にいうのであろうか。
しかも現実は、特殊学級を設置するとついてくる補助金を他に流用することが跡をたたない。
その上、知能指数○○以下は父兄の同意のもとに就学猶予・就学免除をうけることができるとなっている。
ところが、特殊学級は知能指数50以上、養護学校は知能指数40以上という一応の線をだすことによって、事実上その条件にあわない人たちには就学猶予と就学免除の道しかのこされていないのである。
憲法第26条の『すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』ということが、能力にたいする教育を用意するように国が努力すべきであるととられず、
国は教育を用意した、
能力によって教育をうけよ、そこまで能力のないものは教育をうけるな、
ということになって、この人たちに迫り、結果として教育をうける権利をうばっているのである。
能力に応じた教育ということが、能力にたいする教育というふうにこどもを権利の主体とせず、能力による教育を解して、こども以外のものが権利の主体になっていること、このこどもたちは権利がいわれているのだということを、はっきりしらなければならない。
国は、社会に役立つというかたちで、国民に還元されないことに国民の税金を使うのは、国民にたいしてもうしわけないのだ、という姿勢をしめすことがある。
だから、1962年現在で全国に精神薄弱児の養護学校28校のうち、県立は5校しかないということにもなる。
教育委員会のお金を高校増設につかうか養護学校建設につかうかとなれば、とうぜんのこととして高校がえらばれるのである。
高校増設は必要である。
しかしこの充実のスケジュールの中で、いつのまにか社会効用論的人間理解のしかたが育っているとすれば、国民は税金を払って、排他性のつよい社会をつくって、自らの墓穴をほっていることになる。」
「障害のタイプによって発達のすじみちがちがうのではない。
どのような障害であっても人間としての共通の発達のすじみちを通って自己を実現していく。
このすじみちは偉大な学者といえどもとびこすことはできない。
別のすじみちを通ることもない。
どんな障害をもっている人でもこのすじみちの中にある。
あなたも障害児の発達のすじみちを通ってきたのである。
ここで大切なことは人間はすべて同じ道を通っているのだということである。
つぎに大切なことは、同じ道を通るのだが、その人あるいはその人をめぐる諸条件によって、人間はだれしも、その道のどこかの曲がり角などで一休みしたり、もつれてとどまったりするのだということである。」
「人間の発達には、主体なコントロールのしかたをふくめて、大小いくつかの質的にかわる時期が生涯にわたってある。このかわり目をいくつものりこえてからもつれのでる人、いくつもこえない中にもつれのでる人、さまざまである。」
「われわれも、偉大な学者も、どこかの質的なかわり目でこえにくいもつれに遭遇している。発達におくれやもつれがでるのはどこかの誰かのことではなく、すべての人にあることなのである。
どこでそれがでるかが、その人の自己実現の第一の持味になる。」
「人間の発達はつぎつぎと質的なかわり目をおっていくだけではない。
ひとつのかわり目から次のかわり目のあいだにその段階なりのやりかたをじつにゆたかにおこなうのである。
すっかり熟して、あふれでるようにして、その結果としてつぎの段階に質的にかわっていくのである。
つぎつぎ質的なかわり目を追っていくのは速成栽培である。
速成のスピードが速くなればなるほど、ついていけないものがふえ、落伍者のレッテルが貼られる。
しかし、ついていけたものも、ついていっているというだけで、その内容は貧困である。一面的な能力結果主義にもとづいて選別をつよめていくと、この弊害が強まってくる。」
「われわれは発達というとき、上への発達しかみていない。
文部省の指導要領、厚生省の指導指針もそういう難点だけでつくられている。
上への発達しかみられないというわれわれ自身の発達理解のしかたの発達障害の状態を克服していかなければならない。
横への発達をしることは、その人が発達上のもつれと闘っている姿にふれることであり、そこでは社会効用論的な人間理解のしかた“生きることは不幸をかさねる”につらなるものとは全くことなる人間理解のしかたが生まれてくるという意味できわめて大切なことである。」
「人間はどんな障害をもっていても人間として共通の発達の道を通る。
そして、誰でも発達の質的なかわり目のどこかでもつれる。
しかし、そこに無限の可能性をもった横への発達がひらかれてくる。
したがって人間の発達の権利を[保障]する対等は、すべての人間が受胎した時から活動を開始する。
どの段階にもすべての人にとって達成されなければならない発達上の課題がある。
それを力一杯達成する対策が組織立てられなければならない。
そして、発達のもつれがでてきたとき、対策はもつれに則して、長期間、高い密度でそのもつれに必要な新しい対策を展開していくのである。
この基本構造の上に欠陥がある人のばあいはさらにそれに則した対策が展開していく。
このように障害の有無その他さまざまな人間のちがいというものは、それがきりはなされ差別されていく指標になるのではなくして、人間が人間になっていくすじみちの上で、ひとりひとりのもちあじとして、他の人と関係づいていく中で生かされていく宝なのである。
このような基本構造の中で教育や福祉といわれる活動そのもののありかたが問われてくる。」
学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?
学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?
さらに、A大学教育学部教授は、学ぶということ、読み書きが出来ること、学校に行けることについて次のようなことを公表している。
1960年代から70年代の京都の障害児教育について聞き取りをしている。
その中で、興味深い話や資料を聞かせていただいたり、見せていただいている。
○ Mさんは、知恵おくれのS君の将来の道すじを求めて、いろんな集会にさんかしてきました。
数年まえ、ある集会に参加したMさんは、助言者である某先生の「過保護・溺愛」ということばに、思わず発言しました。
「私は、こんなおおぜいの人の前で、何もよう言いませんが、このことだけは言わしてください。先生は『過保護・過保護』とがんばりますけど、私は好きで過保護しているとちがいます。
『獅子は千尋の谷に我が子を落とす』
といいます。
私かて、あの子をそうして鍛えたいと思います。
そやけど、あの子を突き落としたら死んでしまいますがな。
今の日本では、だれも、政府も、それを受けてとめてくれません。
下に網でも張って受けとめてくれる世の中やったら、私かてあの子を突き落としても心配はしません。」
このMさんの発言を会場はじっとかみしめました。
○ S君はまもなく18才。
今まで学校へも入れてもらえず、W学園もまもなく退所しなければならなくなりました。
Mさんも養護学校づくりや授産所づくりの運動に参加してきましたが、いよいよ与謝の海養護学校の開設も近づき、S君が初めてはいれる学校になりそうだと、息子さんに話しました。
「学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?」
と希望に燃えたS君は、“学校にはいれる”ときいたことから、字の練習に一生懸命になりました。
そしてまた、
「働いて、お金ためて、大好きなH先生にプレゼントをしたいんや」
と、かあさんに相談をもちかけました。
「ステレオあげるんやったらそんなお金貯めるまでに、先生は70すぎになってしまうで」
「そうか、そんなら先生死んでしもてるかもしらんな、そしたら先生のお墓にかざって、それから学園へ寄附するわ」
S君はH先生に同じ話をもちかけました。
「かあちゃん、先生なア、ぼくがステレオお墓にかざったら、『先生のお墓、ガタガタゆれて喜ぶわ』言わはった。」と。
このS君の豊かな発達を、いっそう保障するためにと、Mさんの確信と決意は強まっていきました。
50年、40年以上前の教訓を生かせてこそ
現在と未来の教育がある
今から40年以上前の話。
「学校へ入ったら、字、書けるようになるんけ?学校出たら、仕事して働けるようになるんけ?」と希望に燃えた18歳のS君が、「学校にはいれる」ときいたことから、字の練習に一生懸命になりった。
字が書ける喜び、学ぶ喜び。
18歳は、児童福祉施設の収容期限。
もう終わり。行くところがない。
この時に入学。
この学校が京都府立与謝の海養護学校だった。
18歳の入学おめでとう
窪島氏は、与謝の海養護学校をよくよく知っている。
でも、その教育内容を理解していない。
ましてや、IQが低いという理由で就学猶予・免除されていた障害児が18歳になると児童福祉施設から追い出される。その時、与謝の海養護学校に入学が可能になった。
瀬戸際から見いだすことの出来た学校への入学。
それを聞いて、字を覚えよう、働こう、とする気持ちと努力を窪島氏らの「教育学」や「発達障害」「読み書き障害」「読み書き困難」にすら教訓化していないばかりか、時代の歯車を与謝の海養護学校がくられた以前にすすめていることが明白になった。
以上のことを踏まえて最後に次の一文を窪島務氏に捧げる
学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。
然りといへども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。
緒方洪庵抄訳扶氏医戒より
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