窪島氏が、少なくとも研究者というなら、真実にあくまでも忠実で、真摯に真剣に悩んでいる人々に応えるべきだろう。
解っていることは解っていることとして。
不確かなことは不確かなこととして。
解らないことは解らないこととして。
だが窪島氏らのやっていることは、「生半可な知識」をまるで新しい教育方法かのように「粉飾」しているにすぎないとも言える。
だから許されないことである。
LD、ADHD、アスペルガーなどはすでに知っていたのに
すでに書いてきたが、 LD、ADHD、アスペルガーなどのことは、文部科学省が明らかにするまでもなく数十年以前からいくつかの国の研究者が主張してきたことであり、窪島氏も、日本の少なくない教師たちもそれらのことを話している。
窪島氏が最近、にわかに言い出している読み書き障害などの問題は、江戸時代の文献にも出てくるし、戦前・戦後の教育の中で課題とされてきた。
読み書きが困難な子どもたちの教育に
取り組んできた教師たちを無視する理由
読み書きが困難な子どもたちを放置してきた歴史だけではない。
窪島氏のよく知る障害児学校や聞こえの教室(難聴学級等)・ことばの教室(言語障害児学級等)・情緒障害児学級などなども含めて、日本の教育現場では
子どもたちの状況をよく「看て」、
諸外国の実践例はもとより、
子ども一人ひとりにあわせた教育実践
も多くの規制を排除して行われてきた。
また熱心に研究・学習・公開をしてきた教師は数知れないほど居る。
子どもの発達上よくないとされたことも知らないで
その教育実践で、子どもたちの発達上よくない方法として教訓化された「誤り」の方法を学びもせずに、教育実践上の「誤り」を専門的方法として粉飾して、歴史的経緯を何も知らない教師や親に風潮しているのである。
日本の教師は、行政の保障のないまま、世界に誇るべき優れた教育実践も数多く取り組んできた。
ほんの少し前の教師の教育実践記録を調べるだけでも、窪島氏らがさもさも充分理解しているかのように述べる「読み書き障害」の子どもたちへの教育実践は数多く見いだせる。
問題は、彼がそれを見ないだけである。
すべての子どもに教育をの1970年代
1970年代は、日本の障害児教育にとって飛躍の時期であった。
それまで、教育対象外とされてきた子どもたちも含めた教育がはじまった時代でもあるからである。
この時、窪島氏は、研究者だった。
彼は、どこを見ていたのであろうか。
普通学校や学級でも障害児教育の飛躍の大きな影響を受け、教育内容が見直され、さらに充実していったことを彼は、まったく見ていないし、知ろうとしていなかったことが彼の記述が暴露している。
政府・文部科学省の「ねらい」は明らか
障害児学校の統廃合が加速したのに
特別支援教育は、福祉、医療と連なって教育の予算削減が主目的に出されてきたことは明白である。
現に、全国各地域で、特別支援学校の名の下に盲、聾、病弱、肢体不自由、知恵おくれなどの子どもたちの学校が統廃合されて、それぞれの障害の状況など無視した形で特別支援教育が行われていることに対して、何度も書くが窪島氏はほとんどふれない。
それへの態度を消滅させている。
そうすることが、 LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校をつくることであるとでも考えているのだろうか。
障害児学校の存続が重大問題になっているときに、「LD学校、ADHD学校、アスペルガー学校が今すぐにでも必要」と内心で思いながら、それを出さない。
逆に、普通校や普通学級の発達障害の子どもたちのための「理解注意事項」は、詳細多岐にわたる。
「すべての子どもたちに教育を」と取り組んだ人々の声と運動とそこから実現した教育実践を「投げ捨て」ている。
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