Once upon a time 1969
京都市内から京都府下に行くのは非常に時間がかかった。
そんなある日、相談員のOさんと一緒に綾部(あやべ)に行く仕事が舞い込んだ。
市電を乗り継いで、綾部まで行くバスに乗った時、Oさんも私も前日の仕事で疲れ切っていた。
早朝の舞鶴(まいづる)行き一番バス。
バスに乗ったときには、二人ともうつらうつらしていた。Oさんはすぐ爆睡してしまった。
私は、
「Oさんは聞こえないし、ここで二人とも寝込んでしまったら舞鶴まで行ってしまう。綾部大橋で降りないと。」
と思いつつもぐっすり寝込んでしまった。
「ソノ べ大橋」と「アヤ べ大橋」の大きな違い
突然「次は……べ大橋……」というバスのアナウンスを聞いて、びっくりして目が覚めると次から次へと人が降りている。私は慌ててOさんを起こして、バスを降りた。
二人とも頭の中は眠っていたが、降りて周りをよく見ると「綾部大橋」ではなかった。
由良川の大きな流れもなかった。
何となく歩いた二人だが、ここは綾部でないぞと思いバス停に引き返した。
バス停には「そのべ(園部)大橋」と書いてあった。
二人ともびっくり。
「綾部大橋」と「園部大橋」を私が聞き違えたために降りてしまったのだ。
峠に向かうバスにタクシーは追いついてくれて事なきを得たが
バス会社の人に聞くと次のバスが来るのは2時間後。
とうてい約束の時間に間に合わない。
「どうしよう、困った」と戸惑う二人を見たバス会社の人が、
「この先は峠が多いのでバスはゆっくりしか走れない。タクシーならすぐ追いついて乗れるよ。」「切符は綾部大橋まで買っているのだから大丈夫。」「ソノベ大橋とアヤベ大橋とよく聞き違える人があるよ。ソノベ大橋は、アヤベ大橋よりはるかに小さいけれど……」
と言ってタクシー会社の場所を教えてくれた。
聞き間違えるほうが悪いのだ。自腹で払え……
しかたがない。Oさんと私はタクシーに乗り込んだ。
タクシーはぐんぐんスピードをあげ、すぐ観音峠の手前でバスに追いついた。
でも追い越し禁止地帯。峠を越えたところで、バスが止まってくれ難なくバスに乗ることが出来た。
ホッとしたものの「アヤベ大橋」まで二人は寝ることは出来なかったのはいうまでもない。
そしてアヤベで仕事を終え、深夜の帰宅。
後日その旅費をめぐってトラブルになった。
当時、国鉄(現在のJR)で綾部まで行くのは、時間だけでなく交通費も多くかかった。
だからバスに乗ったのだが、タクシー代は出せないとろうあ協会の会計担当が言う。
「聞き間違えたのは理由にならん。」
「聞き間違えるほうが悪いのだ。自腹で払え……」
タクシー代は少額だが、薄給だった二人にとって非常にイタイ自腹だった。
そこで、Oさんは、
「もしも僕が聞こえていたら、やはり同じことになっていただろう。一人の場合は、行き過ぎたら困ると思って眠れないが、聞こえる手話通訳者が居たから安心して眠り込んだんだ。」「タクシー代は認めてほしい」
と言った。
コミニケーションの困難を知っているろうあ協会だから
解ってくれると思ったが
しかし、ろうあ協会の会計担当は、「まちがう二人が悪い」と言いつづけた。
そのため、「その話はそうかもしれないが……」と二人で言いつつ、神経を張り詰めて綾部で深夜までろうあ者の相談にのり、働いてきた状況も理解してほしいと言い続けた。
ろうあ協会としては厳しい台所状況を抱え、相談員も手話通訳者も薄給の中での矛盾が「激突」したが、結果的にタクシー代は認められることとなった。
物理的・精神的疲労の積み重なりの上での「聞き違い」。
コミニケーション問題で大きな課題に取り組んでいりろうあ協会だから、今回のような「聞き違い」は理解してもらえるだろう、とタクシーの中で話したことが逆であったことにOさんも私も落胆した。
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