Once upon a time 1969
ろうあ者のCさんの話と全く異なった向かいの聞こえる奥さん話。
向かいの家の聞こえる人の話を信じるのは、アンタが聞こえるからだ、という思いがOさんに残ったらしい。
もめた電話通訳の原因は根深い不信か
ろうあ協会名義の電話を引いたときのことはすでに書いてきたが、あれから私たちは、さまざまな工夫をした。
「この番号に電話連絡していただけませんか、……」のカードやろうあ者の身近な人に電話番号と協力を依頼していた。
そのため「ワンワン物語り」の頃は電話が鳴り続け、その応対に追われる日々だった。
Cさんの家に行って数日後のある日。
Cさんの件でOさんに福祉事務所から電話がかかってきた。
その時、Oさんは他の用事が重なりばたばたしていたが、合図をして福祉事務所からの用件を伝えた。
しかし、Oさんは何も返事をしなかった。
福祉事務所の用件は、Cさんの抱える問題は、私的なことで公的な福祉事務所は関われないという了承を求めた数回目の電話であった。
答えは食い違っていたままだった。
Oさんとしては、福祉事務所もCさんの状況を知ってできる限りのことをしてほしい、と言うことであった。
でも、福祉事務所からの返事は、「私的なことで公的な福祉事務所は関われない」という了承の電話の繰り返しで、Oさんの言うことも、福祉事務所の返事もいつも同じの繰り返しであった。
Oさんは、どこかに行ってしまい、福祉事務所からは了承のを求めて繰り返し電話口で言った。
私も、他の用事があるため、つい、いつも繰り返し言い続けたOさんの返事を言って電話を切った。
しばらくして、Oさんがやってきたので、事情を言った、とたん。
ケンカで疲れ果てたすえの発見
「君はろうあ者の気持ちを知らなさすぎる。ほっとけばいいのや。」
「それなら、それで私に言えばよい。どこかに行くからせっつかれる。」
二人は顔色を変えて2時間ほど言い合いになった。
2時間も言い合いをすると疲れ果てて、
「ろうあ者のCさんの話も、向かいの聞こえる奥さん話も、どちらの言っていることにも理解できることがある。聞こえない、聞こえるという違いを強調するのではなく、その共通点から考えてみよう。」
と言う話になった。
困っている点では「同じ」なんだから、まず、「同じ困っている」点からもう一度、Cさん宅を訪ねてみよう、と言うことで一致した。
「誤解」をひとつひとつ「解き」ながらの最後の難問
数日後、再びCさん宅を訪ねた。
自転車のタイヤがへこんでいた。
調べてみると空気が抜けていて、Cさんがこまめに自転車屋で、空気を入れるポンプを借りて空気を入れていないことが解った。
そこで、自転車屋さんに行き、事情を説明して、ポンプを借りて空気を入れる方法をCさんに知らせた。
Cさんは、タイヤの空気が自然に抜けることを知らなかったのである。
Cさんの家の屋根のアンテナをよく調べると傾いたままになっていた。
アンテナを支えるコードを引っ張って調整すると、アンテナは真っ直ぐになりCさんはテレビがよく映るようになったと喜んだ。
次の難問は、犬が吠える、と言うことを知らせることだった。
Cさんに犬ののどをそっと触ってもらい、犬の尻尾がCさんの顔に来るようにすると犬が吠えはじめた。
Cさんは、犬が向こうを向いたとき吠えると言うことを知った。
「同じ」で「同じ」からはじまると
Cさんは、向かいの家に謝りたいと言いだし、向かいの家の奥さんと会った。Cさんが謝る様子を見て奥さんは、「狭いとろで住んでいるんですすから、お互い様です。こちらもすみません」と笑顔で話された。
しばらくして、Cさんの家の釘や鉄条網はCさん自身が取り除いた。
これが、「ワンワン物語り」だけれど、Oさんも私もいろいろなことを考え込んでしまった。その後、Oさんとも問題が生じ、対立したがいつもお互いが、「ワンワン物語り」と言って一致点を見いだした。
私は、「同じ」という手話がどれだけ大切で、手話の基本になるかを身にしみて感じた。
上記の写真は、1982年、手話通訳研究誌17号に掲載された故大家善一郎さんの「同じ」の表現です。
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