Once upon a time 1969
ある日。聴覚障害児のお母さんが訪ねてきた。
他にも障害があるので幼稚部に入学できない
聞けば、
「ろう学校の幼稚部に入りたいけれど、うちの子どもは他にも障害があるので幼稚部に入学できないと断られたんです。」「耳だけが悪ければいいと言うことなんですが……」
と言われた。
よくよく聞いてみると聴覚障害児の教育は早期教育が大切だと聞いて、ろう学校の幼稚部を訪ねたけれど
「聴覚以外の障害もあるからダメだ。」
と断られてお母さんは藁をもすがる思いで話された。
私も、その場にいたろうあ者も非常に驚いた。
聴覚障害以外は、ノーマルでないとダメ
「なぜ、他にも障害があるとダメなんだろうかと」考えた。
ろう学校に問い合わせてみると
「幼児の場合は、聴覚障害以外の障害があると言語指導の効果がないからお断りしています。」「聴覚障害以外は、ノーマルでないとダメです。」
と言うことだった。
今のろうあ者でなく普通児に
さらに私たちが驚いたのは、お母さんのねがいが
「早期教育を受けて他のろう児と同じように普通校に入学したい。」
「幼稚部以外のろう学校の小学部・中学部・高等部にはうちの子を入れたくはない。」
「今のろうあ者のようになるのは困るのです。」
とろうあ者の目の前で言われたことだった。
手話通訳を食い入るように見詰めていたろうあ者の顔色はみるみる変わったが、「マア、マア 」とみんなが気持ちを抑える手話をしていた。
この「マア、マア 」とみんなが気持ちを抑える手話をしていたことは、京のろうあ者やろうあ協会の懐の広さを現していて未だ記憶に残っている。
幼稚部の先生にお母さんの言っていることを確かめて、と
お母さんが帰った後、ろう学校の幼稚部の先生にお母さんの言っていることを確かめてくれとろうあ者から委任された。
それは全日本ろうあ協会の役員をしている人の奥さんがろう学校の幼稚部の先生をしていることもあったからだっただろう、と今は思える。
教師ではない
子どもを話させるようにする
「魔法のメソッドとスキル」のもち主
後日。ろう学校幼稚部のある先生と話をした。
「普通校にインテグレートすることはすでに大きな成果を上げている」
と前置きしたうえで、その先生は、
「ろう児はもはやろう児ではなく、ことばをどんどん覚え、聞こえる子どもと同じくらい話せるようになり、どんどんと聞こえる子どもの中に溶け込めるようになる。手話なんかは必要でなくなり、ろうあ協会は自然消滅するでしょう。」
口を挟む間もないくらいに一気に話され、質問をしても
「教えたことのないあなたには解らないでしょう。」
「ろう児が話せるように、あなたは出来るんですか。出来ないでしょう。そこには特別なメソッドとスキルが必要なんです。」
疑問や質問に答えることが出来ない威圧感で迫られてきた。
が、ふと、この人は先生なんだろうか。子どもを教え育てていくと言うより、子どもを話させるようにする「魔法のメソッドとスキル」の持ち主と思い込んでいるのではないか、と次第に腹立たしくなってきた。
そこで、訪ねてきたお母さんの話をすると、
「ああ、あの子ね。聴覚だけではなく知恵遅れがあるからことばを覚えることは無理なんです。教えても、ことばは覚えられないでしょうね。」
と実にサバサバした調子で断定的に言われた。
インテグレーション、ノーマル、スキル、メソッドと
ことば、書き、普通
私は、この時、お母さん以上の疑問をその先生達に抱いた。
インテグレーション、ノーマル、メソッド、スキル、ことば、書き、普通……連発して飛び出すことばへの疑問と学習は、私の人生のテーマになった。
いとも簡単に成人したろうあ者の姿を否定し、新しい普通児を造る。
そんなに人間は、造形物のように造ったり、壊したり、造り直したり、造ったものを否定されていいのだろうか。
帰って、ろうあ者にどう説明したらいいのか。
悩み続けた。
「マア、マア」という手話が飛び交うのか。足は前に踏み出そうとしなかった。
1969年のことだった。
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