Once upon a time 1969
京に住んでいていいですねぇ、とよく言われる。
その「いい」ものの中に京都の伝統工芸などをあげられると私は急に落ち込んでしまう。
一晩遊ぶ金を一度でも障害者にボーナスとしてでも出したことが
最近になってようやく、京の伝統工芸品を美術鑑賞できるようになったが、必ずある工芸品が展示されているところは必ず迂回してしまう。
何代OO家のOOOOO氏の作品。
その作品は、OO家のOOOOO氏が本当に作ったのかよ、と叫びたくなるからだ。
そのほとんどを障害者が作って、OO家のOOOOO氏は遊んでばかりいて、出来上がったものに「判」をついて、桐箱に入れるだけだったことを知っているからだ。
せめて、障害者が作った作品を彼らが買える給料を一度でも出したことがあるのか。
一晩遊ぶ金を、一度でも障害者にボーナスとしてでも出したことがあるのか、と思うからである。
隣から強い目線を感じて
ある日歯科治療中に隣から強い目線を感じて、ふとみるとIさんが居た。
彼が先に治療が終わって待合室で待っていて、先生に聞きたいことがある。手話通訳してくれないか、と言う話だった。
もちろんすぐ、先生におねがいしてIさんのたずねたいことを手話通訳した。
Iさんは「差し歯」が抜けて、治療を受けに来ていたが、実は
「この差し歯のをのみ込んでしまったんです。お腹の中で引っかからないでしょうか。」
と歯科医に聞いた。
歯科医は、カルテを見て、自分ののどから胃、腸をを指で這わせて、お尻に握り拳を当てて、「パー」にした。
Iさんは大笑い。
「うんこで出るん。大丈夫ですか、本当に」とそれでも歯科医に聞くと歯科医は「心配しなさんな、アンタの差し歯なら大丈夫。」「また新しいのを作るから。」と説明してくれた。
転げ回って笑い続けて、「お尻」「パー」
歯科医の帰り道。
二人で転げ回って笑い続けて、「お尻」「パー」を繰り返した。
それからIさんと話し合うことがたびたび会ったが、会うたびに「パー」の話になって笑い転げてから、話し合ったり、手話通訳したりした。
Iさんの家は小さな家だったが、家のすべてを西陣の織機が占領し、機械音が鳴り響いていいた。
息子が勉強しないで遊んでばかり困るというIさんに、
「聞こえる息子さんなら家の中二階の部屋で勉強しようにもうるさすぎて、出来ないよ。」
と言うと、
「へー、そんなにうるさいの。」「どうしたらいいやろ」
などの話をしながら、Iさんの息子さんとも話をするっようになった。
行くたびにIさん夫婦と冗談や手話表現のおもしろさや聞いた話、あった話が尽きることはなかった。
薄暗いIさんの家でひときわ光り輝いて
眼に飛び込んむ金糸、銀糸
ある日、ふと何気なしに「Iさんそれ何を織っているの」と聞くと、機械を止めて、西陣の着物の帯を今は織っている、と絹糸から織る行程すべてを説明してくれた。
すごく手間のかかる仕事であることが、手に取るように解った。
納期をせかされると、夫婦二人がかりで織機を動かし、交代して寝ることが出来ればましなほうだと説明された。
織りあがりつつある金糸、銀糸に彩られて薄暗いIさんの家でひときわ光り輝いて眼に飛び込んできた。
これが着物の帯なんか、と感心していると柄や生糸の特徴や糸の太さ細さなど細かく説明してくれた。
死ぬまで自分たちの織った帯を締めることはない
「いらん、いらん」「今がいい」
どんな人がこの帯を締めるのだろうか、と思うほどのまばゆい帯。
Iさん夫婦の織りの技術は高いことは聞いていたが、このことか、と感心した。
「それで、この帯、自分で着物を着たとき締めることもあるの」と聞いたとたん、Iさん夫婦が目を見張り、「とてもとても買えるような値段ではない。」「死ぬまで自分たちの織った帯を締めることはない。」といいきったので吃驚した。
「え、買われへんの」「いくらするのこの帯」
返ってきた答えは信じられないほどの高価な値段だった。
自分たちが織ったものが永遠に自分たちのところに来ることはない、とは悲しいぁ、と言ったが、Iさん夫婦は手を振って「いらん、いらん」「今がいい」と言う。
そんなものかなぁ、と思っていたが、後々になって戦前Iさんたちが結婚したいきさつを来たときは、驚愕を通り越して、この世にこんなドラマなような話があるのか、と思える事実だった。
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