Once upon a time 1969
1969年当時、私はろう学校に用事があって行くときはいつも嫌だった。
仁和寺のバス停を降りて、ろう学校に行く道すがら、青々とした樹々に覆われた道に心が洗われるのではなく、非常に苦しく、悲しい情景を見なければならなかったからである。
樹々に覆われた道に 飛ぶビンタ
樹々に覆われた道は夏は涼しく、春夏は心地よく、冬は京の底冷えを防いでくれた。
だが、幼稚部から帰路につく親子の姿を見るのは辛かった。
多くの場合は、お母さんが本気で子どもにビンタを打ち続けるか、拳を振り上げ頭をたたいているかのどちらかであった。
その他の光景は見ることはなかった。
お母さんの言っている様子からすると、子どもが今日の「授業」でしくじったこと。ことばを覚えていないことを大声で繰り返し、子どもに「教えて」いた。
子どもは泣いて、お母さんはすごい形相をしている。
「ナニナニでしょう。もう一度行って」
「〇∥…~」
「ちがうでしょ。もう一度。」とビンタ。
何度そのような姿を見たか知れない。
親の必死さは解らないでもないが、あの暴力の中で5歳までの子どもたちが「ことば」を教えられていいのだろうか。
そんな思いがするのでいつも幼稚部帰りの親子に出くわさないように行くのだが、「ことば」を覚えていなかった子どもは残されるので、遅く行けば行くほど「見てられない光景」に出くわした。
その当時、ろう学校幼稚部では親子がそろって授業を受け、多くの宿題を持ち帰って「ことば」を覚えさせる「宿題」があった。
それは小学校入学までに覚えれば覚えるほどいいのだ、とされていた。
そして、それがこなされない子どもは、たとえ普通小学校に入っても「9歳の壁」にぶつかり、ろう学校にUターンせざるを得なくなると経験主義から出された方針が一水の隙もないほどに貫徹されていた。
障害者間の犯罪を取り締まらない警察に対して
ある日の夜。
ろうあ協会の役員に呼ばれて、次のようなことを依頼された。
家族全員がろうあ者だけれど、一人だけ聞こえる男性が居る。
親も兄弟も全員がろうあ者だから手話も覚えて上手だが、巧みに若いろうあ者の女性を言いくるめて金品ばかりかすべてのものを巻き上げ続けている。
警察に被害届を題しても「聾唖者はこれを罰せず、という刑法があるから、取り組むだけ無駄だ」と言って、問題をとりあげてくれない。
これ以上被害を増やすことは出来ないので、被害状況を調べて、ろうあ協会のことをよくよく知って今まで協力してくれた弁護士がいるので、弁護士を通じて加害者を訴えたい。
ぜひ、協力してくれ、と言う話だった。
聞こえる立場同士で話をしてとっちめて
証拠をつかんでくれ
大変な問題だったが、熱意に押されて被害者の家を順に訪ねることとなった。
しかし、被害者の家に絶対入れてもらえないばかりか、被害者のろうあ者の女性にも出会うことは出来なかった。
とするとこんどは、ろうあ協会の役員が加害者の家に行って、聞こえる立場同士で話をしてとっちめて、証拠をつかんでくれ、と言われた。
「被害者の哀しみを考えてくれ、アンタなら出来る。」「やってくれ」
殺生な頼みだったが、今回も気迫に押されて加害者の家に行くことになった。
何度行っても加害者は留守だった。
ある日、家に上がって待っていて、と加害者の兄に家に入れてもらった。
両親が聞こえないのに
両親が子どもと共に「ことばの宿題」をしてくるように
そこで見た光景は、両親ろうあ者が必死になって、幼稚部に通う自分の子どものろう児に幼稚部の宿題を教えている光景だった。
ビンタなどは一切なく、テーブルに置かれたもののことばを両親が必死になって教えている。
靴をもって「くつ」、鉛筆をもって「えんぴつ」と両親が口を開けて解りやすく言っているのだろうけど「発音」は明瞭でないことは言うまでもない。
子どもは、お父さんややお母さんの口形を見て、必死になって「く・つ」「え・ん・ぴ・つ」と言っている。
私はいたたまれなかった。
こんな宿題があるだろうか。
聞こえるお母さんが、ことばの宿題を教えるならまだしも、両親が聞こえないのに、両親が子どもと共に「ことばの宿題」をしてくるようにすることは、あまりにも惨すぎる。
加害者を待つ時間を忘れて、私はその哀しみの中に浸っていた。
代わりに私が「ことばの宿題」を……と言いかけたが堪え続けた。
ろう学校分会代表との大げんか
数年後、私は教職員組合の役員をしていた。
その時、ろう学校分会の府教委あての要求書が出されてきた。
私は、ろう学校幼稚部のろうあ者の子どもの付き添いと家庭での宿題のために教師を派遣する項目を付けては、どうか、と提案した。
ろう学校分会で相談して返ってきた答えは、「不必要」と言う答えだった。
絶対譲れない、私は言い続け大げんかになった。
こんな話は、昔話になっているだろうか。
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