2011年11月3日木曜日

ひがみ と福祉事務所は否定という新聞記事への怒りのひろがり


Once upon a time 1971

  月給1万5千円そこそこで生活、というろうあ協会の役員が言った給料の金額は現在の価格から想像も出来ないだろうが、当時ではろうあ者の中ではまだましな給料であったから悲しい。

ろうあ協会は、団体助成にだけ頼っていたのではないが

 役所が早く団体助成をしてくれないから、給料から、立て替えてでもろうあ協会の団体費用をまかなわなければならない。
 この切実さを今日の状況で理解するのは難しいかもしれないので、順次書いて行きたい。
 ただ、ろうあ協会は、団体助成にだけ頼っていたのではない。

 本当に少ない給料や日当からろうあ協会の会費をみんなで集めて運営をしていた。
 でも、ろうあ者だからと会場を借りるのを断られたりするため高い会場費を払わなければならなかった。

 また、みんなが今の世の中のことを知りたい、という切実な要求を持っていて、市役所から社会福祉協議会を通じて支払われる団体助成金で学習会を開いていた。
 だから、一日でも早く支払ってほしいという気持ちで、役所に行ったのだが、障害者団体の手続きが遅いからと言われたりする。


「読み書き出来ない」会員の大切な、大切な「自分たちの新聞」

 当時の山城ろうあ協会の会員の多くは、学校にも行けずに、「読み書き」も出来ない会員ばかりだった。
 この会員の気持ちをくんで、「読み書き出来る」会員が、山城ろうあ協会の機関紙を作成していた。
 受け取った会員の大半は、その機関紙を読むことが出来ないため、機関紙を配りながら、中身を説明するのも機関紙を作成した会員の仕事だった。
 だから、山城ろうあ協会の機関紙は、「読み書きの出来ない」会員にとっては、自分たちの新聞であり、自分たちのことを言ってくれている新聞だったのである。
 大事に、大事に保管されていた。


山城ろうあ協会の機関紙を手に入れた地元紙が

 ところが、この山城ろうあ協会の機関紙を手に入れた地元新聞社が次のような記事を掲載した。以下、1968年9月末付けの要旨(実名等の関係で)を掲載する。

 福祉事務所を批判 ろうあ協会が機関紙で
 女子職員 またきよった と冷たく当たる

 最近発行された山城ろうあ協会ニュースに福祉事務所の女子職員が同所を訪れたろうあ協会の代表に「また来たのか」と冷たくあたったとーー市福祉事務所の行政を批判する記事が報道されており、福祉事務所とろうあ協会が対立するような事実があれば行政上まずいとして問題を投げている。

ひがみ と福祉事務所は否定

 山城ろうあ協会のニュースによると同協会の代表の二人が、去る7月8日午後2時半ごろ、市ろうあ協会に対する市の助成金問題で市福祉事務所を訪れたところ、窓口の女子職員が二人をみつめ、いやな顔つきでとなりの女子職員に「また来よった」とか何とかささやき合い、のろのろと対応に出て、ぶっきらぼうに「用件は…」ときく始末。
 われわれが相談ごとも持ち込めないようではろうあ者の人権を無視する行為だと批判しているもの。
 これについて市福祉事務所の担当女子職員は「私たちは決して身障者だから、ろうあ者だからと差別していないお二人のひがみではないかと思う」と前置きして事実を否定すると共に「ろうあ協会ニュースに報道されている7月8日ごろに二人が来られたのは事実だ。
 ろうあ協会に対する市の補助金が少ないので、もっとあげてほしいとの交渉だった。市の補助金は盲人、ろうあ、肢体の三団体に対し上部機関の市身障者連絡協議会に一括して渡し、同協議会が三団体に配分している。
 昨年の例をみると七万九千円を市身障連に出しており身障連は、これを盲人協会に二万六千円、肢体協会には三万四千円、ろうあ協会に一万九千円を配分した。
 配分は市身障連でやっているので詳しいことはわからないが、会員数によって配分しているようだ。このため会員数の少ないろうあ協会が少なくなっている。福祉事務所としてはこれでは気の毒だと思いろうあ協会には、ろうあ者厚生対策事業費として特別に一万五千円出している。」
「助成金が少ない不満が福祉事務所にあたっているのではないかと思う。」と所見を述べている。


我々に対する重大な差別だ

 同ニュースで「私達は見えない目、不自由な手足、きこえない耳で毎日夜おそくまで仕事をして月給一万円そこそこで生活している。その反面、市福祉事務所は上司の命をそのまま手落ちなく、事務的に処理して行けばよいと、そんなことで身障者の福祉はよくならない。我々に対する認識不足も甚だしい。重大な差別だ」と憤懣をブチまけている。

 この地元紙に対して山城ろうあ協会は、激しい怒りを表明した。

 地元紙の新聞記事を見て、福祉事務所所長は非常に驚いたらしく、ろうあ協会の二人役員を呼んで「筆談」をしているが、その一人は文字もことばも発することの出来ないろうあ者だとはまったく意識になかったようである。
 「聞こえないから文で書いたら=筆談したら話が通じる。」
と安易に考えていたようである。


次第に知恵を集めみんなの意識が高まっていく

 だがそうではなかった。文が読めないろうあ者は、その福祉事務所長の書いた文章を持ち帰り、文章の読めるろうあ者も含めてみんなで相談している。
 「言った言わない」
 「分かったはずだ、そちらの思いすごしだ。」
とさんざん痛めつけられてきた山城ろうあ協会は、みんなの力を合わすことでその力量を高めていくことになる。



いいかげんにに事を済ませようとした
   福祉事務所所長の文が大きな転換を産む

 その筆談が今も綴じて残されている。
 紙が色あせて読みにくいが、歴史的な文章となったので紹介する。

 なお、福祉事務所長が書いた文をそのまま掲載しても意味不明なので少し注釈を加える。

福祉事務所長の筆談(注:筆談と書いているが、ろうあ者は何も書いていない。文が書けなかった。そのため正確に筆談とは言えないが。)

(注:1968(昭和43)年7月8日午後2時半ごろろうあ協会役員が来たときのことについて~)
 この前、こられたとき話をしましたように「お互いに話が十分理解できなかったのではないか」と思います。


(注:地元新聞記事について)
  記事は、こちらからいったのではありません。同紙は、ろうあ協会のニュースをみた上で福祉へ来て関係者の話をききかいたものです。

 丁度、こられたときも、記者がこられたときも、私が不在のため、どんな話であったか、くわしくわかりません。
 後できいたところでは、ろうあ者の方を差別したり、またきよったなどというようなことはなかったとのことです。
 私の部下で、そうわかることなら深く謝るにやぶさかではありませんが、そんなひどいことをするとは夢にも思いません。
 まして、笑うなども同様、そんな気持ちでいる者はないと信じています。
 ない。いわない。


 (注:新聞記事の「福祉事務所としてはこれでは気の毒だと思いろうあ協会には、ろうあ者厚生対策事業費として特別に一万五千円出している。」について)
 1万五千円は、ろうあ者のための事業ヒとなっていますが、社協の総会では、ろうあ者を含む身体障害者のための事業ヒに対する者として使うようにと条件がつけられていました。
 最初は、予算案として出したので、ろうあ者とかいていますが、右のような結果です。
 しかし、ろうあ者の方々からかねて、いろいろ話があったことを少しでもみたすということで予算をとったのですから、有効に使ってほしいです。
 このことは、身体障害者協会の役員さんも承知しています。
 故意にだまっていたのではありません。話がおくれていたのです。
 全部ろうあ協会のものではないということです。
 こんどは通やくさんが入るのですか。
 こんどは私の方も、福祉係長も一しょに話に出てもらうことにする。
仲よくやりたい

 ろうあ協会ではこの「筆談」をめぐって延々どう考えるかと話をしたとのこと。
 しかし、話をすればするほどみんなは怒り出した。
 「こんどは通やくさんが入るのですか。」って何を書いているのか、ということも含めて。


 

0 件のコメント: