Once upon a time 1969
(解説)
知事答弁の
「現実自体を充分に認識把握しないで、いく分その上っつらなやり方をしていたという事については、心から反省し、今後直してまいりたい」
「私共が無関心で、唇さえ見てたらわかるんだろうというようなですね、甘っちょろい考えでいた事は誠に申し訳ない」
「お互いのはげまし合い、お互いがお互いの通訳の持てるような施設にしていくという事は大変重要な事である。」
「本当に生きがいのある社会にするように努力してまいりたいと、これはお約束いたします。」
のうち、「本当に生きがいのある社会にするように」
と言うことは、どんなことなのか、ろうあ者の中ではさまざまに解釈され、討論され、広がっていた。
「生きがいのある社会」という手話
だから、「生きがいのある社会」という手話は、1969年の段階でもよく見ることが多かった。
手話では、「胸をはって、両肘を引き締めて、左右に水平に振る」=生きがい、と表現するろうあ者が多かった。
なるほど、うまく表現するものだ、と感心したことを思えている。
教育基本法(当時の)があったうえで
知事と教育委員会の理解を
次に、知事の答弁を受けて教育長の答弁がなされるが、知事の管轄と教育委員会の管轄は独立した機能があり、知事には教育委員会の予算、教育委員の任命だけであったこと。教育や教育内容に介入してはならないという教育基本法(当時の)があったことを知っておいてほしい。
京都府教育委員会では
手話を全面的に禁じられたというのは事実はない
そしてさらに、最近、手話法から口話法に戦前切り替えられて、そのもとに手話は禁じられてきた、と断定する人があまりにも多いので、京都ろう学校が戦前どのように「転化されたのか」を授業を受けた側のろうあ者から話してもらっていたので今後紹介するが、戦後、京都府教育委員会では、手話を全面的に禁じたというのは事実ではない。
1969年に私はたびたびろう学校を訪れたが手話もとりいれた授業をすすめる先生も少なくなかった。
だだ、11月に書いた 残酷な「ことばの宿題」 の幼稚部だけは、キュードスピーチ(注:「てがかりサイン」と説明したほうが分かりやすいが、アカサタナの行を手のサインで使ってろう児にことばを覚えさせるが、それはあくまでも一時的な手段で、一定の時期が過ぎれば一切使わない。)は使うが、手話は一切禁止していた。
従って、外から見れば、ろう学校は、幼児時期から青年期にかけた一貫校と見えるが、ろう学校内部では、幼稚部、小学部、中学部、高等部がそれぞれ「独立」「対立」しているとしか考えようのない関係が強く「とうてい理解出来ない状況」があった。
京都では、事実関係から言えば、幼稚部以外は手話を全面禁止するということもなかったし、学校全体でそういうことも決めていなかった事実をあきらかにしておきたい。
さらに、京都府教育委員会がろう学校では、口話法で行い手話を禁止するという方針や公文書を出してもいない。
このことはすでに府の公文書で調べた。
逆に、現代のほうが「特別支援教育」と文部科学省が言い出すと、一斉に名称変更、統廃合などなどが全国の隅積みまで徹底されるという驚くべき自体があるといえる。
「先生はいろいろ言うけれども、手話は覚えてほしい。」
と1952(昭和27年)年京都ろう学校校長
最近、1952(昭和27年)京都ろう学校が、京都府庁前から御室の仁和寺に移転したばかりのに新採で教師になった先生にインタビューと調査を応じてもらったら、校長面接で
「子ども好きか」と聞かれて、「好きです」
と答えた。
「先生はいろいろ言うけれども、手話は覚えてほしい。」と言われたとのこと。
教師二人、寄宿舎寮母一人の三人の採用だったと言われて、当時の書類を見せてもらった。
これらのことをまず事実として書かせてもらう。
単にろう学校の中のものでなくて
やはり、ろうあ協会その他と充分連絡をとって推進しなければ
1966(昭和41)年12月21日京都府議会本会議(その4)
谷ロ教育長答弁
ただ今お話になりました灘井議員の御指摘の点につきましては、重々ごもっともなお話だと思って拝聴した次第でございます。
行政的に反省すべき点も充分ございます。
今後の行政上、御指摘の点を体しまして進めていきたい。左様に考えております。
ろう教育の点につきましては、御承知のように、ろう学校の教育は単にろう学校の中のものでなくて、やはり、ろうあ協会その他と充分連絡をとって推進しなければ、とうてい、ろう学校の教育行政はあがらないという観点から、おそまきながらですが、ろうあ協会との行政懇談会をいたしまして、私の方の関係者、民生労働部の方やら、ろう学校、ろうあ協会の関係者等と本年も数回にわたって協議をしております。
先生方、校長をはじめ自らがこの手話による何を理解していくということを、積極的に
その中でも特におっしゃっていましたように、現在幼稚部その他から、非常に年少の時からまいります者は、原則として、ろう学校におきましては、口話法を中心に教育はいたしておりますけれど、いわゆる子どもたちの、あるいは、ろう協会の方々との生活の交流を深め、あるいは意志を充分疎通するという意味において、御指摘のような通訳と申しますか、先生方、校長をはじめ自らがこの手話による何を理解していくということを、積極的に習得し合うという風な気運に、今、方向を持っている訳であります。
この点につきましても、御指摘のように、今後、ろうあ者の通訳の方をろう学校の中におきましても充分そういう点を考慮して考えていかなければならないという風に考えております。
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