Once upon a time 1969
Hさんは、ろうあ者成人講座の講師には必ずろうあ者の要望に応えるために一流の講師、一番集まりやすい場所、そして、印刷されたろうあ者成人講座の案内を準備してくれた。
これも京都府教育委員会社会教育課の少ない予算の中でやり繰りしてしてくれていた。
今でこそ、印刷物は当たり前のように思われるか知れないが、ろうあ者成人講座が開かれる印刷された案内は、ろうあ者にとってはこの上もないうれしいものであった。
ろうあ者がいる家を一軒一軒訪問し
ろうあ者成人講座の案内を配る
自分たちのために京都府教育委員会が、勉強できる場をつくってくれる。
「それも、こんな印刷案内もつくって」と非常にうれしかったとのこと。
問題は、「ろうあ者成人講座の案内をどのようにろうあ者に配るのか。」ということだった。
次のようなことを書いても、今の地域を見てとうてい信じることが出来ないだろう。
南山城地域(現在の宇治市から奈良県境の木津川市までの地域)担当のろうあ者相談員は、まずろうあ協会会員には、集会会場で配り、休んでいたろうあ者には近くのろうあ協会の会員に手渡してくれるように頼んだ。
そこまでは、わりとスムースに出来た。
しかし、それではろうあ者全員に渡したことにならない。
南山城地域全体のろうあ者に手渡さなければならない、という気持ちから行動をはじめた。
仕事が終わってからの夜。休日。
ろうあ者がいる家を一軒一軒訪問し、ろうあ者成人講座の案内をろうあ者に配り続けた。
それは大変なことだった。
交通機関のない場所まで、歩いたり、徒歩でろうあ者の住む家を探す。やっとたどり着いても家族かららけんもほろろの扱い。
「二度と来るな」
「ろうあ、がいると分かると村でどんな扱いを受けるか分からない。来ないでください。」
などのことは当たり前で、罵声、罵倒、物を投げかけるのはしばしばあったとのこと。
「ヨタヨタ」しながらたどり着いたろうあ者の家で
夜。恐ろしいほど暗い。
自転車のライトの灯りではすすめない漆黒の闇。
その上、聴覚障害があるとバランス機能が失われることが多く、仕事で疲れ切った身体で自転車をこいでいると、酔っ払い運転のように見られて、しばしば職務質問を受ける。
早口で言う警官の言葉が分からない、派出所に連れて行かれて身体障害者手帳を見せると解放される。
田んぼのあぜ道。農業水路にはまりこんで泥だらけになる。
そして、やっとろうあ者の家にたどり着いたのに門前払い。
再び、漆黒の闇に出迎えられて帰路につく。
まるで、ぽたり、ぽたりと落ちるしずくが、大岩に穴を開けるような気の遠くなるような取り組みの繰り返し。
「バイバイ」と同じように「バイバイ」
そして、ろうあ者と出会う。
読み書きはもちろん口話も、手話も分からない。
次第に合っていると「何かしら心が通じあう」とろうあ者成人講座の案内をわたす。
手を合わせて「おねがい」の動作をする。すると相手も「おねがいの動作」。
ろうあ者成人講座の日に迎えに行く。
そして会場に行くが、ただ「ぽかーん」としているが、終わると家までついて送っていく。
みんなが「バイバイ」とする。すると同じように「バイバイ」をする。
その繰り返しの中で、ろうあ者成人講座の参加者をろうあ者相談員が増やしてきた。
努力の繰り返し、積み重ね、で参加者を増やしてきた
私が、1969年頃にろうあ者成人講座に行くと、あの人も、この人も、向こうのあの人も、そんな働きかけの中で参加するようになってきたのだ、と言われた時はとても、とても信じられない状況だった。
努力、とひと言で言えない努力を繰り返し、積み重ねながら、参加者を増やしてきた。
参加者が増えるということは仲間が増えることなんだ、とろうあ者相談員が行ったときには、脱帽以外の何物でもなかった。
さらに、ろうあ者成人講座の手話通訳をしていて驚いたことがあった。
手話通訳をすると、一斉にみんなが隣に座っているろうあ者に手話や手振り、身振りをすることであった。
それは、おしゃべりや雑談でもなかった。
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