Once upon a time 1969
空襲と生死と涙とろうあ者の生活
空襲の恐ろしさについては、多くのかたからだされた。
京都のは、空襲がなかった、と言われていますが空襲はあった。
それを目撃したろうあ者も多くいる。
今日から109年前に生まれた
ろうあ者の女性(証言時は80歳・その後死亡)
の大阪空襲の証言
でも、京都に住むZさん(女性)ともう一人のMHさん(男性)は、大阪で空襲をうけたことを証言してくれた。
女性のZさんは、現在80歳に近い人だった。(記録した1982年当時)
だから、明治、大正期にかけてろう学校を、と言われなかったので、充分な教育を受ける機会がなかったと推定された。
Zさんの話しは、手話というより「映写」・「一人芝居」で表現すると言ったほうが解りやすいかもしてない。
立体画面が飛び込んでくるような
手話表現で家が燃えつきる状況を
前後、左右の情景を織り込みながら、証言してくれた。
「赤いけむりが空にむかって走ってゆくと、次第に私のところまで近づいてきて、火の粉のけむる中、防空ずきんをかぶって、家に飛び込んで、服、ふとん、お金をだそうとしたら、聞える人が
『ダメだ、ダメだ』
と身ぶりをしたが、それをふりきって、とりに行った。」
お金はとりもどせて、よかった……
と思った時には右腕がやけど。
家はすでに燃えつきてしまい何もかもなくなった。
ただたた、呆然。
女の人が炊出しをしてくれたがおにぎりとお茶一パイだけ。
「ともかく、のどがかわいて……、かわいて……。」
と当時の恐ろしさを語ってくれた。
「屋根が燃えて」と手話通訳出来ない表現
Zさんの手話は、「苦しげな顔」とともに「屋根裏」から「メラメラと火が這い上がり」「屋根に燃え移ってゆく」。
その手話を克明に、手話表現して、手話を見るものを同じ場所、同じ時間、Zさんと一緒にいるように気持ちをぐんぐん「引き込んで」いく。
まさに、手話で話されているよりは、映像の世界に飛び込んでいく、そのように表現するよりいいようがない。
たんに「屋根が燃えて」と手話通訳出来ない表現だった。
ろうあ者の女性という「言うに言えない」悲劇の連続
家もなくなり、知り合いもなくなったZさん。その後には信じられない苦難が待ち構えていた。
ろうあ者の女性ということで身売りされそうになったり。
そのうえ、戦後は戦後で米兵たちが……。
「そんな苦しい毎日の中で死ぬことを考えたんです。私の友人(注;ろうあ者)は、つ いに川に身をなげて死んでしまったんです。」
と女性としてさらに加わった苦しみを語って、沈黙が続き、証言は留まったままになった。
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