Once upon a time 1969
すでに、また来よったわ事件の
「 黙っておれぬ」のタイトルのところで次のような事を書いた。
1968(昭和43)年7月8日午後2時半頃の「また来よったワ」事件と地元新聞の9月28日付の新聞記事をめぐって京都府教育委員会主催のろうあ者成人講座(同年10月13日 田辺高校講堂)の学習会に集まってきた山城地方のろうあ者に知らされた。
特に、このろうあ者成人講座の中身が以下のようであったことから講座修了後のろうあ協会の論議は白熱した。
山城ろうあ協会のエネルギーの源泉は、ろうあ者成人講座
京都府教育委員会が主催して成人ろうあ者のための社会教育の中身は、
1,午前講演「私達の生活と基本的人権」
2,午後 各地域の意見発表
3,劇 山城ろうあ協会「わたしたちも人間だ」
というテーマだった。
当時、このろうあ者成人講座は、学校に行けなかった未就学のろうあ者、読み書きの出来ないろうあ者、いくつもの障害のあるろうあ者が多数参加し、ろうあ者同士が学び合うことを目的として開かれていた。
この講座を通じて、読み書きはもちろん、仲間や支え合い、助け合いを知った人は少なくない。
人間は、どんな時期でも、どのような年令でも学ぶことによって人間性を取り戻せるという講座であった。
この講座が開かれるようになったのは、じつはわけがあるが、また別の機会に説明する。
この講座は、山城ろうあ協会の源泉になっていた。
京都府議会本会議の質問と答弁から
はじまったろうあ者成人講座
「この講座が開かれるようになったのは、じつはわけがあるが、また別の機会に説明する。」と書いていたが、その「わけが」、1966(昭和41)年12月21日京都府議会本会議の質問と答弁からはじまったからだ。
民生労働部は、ろうあ者相談員の数と予算を増やし、京都府教育委員会は、社会教育課(当時)が窓口になって、ろうあ成人講座を各地域で開くようになった。
ろうあ者成人講座は、成人したろうあ者に引き続き学習する機会を、という目的で京都府教育委員会が開催したが講座内容はすべて地域のろうあ者の意見を充分聞いて、企画・立案して開催された。
この担当に自らすすんで担当したいと社会教育課内部で申し出たのがHさんだった。
このことはずーっと後で知った。
府議会を受けてのろうあ者成人講座の開催。
府教委ではこの講座がうまくいくかは、重大な責任が問われる。
かといって、どのように企画・運営していいのかまったく見当がつかない。
その時にHさんから担当させていただきたい、と言ってきた。
そのため、すんなりとHさんの担当が決まったらしかった。
なんとしてでもこの仕事をしたかった
担当になったHさんの心の内
Hさんが担当を申し出たのは、Hさんの子どもが聴覚障害児であり、聴力の悪化が進んでいて不安と苦労と将来を案じていたこと。
また、自分がそれらのことで悩んでいるのに教育委員会で障害児者問題に関わる仕事がなにも出来ていない、一層府教委を辞めて、すべての聴覚障害児者と自分の子どものために力を費やしたい、という強い決意が芽生えてきた時にろうあ者成人講座開催の話が出てきた。
だから、なんとしてでもこの仕事をしたかった、とのことだったらしい。
ろうあ協会役員もろうあ者の人々も役所の内部問題だったのでまったく知らなかった。
だから、ろうあ者成人講座開催について、場所、学習内容を次から次へとHさんに出していった。
Hさんは、役人ぶらなくて
物腰が柔らかく、ていねいで
しかも自分たちの思い以上の対応をしてくれる
Hさんは、ひとつひとつ非常にていねいに対応し、ろうあ者のねがいを内容的に充分すぎるほど受けとめて、企画・実施し、すべての責任を負われて仕事をされた。
そのため、ろうあ協会の役員はもちろんろうあ者みんながろうあ者成人講座が地元で開催されることを心待ちにするようになって行った。
ろうあ協会では、Hさんの役人ぶらなくて、物腰が柔らかく、ていねいで、しかも自分たちの思い以上の対応をしてくれるので非常に評判がよく、信頼を置いていた。
「私らここに入っていいの」「本当にいいの」大学の中に
ろうあ者成人講座は、講師の講演だけでなく地域の実情に応じて実に多彩に行われた。
例えば、午前中は、みんなで料理の作り方。昼食は、自分が料理したものを食べる。
昼からは、みんなの苦しかったこと、悲しかったこと、どうしたらいいのか悩んでいる事などが話されるなどのことが行われた。
会場は大学の家政学部の教室。
学校に行ったことのないろうあ者が初めて大学の門をくぐって大学に入る。
「私らここに入っていいの」「会場案内もあるけど」「本当にいいの」
と門の前で立ちすくむろうあ者は、少なくなかった。
あんな立派な先生に教えてもらっていいの
会場入り口に立つHさんも手話通訳者も「どうぞ、どうぞ。」と案内する。
入った教室はなんときれいで立派な所。
「こんなところで料理して汚したら迷惑かかる」
「出来ない出来ない、ここはきれいすぎる」
ろうあ者にとって自分たちが学習する場所として信じられない場所だった。
また料理を教えてくれるのが、本当の大学教授の先生。
「ええ、あんな立派な先生に教えてもらっていいの」
また、また、ろうあ者は立ちすくむ。
大学の先生は、手話通釈でそのことを知って、
「どうぞ、どうぞ、いくら汚してもかまいなせんよ。」
「心配しないでください。」
「早くおいしいものつくっていただきましょう」
と言われる。
老いも若きも、男も女もみんなエプロンがけで、大学の立派な調理台や道具を借りて、大学教授の話を熱心に聞いて、料理をはじめる。
料理をはじめると、心配は吹き飛んで、次から次へと大学教授の先生に質問する。先生はてんてこ舞い。
苦しく、悲しく、まよう話を大笑いが包んでくれる
そして、昼食。
おいしい、おいしい、と言いながらお腹が満腹になる。
そうなるとなぜか不思議に、昼からの「みんなの苦しかったこと、悲しかったこと、どうしたらいいのか悩んでいる事などが話す」はずの交流会が、「苦しかったこと、悲しかったこと、どうしたらいいのか悩んでいる事」を言っているはずなのに、言っている本人も聞いているみんなも、笑顔になって、大笑いするようになる。
非常に悲しい話をしているのに笑顔と笑いだけが残ってしまって、「あっーすっきりした」と言って、来たとき以上にみんなで教室の何もかもきれいにして帰って行く。
これが、ろうあ者成人講座だった。
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