Once upon a time 1969
徴兵検査を調べていた頃、私は、ふと「暮しの手帖」を読んでいて、住井すゑさんが次の文章を書かれていたのでびっくりした。その一部を紹介させていただく。
住井すゑさんは、「暮しの手帖71号」に「牛久沼のほとり」という題で住井すゑさんは戦時中の話しとして小児麻痺だったタケちゃんのことを書いていた。
あと十年のいのちでしょうから
親ごさんにもそのへんのことを呑み込んで
おばさん、おばさん、おれ、ウサギ、飼いたいんだよ
言いながらタケちゃんは大急ぎにいざり寄ってくる。
タケちゃんは十三歳。
普通なら小学校を終る年齢だが、小児麻痺のため、校門をくぐったことは一度もないとのことだった。
…………
そんな折柄、慶応病院の整形外科に勤める知人が、旅の帰りだと言って立ち寄ってくれた。
私は早速事情を話し、知人をタケちゃんの家に案内した。
タケちゃんの両親はもちろん大喜び。
東京の大病院の先生に診てもらえるなんて……
と、くり返し謝辞を述べた。
さて、診察を終えて戻ってくると、知人は声を曇らせて言った。
かわいそうだが、今からではどんな手当をしてみたところで効果はありません。
あのままにしといてやるのが、あの子のためにはしあわせですよ。
それに、精切り、あと十年のいのちでしょうから、親ごさんにもそのへんのことを呑み込んでおくように言っといて下さい
行きがかり上、私は知人のみたてを、そのまま両親に伝えるしかなかった。
あと十年け。……そりゃ、そうだっぺよネ
うなずく両親はさすがに愴然としていた。
おれ、東京の病院の先生に
みてもらったんだよとほこらかに告げた
けれどもそんなこととは知るよしもないタケちゃんは、以後、眼に見えて元気になり、所用でたずねる近所の人をつかまえては、
おれ、東京の病院の先生にみてもらったんだよ
とほこらかに告げた。
田舎ではめったに望めない東京の大病院の先生にみてもらったおかげで、タケちゃんは今に歩けるものと信じている様子だった。
とかくするうち年が過ぎて、タケちゃんは思いもよらぬ不幸に見舞われた。
父親が死んだのだ。
沼向うの丘の、松の木の伐採中の事故で、殆んど即死に近かった。
タケちゃんの肩幅は
麻痺の両脚とは無縁に、それなりの広がりを
これからは、タケをどうやって風呂に入れようか、おら、それが一番心配で……
と母親は涙ぐんだ。
十六歳をかぞえるタケちゃんの肩幅は、麻痺の両脚とは無縁に、それなりの広がりを見せてきている。
そんなタケちゃんを抱えて入浴させるのは、人並より小柄な母親には、実際にたいへんにちがいなかった。
ところで、それからまた月日が過ぎて昭和19年。
タケちゃんたちには新しい難事がふりかかってきた。
タケちゃんの徴兵検査である。
けど、村役場には「兵事係」もあることだし、タケちゃんが兵隊に向かないのはちゃんとわかってるんだから、「兵役免除」の申請をすれば、わざわざ徴兵検査場に行かなくてもすむんじゃないかしら
私は母親に言ってみた。
しかし、そんなしろうとの常識など通るところではなかった。
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