Once upon a time 1969
笑えぬ時代
「京都聴言ニュース」に「笑えぬ時代」という題で吃音だったMさんが徴兵検査を受けたときに書かれた記事がある。
身長体重の測定が終った者は、視力検査だ。
いよいよ声を出さねばならない。
検査室の声がする。
「右の目を押えて左の目で……これはッ」
「……」
全然声がでない。
「よおし、これはッ」
と一段上の大きな輪を細い棒が示す。
「……」
まだ声が出ない。
目はよく見える。
でも吃って声がでない。難発である。
あせれば、あせるほど顔は赤くなり、体は前後にゆれる。
「よおし、ちょっと待っておれ」
「次の者ッ」
次の人が検査を受ける。
そして
「よおしMもう一度ッ」
「ハイッ」
しかし同じことである。
「見えないのかッ」「……」その返事ができない。
検査官は、私が吃りであることを知らないらしい。
ああ困った。どうすることも出来ない。
貴様はオシカッそれとも見えないのかッ
昭和15年、満20歳の男子なれば必ず徴兵検査を受けた。ドモリもしかりである。
「甲種合格」これが日本男児とされていた。
でも吃りは昔も今も変わない。
その人のみが知る苦しみであり悩みである。
検査官は
「貴様はオシカッそれとも見えないのかッ」
「ハハハイッ」
吃りながらやっとの一言である。それを見ていた軍医さんが声をかけてくれた。
「よおし、君はドモリか」やっと助け船が来たのだ。
思わず「ハハハイッ、そうです。」と言った。
吃音のためか乙種の補充兵
軍医さんより検査官に助言をしてくださった。手で合図してよいことになりやっと目の検査もすんだ。
その後は内科の診察などがある。
結果は吃音のためか乙種となる。補充兵である。
その後がまたたいへんで、結果を全員の前で演壇に上り、大声で報告しなければならない。
「ダダダダイニ乙種、モモモリ……」
やっと言えた。
しかしだれ一人として笑う者はなかった。
待ち受けていた軍事工場での過酷な労働
言語障害者であるMさんの記事を読んで、ろうあ者が受けた徴兵検査の具体的様子を推し量るしかなかったが、やはり障害者も病気の人々も屈辱的な思いと「甲種合格。
これが日本男児」とされず、甲種合格した人々も、そうでない人々も非人道的な道に進まされたのである。
非戦闘員とされた京都のろうあ者の多くは現在の右京区にあった軍需工場か、兵庫県尼崎にあった鉄砲を製造する軍需工場で働かされることとなった。
とくに、尼崎へは、関西一円からろうあ者者が数百人集められ、その労働は過酷を極めた。
(注:近畿は、関西としても表された。)
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