Once upon a time 1969
2,3年前のこと。
前任高校の聴覚障害者教育担当教師から電話がかかってきた。
意見を一方的にするのではなく、双方向で意見を出し合って
その高校ではもう40年ほど、聞こえる生徒(学校で健聴生徒)と聴覚障害生徒(難聴とろうという名称で、教育関係者や父母、生徒の間で対立があったので統一概念として聴覚障害生徒と言う名称を使っていた。)と一緒に希望者を募り手話弁論大会を開いていた。
この手話弁論大会は、強制もなく自主的に参加することを前提にしていた。
「弁論」という名称は、古いと思われるかも知れないが40年ほど前に大会を開く事を企画したときに校長が、
「単に意見を一方的にするのではなく、双方向で意見を出し合い、互いに論じ合うことが大切ではないか。聴覚障害生徒の話を聞いて、ああ、この生徒はこんな苦労をしていたのか、と終わるだけではいけないのではないか。
健聴生徒にも多くの苦労があるし、そのことを聴覚障害生徒が聞いて、あっ、自分だけが哀しく辛い思いをしていたけれど、そうでないいんだ。とか、健聴生徒と聴覚障害生徒が互いの意見をぶつけ、論議して、考える。
そういう意味から手話弁論と言う名称にしたらいいのではないか。」
と言う意見を受けて、手話弁論大会という名称にして、大会当日には多くの方々に集まってもらうようにした。
参加する人すべてに伝わるコミニケーションを
この弁論大会の詳細は省くが、参加生徒たちは集まって自分の発表したいことを出し合い、みんなで意見交換する。
そして、それを文章にする。それから手話で表現する。手話は先生に教えてもらうが、基本的にはさまざまな努力して自分たちの言いたいことにぴったり来る手話表現を学んでいくことになる。
当然、文章通りのママ手話表現しても、意味が通じないので生徒が悩むことになる。
そこでは大いに悩ませる。
文章の順序と手話の順序と違うこと。
違うことが不便ではなく、多様性を持ち、参加してくる年輩のろうあ者にも通じる手話表現を学ぶことでみんなに気持ちを伝える事を知っていくためにはどうしたらいいのか、を高校生は高校生なりに真剣に取り組むようにしていた。
そのため、絵や写真や文字を掲げてみんなに見てもらう、などのことは自由にしていいと言うことになった。当然、オーバーヘッドや各種聴覚機器も準備した。
手話を中心にするが、トータルコミニケーション保障を準備し続けていた。
聴覚障害生徒に考えさせて
どのような表現がいいのか、調べさせてとり入て
ようはみんなが分かればいいのだから
だから、前述した前任高校の聴覚障害者教育担当教師から電話がかかってきたわけである。
「ローソンに買いに行ったというが、ローソン、という手話が、どう表現したらいいのか分からない。」「私たちの手話など全部調べたけど。教えてくれないか。」
という問い合わせだった。
そこで、
「聴覚障害生徒に考えさせて、どのような表現がいいのか、調べさせて採り入れたら。」「ようはみんなに分かればいいのだから……」
と返事をした。
数日後、教師から電話があって「生徒は牛乳の容器の形を表現するのや」(①参照)
自分として何でか分からないので生徒に聞くと
「ローソンの看板を現しているという。」
「えっと、思ってローソンに行って看板見たらそうやった。」
「ローソンという音声に拘っていたので、看板をまじまじ見たけど、聴覚障害生は視覚的にきちんと捉えている反省したわ。」
という返事だった。
ローソンの看板の意味を調べたら、「ローソンのロゴについている瓶だか缶だかのイラストは、アメリカ州オハイオで誕生したミルクショップ・ローソンの牛乳缶」と言うことだった。
手話通訳は
「聞き取り」と「読み取り」と分けられない
2011年1月。
全国的に著名な手話通訳者と論議をした。
曰く、「聞き取り手話通訳は、理論化できているが、読み取り手話通訳は理論化できていない」ととうとうと述べる。
私は、手話通訳を「聞き取り」と「読み取り」と分けることに問題がある。
ろうあ者の手話が「読み取れない」でどうして、聞こえる人の言っている話が「聞き取り」として手話通訳できるというのか。
それでは、ろうあ者に手話通訳が、聞こえる人の言っていることを「ただ単に伝えるだけ」になってしまっている。
ろうあ者が分かろうが、分かるまいが、「ただ手を動かして、ろうあ者に手話通訳したよ」ということになりかねない。
一番大事な、ろうあ者に通じているかどうか、ろうあ者の言っていることがキチンと伝わっているかどうか疑問である。
「あえて言うが、聞き取り手話通訳と読み取り通訳の双方ができないと手話通訳したことにならない、手話通訳といえない、と思う。」
と言ったが、「時代遅れ」「今はそんな時代じゃない」という返事が投げつけられた。
私は、手話通訳は、「読み取る」「聞き取る」ことも融合したものであると考えていたし、ろうあ者から学んだ手話が、まさにそうだったから譲れなかった。
思いもしなかった
1969年頃の手話表現が「否定」されるなんて
そこであえて、「じゃー、ローソンって手話どうするの」と聞いてみた。
するとすぐ、
「ろう」「損(そん)」の手話表現をしたので驚いた。
これでは、店に行った「ろうあ者は損をする」という手話表現になるのではないか、音声に合わせた手話を使っているだけでしかない、と言った。
このような手話や手話通訳が日本で多数になってきているらしいが、高校の聴覚障害生徒の表現した「ローソン」のほうが、本来ろうあ者が創りあげてきた手話表現を伝承しているように思えてならなかった。
1969年頃には、そんな時代を迎えるとはろうあ者も手話通訳者も思いもしなかった。
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