2012年5月4日金曜日

同情をもとめるか 労働者の権利を守るか 迷いつつも


Once upon a time 1969

 A鉄工所問題をめぐって、私たちは、関係する労働組合に意見を聞いて回った。
 あれだけのエネルギーがどこから出たのか。
  真剣に学び続け、ろうあ者と手話通訳者がお互いの意見をぶつけ合う時間。
 このことをあえて書くのは、今日でも、新しい事態が生じた時、ともに主権者として障害者と一緒に学び、行動することが大切だ、と思うからである。


 いや、今日は、もっともっと学び、行動し、意見を出し合うことが1969年の頃よりも必要になっているのではないかと思う。

  ろうあ者というより
 労働者としてのろうあ者にウエイトをおいているが

 私たちが京都総評(当時)のA鉄工所問題の担当者と話した時、次のような事を言われた。
  担当者はろうあ者の解雇問題に数多く取り組んだだけに深刻な顔をしながら

「私たちは、ひちりの労働者が不当な首切りにあった、として闘いをすすめている。
 もちろんその労働者がろうあ者であることはそのとおりなのだが、どちらかと言えば、労働組合員として労働者という面にウエイトを置いている。
 しかし、ろう学校の先生がたは、ろうあ者であるために首を切られたので、ろうあ者問題である。
 一般的な労働問題として考えてもらっては困ると主張してくる 」


と切々と話された。

       ろうあ者も手話通訳者も知らないところでろう学校の先生は

 話し合いの中で、解ったことは、ろう学校の先生たちの中に

 聞こえないろうあ者が首を切られた、と強調すれば、聞こえる人々の支持も多くなり、職場復帰も可能になるという考えがある

ということであった。
 考えて見れば、「働くろうあ者を守る会」の中でも、ろうあ者であると言うことを理由にして同情を求めて行けばいいという考えもあった。
 でも、このことでたとえ職場に戻れたとしても、なにか大切なものを失っていくのでではないか。
 という意見が出ても、直面する生活を考えると、ともかくもとのように働けることが第一順位だったことは間違いがなかった。
 私たちの中では、充分整理できてはいなかった。

  ろう学校の生徒が卒業した時に
    就職できなくなると困るとろう学校の先生

 京都総評(当時)のA鉄工所問題の担当者と話した時、私たちは次のような事実を知った。

 A鉄工所のろうあ者のことはあまりとりあげてくれるな、ろう学校の進路先が狭くなる。ましてや、労働組合に入って争議するようなことがあれば、ろう学校の卒業生を受け入れてくれる企業がなくなる。
 何とかふせてくれ、と言うことを京都総評(当時)の担当者のところに直接言いに来ていたこと。

 また、担当者にA鉄工所で働くろうあ者の親と頻繁に連絡を取り、会社に逆らうようなことをしてはいけない(第二組合に行くようにしたほうがいい)。
 A鉄工所での争議に加わると、今後、ろう学校の生徒が就職できなくなる。


 ということをはなし、行動しているとのことだった。


 ろうあ者本人はもちろん、援助していたろうあ者や手話通訳者にとっては驚くようなはなしであった。

 だが、それ以上にろう学校の先生たちが動いていることを知って、みんなの怒りは頂点に達した。










 

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