2014年5月24日土曜日

Educational Needs のごまかしの訳語の横行




教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 近年、文部科学省が特別支援教育とか発達障害と言い出すと一斉に今まで耳にしたことがない言葉が飛び交いだし、さもさも新しい教育がはじまるかのように印象づけられている。


  特別支援教育は新時代か


 しかも、文部科学省が「特殊教育」から「特別支援教育」と名称を変えたことを、新時代として絶賛する研究者が非常に多い。


 そういう人にかぎって、それまで特殊教育なり文部省の問題だらけの教育を克服して新しい教育方向を創造してきた人々も「十把一絡げ」にして、過去のものと決めつけている。

非常に単純な発想に驚きを通して、恐怖さえ覚えることがある。

 
 不均等な日本語訳の背景


 ひとつの例をあげてみよう。


   特別な教育的ニーズ、教育ニーズ、教育的なニーズと言う人々は、なぜか、ニーズ(needs)だけは日本語にしない。


 なぜだろうか。


 教育委員会や福祉にさまざまな障害者の要求をもっていったひとは、役所の担当者から「ニーズがあるかどうか分かりませんので、調べた上でお答えします。」とか「そういうニーズはないので、出来ません。」とよく言われている。


 この場合のニーズ(needs)は、行政側の「必要」や「需要」という意味であって、障害者の側に立ったニーズ(needs)ではないのだ。

 教育的なニーズと書いている論文をよく読むと、教育的というのは教育だけではなくという意味合いが含まれている。

では、具体的に教育以外のどんなことが含まれるのかはさっぱり書かれていない。



   ニーズ (needs)でごまかされていないだろうか


 ニーズ (needs)となると、どのようなことをニーズとしているのかまったく解らないのである。


 最初は、読み手の側の問題かと思い原書を読んでみると何のことはない、Special Educational Needsや Educational Needsの翻訳のしかたに行きついた。


  Educationalは形容詞の意味合いがあるので「教育的」「教育的な」「教育の」としてneedsに「かけている」のである。


 ところが、needsを日本語訳すると行き詰まって「ニーズ」としているのである。


 それならいっそう「エデュケーショナル ニーズ」と書けばいいのにそうはしない。


 一見中途半端な日本語にするには、日本語力の問題か、英語追随か、その他のことがあると思えてならない。


 日本語にきちんと翻訳すると「新しい教育」の意味合いがなくなるので「粉飾」していると思うのだが、こう書けば批判は殺到するだろう。


 でも冷静に考えてほしい。この間この問題等で調べたり、考え抜いてきた。


    教育要求としても何ら誤訳ではない


 でもあえて言う。

   Educational Needsを教育の要求、教育要求としても何ら誤訳ではなく適切な日本語訳ではないかと。



 このように「教育要求」とすると要求する側と要求を受ける側がはっきりしてくる。
 
 教育委員会や福祉にさまざまな障害者の要求をもっいていったひとは、役所の担当者から「要求があるかどうか分かりませんので、調べた上でお答えします。」とか「そういう要求はないので、出来ません。」と言えなくなるだろう。



 要求しているのに「あるかどうか」なんておかしい。
要求しているのに「要求はない」なんて、許せない。



となるだろう。
 
  みんなの要求を「誤魔化す手段」としてのカタカナ表記が使われていないだろうか


 このカタカナ文字表現や一部英語一部日本語の組み合わせは、しばしば切実な要求を「誤魔化す手段」に使われていないだろうか。


 教育要求をだす。


 このことは、イギリスやドイツやアメリカなどの例を出すまでもなく、日本は早くから教育要求をだし、教育内容や形態を変えてきた先進国なのである。


 それは、国がしたのではない。制度がしたのではない。


 多くの偏見や誤解をひとつひとつ取り除き、みんなが理解しあい、手を結んで行政の壁を打ち砕いてきたからなのではないか。


 まだまだ問題は残っているが、新しい教育はみんなの理解と協力の中で生みだされ広げられて、創造されていくものである。


 行政が上から「命令して」つくられるものではなく、行政はみんなの教育要求をとことん聞くべきなのであり、それを具体化していくべきである。


 1960年代のろう教育をめぐる諸問題もそのことを具体的に教えていると思う。


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2014年1月24日金曜日

よくも 悪くも解釈できる インクルージョンinclusion の本質的意味



教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


  独自予算が持てない日本の教育行政

  インクルージョンinclusion は、障害児やそうでない子ども、すべての子どもが「平等」に学べること、共に学べることと解釈している人々が多い。

 だが、本当に日本ではそうなって来ているのだろうか。

 教育予算が、国家・地方行政では一定の比率で決められ独立して執行される国と日本のようにその時々によって執行される場合とでは大きな違いがある。
 とくに、日本では教育行政は独自予算が持てなかった。
 それが、ますます強まり、国や首長の権限が一層強化されてきている今日の状況下で日本のインクルージョンinclusionを考えなければならないだろう。

 インクルージョンを適切な日本語訳をしないのには訳があるように思える。

  「不純物」とも解釈される意味合いがある

          インクルージョン

   inclusionは、もともと含有, 包含, 包括;算入;加入.  含有物などの日本語訳がされてきた。

 現在広く使われている「包含」「包括」などのことばを考えれば、異なったものを「つつみこみ」「中にふくんでいる」ということになる。

 包まれるのは?
 包むのは?

と考えるとおのずから障害児とそうでない子どもを分離している考えに行き着くだろう。

 さらに、英語のinclusionは、純粋に対する混ざり物という意味があり、インクルージョンinclusionは、教育における「不純物」とも解釈される意味合いがある。
 ところが一方、スペイン語では包含的という意味合いがあり、両方のうちのどちらも認めるという意味合いもある。

  英語圏だけが「国際」ではない

   これらのことを述べると切りがないが、英語圏の訳や意味のみを日本に持ち込んでくるのは大きな疑問が残る。

 そればかりか、国際的動向と言いながら英語圏だけの理解や取り組みを広げるのは、英語圏以外の国々を無視したことになり、あたかも英語圏の国々が先進的だと言わんばかりの様子が醸し出されるからである。

  なおざりにされてはいないだろうか 
    日本の教育実践を他国に知らせること


  インクルージョンinclusion は、障害児やそうでない子ども、すべての子どもが「平等」に学べること、共に学べることと解釈している人がいるならむしろ統合教育ということばのほうが適切ではないだろうか。

 かって文部省が使っていた用語であるが。

  聴覚障害教育の歴史と実践を見れば、インクルージョンinclusion を解釈するまでもなく、日本での教育発展における学ぶべき教訓が見えてくる。

 
 日本の教育は他国から学ぶことは強調されても、日本の教育実践を他国に知らせることはなおざりにされてはいないだろうか。

 
 教育にたずさわる人々と生徒たちの貴重な教訓が山積みにされていることを忘れてはならないだろう。

 そのことを踏まえて京都ろう学校の「授業拒否事件」や幼稚部の教育・インテグレーションをもう一度考えて見る。




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2014年1月19日日曜日

なぜ 日本語に出来ないか 日本語表記にしないのか  インクルージョンinclusion の本質的意味と概念



教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
向かっているだろうか
 多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会

 文部科学省は、

「これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である。」

として、


 「障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な『合理的配慮』が提供される等が必要とされている。」

ということを明らかにしている。

  包括の意味と文部科学省の意図

 ここで、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)と仮訳であっても「inclusive包容」と日本語訳している。
 


 ところが、包容とは、
 包み入れること。
 包み込んでいること。
 広い心で、相手を受け入れること。

であり、その後、明確に日本語訳していないため、インクルージョンinclusionは、包括的なとかさまざまに解釈され、その解釈の基に「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、)が論じられている。

 近年、このようなカタカナ表記の傾向は教育現場に大量に持ち込まれ、その解釈は主張する側や受けとる側などで主観的に受けとめられ、各々が分かったつもりで意味合いはまったく異なった状況が横行している。

 このような事態はなぜ生まれるのか。

  国民の責任にして 教育予算を削減する

 それは、教育行政の最大の責任を有する文部科学省が自らの責任と教育を受ける権利を明らかにしないからではないだろうか。

  包容が、「包み入れること。包み込んでいること。広い心で、相手を受け入れること。」であるとするならば、そのような条件を整えるべき責任は文部科学省にあるだろう。
 国際間の条約を認めた以上は、その国に責任が問われるからである。

 ところがことばの「使い分け」で、責任の主体をあいまいにしているのである。

 誰が、という主語が記載されないことによって。

  国際的とは 世界の国々の状況を見据えて
  障害者の権利に関する条約は、いわゆる「先進国」から提案されたものではない。
 学校もない、学校も行けない、読み書きが出来ない国々から出されたことを想起するなら、おのずとインクルージョンinclusionの意味は理解ができる。

 ともかくすべての子どもたちが学校に行けるように、ということが第一次課題となっている国々では障害がある子どもも障害がない子どもも「インクルージョンinclusion」として教育が受けられるようにする事が教育保障の切実な要求なのである。

  戦後
 日本の教育が形成された教訓をしっかりとらえてこそ

 戦後の一時期の日本のように戦争孤児たちの教育の中から障害児教育が発展し・分化してきたように。

 では、経済的に裕福な先進国は、障害がある子どもも障害がない子どもも「インクルージョンinclusion」としてどのような取り組みをするのか、ということが問われて来る。

 「インクルージョンinclusion」は、それぞれの国の経済状況によって異なった対応をするものであり、経済状況と切り離せらレない問題でもある。

 ところが、近年の日本では特に経済状況を切り離して「インクルージョンinclusion」が論じられるから混乱した理解が横行する。

 日本における教育予算の削減と「インクルージョンinclusion」について論じる人が極めて少ないがゆえんに「インクルージョンinclusion」は、国民的理解の問題に主題が置かれてしまっているようだ。

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2014年1月17日金曜日

インクルージョンinclusion の本質的意味と概念  戦後 障害児教育に教育予算を使うことを否定してきた文部省 



 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
 カタカナ表記と日本語表記の大きな違い



 かって文部省は、カタカナ表記をせずに日本語表記を貫いてきた。

インテグレーションという用語が文部省 協力者会議の報告で出された場合も「統合教育」などの用語を使うようにしていた。

 統合とは「二つ以上のものを合わせて一つにすること」の意味であり、「適応教育」や「対応教育」とその意味合いは違っていた。



  絶えず教育予算の削減を考えていた
      国の動きに対峙して

 
  障害児教育と普通教育とをひとつの教育にするという考えである。


 だが実態は、障害児を普通学校で学ばせるということであり、それにともなう「教育予算措置」「教員配置」はおこなわれなかった。

 むしろ障害児学級や障害児学級に対する予算措置も減らせると考えていたようである。
 1960年代は、就学猶予免除の名の下に多くの障害児は学校すら行けなかった。
 そのことに対して、「すべての子どもにひとしく教育を」という運動が大きなうねりとなり、国の文教政策を転換させてきた。



  考え抜いたあげくに生まれた
   「すべての子どもにひとしく教育を」




 「すべての子どもにひとしく教育を」は、

憲法「第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」


を充分吟味したっものであった。

 すべて国民はとして、国籍を持たない子どもたちの教育が保障されないことは許してはならない。

 とくに戦前の教育実態を考えて、憲法二十六条の「ひとしく教育を受ける権利」を考慮し、国民に「義務」を「枷ながら」一方では、その「義務」を国民が「猶予・免除」を願い出る二重の問題。

 それらを考え抜いたあげくに「すべての子どもにひとしく教育を」ということが憲法の精神なのだと捉えてきた。

 文部省(当時)は、

「法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」

という普通教育、無償ということも蔑ろにしてきた。



  いったん認めても、認めるときには
                   すでに「切り捨てる」文教政策




 しかし、文部省は、国の障害児の教育保障への責任は、逃れられないとしてそれを認めつつもそうではない方向を考えていた。

 いったん認めても、認めるときにはすでに「切り捨てる」文教政策を打ち出してきたのが国・文部省の方針であったのではないだろうか。


 その交差する時期が1960年半ばから1970年にかけてであり、京都ではインテグレーションと授業拒否事件が同時期に投げかけられた問題であったとも言える。
 

 文部省は、統合、混合、交流、適応などさまざまな用語を持ち出し、教育現場に押しつけてきたが、すべてがそれに従ったわけではなかった。
 むしろ、それに対して教育現場から創造的な教育の方向が出されてきたが、躍起になってそれを打ち消そうとする競合関係が長く続いてきた。

]  インテグレーションIntegration   メインストリーミングmainstream はその時期として考えなければならないだろう。


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2014年1月10日金曜日

インテグレーションIntegration メインストリーミングmainstream インクルージョンinclusion の本質的意味と概念


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


これまで、京都ろう学校の授業拒否事件を述べてきた。
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http://kyoikkagaku.blogspot.jp/2013/08/blog-post_28.html
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また、インテグレーシュン( 対応教育 )の概要を掲載してきた。
 でもこれはほんの一部に過ぎない。

  過去の教育を十分研究しないで
                  断定が横行する今日の背景

 調べて見ると長い時間とさまざまな問題が複雑に交差している。

 今日それらを紐解くことなく、過去はダメで、これからは……と断じる人が多い。

 過去のどこがダメで、どのようにすべきであったのか、その教訓にもとずいてどうするべきなのかということがまったく試みられていない。

 特殊教育から特別支援教育へと発展していると「発達障害」を論じる人々は、特にその傾向が強いようように思われる。

  Special な教育は低位な教育ではなかったはず
    実態の離反が産んだ問題

 特殊教育とは、英語ではSpecial educationとなる。

 Special としながら、特殊教育を一般教育より低位にされていた事実をどのように考えるのかを考えない限り問題は解決されないのである。

 特殊教育という日本語を否定しながらSpecial Needsと言って何ら疑問を感じない人々が多すぎるのであえて提起をしておきたい。

ろう学校に手話だけが導入されても
 すべてがうまくいくことではない

 また手話を学ぶ人々の中では、京都ろう学校の事業拒否事件は、口話法に対する手話で学びたいという生徒のストライキであった、と断じ、ろう学校で手話による教育を、と言い続けている。

 だが、このことは本当にそうなのかを検証してほしいものだと思う。

 1960年代に手話を教えてくれたろうあ者は、手話表現の自由で闊達な特徴を誇らしげに教えてくれた。

 そこには、こうでなければならない、というワクはない。またこれが正しい、あれは間違いだ、と決めつけるものはなかった。

 たしかに、手話表現をめぐって論争はあったが、それは、コミニケーションをより深めるものとしての論争だった。
 大阪市立ろう学校と京都ろう学校の卒業生同士の手話表現をめぐる論争もそのひとつだった。

 ろう学校で、手話を全面的に採り入れればろう教育は大きく発展するのだろうか。
 この問題に対していつも言うのは、聞こえる生徒ばかりの学校で、なぜ生徒たちは授業にについて行けなくなっているのだろうか。
 コミニケーションの条件はあってもコミニケーションが成立することとは別である、と言うと反論が返ってこない。

 外国語に右往左往する日本の教育界

 思いこみ、感情的に教育が論じられていないだろうか。

 インテグレーションIntegration   メインストリーミングmainstream インクルージョンinclusion   とさまざまなカタカナ文字が飛び交ってきたが、なにかこのようなことばには、新しいものがあり従来の日本の教育と異なったものという傾向が強い。

 京都ろう学校幼稚部では、インテグレーションということばではなく、対応教育ということばを使っていた。
 対応とは、普通教育に対応出来るという意味であったことはすでに紹介した。

 日本語には、表音・表意の意味合いが含まれているためその概念の意味は日本語文化圏では捉えられる。
 ところが、インテグレーションとなるとさまざまな解釈が受け取る側に浮かぶので、その概念はさまざまになる。

 インテグレーションの意味合いを1960年後半から調べた先生たちは、アメリカに於いて黒人が白人社会の教育に統合することから使い始められていることを知って愕然とした。
 黒人が、白人社会に適応する。

 人種差別的な色合いが濃厚なこのことばが、障害児教育に導入されてきたからである。

 では、メインストリーミングmainstream インクルージョンinclusion の概念は日本の教育界で十分吟味されてきたのかという問題がでてくる。


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2014年1月8日水曜日

インテグレーション  ろう学校の学部間の対立をなくそうという動きが



   ( 早期教育・インテグレーション・言語指導への教師・親の反論 7 )
 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
                     1974年4月28日


  学部間のワクをとる第一歩がはじまったが

 日頃、幼稚部で、普通小学校入学をめざしおこなわれる教育体制の中で、矛盾や疑問をかかえて苦しむの若い教師と大部分が、普通小学校へ出ていった後に残されたわずかな子どもたちに発達に必要な集団が保障できないと悩む小学部の教師がはじめて共通の課題にとりくんだ。

 学部のワクをこえて教師が自由に教育などについて意見を交換する基礎ができた。
 若い教師たちは、土曜日のとりくみ以外に週一回、反省と計画のために集まった。教室も毎週、幼稚部、小学部の棟と教室をかえて話し合った。

 他学部の教師が共に教室で集まって討議をするのは今までにないことで、学部間のワクをとる第一歩となった。

  教師の動きと親の動きが共鳴

 小学部では、「聞こえの教室をつくる取り組み」に参加した教師が、小学部の部会で「聞こえの教室をつくる取り組みの問題」を提起してた。
 そのため聞こえの教室をつくる取り組みが、常に小学部全体の認識としてすすめていくことができるようになってきた。
 その結果、中心メンバーではないが関心を持つ教師を数人まきこんで聴覚障害児への実際の指導に取り組んでいくことができた。

 このような教師集団の動きは、親集団にも大きな影響を与えた。

 「聞こえの教室をつくる取り組み」に
                ろう学校の親は反対していたが


 「まず小学部の子どもを十分に見てほしい。なぜ、他の学校に行った子どもまで……」と言う声が強かった。

 しかし、「聞こえの教室をつくる取り組み」への教師の姿勢を見ているうちに、教師が聞こえの教室問題に取り組んで力量を高め学んでいくことが、自分の子どもの成長につながることを親自身が気づきはじめた。

 小学部では、今まで限られた集団しかなかったが「聞こえの教室をつくる取り組み」の中で普通校に行った聴覚障害の生徒と交流し、仲間が広がったげた、ということが親の大きな喜びとなっていった。
 そして、親の中では、ろう学校の小学部だけではなく、「聞こえの教室をつくる取り組み」は自分たちのこととしても支持・協力していかなければならないという考えが広がった。

 教師が身についていたとは言えない
     集団的に協議するスタイル

 幼稚部では、なるべくインテグレーと母の子供の問題に触れたくないというものがあった。

 それをうち破って積極的にインテグレーションの問題を探り、毎日の言語指導が何のためにあるのかを考えていこうとする教師が増えていった。
 しかし、それは幼稚部全体の共通認識になるまでには小学部と違い十分な部会討議がされず、あくまでも有志参加に終わってしまっていた。


 幼稚部の民主主義的運営の課題が残った。

 聴覚障害児に対する教材研究を、幼稚部、小学部の教師の協同学習の場となり、教育指導を高めていくいくこと共通の取り組みとして計画されていた。

 しかし、1つ1つの教材について十分協議する余裕がなかった。
 そういう点ではまだまだ本当に集団的に協議するスタイルをそれぞれの教師が身についていたとは言えない状況であった。

 色々な角度からの見方、色々な発達段階の子どもを扱う経験から、お互いに学び合うものは非常に大きかったが。

 さらに今後、自分たちの現場でぶつかった問題を教師だけで解決するのではなく、教師全体に提起することによって、より広い立場で物事が見れるようになることの大切さを痛感した。

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2014年1月6日月曜日

インテグレーション  共通の認識と見通しをつくり出さなければ


   ( 早期教育・インテグレーション・言語指導への教師・親の反論 6 )
 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
                     1974年4月28日

 親も変わり 聴覚障害児も変わってきたが

 各学校で、ひとりひとりになっていた聴覚障害児が、1週間に1回集まり、聴覚障害児同士の仲間が集まる場をつくる。

 聴覚障害児集団が形成され、自分の言いたいことや友だちを気遣うことや自分の独りよがりな思いを他の聴覚障害児に指摘される中で子どもたちは大きくそだっていった。
 親が変わり、親の集団が行動を起こす。聴覚障害児が変わり、聴覚障害児同士の友だちが出来る。
 この変化の中でろう学校の教師集団は、親や子どもたちのように素直に受けとめることは出来ないでいた。

 ろう学校においては
各部間の教師の交流は極めて少なく 教育実践も違う


 教育という営みは、子どもの発達の時期の間に限られて行うものではなく、幼児期から青年期、さらに死ぬまで一生の人格形成を見通したものでなければならない。
 それぞれの時期の教育に関わるそれぞれの教師集団に一貫した発達観・教育観の下で共同の討議が必要である。

 今までのろう学校においては、各部間の教師の交流は極めて少なく、子どもに対する教育実践も違うという同じ学校の中でありながら一貫したろう児の発達の見通しについての論議がされてこなかった。
 その結果、各部の教師の間には、無関心、不信ムードが広がっていた。
 そういう状況の中で幼稚部のインテグレーションが進行していたことが大きな問題である。
 というのは、ろう学校全体の教師が信頼の絆で結ばれながら聴覚障害児にとってよりよき教育環境を要求してつくりあげていくという体制ではないから、それよりは、いくら保障が不十分でも、普通小学校で得られる言語環境に期待した方がましだという考え方があった。

  「脱ろう学校化」とインテグレーション

まずろう学校の教育の充実や教師集団が教育の力を高めていくことを問題にせず、現在あるものの中にに適応できるところに進ませるという、現在肯定論であり、本当に積極的な意味を持った統合の是非の論議はなかった。

 いわば、「脱ろう学校化」ということがインテグレーションがすりかえられていたのである。
 インテグレーションが単なる「適応」を超えた「変革」の方向を持っているものであるならば、今までのインテグレーション=脱ろう学校化の矛盾をあばきださなければならない。

 そのためには幼稚部・小学部の教師集団は、インテグレーションの問題について共通の認識と見通しをつくり出さなければならない。

 幼稚部・小学部の教師集団は、どうしても共同で幼稚部卒業生のインテグレート後の問題に取り組む必要があったのである。
  
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