( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 7 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
普通教育・普通学校
通常教育・通常学校 のまったく異なった内容
京都ろう学校幼稚部の対応教育によって、幼稚部から普通小学校に行った生徒の資料がある。
ただ、この資料には他府県から幼稚部に入るため一時移動した生徒の数は含まれていない。
1970年代になると聴覚障害児の母親は子どもと一緒になってろう学校近くに仮住まいして幼稚部に通い、地元の普通小学校に入学した。
このこと事態は、大変問題を含むことであるが、今回はそれについては述べない。
なお、特別支援教育や「発達障害児」の指導から文部科学省の通達や文章で「通常学級」「通常学校」という言葉が一斉に使われている。
しかし、「通常」という言葉は教育法などの制度にはない。そのため普通学校、普通学級という従来の言葉を使って述べる。
もっと重視を 普通教育という意味
特に、普通教育という言葉を考えるとき、日本国憲法に「普通教育」という用語が使われていることを想起して欲しい。
日本国憲法第26条第2項には、
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」。
とされている。
憲法で使われている「普通教育」という用語は、憲法の指導精神と深く結びついたものであり、そこには、戦前の教育に対する根本的な反省、普通教育概念に関する歴史的認識や明治以降の普通教育についての歴史認識等が含意されているからである。
特に、盲聾教育は、戦前からの歴史があるが後に述べる社会生活・仕事に就くことと関連して重要な意味を持っている。
40年を経過しても解ってくる幼稚部教育の課題
京都ろう学校幼稚部から普通小学校に入学した生徒の推移(かなり正確であるが、)
1966年 3人(5人は小学部へ・のちに全員難聴学級や普通校へ)
1967年 2人(6人は小学部へ・のちに4人は難聴学級や普通校へ)
1968年 2人(10人は小学部へ)
1969年 4人(6人は小学部へ)
1970年 2人
1971年 5人(1人は小学部へ、1人は他府県のろう学校へ)
1972年 11人
1973年 7人(4人は小学部へ)
1974年 12人(1人は小学部へ)
現在、幼稚部を卒業した生徒は、40代であるが、そのほとんどの人々のその後、どのような悩みや要求や生き方をしたのかが大筋解る。
これは、京都の教師たちが学校間を越えて聴覚障害教育について学習・交流したためであるが、プライベートな問題を除いて幼稚部教育がその後の生徒たちに与えた影響が相対的に解ってきている。
( つづく )
( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 6 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
口話教育
1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育(対応教育)の理屈と実際
4,言語の聴覚補償の側面について
これについては、早期に補聴器を装用させ正しく取扱いできる訓練が大切であることは論をまたない。
しかし、言語指導のゆきづまりの打開として補聴器に期待した中、重度の難聴児の発音指導をこれにすりかえりょうとする考え方はまったく正しくないことをはっきりしておきたい。
補聴器は、補聴器の助けがなくても十分に言語指導できる教育計画をより効果的にすすめる補助手段である。
言語を十分に持っているこどもは、それによせて、聞く訓練をしていく時、途中失患者に似た高度の効果を示すものである。
90㏈の壁は、聴力と補聴器の問題の他に、その子のもっている言語力とも関係をもつことを感じさせられる。
以上の方法によって獲得した言語力を核として、ひっかかりとして、わからないことばがあった場合も、その場面や文脈の中で理解していくだけの力に高めることができると考えられている。
言語を獲得する核を体得した上は、普通学級の中で豊富な言語環境の中で学習することが望ましいし、可能であるという考えである。
( 京都聾学校幼稚部におけるインテグレーションの考え方より 終わり )
方法論・マニュアル主義の犠牲と教育
※ 1960年代後半に書かれた「京都聾学校幼稚部におけるインテグレーションの考え方」を引用してきた。
ここには、「考え方」と「具体的指導には大きな違いが見られる。
今回掲載した部分でも、「言語指導のゆきづまりの打開として補聴器に期待した中、重度の難聴児の発音指導をこれにすりかえりょうとする考え方はまったく正しくないことをはっきりしておきたい。
補聴器は、補聴器の助けがなくても十分に言語指導できる教育計画をより効果的にすすめる補助手段である。」と断定している。
ところが、考え方の基本部分では、「私たちの過去の失敗は、聴覚を奪われた子供たちに、本来聴覚からのみ容易に入る音声記号を、それには不適当な他の残された感覚経路からストレートに押し込もうとしたことにある。
私たちは学習理論の原則に立ちかえって、彼らの残存感覚にもっと無理と抵抗のない信号をもちいて彼らに言語の存在に気づかせ、言語の価値を自覚させ、それを利用して耳の聴こえる子供たちに劣らない外界の把握と分割法を夫々の年齢で持たすべきである。そして次の段階で、彼らの信号をいくつかの条件づけの過程を経て、私たちの基本的伝達経路をしている音声言語へと移行させていく計画を立てるべきである。」と「残存感覚にもっと無理と抵抗のない信号をもちいて彼らに言語の存在に気づかせ」と述べている。
当時の、京都聾学校の幼稚部では、子どもたちに補聴器を付けさせていても「事実上は何の意味」と考えていたのである。
「90㏈の壁は、聴力と補聴器の問題の他に、その子のもっている言語力とも関係をもつことを感じさせられる。」としながらも当時、90㏈の子どもは幼稚部にほとんど在籍していなかった。
後で述べるエリートインテグレーション(インテグレーションの成功した生徒)たちのほとんどは残存聴力があった子どもたちである。
この点では、京都ろう学校幼稚部は、聴言室と呼ばれた「聴能教育」に取り組んでいる先生たちと連携しているようでいなかったのである。
そして、基本的な考え方はさておいて、話せる、話が分かるという方法論に傾注していく。
そして、とんでもない指導が基本的考えを打ち捨てて言語指導がされていく。
これらの傾向は、現代の「発達障害指導」や「特別支援教育」などの傾向に「伝承されている」ように思えてならない。
基本と方法の分離。方法論への終始。
方法論と基本の相互関連。
多くの問題と教訓がすでに投げかけられていた。
( つづく )
( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 5 )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
口話教育 1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育(対応教育)の理屈と実際
知識欲の刺激 吸収の手段 疑問詞分割
2,言語の概念的な側面について
この拡充についてはもっとも力を注いでいるが、将来、統辞能力を培う時にもっと有効な分割方法として、又、知識欲を刺激し、吸収の手段となるものとしての疑問詞による分割法を重視している。
2才児教育相談
A,身振り言語による経験の概念化をすすめる。
B,絵記号を代表にして種と類の概念を養う。
C,Key Word、なに、だれ、どこ、いくつ、(どんな)いろ、(どんな)かたち、どうして、
などの概念をいれ、それによる外界の分割法を学習する。
この段階で、Cued Speech、口形図を用いて語を習得するものが100語前後になる。
絵カードにより、種、類の概念を並べることで四語文相当の表現を理解し、反応できる。又、それが既につくり上げた100語文以外のものであれば、Cued Speechで追うことが出来る。
二語文に入れる素地ができる。
3才児学級以降
主として総辞訓練へ移行していく。
この段階に通じて、私たちが重視しているのは事物と記号の結合ではなく、概念と記号の結合となること。
そしてその概念が、年令相応に発達しているかどうかである。
3,言語の統辞的な側面について
この問題については、私たち言語入門期のプログラムの文型のところに詳しいのでここでは詳細にふれないが、幼児が言語を生活の必要に応じて文として表出する動機を主軸として彼らの得る情報の乏しさでもっと統辞能力を獲得できるように計画した。
しかし、これらの文型は、単なるドリルで形はめ的に学習できるものではない。
感情の動く生活の場を用意する努力の必要なことは当然である。
だが、反面、子供自身が、公式を知ってそれをあてはめる次々回答でほめられるといった風なドリルを楽しめるような工夫がないと自動的に使えるまでの練習ができないことも事実である。
※ 概念形成が、年齢相応に発達しているかどうか、という視点は重要なものがある。
ただ、ここで述べられている「概念」は年齢相応に発達して行く概念かどうかは、大いなる疑問が残る。
1980年代に大阪教育大学のM教授は、言語指導としての口話は、将来、簡単に手話法に置き換わるように主張されるだろう、という指摘をしていた。
たしかに、現在ろう教育に手話を主張する人々の多くが、乳幼児や学童期の子どもたちの「年齢相応」の発達を考えているかどうか大いなる問題がある。
乳幼児や学童期の子どもたちの精神・肉体の発達を考えられているとは考えにくい。
例えば、手話を教えるときに子どもたちの身体形成が十分でないのに大人でも肉体的負荷がかかる手指の動きを要求している。その最も悪しき傾向が指文字の導入である。
医学的にも指文字は手話の中で最も手指腕に負荷がかかり、成人でも大きなダメージを与えることがあきらかにされている。しかし、なんのためらいもなく、乳幼児や学童期の子どもたちに教えられている。
ろう学校幼稚部の
言語指導で
「彼らの得る情報の乏しさでもっと統辞能力を獲得できるように計画した」
「これらの文型は、単なるドリルで形はめ的に学習できるものではない。
感情の動く生活の場を用意する努力の必要なことは当然である」
としながら、
「子供自身が、公式を知ってそれをあてはめる次々回答でほめられるといった風なドリルを楽しめるような工夫がないと自動的に使えるまでの練習ができないことも事実である」 とドリル=知識や技術を習得するための反復練習・指導法や教材を肯定して行く。
そして、反復練習を嫌がる子どもには、「ごほうび」が準備され「楽しめる工夫」がなされるのである。
ここで、「感情の動く生活の場」が極限にせばめられ、子どもたちの感情表出は、「与えられたこと」に対して「それに応える」ことに限定されていく。
2歳児に教える側から、「なに、だれ、どこ、いくつ、(どんな)いろ、(どんな)かたち、どうして」と迫られなどが続くと、
子どもたちから生じる気持ち「なに、だれ、どこ、いくつ、(どんな)いろ、(どんな)かたち、どうして」が出せると言えるだろうか。
この逆転した発想と指導は、その後の子どもたちの人格形成に重大な悪影響を与えて行く。
この頃の幼稚部のお母さん方は、子どもたちを動物園や遊園地に行くことに極端に嫌がった。
特に、イルカショウーは「見たくない」という第一番であった。
( つづく )
( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 ④ )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
口話教育 1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育(対応教育)の理屈と実際
Cued Speechの導入とその消滅
3才児学級
A,色分け口形図をCued Speechで読むことが出来る。
B,ローマ字を利用した子音部と母音部を分離したり統合したりした方法での発音指導が出来る。
C、Key Word、子供の名前などから自然に平仮名が読めるようになる。
D,必要以外、音声表出に際してCueを使わないようにする。
4才児学級
A、日本言語の各音韻の単音としての発音を殆ど完了する。
B,日本語のリズムの基調なる二音をなめらかに続けていく。
C,個人別の意識的な発音指導をすすめる。
5才児学級
A,文章の発音をくずれないように注意し、努力する。
Cued Speechとその考えの背景
※ Cued Speechについては、さまざまな評価がある。
1960年代頃、ソ連では,早期から口話法に指文字を併用する方法が採られていた。当時、ソ連と対立するアメリカでも、手指の動きで話すことの手がかりを与えるキュード・スピーチcued speechが提唱・実践されていた。
これらの傾向について、京都の聴覚障害児教育担当教師は、さまざまな文献を元に研究したが、ソ連とアメリカは、ともに教育手法をとりいれていて当時の時代背景から考えて教育交流がないと思われていたが、そうではないことが解ってきた。
それは、現在でも主張されている心理学における「行動主義 behaviorism」でもあった。
行動主義教育の導入の歪みと問題
そのため刺激に対する反応としての行動からろう児を見て、客観的に究明しようとする傾向であった。
このようなことを基に京都ろう学校では、Cued Speechとして「あかさたな……」の部分を記号化(これを身振りと言っていた)して言語習得の混乱を防ぎ、それが出来るようになると、Cued Speechとして「あかさたな……」の部分を記号化をと取り除いていくという方法である。
2歳、3歳、4歳、5歳児の言語指導を見ても、
3歳児で
「子音部と母音部を分離したり統合したりした方法」
「自然に平仮名が読めるようになる」
など他の児童よりも数年早く幼稚部の生徒に教えていこうとするのであるから、当然そこには、
「ろう児の潜在能力が耳の聴える子供たちに対して何ら劣るものではないという見解に積極的に支持する。」
としながら、耳の聴える子どもたちより「超潜在能力」をつくり上げようとする。
ここには、すでに無理と歪みが生じているが、「耳の聴える子供たちに対して何ら劣るものではない」という目的に傾注し続けるため「無理と歪みが生じている」ことを直視しない。
形態は違ってもこれらと同じ動きが近年増幅しているのではないだろうか。
( つづく )
言語指導の方法論に翻弄されていくろう児たち
( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 ③ )
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
口話教育 1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育(対応教育)の理屈と実際
ろう幼児に対して
全体的成熟を遅らせない配慮して しかも語の習得を
(尚残る問題として、どれだけの期間をかければろう児と耳の聴こえる子供たちの間の接点が出来るか、という問題がある)
これについては、私たちは耳の聴こえる子供の言語的基礎が確立されるまでの期間と同じ期間にろう児にも言語の基礎を確立してやる必要があると考えている。
この時間的な可能性の問題は耳の聴こえる子供がランダムに受ける言語刺激の中から語を拾い出し、語と語の間の統辞法を身につけていく過程を見る時、彼らの概念化、法則化の能力の発達に則してマチュリティの原則の枠内ですすめてことが、ろう幼児に対して、全体的成熟を遅らせない配慮して、しかも語の習得をその統辞法の習得を計画的に援助してやれば、聴覚の障害というハンディを克服できると私たちは考えている。
京都ろう学校幼稚部における言語指導の方法論
これについては、もう私たちにとっては過去のものとなったが、ろう教育モノグラムNO7「言語入門期のプログラム」をつくり、実践してその可能性を証征した。
全ゆる言語指導に関する効果的評価法に先立つものは、ろう児に対する耳の聴こえる子供に劣らず伸び得るものだという評価と認識であると考えている。
記号から入って
順次高次に条件づけて音声記号を駆使できるように
京都校における言語指導の方法論
1,言語の記号的側面について
原則的については、既述のとおり、ろう児の残存感覚にとって無理と抵抗の最も少ない記号から入って順次高次に条件づけて音声記号を駆使できるように導いてゆく立場をとっている。
2才児教育相談( 週一回、1h、 個別指導)
A,ここでは、まず身振り言語の積極的奨励をする。
そのねらうところは、
① 言語の残存とその有効性を意識させる。
② 経験の概念化をたすけ、言語の巾広い土台をつくる。
③ 身振り言語の細分化と身体機能訓練を併行し、将来、音声言語に必要な 音器の発達への伏線をつくる。
B,次に視覚的な記号の識別訓練をする。
そのねらうところは、
① 静止した且、2才児の知覚識別力の枠をこえない記号を利用して記号の 視覚識別訓練をする。
② 色と形の合成から成る口形図を単なる模倣ではなく、手がかりとして口 形表出できる訓練をする。
③ 最終のねらいは、日本語の音韻体系に叫応した彼等なりのCueを口形又 は、口声による音韻意識を頭の中につくっていく。
2歳児の発達と言語 その理論と実践のはざま
※ 2歳児の言語獲得について、各論になると極めてはっきりとした差異が見られるようになっていく。
今まで理屈と記述したのは、論理ではないからである。
このことは、現在の多くの研究者が教育論理なり、教育心理なりをさかんに振りかざしているが、具体的実践を明らかにしている研究者は極めて少ない。
その点で、「理屈」と「方法論」を明らかにしていた50年余前の幼稚部の教師のほうが正直であるかも知れない。
しかし、現在も過去も教育の分野で教育理論と教育実践の双方向からの検討は極めて少なかったのではないだろうか。
2歳児の言語指導の方法は、2歳児の発達を充分踏まえたものと言えるだろうか。
また、
「身振り言語を駆使するなら、経験や概念の発達診断、推理の思考の発達において少なくとも幼児段階の精神発達で遅れを残すことはないはずだということを私たちに教えてくれるのである。」
という引用をしながら、
「将来、音声言語に必要な音器の発達への伏線をつくる。」
ということは、
「身振り言語」を解消する
ということであり、身振り言語を肯定したものでないことにも注目して欲しい。
方法論は、子どもたちが方法通りに行かなかった場合は、すぐ方法やり方に問題にされ、基本的な考え=理論を見直すことはほとんどない。
ここに、ろう教育の内包していた重大な問題がある。
( つづく )