2011年10月31日月曜日

先達者・子どもたちが残してくれた教訓と膨大な教育財産を滋賀大学教育学部窪島務氏らは


 さらに窪島務氏、野口法子氏らは、次のようなことを書いている。

 また、1956 年の国立国語研究所の調査では、以下のことが分かったと述べている。
 それは、カタカナ表記をされるべき語の表音法が身につきにくいこと、長音を書き表す際の抵抗が、平仮名における長音の書き表し方とカタカナの場合との相違によるものであることが察せられること、カタカナ文字力の問題は、書字力ことに、促音・拗音・長音を含む語の書字力にあることである。
 今も同じことがみられ、拗音などの特殊音節の習得に時間がかかる。
 その理由として、平仮名と同じく特殊音節は文法的要素が入り込んでくるため、それを使いこなし慣れるためには清音よりも時間を要することが挙げられる。
 読み書き困難児においてカタカナ1文字の書字が、当該学年に及ばないことは、漢字・平仮名と同様に詳細な研究が必要である。本研究では実態のみが把握できた段階であり、詳細は今後の課題である。


協力してくれた子どもたちを「研究材料」にしないで生きる研究を

 この文章の引用は、文字表記と音声言語についての基礎知識、子どもの発達と言葉の獲得、言葉から文字表記に移行する発達段階の考慮に対する基礎知識に対する問題を感じさせられる。
 このような文章では、調査対象の子どもの年齢や発達状況を考慮しない自己完結の調査としか映らなくなるし、自分たちのただ単なる興味本位での調査はないかと思わさせれる。
 さらに、調査に協力した子どもたちの気持や調査を教育に還元する事などまで不安に駆られる。


はなしことばを獲得する段階の子どもたちの発達

 日本では、九九を子どもたちが覚えるようにしているが、
 九九を覚えられない、
 覚えることの困難さ、
が生じるのは、九九の「読み」「発語」にあることは古くから知られている。
 また、1956 年の国立国語研究所の調査をあげるまでもなく、
「位相語」
の問題は、教育のみならず論じられてきたことを窪島氏ら承知していないのだろうか。



再び単純化して文字の変容を言い切る単純な歴史観

 日本語の書き言葉の歴史は、奈良時代に他国の文字である漢字で書き表そうとしたことに始まるが、中国語(孤立語)と日本語(膠着語)は体系の異なる言語であるため、中国語にはない助詞や助動詞、敬語表現などを表すために、漢字の特徴である表意性を削ぎ落とし、音としてだけ使う「万葉仮名」という漢字の新たな使用法が生まれた。
 その万葉仮名の一部分を書いたものがカタカナである。
 そして、現在のカタカナのもとになった万葉仮名は「表-8」に示した通りである。
 平仮名も万葉仮名から作られたものであるが、カタカナが万葉仮名の部分を取ったのに対し、平仮名は、文字を連続体ととらえ、全体を崩したものである。
 カタカナは、万葉仮名の一部を取って発生したものであり、形はより漢字に近いという漢字的要因を持つとともに、1文字では意味をなさず音的な要素としての平仮名的要因をも併せ持っている。


 実に単純な日本語と漢字・平仮名(ひらがな)・片仮名(カタカナ)の歴史的記述である。
 この考え方なら、窪島氏らは奈良時代に書かれた漢字以外の文書を読むことが出来るということになる。
 はたして、これらの文書を見たことやそのママの文献を読んだのであろうか。
 はなはだ疑問である。
 彼らの居住区から考えても、奈良の正倉院の文書等を見るまでもなく、奈良時代以前、奈良以降の様々な古文書の「実物」はどこでも容易に観ることも出来るし、大学図書館にそれらの資料も豊富にある。
 関西は、これらの事を知る上で非常に有利な地域であり、宝庫でもある。
 甲骨文字の研究も資料も多くある。
 少なくとも、漢字・平仮名(ひらがな)・片仮名(カタカナ)の歴史的記述を書くならば、これらの文字を見る、調べる必要はあるのではないか。


活字化以前の文字は、現在の私たちに多くのことを伝える

 文字は何によって、何に、どのように書かれたのかを注目すると、「認知」問題も明るみに出る。
 一文字一文字が、ひとつひとつ書かれているのか。
 連なって書かれているのか。
 書き文字は多種多様、変幻自在に描かれているものを見ると、人間の持つ機能にフィットした書き方が解ったりする。
 活字化以前の文字は、現在の私たちに多くのことを包括して伝えてくれる事が多い。


「はなしことば」と「かきことば」の間

 音としてだけ使う「万葉仮名」という漢字の新たな使用法が生まれた。
 と書かれているが、8世紀に「まとめら」れたとする万(萬)葉集の中の「万葉仮名」の表記を見たことがあるのだろうか。
 万葉集に書かれている表記は、決して、いわゆる「万葉仮名」だけではないし、その表記・解釈についても諸説ある。
 教科書国語などで表記されている「万葉集」一部は、万葉集で掲載されている文字がそのママで表記されていないことも承知しているのだろうか。
 歴史的には、万葉集は文学作品としてだけでなく、書かれた人々の生活や時代を考察する上でも多くの研究がされている。
 窪島氏の大学がある滋賀県での歌われた「歌」は、日本史上の大きな論争となってもいる。
 それらの片鱗でも知っているならば、

漢字の特徴である表意性を削ぎ落とし、音としてだけ使う「万葉仮名」という漢字の新たな使用法が生まれた。
と断定した文章は書かないだろう。

話し言葉も文字も意味も時代と共にさまざまに変化してきた 
 一般的には、片仮名(カタカナ)は平安時代に現在の表記に近い形になったとされているが、明治・大正・昭和で積極的に外来語を取り入れ、近年では、新聞・雑誌・テレビ・ラジオは言うでもなくあらゆるところでカタカナ語が氾濫している。
 子どもたちは、こういった環境の中で意識することなく、カタカナ語に接する機会を多く持つことになる。


と「明治・大正・昭和で積極的に外来語を取り入れ」と窪島氏らは書いているが、明治・大正・昭和で積極的に外来語を取り入れただけではなく、それ以前から日本は多くの国々との交易の中で外来語を採り入れている。

江戸時代は、鎖国したため外国からの言語が日本語にとりいれられなかったと言いたい野口法子、窪島務氏の基本的誤り

 阿蘭陀・和蘭陀(オランダ)・葡萄牙(ポルトガル)・朝鮮そして限定した地域で洋学(英語)研究がなされ、和訳されそれらの言語が日本語として定着し、使われている。
 洋菓子と和菓子を明治時代に外国から伝わったとする区分の仕方と同様に、外来語を明治時代以降で区分される事があるが、明治時代でも、外来語=カタカナ表記と断定は出来ない。
 野口法子、窪島務氏らは、「喫茶店」の「喫茶」の意味も説明できないだろう。


現代中国では漢字の簡略化がすすめられているが

 また窪島務氏・久保田璨子氏は、

 日本語の読み書き障害の大きな課題は、中国語漢字とは異なる日本語漢字の複雑さにある。
 日本語の読み書き障害の中心は漢字の書き障害にある、といっても必ずしも外れてはいない。
(国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に-2010年)

と書いている。
 中国語漢字と日本語漢字と比べて、日本語漢字の複雑さにある。
と書いているが、これは具体的に何を意味するのか理解できない。
 中国語漢字とはどのような漢字を言うのだろうか。
 現在中国では非常に漢字を簡略化していることを意味するのだろうか。
 

例えば、
 現代中国では、「廣→广」と表記して簡略化したのに、
 日本では「廣→広」と簡略化してきた


ことを書いているとは考えられない。
従って、

 日本語の読み書き障害の中心は漢字の書き障害にある、といっても必ずしも外れてはいない。
という事は文章としても、意味としても理解できない。

どのような表記が「書き障害」を生じないのだろうか

 日本語として表記される漢字は、現代中国の簡略化された文字と比べて複雑だから、漢字の書き障害が生じると主張するなら、
 どの時期の漢字表記を書かないと理解できない。
 なぜなら、窪島氏は主として小学校の漢字やカタカナを述べているからである。
 学習指導要領の改訂ごとに、日本では漢字表記が変えられる現実を考えるならば、

 どのような漢字が「書き障害」になるのか。
 では、どのように表記すればいいのかを明らかにすべきではないだろうか。


ふれられない小学校の教育の新たな問題

 以上のようなことを縷々述べてきたのは、小学生の子どもたちの「はなしことば」の領域と「かきことば」の領域とのギャップがある事はたしかであり、そのことから考えても学習指導要領が漢字表記を学年ごとに定めたりする方法には多くの疑問が出されているからである。
 さらに、近年その上に新たなる影を落としている。
 窪島氏の主張にも学習指導要領にも重要な点が欠如しているように思える。
 それは、
 「はなしことば」や「かきことば」は、
 人間の「意思疎通の手段」
であるという点である。


 話す言葉が目的化されたり、
 書くことが目的化するよりも、

 人間の意思疎通のために「話す」「書く」という「手段」を使う、
ということでなければならない点である。
 そのように考えると、
 はなしことばがすべて分からなくても、
 かきことばがかけなくても、
 人間の意志が通じ合う事の喜びと、
 自分の意志が表現できて、相手に通じる喜びが
 教育の中でたっぷり満たされているかどうか、

ということが大切なのではないか。

書く必要のないコンピュータコンピュータ言語?英語教育の導入

 窪島氏は、読み書き障害のところでまったくふれていないが、
 小学校でのコンピュータの導入による「書き」の喪失、「読み」の喪失。
 コンピュータ用語(異日本語とも言える)の交錯。
 英語教育の導入。
などなどが、読み書き問題の上で大きな問題になっている。
 彼はなぜ、そのことを書こうとしないのだろか。


先達者はもちろん子どもたちが
  残してくれた教訓と膨大な教育財産

 さらに、障害児教育では、読み書きは永く課題であった。

 視覚障害・聴覚障害・知的障害・重複障害児だけでなくほとんどすべての障害児にとっても、「読み書き」は、教育実践上の困難で、重要な取り組みを必要とした。

  そのための先達者はもちろん、子どもたちも多くの教訓と膨大な教育財産を残してくれている。

 窪島氏は、そのことを踏まえて、なぜ、読み書き障害の子どもたちの教育実践を書かないのだろうか。

恐ろしい  野口法子氏・窪島氏らは、文字の基礎研究も踏襲せず、「自ら書いた文章」を検証・通読もしないで子どもを指導という考え


 さらにひどいことには、野口法子氏・窪島氏らは、「滋賀大学教育学部紀要 教育科学 No. 59 2009」「通常学級の子どもたちと読み書き困難児のカタカナ書字習得状況」に
「日本語の書き言葉の歴史は、奈良時代に他国の文字である漢字で書き表そうとしたことに始まる」
と書かれていることである。

日本は奈良時代に漢字表記を用いたとする歴史認識

 このことの評価は奈良時代以前から明白であるが、では、
「明治・大正・昭和で積極的に外来語を取り入れ」
という記述との矛盾を、どう説明するのだろうか。
 和語・倭語・大和言葉などの表現は、必ずしも適切だと思わないが、日本語は「日本列島」に先進文化・先進技術を持ち込んだ渡来人を抜きにして考えることは出来ない。
 窪島氏は、他の文章でも、漢字を中国から伝播されたとだけ書き、渡来人としての朝鮮民族の漢字の導入をはじめ多大な日本への貢献を無視している。
 それは、なぜか歴史教科書をめぐる日本国内はもちろん、北朝鮮・韓国からの日本政府・文部科学省への批判を「擁護」しているようにしか受けとめられない文章になっている。
 窪島氏らのすすめようとするカタカナの書き研究のために、歴史的考察が充分研究できていないことは「科学」の名に恥じる行為だろう。
 だが、窪島氏らは、そうはしない。まったく無関心に根拠をすすめる。
 「異質」「困難」を強調するためにあえて、それを強調するために「都合の良い部分」だけ、歴史解説書のほんの一部から引用し、断定いているとしか考えられない。
 

外来語。
 日本では外来語を文部科学省など日本の政府やマスコミなどが、「カタカナ」で表記するようになったのは、日本の歴史上ごくごく最近のことである。
 また、このことをめぐる日本政府への批判は数え切れない程ある。


外来語を日本語訳してきた人々への敬意もない

 窪島氏が教えを受け、共同研究者でもあった田中昌人氏が、
 
 「発達」という用語

 が、外来語の日本語訳であることを明らかにするために多大の努力をされた。
 また、なぜそこまで研究しなければならなかったのか。
 窪島氏は、理解しようともしないし、承知もしていななかったことも解る。
 付記するならば、野口法子氏が教えている「健康」という用語も外来語である。
 解体新書での訳語問題など知るよしもないだろう。
 近年、特に、外来語を、カタカナ表記で安易にすまして日本語訳しない日本の現状を、窪島・野口氏は憂うことなく、先人たちの外来語の日本語訳の努力に敬意を表しようともしない。
 それは、彼らが無意味にカタカナ表記を使い、専門研究ぶっていることにも現れている。


田中昌人氏の「蘭学・洋学における発達の概念の導入について」

 故田中昌人氏は、京都府教育委員会が「発達」という用語を全面的に使用を禁じるという表現の自由の統制を行ったとき、地方自治法にある「発達」をはじめ発達を禁止することを研究者として、全面的に反撃し、批判した。
 そればかりか、発達のことばがいつの時代、どのようにして使われるようになったかを日本列島を縦断し、調べ上げた。
 そして、発達という言葉の使用を禁止することは、人間を否定することであることを歴史的考察研究であきらかにした。


 窪島務氏や中の野口法子氏らは、「田中昌人先生から学んだ」と言うときがあるが、田中昌人氏から学んだのではなく、田中昌人氏の研究を踏みにじりつづけいている。
 「発達とは何か。」をあきらかにできないで「発達障害」を言うのが何よりもその証拠である。

(参考 日本における発達の概念の導入について )

☆田中昌人,日本における発達の概念の導入について:Perry.M.C.;Harris.T;Alcock.R.の場合,京都大学教育学部紀要,37,46-75,1991
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について:堀内寛『幼幼精義』(1843・天保14年開雕)まで,京都大学教育学部紀要,39,182-217,1992 ☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について――堀内寛「幼幼精義1843・天保14年開彫まで――,京都大学教育学部紀要,39,1993,
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について(2):Pompevan Meerdervoort,J.L.C.
 による西洋医学教育の実施前まで,京都大学教育学部紀要,40,12-46,1994
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について 2 ――Pompe van Meerdervoort
 J.L.C.による西洋医学教育の実施前まで――,京都大学教育学部紀要,40,1994,
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について(3):内田正雄『和蘭學制』(1869・ 明治2年)まで,京都大学教育学部紀要,41,1-34,1995
☆田中昌人他,発達について――準備委員会企画対論(日本教育心理学会第36回総会概
 要),教育心理学年報,34,1995
☆田中昌人,蘭学における発達の概念の導入について 3――内田正雄『和蘭学制』 1869 ・明治2まで――,京都大学教育学部紀要,41,1995,      


滋賀大学教育学部窪島務氏が 過去の主張や書いたことを「消し去り」、無批判に国の教育方針に同調する


そのため窪島氏は、島根大学教育学部の西氏の論述で、

しかしながら、「特別支援」ということばをかぶせることの合理性と科学性については、それなりに慎重な検討が不可欠と考えられる。
さらにまた障害児学級の廃止についても、実際に現に実践を進めているその担任が反対を唱える動きも、一部には見られたものの必ずしも全国的なうねりとなったわけでもない。
このように、いわばこれまでの障害児教育の蓄積を十分に吟味する暇もなく精算し、いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。

と、書かれている
「 いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。」
には窪島氏は、同意出来ないだろう。

ファシズム(全体主義)の中の教育統制と個人

 ちなみに、全体主義とは、「個」に対する「全体」(国家,民族,階級など)の優位を徹底的に追求しようとする思想・運動・体制をいいい、この言葉の起源は,イタリアのファシズムの最高指導者ムッソリーニが、運動の目標として1924年ころから掲げた「全体主義国家」の概念とされている。
また、全体主義という表現がファシズムに対する弾劾の言葉として初めて表現されたのは、1929年11月2日の「タイムズ・ロンドン」とされている。
窪島氏は、自分こそ「子どもたち個々のニーズ」を主張しているではないかというかもしれない。
しかし、その個々は国家統制の個々であるとなれば、子どもたち個々のニーズは「全体主義国家の枠の中」でのニーズになりかねないことになる。
窪島氏の文章には、学習指導要領における国語等の読み書き指導の非科学性や問題・改善・改変がしばしば書かれ、学習困難・読み書き障害を明らかにしつつ、学習困難・読み書き障害生徒のためのサポート方向とその教育効果と教訓がまったく記述されていない。
記述できないと考えるべきなのだろうか。

言語の基本的知識と研究なしに主張する窪島氏

 窪島氏の文章は、日本の文章として成立していないばかりか、立証もないまま、曖昧表現で「読み書き障害」や「読み書き困難」などなどの「言葉」を使っていることをしばしば指摘してきたが、それがあまりにも多すぎる。
例にあげるまでもなく、
「読み書き障害」・「読み書き困難」
という表現は異なった意味合いを持ってくる。
これらの事も踏まえず書き続けている。
大学教授として社会的責任が問われる
さらに、窪島氏の言う「読み」「書き」とはどのようなことを言うのかが疑問になる事も書いてきた。
彼は、読み書きの「正しい、正しくない、」「エラー」「錯」の判断基準を何ら明らかにしていないことを述べてきた。
  教育行政の後押しや学校管理職の要請に応じて、この不明確な考えの基に子どもたちの「読み・書き」を述べたことに対して、教育学部教授という立場から、過去・現在・未来への社会的責任をとらなければならないだろう。

野口法子氏・窪島務氏の基礎研究がないままの
  「研究」は、研究以前の問題をはらむ 

野口法子氏・窪島氏らは、「滋賀大学教育学部紀要 教育科学 No. 59 2009」「通常学級の子どもたちと読み書き困難児のカタカナ書字習得状況」( 野口法子・窪島務 )で次のようなことを書いている。

日本語の語彙は約230,000 語あり、ドイツ語(約185,000 語)やフランス語(約100,000 語)の語彙に比べてかなり多く、外来語が多いのがその理由である。
明治・大正・昭和で積極的に外来語を取り入れ、近年では、新聞・雑誌・テレビ・ラジオは言うでもなくあらゆるところでカタカナ語が氾濫している。子どもたちは、こういった環境の中で意識することなく、カタカナ語に接する機会を多く持つことになる。

基礎教養以前の常識が疑われる

まず、語彙数の引用がされているが、語彙の規定をしないとその数は大きく異なってくる。
このことを詳しく論じないが、日本語の語彙は約230,000 語とする説に対するまったく異なった諸説があることを調べたうえで、彼らの語彙数に述べられていない点をあげておく。
日本語の語彙の語彙をどう考えるかで、語彙数が大幅に変わるからである。
研究する場合は、基礎研究をした上で、自分たちの評価を研究をすすめないと研究として成り立たないという「研究の常識的前提」が欠如しているのは明確だろう。
このことは、引用文献が少なすぎると言っているのではない。
言語は、容易に全容を把握できないほど歴史的に変容してきているから、より慎重で深い基礎研究が必要になるからである。

基礎研究を充分しないで「論じている」こと。
この段階からすでにその内容は、恣意的な解釈となり、「カタカナ書字習得」というテーマが成立しなくなる。
日本語は、ドイツ語やフランス語の語彙に比べて外来語が多い、と断定している事についても文章の常識的教養が疑われる。

野口法子氏・窪島務氏は日本単一民族説を肯定

ドイツ語もフランス語もヨーロッパ大陸の中ではぐくまれてきたものであり、様々な民族の言語と交流されて形成されたことは、常識である。
言語は、他民族の言語と混合・合成・融合されて成立するものであり、他民族の言語の影響を受けず、一民族が一言語だけを形成してきた歴史はない。
教育者としては、むしろ、日本で意識的に単一民族説を唱えて、少数民族であるアイヌ民族や他民族を排除してきた歴史を想起しておかなければならない。

最初から自滅している「研究」

ドイツ語の「外来語」。フランス語の「外来語」。
このような概念は、成立しない。
もしも窪島氏らが言う、現在の「ドイツ国内」で使われているドイツ語の外来語というならば、スイスの共通語やオーストリアで使われているドイツ語は、どうなるのであろうか。
ドイツで問題になっている少数民族の言語の排除をどう考えているのであろうか。
カタカナ問題を書くために、民族や国が絶えず入れ替わり、言語が交差したヨーロッパなどの地域と語彙を比較すること自体無意味なことである。
  だが、書いている。

そのため野口法子氏・窪島務氏の「通常学級の子どもたちと読み書き困難児のカタカナ書字習得状況」というテーマそのものは最初から自滅しているのである。

そして、文章は、参考文献にあげている書物が充分読めていないか、自分たちの結論を導き出すために「不都合な部分」を意図的に排除しているとしか思えない。

滋賀大学教育学部窪島務氏の曲学阿世 国家統制下(学習指導要領等)の「読み」と「書き」を基準に「困難」「障害」とする矛盾


 滋賀大学教育学部窪島務氏の問題点を書いたブログの冒頭部門で次のことを書いた。

 主語を「曖昧」にすることは、彼への批判や彼の主張の一貫性のなさを「曖昧」にすることとして書かれたとするならば、窪島務氏の述べている論旨はmaneuver(策略)であるとしか考えられない。
 maneuverでないとするならば、「単なる予算獲得の手法としてだけでなく,真剣に教育現場が求めているものに応えようとして」という予算獲得の手段に批判的であった彼が、文部科学省などが打ち出した障害児学校の統廃合をすすめ予算削減のために意図的に出してきた「特別支援教育」を歓迎し、極めて政治的な判断の下で打ち出したいわゆる「発達障害の概念」を評価し、それを裏打ちする研究なるものを旺盛に行っていることをあまねく公表するはずがない。


福井達雨氏(止揚学園理事長)批判と現在の滋賀県

 彼はかって、障害者教育科学(発行 京教組障害児教育部) 第3号(1981年)「福井達雨氏(止揚学園理事長)の虚像と実像 ─この唯我独尊的・反民主主義行動と思想の批判─  」で、
 止揚学園の職員たちが最も「敵視」し、罵詈雑言を浴びせかけた養護学校も「統廃合」されてしまって存在しなくなっている。

 窪島氏の大学がある滋賀県での出来事である。
 だが、30年の月日の経過があることで黙殺している。
 障害者教育科学(発行 京教組障害児教育部) 第3号(1981年)「福井達雨氏(止揚学園理事長)の虚像と実像 ─この唯我独尊的・反民主主義行動と思想の批判─  」を書いた当時と現在の考えがまったく異なったからであろうか。
 約40年間にわたる窪島氏の書いた文章を通読するとそのことが良くわかる。


子どもたちや教育は「物」でない

  問題なのは、彼自身が自らの考えが「変遷」したことを明らかにしない事にあるのではない。
 彼が意図的に、

 文部科学省などが打ち出した障害児学校の統廃合をすすめ予算削減のために意図的に出してきた「特別支援教育」を歓迎し、極めて政治的な判断の下で打ち出したいわゆる「発達障害の概念」を評価し、それを裏打ちする研究なるものを旺盛に行っている。
 この特徴は、長く彼と交流・意見交換してきた障害児教育実践をすすめていたベテランの教師や共同研究者に知らせることも討論することもなく、経過をまったく知らない研究者や保護者や教師や市民に広めていることである。
 それは、窪島氏の弱点を新たな装飾で凝らし、新しい教育、今まで取り組まれていなかった子どもたちの教育などなどという主張を急激に広げていることである。


スクラップ・アンド・ビルド(破壊と)創造?)


 窪島氏の手法は、スクラップ・アンド・ビルにあるが、教育や子どもたちは物ではない。
 「壊して」「作る」ことは出来ない。その点で、窪島氏の行為は教育や子どもや教師に重大な「損傷」を与えるとも言える。
 だからこそ放置できないのである。

 レッドカードが出されている、「書けない」子どもたちと断定する根本的誤り
 その典型が、読み書き障害の子どもたちを「書けない」子どもたち、と断定している事から見ても明らかである。
 窪島氏は自らレッドカードを出しながら、教育界に出場している。
 彼が、読み書き困難、読み書き障害という表現を使い、「思考と言語」とか「教育と言語」などの言語やコミュケーション、はなしことばとかきことば、という従来彼が使っていた用語を使わなくなった。


教育委員会が歓迎するわけ

 読み・書き、と分解して、書きを問題にして、「書き」すなわち「文字の分解」をする手法を極限まで強調していることは、学習指導要領の意図にも合致し、少なくない教育委員会から歓迎されている理由である。
 それは、窪島氏の主観的意図とは別にして、政財界の求める「合校論」に呑み込まれているからである。


「合校論」に「教育とは一つの統治行為」
「警察や司法機関などに許された権能に近いものを備えそれを補完する機能を持つ」
       としているのに

 すでに述べた「合校論」には、
 ところで、広義の教育、すなわち人材育成にかかわる国家の機能には、質的に異なるいくつかの側面があることに注意しなければならない。
 第一に忘れてはならないのは、国家にとって教育とは一つの統治行為だということである。
 国民を統合し、その利害を調停し、社会の安寧を維持する義務のある国家は、まさにそのことのゆえに国民に対して一定限度の共通の知識、あるいは認識能力を持つことを要求する権利を持つ。
 共通の言葉や文字に対して、国家は民主的な統治に参加する道を用意することはできない。
 また、最低限度の計算能力のない国民の利益の公正を保障し、詐欺やその他の犯罪から守ることは困難である。
 合理的思考力の欠如した国民に対して、暴力や抑圧によらない治安を供与することは不可能である。
 そうした点から考えると、教育は一面において警察や司法機関などに許された権能に近いものを備え、それを補完する機能を持つと考えられる。
  義務教育という言葉が成立して久しいが、この言葉が言外に指しているのは、納税や遵法の義務と並んで、国民が一定の認識能力を身につけることが国家への義務であるということにほかならない。


国家統制として
「共通の言葉や文字」「最低限度の計算能力」が必要に迎合か

  国家統制としての教育にとって、「共通の言葉や文字」「最低限度の計算能力」が必要であり、そのためには、「教育は一面において警察や司法機関などに許された権能に近いものを備え、それを補完する機能を持つ」ようにし、義務教育では、「納税や遵法の義務」とともに「国民が一定の認識能力を身につける義務」が必要であるとしている。
  国家統制をすすめるうえで、読み書き困難は、「共通の言葉や文字」を持たないことになるため、それに取り組んでいる窪島氏は注目されることになるのである。


読み書きを通して子どもたちの発達の様子が「書けない」わけ

 彼の「読み書き困難」「読み書き障害」のとりあげ方には、教育目標が一切書かれていない。
 また、読み書きを通して子どもたちの発達の様子も書かれていない。


 誰のための、何のためのなどはもちろん、「主語」を抜いて「読み書き困難」「読み書き障害」と「異質な方法」だけを主張しているので、どうにでも利用される。

 しかも、彼の主張は、国家統制下(学習指導要領等)の「読み」と「書き」を基準に「困難」「障害」としているため、さらに歓迎されるようになっている。


滋賀大学教育学部窪島務氏の一面的外国例 佐賀大学理工学部教授豊島耕氏の紹介の仕方はまったく異なる


フランス『未来の教育のための提言』
 フランス版中教審と読み比べる

 窪島氏が良く引き合いに出す外国例に対して、豊島氏の紹介の仕方はまったく異なる。
 以下、窪島氏の漢字やカタカナなどの文字表記認識の対処法と教育に関わる際だった文章なので一部紹介させていただく。
 
 豊島氏は、文部省などのすすめる「中教審」に対して、「フランス版中教審と読み比べることをお奨めします。」と書かれている。
 そこで、岩波書店の雑誌「世界」1988年3月号に掲載された、フランス共和国大統領の要請に基づき、コレージュ・ド・フランス教授団により作成された『未来の教育のための提言』のうちの一部を紹介させていただく。

『未来の教育のための提言』には、

 恵まれない人たちにこそ教育の良い条件が与えられるようなあらゆる適切な措置こそが取られるべきであり、そうした人たちを最悪の条件のなかに置くような事態を招くやり方(たとえば新参の教師や、十分な養成を受けず、給料も安く、授業を過度に多く持たされた代用教員たちに、困難の多い学級を担当させるといったあの奇妙な論理)には、正面から反対しなければならないのである。

心理学的な治療によって
奇蹟のように学業の挫折を解消してしまうことは
   期待すべくもない

 じっさい、ある種の社会心理学的な治療によって、奇蹟のように学業の挫折を解消してしまうなどということは期待すべくもないことは明らかであり、教師の数を増やし、その養成と労働の諸条件を改善することによってのみ、落ちこぼれを減少させることを現実に望みうるのである。
 じじつ、フランスの教育が、とくに高等教育のレヴェルにおいて、図書館施設(その甚だしい不十分さについてはここで繰り返さないが)、教科書、参考書、質の高いテクスト集、学術翻訳書、データバンクなど、知的生活の基礎をなす固有の施設設備面における極端な不備に悩んでいることはよく知られていることである。


学校長や職員会議に今より大きな学校自治を

 それは、どこにでも要求される基礎知識と平行して、選択科目として専門教育を行う学校を創設するというもので、それらの科目はその学校の特色をなし、他校との競争においてセールスポイントのひとつとなる。
 こうした試みは、学校長や職員会議が教師の採用に関しては、今より大きな自治を持つことを前提とするものである。
 そこには、純粋に教育学的な基準を含む多様な評価基準の導入や、このようにして計られた教師達の特徴点と担当するポストの性格との関係の考慮などが含まれるからである。


「学校」は教育の唯一の場であるべきでない

 「学校」は教育の唯一の場であることは出来ないし、そうであるべきでない。
 「学校」は、また、

 すべてを教えることはできないし、すべてを教えるべきでもない。

 知識の伝達は、
 事実においても、権利においても、
 ただひとつの制度によって独占されうるものではなく、
 さまざまな互いに補完しあう教育の場のネットワークが考慮に入れられねばならない。
 

「学校」の固有な役割がそのなかで位置づけられるべきである。

教員の仕事を心理的技術的摩滅から守るためにと
  フランス『未来の教育のための提言』

 教員の仕事は、困難で、ときには辛く消耗する仕事であり、情熱と信念を持って実行されぬ限り、真に効果的で精神を高揚させるようなものでありえない。
 どんな教育レヴェルの教師も、学校の閉ざされた空間の外へ出、研究所や企業などで研修を受けたり、休暇年を利用して、個人的な学習や授業に出席して勉強しなおすなどして、定期的に習慣性[ルーティン]から抜け出すことができぬかぎり、心理的、技術的摩滅から逃れることはできない。
 そして、おそらくは、年配の教師の希望者には、希望と適性に応じて、行政的仕事や、(チューターや巡回指導員の活動といった)文化組織の仕事のような、あまり激務でない仕事でそのキャリアをまっとうする可能性をあたえることも必要である。


教育の内容 ・ 教授法を教師達に
固有の強い権限が与えられることは最良の保証となる

 教育の内容に関しても、また、教授法についても、教師達にたいして、固有の強い権限が与えられていることが、おそらく、あらゆる圧力団体から「学校」の自治と教師たちの独立をまもる、唯一ではないにせよ最良の保証となるのである。

文部科学省の悪文が教育の指針として持ち込まれる、と指摘する佐賀大学理工学部教授豊島耕一氏に対して、滋賀大学教育学部窪島務氏は答えられるだろうか


佐賀大学理工学部教授豊島耕氏は、文部科学省の「パブリック・コメント」に応募したことなどを明らかにされているが、窪島氏と対照的なので、以下その一部を紹介させていただく。

文部科学省の文案作成者の国語力を疑わせる

  豊島氏は、
 学習指導要領案に対して、


1、そもそも文部科学省にはこのような命令を発する権限がなく,提案自体を撤回すべき
2,指導要領案は国家社会の「形成者」を育成するという観点を欠く
3,国語,社会および道徳の指導要領案が子どもの内心の自由を侵し,違憲である
4,外国国籍の子どもの存在を無視している。
5,文案作成者の国語力を疑わせる部分がある。


の基本姿勢を明らかにした上で、4点の論点を明示しているが、窪島氏の「読み書き障害」「読み書き困難」という部分に関することだけを紹介させていただく。

内心の自由を 侵す教育
論点2 「国語」,「社会」および「道徳」の指導要領案が子どもの内心の自由を侵し,違憲である
 指導要領案は,これらの教科で「愛」という個人的,内面的なものに介入するなど,子どもの内心の自由に踏み込んでおり,したがって憲法13条(幸福追求権)と19条に違反している。
 国語では,学年を通じての「指導計画の作成と内容の取扱い」の部分で,例えば「日本人としての自覚をもって国を愛し,国家,社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」と,倫理的な意味で普遍的なものとは言えない特定の対象への「愛」を強制することにつながりかねない表現が見られる(20ページ)。
 社会では,例えば33ページで,「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」とあり,ここでは直接的に天皇への「愛」を生徒に強制している。
 道徳では,たとえば106ページで,「すがすがしい心をもつ」とあり,直接的に心のありかたにまで介入している.


憲法で保障された個人の幸福追求への介入

 何を愛し何を愛しないかは個人の問題であり、個人の幸福追求の範疇である。
 「心」のありかたも同様である。
 これに国家が介入することは憲法13条に違反するので、これらの言葉を強制力を持つ法令に入れるときは、このことに十分な注意が必要である。
 ところが指導要領案にはそのような配慮は全く見られない.


外国国籍の子どもの存在を無視

論点3 外国国籍の子どもの存在を無視している
 たとえば第1章「総則」で道徳教育に触れた部分で,「日本人を育成するため」とあり,また108ページ,道徳の第5,第6学年の部分では,「日本人としての自覚をもって世界の人々と親善に努める」とある。
 外国国籍の子どもには指導要領は適用されないのか、あるいはそのような子どもがいる学校ではこの指導要領そのものが無効とされるのか、不明である。


文部科学省の悪文と悪政が教育の現場に持ち込まれる

論点4 文案作成者の国語力を疑わせる部分がある
第1章「総則」で道徳教育の目標述べた部分を引用する.

道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を継承し,発展させ,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。

 この長い文章で,それぞれの要素の係り結びの関係を理解することはおよそ困難である。次のように表記を変え、それぞれの要素に番号を付けて分析し易くしてみる。

 道徳教育は,
 [0]教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,
 [1]人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の                 中に生かし
 
 [2]豊かな心をもち,
 [3]伝統と文化を継承し,発展させ,
 [4]個性豊かな文化の創造を図るとともに,
 [5]公共の精神を尊び,
 [6]民主的な社会及び国家の発展に努め,
 [7]進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,
 [8]その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。


 項目1から6までが7を修飾して7が8に係るのか[解釈A]。
 1から4までは直接8に係り,5と6が7に係るのか[解釈B]。
 それとも1から7までがすべて並列して8に係るのか[解釈C]。

 この文章の形式だけからは判読不能である。
 解釈BとCでは8の冒頭の「その」は「それらの」でなければならない。
  しかしこのことから解釈Aを取れというのであれば、それはあまりに不親切と言うべきである。(項目0は全体の背景を述べた独立したフレーズであろう。)

 このような悪文が教育の現場に,しかも教育の指針として持ち込まれるとすれば重大である。
と文部科学省の悪文が教育の現場に,しかも教育の指針として持ち込まれることを批判している。

「学習指導要領」を肯定しているのか

 だが、窪島氏の文章には、まったく佐賀大学理工学部教授豊島耕氏が指摘する問題は、触れてはいない。だから、窪島氏は、

1、「読解力」に課題があるのか。
2、「学習指導要領」を肯定している。


のかのどちらかでしかない。
 彼の書いた、指導したとされる「論文」なるものをよく読むと、1、2、点の間を揺れ動いていることが分かる。
  例えば、(1、)の点では、
 特別支援教育をめぐる島根大学教育学部西氏の論述。
 群馬大学教育学部久田氏の論述(特に、特別支援教育という概念や考え方の大元を吟味することなく、表面的に答申や報告書を読んでいると、一応プロの研究者でも間違いを生じるのではないでしょうか?の項)
などの記述に触れた部分が、まったくないことからも明らかである。

 それらを総合して豊島氏は、
「文部科学省の悪文が教育の現場に,しかも教育の指針として持ち込まれる」
としている。

 これらのことを踏まえないで、文部科学省の悪文や指針を受け入れた上で、窪島氏は「読み書き困難」「読み書き障害」を述べている。

  「大元」が日本文として成り立たない文を出しているのに、それを容認した上で「読み書き困難」「読み書き障害」を述べるのは、子どもたちや教育に対する確たる考えがなく、文部科学省に迎合しているとしか言いようがない。

2011年10月30日日曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏は自己の利益を優先 教職員組合が出す研究誌「障害者教育科学」は「自己の研究実績」にならないと否定


2、窪島氏は、京都教職員組合(以下京教組)障害児教育部が発行していた研究誌「障害者教育科学」を、京教組障害児教育部の役員交代で創設者が現場で教育実践に傾注している最中に、窪島氏が、イニシアチブをとり出版社とはなしをつけて、出版社から発行するようにした。
出版社は、障害者教育科学が全国に広がり、発行部数も多いことから利潤を考え快諾した。
そして障害者教育科学の編集責任者に窪島氏がなった。

教職員組合が出す研究機関誌では研究者の実績にならないと

そのことをあとで知った京教組障害児教育部の創設者たちが、

「教職員組合は、国際的にも教育団体として教育政策などに意見を言える権利を持っている。だが、私たちの力量はまだまだ充分でなかった。自分たちが研究し、自らの力量を相互に切磋琢磨すること。また組合i以外の教師や人々の意見や研究を発表する場を研究誌として保障してきた。」

「何のコンタクトもとらず、経過も知らない京教組障害児教育部役員を言いくるめて、出版社から出すのはおかしい。」

「もともとこの本は、田中昌人・藤本文朗氏が代表になって、窪島務氏が事務局長と言うことで、京教組障害児教育部と研究者が協力して障害者教育科学を発行するという約束で発行されてきたのではないか。田中昌人氏や藤本文朗氏や窪島務氏らが、教職員組合が主体となって研究学習することは非常に意義があると賞賛されていたではないか。そのことを一番よく知っているのが窪島務氏ではないか。」

「障害者教育科学発行までに京教組障害児教育部の仲間が、本を売り歩いたり、資金を集めて、障害者教育科学を発行してきたことは充分知っているではないか。それがなければ、障害者教育科学は発行できなかった。発行できる資金が出来たら出版社に譲り渡す。これでは、努力して創り上げてきた教師への信義に反する。」

「研究者としては、教職員組合が研究誌を発行していることを評価し、激励するのが本来だろう。それを自分のイニシアチブがとれるからと出版社に持ち込むことは道義的反する行為だ。」

と言う意見に対して窪島氏は、
「そんなのは、君たちの問題だ。」「感知しない。」

「教職員組合が出す研究機関誌では、研究者が書いても研究誌に投稿したという実績とならない。」
と言い、激しい言い争いになったことは伝承さられている。
その後、窪島氏は既成事実を盾にあらためることはなく、彼の文章や「論文」が、障害者教育科学に掲載された実績として各種学会誌に紹介するようになった。

研究誌「障害者教育科学」が赤字となると

ところが、そこまでした研究誌「障害者教育科学」が出版社として、維持できなくなる頃に「発達障害教育研究誌」なるものを「暗示」し、自ら発達障害教育研究所紀要編集長と公表をするようになっている。

自分のためなら何でもするという批判が

自分のためならどんなことでもするという批判が、京教組障害児教育部が発行した研究誌「障害者教育科学」の創設者たちから出ている。
研究誌「障害者教育科学」は、創刊号(1981年)から第37号(1998年)まで、京教組障害児教育部が発行。
2010年1月の60号休刊まで、かもがわ出版・クリエイツかもがわが出版されていた。
1998年に窪島氏が言い出したことを時系列に見ると、かれの本心が見えて来るから不思議だ。

LD学校をつくることを公表しないわけはどこに

3、LD学校をつくることを保護者に言っている事から考えても、では、なぜ、彼はLDの「特別な学校をつくる必要性と構想を持っている」のか。
それならば、普通学校の先生と親を離反させることを必要以上に「煽り立てる」のか理解できない。
考えられるのは、大学を退職後の就職を考えているからだという意見もあるが。

参考までに京教組障害児教育部発行時代の研究誌「障害者教育科学」に彼が書いた文章を二例だけ掲載しておく。
障害者科学
創刊号(1981年)
論文 「共生・共育」論=障害児教育解体論の本質をあばく
─篠原睦治和光大学助教授批判─ 
  第3号(1981年)
論文 福井達雨氏(止揚学園理事長)の虚像と実像
─この唯我独尊的・反民主主義行動と思想の批判─

滋賀大学教育学部窪島務氏の大学法人化による濫造の研究への「哀傷歌」はだれも唄わないだろう


国立大学から
法人化になって実績数や評価の数量を増やすことに奔走か

 すなわち、窪島氏の変貌は、

 1999年6月、 文部省、全国国立大学学長会議で独立行政法人化の検討を表明。
  2001年に独立行政法人が成立。
 2003年7月、国立大学法人法が国会で成立

したことが関係しているようである。
 国立大学の滋賀大学教育学部に居た彼が、国立大学ではなくなったことにより、研究実績を急激に数量化し、増大化させる窪島氏なりの「策略」がその主張を一変させたとしか考えられない。

 国立大学の法人化によって、多くの問題が生じたが

 
 研究費調達は各大学の自助努力が求められるようになった。
 寄付を募るなど運営が私立大学に近いものになってきている。
 毎年、前年度比という効率化係数が適用されて、漸減する。
 したがって、必要な人数の教員や職員を確保できない事態が発生する、

 などなどのために窪島氏は、自らの効率化係数の増加を意識し、実績づくりのために「奔走」するようになったしか考えられないのである。
 なぜなら、彼の属する大学のホームページでは、彼の研究・実績数、研修回数、研修参加数など、そればかりか新聞記事までカウントされ、誰にでも「見える」ようにされている。


 研究や大学の様子や、一つの論文にどれだけ時間と労力が費やされたかは分からずに、ホームページを見た人が、大学のホームページに掲載されている大学教授等の実績・著作・講演数などなどの多さ(「数値」)だけで教授を評価してしまうことになっている。
 この教授は、働いている、働いていない、などなどと思わされるようなことが大学のホームページで明るみにされている。

研究・実績数
そればかりか新聞記事などなどの数量他の教授を凌駕

 窪島氏は、大学のホームページと滋賀大キッズカレッジをリンクさせているため、「研究・実績数、そればかりか新聞記事」などなどの数量他の教授を凌駕している。

 さらに、窪島氏は、滋賀大キッズカレッジ&地域教育支援センター、発達障害教育研究所、発達障害教育研究所紀要編集長などなど手を広げて、子どもたちの親には、LD学校をつくる、と言っている。

 だが、これは子どもたちの親に期待を持たせるだけで、彼の年齢や発達障害教育研究所のメンバーの年齢等を考えても長期に維持できるものではない事は明らかである。

期待を持たせて「あとは野となれ山となれ」は無責任すぎる行為

 期待を持たせて、後は知らない、では済まされないだろうし、構成員たちも同じように言われとても否定できるだろうか。

 
なぜ同じ大学の教師や他の研究者・研究所と手を結べないのか

このことに対して、窪島氏に対して次のような意見がある。

1,なぜ、滋賀県には人間発達研究所が窪島氏の恩師の血の滲むような取り組みの中で、維持されてきたのにそこと連携がとれないのか。
 同じ学部で同様の研究をしている教授は、人間発達研究所と一緒に取り組んでいるのに、別に発達障害教育研究所をなぜつくる必要があるのか。
 そこには、自分の分野が他と違いという意識が強く作用しているのではないか。


「権威」だけの空虚な「研究所」

 研究所というイメージは、人には専門的で条件の整った印象を与えるがそうではないらしい。
  発達障害教育研究所という仰々しい名前を付けて「権威」づけているが、一般的に思われる研究所ではなく「研究会」のようなものであるらしい。


 場所も機能も不明で、名前だけが先行しているのではないか。
などの意見がある。

滋賀大学教育学部窪島務氏が、経済界からの要望で産まれた「合校論」に繋がる「特別支援教育」を賛美する背景


1990年代から2000年代に変わる段階ですなわち20世紀から21世紀に変わる段階で、政財界はそれまで準備してきた日本展望と戦略を明らかにした。

公教育の解体・再編の「公教育のスリム化」

経済同友会がだした「合校論」はその典型の一つである。
「合校論」は、「公教育のスリム化」(注 公教育のリストラと言わないでいたが。 )を基に「21世紀の学校」のヴィジョンを提示している。
そして、「合校論」は、

1、学校教育の機能を「基礎教室」(言語能力と論理的思考力とナショナル・アイデンティティの教育)。
2、「自由教室」(自然科学、社会科学、芸術の教育)。「自由教室」は民間の教育施設を子どもと親が自由に選択する。
3、「体験教室」(行事、課外活動、修学旅行など)「体験教室」は民間の文化スポーツ施設や旅行会社と地域のボランティアによって運営される。
として、「基礎教室」だけを文部省と各都道府県市町村の責任において運営する「公教育のスリム化」論だった。
「合校論」は、文部大臣と中央教育審議会会長の賛同、日教組委員長の賛同も獲得し、1990年代半ばには、教育改革の翼賛体制を形成していたとされている。

1990年代半ばには学校のリストラと批判していた過去は

 すでに述べたが、窪島氏は、1998年に京都市教職員組合の機関紙に
「学校と教育を個性化するという名目によって、学校のリストラ、教師減らしがすすめられ」
「強引に統廃合をすすめられている現実」
「教育に市場原理が持ち込まれ、よい教育を買いたければたくさん金を出せという論理が大手を振って」
と曖昧であるが暗に経済界や文部省の動きを批判していた。 

態度が変わった教員評価制度の実行の下で 

 その後、2002年から実施された新学習指導要領における
教育内容の3割削減、
義務教育段階にエリート・コースを準備する中高一貫教育の選択的導入、
文部省による日の丸・君が代の強制、
「奉仕活動」の強制と教育基本法「改正」の提言、
国立大学の独立行政法人化、
学校選択の自由化と教員に対する評価制度
が実行されていく。

2001年文部科学省は「特殊教育」を
  「特別支援教育」と言い替えたが… 

その間、
2001年から文部科学省は、「特殊教育」という言い方を「特別支援教育」とし、
2005年12月 中央教育審議会 「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」答申、
2006年3月 学校教育法施行規則の一部改正(同年4月施行)、
2006年6月15日 「学校教育法等の一部を改正する法律案」可決・成立 。6月21日に公布、
2007年4月から特別支援教育実施
がすすめられる。

特別支援教育の実施で
戦後の障害児教育の歴史で
初めての大きな制度改変と大絶賛

特別支援教育が学校教育法に取り込まれると窪島氏の態度は「批判」から絶賛に変わる。
すでに紹介したに 国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に-(2010年7月)で、
窪島氏・久保田璨子氏は、特別支援教育を
「新しい制度」
と評価し、問題もあげるが、
「戦後の障害児教育の歴史の中で初めての大きな制度改変であった。」
と絶賛するようになる。
彼らは、特殊教育に対峙して障害児教育と言って文部省と「対決」していたことに何ら触れないで。

特別支援教育の評価とは別なところにある変貌の原因

窪島氏が、このように態度を豹変させた原因には、彼の書いたものを詳しく読んでも、1970年代からの彼の文章を通読しても

「わずか数年で窪島氏が、障害児教育から何の脈絡も変更もないまま、特別支援教育を賛美」

する理由が見つからない。
そればかりか、「軽度発達障害」と書いていたものを文部科学省の通知に合わせて、なんの説明も理由も断りもなく「発達障害」と書いている。

そこには、研究者との良識、研究の自由による自己論拠の確信と展開、研究による訂正・変更などまったく見られず、用語や概念も簡単に書き換えられている。

そして、主語のない文章、曖昧表現、仮説の根拠を充分吟味しない仮説による調査などなどの「乱発」が増え続けている。

それらを吟味すると彼の主張が変わったのは、別なところに原因があるとしか考えられない。

滋賀大学教育学部窪島務氏の変質は ナゼ、ドコカラ


     優柔不断か意図的か

わずか数年で窪島氏が、主張を根本的に転換したのは、もともと彼の主張には、優柔不断なところがあったとされる意見もある。
だが、特別支援教育、発達障害、読み書き障害、読み書き困難などと「変遷」する彼の主張だけに留まらず、教育に重大な悪影響と混乱を引き起こしているので、窪島氏の考えの若干の原因について述べて行きたい。

窪島氏は、1998年に京都市教職員組合の機関紙書いたことを紹介した。
ところが、数年で彼の書いたことが「変貌」する点を明らかにして、その「変貌」の原因を考えてみたい。

大きく「変貌」した主張

窪島氏は、

1、子どもににとって本当に息苦しいことをあげていた。
 だが、その原因を教師の人権蹂躙とするようになった。

学校・教師へのパッシングが消える

2、学校たたき、教師パッシングなど本当に理不尽なジャーナリズムの傾向や一部の「進歩的」研究者の無責任な言動が横行し、また何でも責任を学校に押しつける親がふえているという中で、教師が失敗をおそれないおおらかな対応をしにくくなっている。
 記述が消えるようになった。


学校・教師の役割の否定
3、本来の学校の役割、教師の指導の役割を否定することではなく、本来の教師の指導性を正しく発揮するために不可欠。
 としていたのに「学校の役割、教師の指導の役割を否定する」ようになった。


知能検査の導入を肯定
4、学校にカウンセラーが配置されることについて、教師が全面的にカウンセラーの役割をするなどということは本来的に無理なことと言えます。
 役割(職業的専門性)が違う。
としていたのに教師の心理的領域を強調するようになり、知能検査の導入を主張するようになった。そのための講習会を行うようになった。


心理主義導入と教育学と教師の役割と他領域との区分と協力をなくす
5、カウンセラーが決して教師になれないのと同じです。
(教師が自分の学校を離れ、職場である学校と全く関係なく、学校との関係が全くないクライエントと面談するときにはどうかということはわかりません。それでも難しいと思いますが。)  
としていたのに、自らの教育相談(カウンセラー)から、教師にクレーム・研修・指導をするようになった。


教師の仕事を理解せず新たな負担を強調
6、学校にカウンセラーを導入することはが有益になるためには二つの条件、一つは、そうしたカウンセラーの特長を学校がよく理解するということ、もう一つはカウンセラーが学校というもの、教師の仕事の全体をよく理解するということです。 
としていたのに、自ら学校の現状や教師の仕事を理解しないばかりか、教師の仕事に「新たなる専門性」を主張するようになった。


学校リストラを事実上容認
7、学校と教育を個性化するという名目によって、学校のリストラ、教師減らしがすすめられています。
としていたのに学校の個性化を肯定し、学校のリストラ、教師減らしについて触れないばかりか、少人数学級の項で教師の質を問題にして教師減らしを肯定する主張をするようになった。


学校統廃合を不問にする
8、いまや登校拒否児の進学保障の場となっている高等学校の定時制課程が強引に統廃合をすすめられている現実があります。
 としていたのに、彼の大学がある県の障害児学校・学級の統廃合や普通学校の統廃合を取り上げることなく、それに対する意見を述べなくなった。
 そのためか、県教委や教育委員会からの講演依頼に応じている。また、絶対彼の大学の教育学部の教授などの校内研修講師を認めなかった府教委などの承認を得るようになっている。


教育の市場原理を述べなくなる
9,教育に市場原理が持ち込まれ、よい教育を買いたければたくさん金を出せという論理が大手を振っています。
 勉強ができないのも「個性」であるとあきらめさせられています。問題が起きると親と子どもの責任にされたり直接かかわりのある学校や教師の責任にされがちです。
 としていたのに、親と子どもの責任ではなく、学校と教師の責任を主張するようになり、「教育の市場原理」に触れなくなった。


「教師=敵論」「親=原罪論」を批判しなくなった
10、無責任なジャーナリズムの姿勢も問題です。「教師=敵論」「親=原罪論」ではともに問題解決にはつながりません。
としていたのにジャーナリズムとの結びつきを強め、「教師=敵論」「親=原罪論」を批判しなくなった。


親と教師を分断する主張を積極的に行う 
11、親と教師が協同して教育を変えていく運動を大きくすることが重要です。
としていたのに、「親と教師が協同して教育を変えていく」のではなく、親と教師を分断する主張を積極的に行うようになった。



わずか数年で窪島氏が、障害児教育から何の脈絡も変更もないまま、特別支援教育を賛美し、発達障害、読み書き障害、読み書き困難などを研究していることを「乱発的に発信」して、「変遷」する彼の主張の根本問題と若干の原因について次に述べたい。

数年で、主張を変質して文部科学省にすり寄った滋賀大学教育学部窪島務氏の新学校解体論


「教師=敵論」「親=原罪論」は問題解決にならないと
   主張していたが「変心」

さらに窪島氏は

そのように考えてくると教師が全面的にカウンセラーの役割をするなどということは本来的に無理なことと言えます。
役割(職業的専門性)が違うのです。
カウンセラーが決して教師になれないのと同じです。
(教師が自分の学校を離れ、職場である学校と全く関係なく、学校との関係が全くないクライエントと面談するときにはどうかということはわかりません。それでも難しいと思いますが。)  
誤解があるといけないので付け加えますと、学校にカウンセラーを導入することは有益であると考えています。 

但し、本当に有益になるためには二つの条件があります。


一つは、そうしたカウンセラーの特長を学校がよく理解するということ、

もう一つはカウンセラーが学校というもの、教師の仕事の全体をよく理解するということです。


今これが決定的に不十分であるため、むしろ新たな問題を引き起こし、学校からはカウンセラーなどない方が良いという声も出ているところが多いと聞いています。
ありうることだと思います。

学校のリストラ、教師減らしがすすめられて、と主張していたが

学校と教育を個性化するという名目によって、学校のリストラ、教師減らしがすすめられています。
いまや登校拒否児の進学保障の場となっている高等学校の定時制課程が強引に統廃合をすすめられている現実があります。
教育に市場原理が持ち込まれ、よい教育を買いたければたくさん金を出せという論理が大手を振っています。 
勉強ができないのも「個性」であるとあきらめさせられています。
問題が起きると親と子どもの責任にされたり直接かかわりのある学校や教師の責任にされがちです。 
無責任なジャーナリズムの姿勢も問題です。 
「教師=敵論」「親=原罪論」ではともに問題解決にはつながりません。 
教師自らが足もとを率直に見直すとともに、親と教師が協同して教育を変えていく運動を大きくすることが重要です。

※(比較するために)
滋賀大キッズカレッジのアセスメントでは、音韻意識にも蹟きが認められた。すなわち、ひらがなの読み、書きでも特殊音節で困難が起きる程度の重度の読み書き障害である。対人関係に問題のない学習障害である。
ところが、そうした保護者に対して、担任教師は「お母さん、気にしすぎです」という態度で保護者は相談のしょうがないと考え滋賀大キッズカレッジにたどり着いた。こうした事例が今年に入ってから相次いでいる。
 子どもの困難さと保護者の心配に対するこうした「否認ネグレクト」は決してまれな例ではないが虐待の一形態であるとするなら、子どもの困難と保護者の心配のネグレクトはまさに虐待というべきものであり、子どもの人権の蹂躙に他ならない。
(窪島務・久保田璨子 国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に-2010年 )

2011年10月29日土曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏の論拠の破綻と「繕い」と教育委員会からの歓迎


久田氏の考えでできる教育内容の充実と広がり

 教育実践をする学校や学校の教師からすれば、従来の教育実践を踏まえて、久田氏の考えのほうが、形式論議よりも教育内容のさらなる充実がすすめられる。
久田氏の、

 それは障害だからという位置づけではなく、特別な教育的ニーズがあるから、特別の支援を行うという、特別ニーズ教育の原点に戻る必要がある。
 その際、読字困難、多動など、行動上の状態像で表記し、あるいは、読字支援が必要な子、行動の調整を求める子というニーズに基づいた表記で考える方が、根拠の薄い「障害」と規定するより良いだろう。


という考えは、教育実践としてもより有効で効果的であり、教師間の一致と連帯も深まるだろう。
 群馬大学教育学部久田信行氏の「発達障害や学習障害の概念規定は成り立たない」とした論拠に基づき、

「障害だからという位置づけではなく、特別な教育的ニーズがあるから、特別の支援を行うという、特別ニーズ教育の原点に戻る必要がある。その際、読字困難、多動など、行動上の状態像で表記し、あるいは、読字支援が必要な子、行動の調整を求める子というニーズに基づいた表記で考える方が、根拠の薄い「障害」と規定するより良いだろう。」

という論理から滋賀大学教育学部窪島務氏の現在の主張を考えると、窪島氏の行っていることは重大な問題と破綻と「繕い」「修正」「転向が浮かび上がってくる。
 窪島氏の過去の文章を読んでいない人は、現在の彼は、時には「不登校」「読み書き障害」の研究者であり、発達障害の研究者である、と思われるだろう。
 だが、そうではない。


場面展開をして使い分ける文章を比較すると

 窪島氏は、書いていること、またやっていることを「場所」や「対象者」「読み手」によって、まったく異なったことを主張し、使い分ける。
 そのため「新しい問題」を引き起こしている。
 そればかりか、窪島氏は「意図的か」「意図的でないか」は別にして、西氏や久田氏のように文部科学省の文章を読みこなせてないばかりか、重大な「誤りか」「意図的無視」を引き起こしていることは、間違いない。


教師は逃れることができなくなっている、と

 そのためまず、彼が教職員組合への記述をあきらかにする。
 窪島氏が、1998年に京都市教職員組合の機関紙に掲載された、「教師の指導」の視点から「登校拒否」問題を考えるというテーマの文章の一部を掲載したい。
だだし、参考のためにすでに引用した日本教育学会誌『教育学研究第69巻第4号』(2002年12月季刊)、(国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に-2010年 )を※印で再掲載する。

 窪島氏は、1998年に京都市教職員組合の機関紙に次のようなことを書いている。

子どもの息苦しさをすることから
 教師は逃れることができなくなっている

 子どもににとって本当に息苦しいのは、いわば「善意のおせっかい、」「良心的な押しつけ」です。それは、子どもが 拒否できないしつこさ、「正しさ」を持ってせまってくるからです。
 いま、「善意のおせっかい」や「良心的押しつけ」が教育の場で、「子どものため」「発達のため「将来のため」という「教育的配慮」によって行われ、教師もそこから逃れることができなくなっている状況があります。


理不尽なジャーナリズムの傾向や一部の「進歩的」研究者
の無責任な言動が横行し
また何でも責任を学校に押しつける親がふえているとしながらも

 確かに、最近、学校たたき、教師パッシングなど本当に理不尽なジャーナリズムの傾向や一部の「進歩的」研究者の無責任な言動が横行し、また何でも責任を学校に押しつける親がふえているという中で、教師が失敗をおそれないおおらかな対応をしにくくなっているのは確かですが、教師が陥りやすい落とし穴をしっかり見据えることが大切です。
 それは、本来の学校の役割、教師の指導の役割を否定することではなく、本来の教師の指導性を正しく発揮するために不可欠のことだからです。

※(4年後に書いたことと比較するために)

  身体的不調を訴える不登校・登校拒否児童生徒を前にして,「頑張って登校しなさい」 「登校してくれなければ何もできない」 という子どもに対する教師の言動や学校の息苦しさに対して教師の人間的感性,感受性がなにゆえ作動しなかったのかということについての説明としては不十分である。
 なにより,教師がどのように変わりうるのかということについての見通しを示せなかった。
  ( 日本教育学会誌『教育学研究第69巻第4号』2002年 )


 

アメリカでは歴史的に、「特異な学習障害」は、さまざまな状態像の総称として提唱されたが


 2010年9月日本特殊教育学会で、久田氏は、「発達障害や学習障害の概念規定は成り立たない ―国際生活機能分類(ICF)と障害概念の要件からの検討― 」の口頭発表をしている。

 WHOの国際障害分類(ICIDH)の改訂とその改訂の国際生活機能分類(IF)をもとに検討し、
「何らかの脳機能」による達障害、学習障害の考え方はないICFに代表されるように、障害の捉え方として、昔の「病理モデル」や、その論理形式である「基底還元論」への反省(上田,2005)から,生活機能の重視へと変化してきている。
 また、参加の重視や環境因子の明記のように、社会的要因を重視するようにもなってきている。
 このような変化は、脳機能の何らかの病理という基底に還元する発達障害、学習障害の考え方とは異なっている。
 ICF の心身機能・身体構造のレベルにおいて、脳・神経系の障害が評価されるが、その中には「何らかの脳機能」という項目は無い。
 評価可能な,具体的な困難が評価の対象項目となっている。
 また、当然のことだが、「学習」という機能も「発達」という機能も無い。


ことを明確に分析している。

 脳に「学習野」「発達野」はないのに

さらに、

 視覚障害の場合、目という受容器か視神経、視覚野といった中枢神経系が身体構造としては対応している。
 運動障害の場合、筋・骨格系、運動野を代表とする脳神経系が対応している。
 では、「学習」に対応する身体構造があるだろうか。
 「学習野」という中枢神経系の領野はあるだろうか。
 どちらも無いのである。
 同様に、「発達野」という領野は存在しない。
 なぜなら、経験による行動の変化を「学習」と呼び、経験と成熟による変化の過程を「発達」と呼ぶからである。
 これらの概念は行動の変化の様相を示す概念であり、もともと機能ではないので、機能の制意味する障害に該当しない。


脳性まひやてんかんなどの
 総称として用いられたアメリカの「発達障害」

 
 そもそも、歴史的に、「特異な学習障害」は、さまざまな状態像の総称として提唱された。
 「発達障害」も最初、アメリカにおける法律で脳性まひやてんかんなどの総称として用いられた。
 我が国の場合、法律の谷間にいた諸々の障害の総称として用いられた。
 ちなみに、日本とアメリカで内容が異なる点も留意すべき点である。


もとめられる「特別ニーズ教育の原点」に戻る、とは

以上のことから久田氏は、

(新たな考え方)
 教科学習における特異な困難や対人行動の面での困難は現実に存在する。
 それらの困難を示す児童・生徒への支援は、当然ながら特別支援教育の対象である。
 それは障害だからという位置づけではなく、特別な教育的ニーズがあるから、特別の支援を行うという、特別ニーズ教育の原点に戻る必要がある。
 その際、読字困難、多動など、行動上の状態像で表記し、あるいは、読字支援が必要な子、行動の調整を求める子というニーズに基づいた表記で考える方が、根拠の薄い「障害」と規定するより良いだろう。

という方向性を出している。

 読字困難、多動など、行動上の状態像で表記し、あるいは、読字支援が必要な子、行動の調整を求める子というニーズに基づいた表記で考える方が、根拠の薄い「障害」と規定するより良いだろう。

という提起は、「発達障害」を限定的に規定され、教育行政や一部の研究者によって指導されていた少なくない学校の取り組みに「激震」を与えることは充分予測される。

「踏み絵」にさせられている「発達障害や学習障害」の理解

 なぜなら、今や「発達障害や学習障害」という広範に広げられ、「発達障害や学習障害」を理解しなければ、普通学校の教師ではない、とさえ断定されることが多くある。
 「発達障害や学習障害の理解があるか、どうか」を踏み絵に、学校現場では教師の評価が振り分けられたり、批判されたりして教師間の対立・混乱・沈黙・あきらめ・精神疾患の多発がより横行するようになっているからである。

 意外に知られていないのは、障害児学校で「発達障害や学習障害」の評価と理解をめぐって、教師間での対立が生じていることがある。
 その場合の多くは、障害児教育の経験のない無知識な校長などの管理職によって「発達障害や学習障害」を受けとめるべきだという強行策で事が進められていることにある。


 教育として教師間の理解を広める、理解し合うのではなく、
「発達障害や学習障害の理解」

「踏み絵」
にさせられていることを嘆く多くの報告がある。


 

「学習障害」という表現は学校教育法にはない


 さらに久田氏は、核心を追求した論述をを書いている。

 「学校教育法等の一部を改正する法律」が平成18年6月15日に成立しましたが、その中には「LD, ADHD, 高機能自閉症児等」はおろか「学習障害」という表現もありません。
 「教育上特別の支援を必要とする児童、生徒及び幼児」と書かれており、診断名で規定されてはいないのです。
 平成18年7月18日の「特別支援教育の推進のための学校教育法等の一部改正について(通知)」においても同様です。

 まさにそうである。
 これらをいくら読んでも「学習障害」という表現は出てこない。

厚生労働省
関係法案・通知に関連する特別支援教育課の通知

そしてさらに、

 平成19年3月15日に文部科学省特別支援教育課は「『発達障害』の用語の使用について」という通知を出しました。
 その中で、問題の多かった「軽度発達障害」という用語を用いないだけではなく、今まで多用していた「LD,ADHD,高機能自閉症児等」という表現も原則使わないこととし、代わりに「発達障害」という用語を、発達障害者支援法の規定に基づいて使うと宣言しました。
 また、同じ特別支援教育課のホームページには発達障害支援法の「発達障害」の規程が丁寧に書かれています。
 要約的に紹介すると、発達障害者支援法の第二条に発達障害者の定義があり、そこには広汎性発達障害(当然、自閉症を含む)と学習障害、注意欠陥多動性障害があげられています。
 更に、政令に規定する障害という文言があります。
 それを受けて、同施行規則(政令)では、言語の障害と協調運動の障害があげられ、更に厚生労働省令で規定する障害という文言があります。
 政令で規定された範囲についても、言語障害や発達性協調運動障害が加わり、特に言語障害は非常に数が多いだけでなく、原因が多岐にわたるため、いろいろな問題が絡んでくることが予測されます。(だからといって、悪いわけではないが)。
 その次に、いよいよ厚生労働省令の規程を読んでみると、実に多様な障害があげられています。
 なんと心理的発達の障害並びに行動及び情緒の障害があげられているのです。


と、久田氏は、文部科学省特別支援教育課は「『発達障害』の用語の使用について」という通知・厚生労働省令の規程などを読んだ上での解説を書いている。

文部科学省の文章は厚生労働省に従属した文章として連動する

 この当然といえば、当然であることを窪島氏は、平成19年3月15日に文部科学省特別支援教育課は「『発達障害』の用語の使用について」という通知を読んでも、文部科学省以外の厚生労働省の関係する発達障害者支援法とその関連する文章を読みこなしていたとは考えにくい。
 国・文部科学省・厚生労働省を別の分野として捉えて、考えていたのではないかと考えられる。
 ところが、国の動きや文章などは、各省庁の分担と従属・もたれ合い関連で出されることは常識なのであるが、「教育界」の一部では文部科学省だけでの動き考える傾向が強い。


教育労働と密接不可分な関係がある文部科学省、厚生労働省

 厚生労働省との関連で文部科学省が文章を出しているならば、厚生労働省の文章も読みこなさなければならないだろう。
 だが、窪島氏は、両方の省の文章を読み込んで「発達障害」を論じているとは考えられない。
 なぜなら、彼は、文部科学省の文章に出てくる発達障害者支援法をあげているが、久田氏のように発達障害者支援法関連の厚生労働省令などの障害の規定を読みこなしていれば、縷々引用した彼のような「発達障害」の規定が出てこないからである。


厚生労働省の「自立支援」などの政策と
 切り離せらされない障害児・者問題と教育

 もっと分かりやすくいえば、窪島氏は、「発達障害」を他の障害と切り離して書き、「発達障害」を普通校・普通学級のみに限定して書いているところを見れば明らかである。

 客観的に各省庁の文章を読み、論述するより、主観から文部科学省の一文章を読んでいることが明らかになる。


 

表面的に答申や報告書を読む窪島務氏と群馬大学教育学部久田信行氏の基本的ちがい


 群馬大学教育学部久田信行氏は、「発達障害者とは-特別支援教育の対象者-(2008.2.25第三版)」を公開されているが、その一部を紹介させていただく。


読まれていない最初からの
「従来の特殊教育の対象者に加えて」という記述

久田氏は、

 特別支援教育の対象者に関しては、最初から「従来の特殊教育の対象者に加えて」という記述がありました。「LD,ADHD,高機能自閉症児等」は、対象を広げる際の、例示としてあげられていた訳です。
 しかし、「LD,ADHD,高機能自閉症児等」の「等」はアスペルガー症候群だなどという解説がまかり通るなど、解釈は混乱していたと思います。
 上記の一群の対象に関する記載なら、本来「等」は、「その他の、特別な支援が必要な幼児・児童・生徒」であるでしょう。
 少なくとも、「LD,ADHD」の考え方は、「脳障害児」という1940年代の対象児をルーツにもつ子どもたちですので、「運動機能の特異的発達障害」あるいは「発達性協調運動障害DCD」と呼ばれる不器用なタイプの子どもが、いわゆる脳障害児のタイプとしては抜けていたので、それを入れる方がベターだと考えられます。
 高機能自閉症の一部と考えられるアスペルガー症候群(DSM-Ⅳだとアスペルガー障害)を「等」とするのは、論理的に整合性を欠くと思っていました。
 そもそも、新たに加えられた子どもたちのイメージが「学習障害等」という所から出発したのは歴史的成り行きですが、学習障害が強調されすぎたきらいはあるでしょう。


 
「従来の特殊教育の対象者」に付け加わっただけだが

 特別支援教育の対象者の中核は、「従来の特殊教育の対象者」であったことを、明確に確認する必要があります。
 すなわち、視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱という現在の特別支援学校の主たる対象者、さらには、言語障害、情緒障害その他の従来の特殊学級の対象者がまず特別支援教育の対象者なのです。
 それに加えて、どのような子どもたちが加えられたかという論議である訳です。
 従来の特殊学級の対象児を忘れたかのような「特別支援教育」の論議は、非常に問題が大きかったと思います。

と論じている。
 だが少なくない普通学校では、特別支援教育の対象者は、「LD,ADHD,高機能自閉症児」だとされている現実がある。


プロの研究者でも間違いを生じる答申や報告書と重大指摘

 さらに久田氏は、

では、どの様な対象者を加えるのか
 特別な支援を行う対象者をどう定めるか、という問題は、特別支援教育とは何かという問題と深く関わっています。
 特別支援教育という概念や考え方の大元を吟味することなく、表面的に答申や報告書を読んでいると、一応プロの研究者でも間違いを生じるのではないでしょうか?


ということを明らかにしている。「表面的に答申や報告書を読んでいると、一応プロの研究者でも間違いを生じるのではないでしょうか?」という意味は重要な意味を持つ。
 このことは、もともと文部科学省が、「間違いを生じるよう」にしていたともとれる。先に述べておくなら、文部科学省の動きを調べてみるとどうもこの「特別支援教育」や「特別支援学校」などの名称も含めた検討をすすめているようである。


 
通常の学級にいる子どもたちを指し示していた範囲  


 さらに久田氏は、

 「LD,ADHD,高機能自閉症児等」という表現や「軽度発達障害」という用語が指し示していた範囲は、通常の学級にいる子どもたちです。特に知的障害のある子どもたちを除外して、LD,ADHD,高機能自閉症児等」と言っていた面があります。
 明確にそう規定されていた訳ではありませんが、二つの理由から、ある意味では、暗黙にそう受け取られていたのです。

 第一に、「LD,ADHD,高機能自閉症児等」の定義で、いずれも脳の機能障害が原因と推定され、かつ、知的障害ではないと規定されていることがあげられます。

 第二に、特別支援教育への変革の序章であった「通級学級に関する調査 研究協力者会議」(山口薫 座長)で、明確に知的障害は通級の対象から除外された点があげられます。 その際、知的障害のある子どもについては、原則として養護学校か固定式の特殊学級で措置されることになっていたため、その制度を崩さないという考えがベースになって、知的障害は通級の対象から除外され、学習障害は将来の含みを残しながら、ペンディングになったと解釈できます(「通級による指導に関する充実方策について(審議のまとめ) 」平成4年3月30日、1992)。

と述べる。たしかに、「研究協力者会議」の報告を読んでいるとそのように思える。

発達を知らないで 発達障害をいう 滋賀大学教育学部窪島務氏の「我田引水」


 西氏は、日本の教育の状態や彼が取り組んでいる地域の教育状況から提起している。
  解りやすく書けば、窪島氏の主張は、「教育の他国からの輸入と模倣」であるが、西氏は、「日本の教育をみて教育をさらに日本の教育を創造する」主張なのである。
 従って、障害児教育についてもまったく異なった方向になる。 


発達障害や学習障害の概念規定は 成り立たない

 窪島氏に文部科学省の打ち出してきた「発達障害」の概念に、「極めて不正確ところがあり、教育をすすめる教師としてはこのような規定の仕方では混乱が生じる。」という意見を出した教師に「そんなことはない。文部科学省の概念規定は極めて正確で、LDやADHDの区分は明確である。」と述べたことは、すでに掲載してきた。

文部科学省等の通知などなどを読めない感覚的理解

 窪島氏とのやり取りをした教師は、「窪島氏は、文部科学省等の通知などなどの文章を読みこなせていないのではないか。」という感想を漏らした。
 このようなことを書くと大学教授に失礼だ、と思われる方々がいるかもしれない。
 しかし、文部科学省などの国の文章は、一種独特の表現があり、西氏も指摘しているように「熟読」しないとその概要やねらいは把握できない。
 書かれていることをそのまま受けとめてしまうと、教育現場に大混乱を起こす。


最初から崩ていた「総合的な学習の時間」

 例えば、2000年(平成12年)から「総合的な学習の時間」が出されてきた時もそうである。
 文部科学省の各種文章や解説本を読むと「評価なき評価」「総合的に自由な授業の編成」などなども読めた。
 この「総合的な学習の時間」について、高く評価する教師や研究者も多かった。

 だが、ベテラン教師の中からは、「必須クラブの時間と同じですぐ崩れるだろう。」との意見が出された。
 学校現場で「総合的な学習の時間」をとりいれた教育課程編成をすすめると、多くの点で問題が生じ、アンバランスが生じた。
 なぜなら、他の教科では評価が雁字搦めに決められているのに「総合的な学習の時間」だけが、評価なき評価にすることは、教育課程の系統性から考えてももともと無理なことであったからである。
 だが、「総合的な学習の時間」について、高く評価する教師や研究者は教育課程を総合的にみないで、「総合的な学習の時間」だけを評価し、絶賛した。
 当時の文部科学省の文章を熟読すると、文部科学省内部で「総合的な学習の時間」の創設を否定していることが推定できたにもかかわらず。


ベテラン教師は 文部科学省の次の意図を読みとる

 そのことを見越した学校では、2000年(平成12年)から段階的にはじめられる「総合的な学習の時間」がいつでも手直しできるような教育課程編成(カリキュラムの移行)を行った。
 現在は、「総合的な学習の時間」が当初の意図とはまったく異なって、事実上の教科教育となっている学校ほとんどとなっている。
 これはほんの一例であるが、文部科学省の通達・指示などなどの文章は通常の読み方では、混乱が生じることは文部科学省の文章を熟読している教師としては、常識であるとも言える。
 さらに、学習指導要領の改訂などの場合は府県教育委員会や各種伝達講習を聞くとかえって混乱と誤解を招くから、文部科学省の文章を直接読んだほうがポイントをつかめるとするベテラン教師は少なくない。
窪島氏とのやり取りをした教師は、こららのことを承知した上で、窪島氏に質問・意見をしたのである。


 
混乱をまねいてもなにも思わない特別支援教育課の「訂正」

 例えば、西氏も、「奇異な印象」と述べているが「発達障害」の用語の使用についての平成19年3月15日 文部科学省初等中等教育局特別支援教育課の文章を、窪島氏らの「SKC発達障害教育研究所」で、無評価で「学習障害とは?学習障害の概念 文科省の定義」を掲載しているのは、窪島氏が、文部科学省の定義を肯定している現れである。
 だが、特別支援教育課の文章の一行目を読んだだけで、文部科学省の問題点がわかることを窪島氏は読め込めない。

すなわち、

 今般、当課においては、これまでの「LD、ADHD、高機能自閉症等」との表記について、国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由から、下記のとおり整理した上で、発達障害者支援法の定義による「発達障害」との表記に換えることとしましたのでお知らせします。


と書かれている。
 この意味は、文部科学省が「LD、ADHD、高機能自閉症等」と「等」の表記について、「混乱を招くようなこと」をしていたことを認めた文章なのである。 文部科学省は、「総合的な学習の時間」の創設については、文部科学省内部でその誤りを認め、その担当者を「更迭」しているにも関わらずそれを表に出していないことからでも解るように、文部科学省は「国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由」を口実に文部科学省が「混乱を招くようなこと」をしていた責任逃れをして浮上した問題を何の説明もなく「改めて」いるのである。
 「国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由から」
の文をこう読まないと、
「国民にわかりやすくするためや他省庁との連携のしやすさの理由から」
と理解してしまい、理解の仕方が180度異なってくるのである。


 発達障害や学習障害の概念規定は成り立たない

 それらのことも承知していると考えられるが、群馬大学教育学部久田信行氏は、キッパリと「発達障害や学習障害の概念規定は成り立たない」として、研究した結果を公表し、学会でも報告している。

教育とは何かがが、あるか、ないか  島根大学教育学部西信高氏の論文と滋賀大学教育学部窪島務氏主張の根本的相違


先生の話も子どもの様子もじっくり診る西氏

 西氏は、「発達支援」「教育的援助」等々の用語が飛びかっている、として二つの事例をあげているが、以下小学生の子ども記述を見てみる。

 彼は、

 ある小学校で、ADHDと診断されている6年生の子どもを見たことがある。
 個別学習の時間で先生と一対一で、おとなしく椅子に座り、熱心にとりくんでいた。
 先生の話では、診断と同時に処方された薬が効いたものと思われるが、劇的に変化した、ということであった。
 それまでは階上から物を投げるなど粗暴で危険な行動が目立ったという。特に厳しい学習面の遅れは指摘できず、ほぼ年齢相応の学力であるという。
 しかしながら授業が進められる中での受け応えをみると、むしろその遅れを感じた。
 かけ算の九九を唱えることができることをもって「この子はかけ算ができる」と見誤ってしまう例は必ずしも少なくない。
 このかけ算を理解する段階で足踏みしている子どもでさまざまな「問題」行動を起こしている例を多く見ている。
 聴覚障害児の教育において経験的に言われてきた「9歳のかべ」に通ずるものを感じるが、この壁を乗り越えようとするがうまくいかず、その軋轢あるいはストレスが回りの人的関係の中で一種のゆがんだ形で表現されるのが、つまり「注意欠陥」「多動」等々ではなかろうかとの仮説を持っている。


発達の基礎の上に子どもの課題を捉える

 つまり、基礎として発達上のつまづきがあり、二次的・副次的な構造をもってこうした「行動障害」が発現するのではなかろうか、ということである。
 かけ算の意味の理解と手法の習熟は9・10歳の発達の一つ内容をなすものであるが、教科書によってはその教授法に「外延量×倍=外延量」を導入している例もある。
 しかし、「倍は、量と量との関係を表すものですから、2年生、3年生には大変高度な概念です。
 だから、累加という方法で理解させようとするのですが、倍と累加が結びついた形では×1と×0が説明がつきません。
 また整数倍の2倍、3倍、……がわかっても1倍、0倍というのは理解できないものです。(中略) そこで私は内包量×外延量=外延量の立場で指導します。」


人間発達をみとおした問題意識と教育提起

 かけ算は高等学校段階の微分・積分に通じる入り口となる内容であり、つまりは青年期の発達を自らのものとする一里塚でもあるがゆえに、どの子どもにおいても非常に高いハードルとなって現れるのである。

と書いているが、ここでも西氏と窪島氏の大きな相違が見られる。
 西氏は、教育実践の行われている場に足蹴く通い、教育実践と子どもや教育のことをよく診ていることが解る。


教育の「全体」と「部分」の統一的研究か「細部注目」か

 さらに、西氏はよく診た上で

「特に厳しい学習面の遅れは指摘できず、ほぼ年齢相応の学力であるという。しかしながら授業が進められる中での受け応えをみると、むしろその遅れを感じた。」
「かけ算は高等学校段階の微分・積分に通じる入り口となる内容であり、つまりは青年期の発達を自らのものとする一里塚でもあるがゆえに、どの子どもにおいても非常に高いハードルとなって現れるのである。」


などのように、ひとりの子どもの状態を把握しつつも教育全体の課題をも見出している。
 この西氏の教育全体と子どもひとりひとりの両側面から把握し、研究することは、教育研究者の立場として当然といえばそれまでであるが、今日の教育状況から考えてそう簡単ではないことが窺える。
 彼の研究は、極めて実践研究である、と言えるが、今日の教育を語る研究者が机上の空論と共に教育の現実を見ない、
「ことば遊び」「いわゆるうけねらい」「笑いとり」「その場しのぎの一時的感動を与える講演方法」
などなどに終始していることから考えても、教育実践する人々は、もっと西氏の論拠を知り、その具体的提起に注目すべきである。

曖昧さを貫く発達障害児が増えているかどうかの論拠

西氏の見方に対して窪島氏は、滋賀大キッズカレッジ「発達障害教育研究所」で、次のような考えを出している。

 発達障害児が増えているのかどうかという問題に関しては、3つの可能性が考えられる。
「増えているかどうか」という点では、学校で問題となる子どもとしては確実に増えている。
 しかし、それは、元もとそうした子どもはいたのであって、何らかの事情でその子どもたちの問題が表面化しだしたに過ぎない、という議論もある。


として、三点をあげているが、学校に関わる部分は、

 第二に指摘されるのは、学校における教師の多忙化、教育内容の過密と一貫性のなさによる混乱の結果、子どもたちの落ち着きがなくなり、教師もそれに対応する余裕がなくなっているために、これらの子どもの問題行動が吹き出してきたというものである。

としている。ここでも窪島氏は、
1、「学校における教師の多忙化」の原因とその解明
2、「教育内容の過密と一貫性のなさによる混乱の結果、子どもたちの落ち着きがなくなる」責任とその原因と解明
3、「教師もそれに対応する余裕がなくなっている」ことへの方策と対応

を述べるのではなく、「あるがまま」書いているだけで、「発達障害児が増えているのかどうかという問題」に対することを曖昧にしているのである。
 くり返すが、窪島氏の考えがあると推定されるのにそれを書かないで、読み手にその解釈を委ねるという手法が使われているからである。


適切な教育とはなにかを鋭く研究しようとする西氏

 西氏は、窪島氏とまったく違う。                  
 彼は、二つの事例をあげて以下のことを論じる。
 「適切な教育」など、「適切」ということばが頻出するが、しかしはたしてどのような教育が「適切」なのか、この問題が実は核心部分をなしている。
 「適切」を担保する人的条件の整備拡充ということで、文部科学省は2007年度から通級指導担当教員の増員(全国で250人を上回る規模) や、教員志望の大学生を活用する「支援員」制度を導入するなどの施策を講じる。
 しかしながら、たとえばM市の場合、以前から小・中学校に市の独自予算によって特殊学級介助員、特別支援教育指導員、通級指導教室指導員、就学支援専門相談員を配置している。
 制度的には手厚い施策ではあるが、正規採用の教員のほかに、職種や雇用形態、さらには経験や専門性などにおいても多様な関係者が連携を保ちながら、それぞれの子どものニーズの把握にはじまる具体的な「特別支援」をどのように展開していくのか、実践的な課題はなお多く残されている。
 「適切」ということばの響きは望ましく不可欠ではあるが、その具体化には、教員免許状を所持することの有無は別として、確かに高度の専門性が要求されるであろう。


と「適切な教育」の内容を論じ、彼の研究をはじめる決意を示している。
 特に、
 「適切」ということばの響きは望ましく不可欠ではあるが、その具体化には、教員免許状を所持することの有無は別として、確かに高度の専門性が要求されるであろう。
という提起は、重要な意味を持っている。


 西氏の教育提起は、窪島氏が高度な専門性も制度も文化もまったく異なる国からの導入を論じるのとはまったく違う。

 自分の大学の地域状況を充分把握して、教育を考え、論じている。


2011年10月28日金曜日

政府の一省の一課が発達障害の概念を突然一方的に決める「奇異」な本質を見抜けていない滋賀大学教育学部窪島務氏



学校の情報提供がなければ「判断」出来ない基準

 西氏は、2003年3月28日の『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』の、参考資料の3として「定義と判断基準(試案) 等」。高機能自閉症も含めての「定義、判断基準についての留意事項」などを分析・検討して次のように論じている。
 この基準をみるとき、はたしてどれほどの医学的知識や技能・技術が必要であるのか。否、むしろ学校からの情報提供がなければ「判断」がつかない性質のものも多数である。
 そして、これらの「基準に該当する場合は、教育的、心理学的、医学的な観点からの詳細な調査が必要である」とされる。
 列挙して記述する順番に過度に拘泥することもないが、ここでの順番は、
まず「教育」、となっている。

として、

 養護学校の義務制実施を控えた前年、1978年(昭和53年) 10月6日付けの文部省初等中等教育局長通達「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置について」(分初特第309号)では、本文冒頭に以下のような記述がある。
 第1 教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置及び心身の故障の判断に当たっての留意事項
 教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置及び心身の故障の判断に当たっての留意事項は、次に掲げるところによることとし、特に心身の故障の判断に当たっては、医学的、心理学的、教育的な観点から総合的かつ慎重に行い、その適正を期すること

 このように、最近に至るまで医学が筆頭に配置され、教育は最後尾に位置していたのである。
と1978年文部省初等中等教育局長通達と比較・検討する。
 この点では繰り返し述べてきたが、窪島氏も1978年当時は障害児教育としてさかんに研究していたのに、西氏のように比較検討しないところに特徴がある。


揺れ動く特別支援の用語

西氏は、

 「教育『学』的」となっていない点は教育学がいまだそのレベルにまで達していないという評価の反映であろうが、いずれにせよとりあえずは、むしろ最近注目されているADHD等は教育が一層の重責を担うべき障害であることを示していると理解できる。
 しかしながら、「特別支援」もそうであったが、これらの用語に関してはいまだ流動的な点が多い。
 2007年(平成19年) 3月15日付け文部科学省初等中等教育局特別支援教育課の文書「『発達障害』の用語の使用について」において、以下のように述べられている。


 今般、当課においては、これまでの『LD、ADHD、高機能自閉症等』との表記について、国民のわかりやすさや、他省庁との連携のしやすさ等の理由から、下記のとおり整理した上で、発達障害者支援法の定義による『発達障害』との表記に換えることとしましたのでお知らせします。

                 記
1. 今後、当課の文書で使用する用語については、原則として「発達障害」と表記する。
  また、その用語の示す障害の範囲は、発達障害者支援法の定義による。

2. 上記1の「発達障害」の範囲は、以前から「LD、ADHD、高機能自閉症等」と表現していた障害の      範囲と比較すると、高機能のみならず自閉症全般を含むなどより広いものとなるが、高機能以外の自閉症者については、以前から、また今後とも特別支援教育の対象であることに変化はない。
3. 上記により「発達障害」のある幼児児童生徒は、通常の学級以外にも在籍することとなるが、当該幼児児童生徒が、どの学校種、学級に就学すべきかについては、法令に基づき適切に判断されるべきものである。

4. 「軽度発達障害」の表記は、その意味する範囲が必ずしも明確ではないこと等の理由から、今後当課においては原則として使用しない。

5. 学術的な発達障害と行政政策上の発達障害とは一致しない。また、調査の対象など正確さが求められる場合には、必要に応じて障害種を列記することなどを妨げるものではない。

「一省の一課」の「一片の文書」が
 日本の教育を一挙に統制する危うい事態

 この部分は、窪島氏がさかんに引用する文部科学省の文章であるが、西氏の意見は窪島氏と異なり、次のように問題点を述べる。

 政府の一省の一課が特に第4項や第5項のような内容を一片の文書で処理することに奇異な印象を持つ。
 因みにここで触れられている発達障害者支援法などの定義を挙げておく。


○発達障害者支援法(2004年-平成16年12月10日法律第167号) (抄)
(定義)
第2条この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
( 以下略 )


 まさに西氏は、「奇異な印象」と述べているが、この議員立法でつくられた「発達障害者支援法」は、問題が多すぎる。
 窪島氏は、「発達障害」の文部科学省の規定を全面肯定する以前に、発達について随所で発表し、文章も書いていた。
 その中には、「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害という限定は見受けられない。
 それどころか、発達はすべての人間に関わることであり、障害児はその発達の中でどのような課題を持っているかも書いてもいた。
 それなのに、発達に障害があることを限定することを肯定しているのは、それまでの窪島氏の研究を否定したことにも繋がる。
 かれは、これら自らの変遷を明らかにしようともしないでいる。


一連の教育改革は政治的意図のもと 教育が政治によって統制

 日本の国会で、議員の発案に基づく議員立法と政府提案立法の両者があるが、発達障害者支援法は極めて政治的意図のもとに成立した法律であることは知られている。
 愛知教育大学の都築繁幸氏が、「一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。」とする根拠もここにもある。

 西氏は、政府の「一片の文書」で教育が処理され、統制され、それに一斉に従わされる、従っていく、ことを全体主義の復活を思い起こす危険性を危惧しているのである。


 たしかに、障害児教育の分野を考えても特別支援のように一斉に教育分野が塗り替えられ、これほど従うことはなかった。

 特殊教育と文部省が言っていた時代でも、全国都道府県や学校ではそれぞれ異なった表現が使われていた。

 これらのことを知らない世代がいるからこそ、西氏は「政府の一省の一課が特に第4項や第5項のような内容を一片の文書で処理することに奇異な印象」と表現して、警告をしているのだろう。


「自立」出来るか、出来ないか、分類される子どもの特別支援教育の方向


西氏は、さらに次のように論じている。

 特別支援というとき、「支援」からはたしかに主体が子どもにあることが想起できるのであるが、これだけでは子どもがどの方向に進もうとするのかが曖昧になる。
 そして、先にみたように、最近では「自立」がその目指す方向として強く打ち出されているのである。したがって、「自立」について明確な規定が求められるのであるが、現状として感じるのは「自立」を職業的社会的自立と捉える傾向が一般的となっている。
 であるならば、障害の極めて重い障害者はそのような自立は見込めないため、その存在意義はどうなるのかといった問題も出てくる。
 さらに、その「自立」は健常児の教育においても同様に高く掲げられている目的であるのかどうか。


「職業的社会的自立可能の子ども」の「特別支援」
「職業的社会的自立」出来ないと見なされた子どもたちは

 そのように考えると、「自立」は、障害者と健常者の共通性よりも異質性を際立たせる内容といわざるを得ない。
 そのことは、同時に、「支援」というとき、むしろ障害に着目し、障害から教育内容や方法を導き出そうとする傾向が強くなることも示しているのであり、それを実感する場面も多く経験しているところである。
 本来的には教育に携わる者として、どのような人間に育てようとするのかその方向性を確固として堅持しておかなければならないものであるが、それよりも障害から教育課題を導き出す傾向が強いと言えよう。


と、西氏は、教育目標や教育から「特別支援」を考え、さらに「自立」との関係で、「支援」が関わってくることを鋭く分析している。

 河野勝行氏は、WHOの新「国際障害分類」(『ICIDH-2』ですでに研究・分析している
 このことについては、河野勝行氏が、WHOの新「国際障害分類」(『ICIDH-2』ならびに『ICF』)を読む―先学に導びかれての学習ノート(文理閣:2002年8月)で詳しく分析している。

学校で日常的に「ADHD」のことばが行き交う

 次に西氏は、「障害の定義と診断」について論じているが、彼が文部科学省等の通達等の引用している部分は、省略して述べる。
 西氏は、

 すでにみたように、特殊教育から特別支援教育への転換をもたらす契機の一つに、LDやADHDへの対応があった。
 実際、「ADHD」は、学校現場ではごく日常的にこのことばが行き交うほどに急速に普及した用語である。
 そして学校において、多動であったり落ち着きがなかったり、あるいはまた行動が粗暴であったりすると、この子どもはADHDではなかろうかと考え、保護者に医療機関の受診を勧め、そして、ADHDなどの診断名がつくとむしろ「やはり…」と納得する、今やそのような例は珍しくない。


学校の状況を把握している西氏
  教師の実態と意見を無視する窪島氏

 学校の状況を把握している。この点でも、教師が、そのような子どもを放置している、人権蹂躙しているとする窪島氏と対照的な論述をしている。

 西氏は、

 時折、障害児学校の教員から、小・中学校の教員は障害児学校についての理解が乏しいとする批判も聞くが、今後はそれは障害児学校側の努力不足によるのであるという点にむしろ重きが置かれることになる。
 また、具体的な授業場面では、一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の障害児学校で長年過ごした教員が、一人の担任が複数の障害児と向き合う障害児学級の担任に、あるいは通常学級の担任にいかなる「支援」をおこなうのか。こうした課題がまもなく現実のものとなろうとしているのであるが

と指摘していることはすべに述べた。
 だが、窪島氏は、西氏氏の指摘とは真逆に「一対一か」「あるいはそれに類似する手厚い」対応で接した子どもへの「支援」から「通常学級の担任」に「支援」をおこなうのではない。
 「通常学級の担任」に対する「批判」を行っているところに窪島氏の特徴があり、教育の現場や教師をより深刻に追い込んでいる。
 この点では、窪島氏の「考え」には一貫性が見られる。


発達障害の概念規定に疑問を発した教師の意見を否定

 かって、窪島氏に文部科学省の打ち出してきた「発達障害」の概念に、
「極めて不正確ところがあり、教育をすすめる教師としてはこのような規定の仕方では混乱が生じる。」
という意見を出した教師に
「そんなことはない。文部科学省の概念規定は極めて正確で、LDやADHDの区分は明確である。」
と述べた。
 だが、質問した教師は、
「LDやADHDの生徒を教室や学校で教育することを考えると、文部科学省の規定では区別出来ない。文部科学省の文章を読んでもLDやADHDの生徒の状態が、重なり合っている部分も多く、現実に生徒と接していて、文部科学省の区別とは違う状況がある。」
と言ったところ、窪島氏は、
「そんなことはない。きちんと区別されている。かってないほど文部科学省は適切な規定を出している。」
と言いきり、その教師と決別状況になった。


 そのことを想起して、西氏の論述を読み進めていきたい。


 

子どもの基本的人権を踏みにじりIQの具体的数値を公表 知能指数主義の導入を教育に引き入れる滋賀大学教育学部窪島務氏の「堕落」


明らかにされていない特別支援教育への変更
 特別支援教育の対象外となる子どもたち

 西氏は、
 中央教育審議会の答申『特別支援教育を推進するための制度の在り方について』(2005年・平成17年12月8日)、学校教育法等の一部を改正する法律(平成18年法律第80号)」が2006年(平成18年)6月21日に公布され、2007年度当初(平成19年4月1日)、公布直後の事務次官通達(2007年7月18日付け、18文科初第446号)、参議院文教科学委員会及び衆議院文部科学委員会の議録などなどを詳細に熟読し、分析・研究して以下のようにのべている。

 以上をみる限り、特殊教育がなぜ特別支援教育に変更されなくてはならないのか、必ずしも明確には示されていない。
 単純な疑問として言えば、たとえば不登校の子どもについても、当然特別な教育的支援が必要となることは誰しも認めるであろう。
 であるならば、全国に13万人もいるとされるそのような子どもたちも特別支援教育の対象となるのかどうか。


窪島氏が、それまで研究対象としてきた
  「不登校の子ども」特別支援対象外か

 「学力テスト」の実施が最近では大きな問題となっているが、そこで望ましい結果に到達していなかった子どもたちの教育的ニーズに応える特別支援教育は必要とならないのか。
 障害児もその障害に応ずる形での特別な支援が必要であるが、他方、障害児でない場合にあってもまさに個々のニーズに応じての特別な支援が必要となるのであり、いずれの場合においても素直に考えるならば当然「特別支援教育」となるであろう。


という問題を提示している。
 この点では、窪島氏が、それまで研究対象としてきた「不登校の子どもについても、当然特別な教育的支援が必要となることは誰しも認めるであろう。」という問題を曖昧にしているのとは違い、西氏は、鮮明にしている。


軍事目的で開発された知能検査を再評価する窪島務氏の意図

 さらに西氏は、

 なお、知能テストは、最近では「発達テスト」と呼ばれることが多いのであるが、もともと知能テストは第一次世界大戦を契機に世界中に広まったものである。
 それは、「徴兵検査」において多数の者を時間をかけずにその能力を測るという要請に応えるものとして採用されたのである。
 つまり、能力により、軍隊内で配属部署を振り分ける効率的方法として用いられたのである。
 その過程においては、当然個々人の生育歴や嗜好、興味・関心といった諸特性は無視されたのである。
 そうした相対的評価による振り分け、という知能テストの用いられ方に対する反省から、まさに「子ども一人ひとりの教育的ニーズ」を把握するための一助として活用しようとする姿勢を示すために、その内容や実施方法は同じであっても「知能テスト」ではなく「発達テスト」と言い換えてきているのである。


子どもの発達の源泉と教育の役割の相違

 1956年にコスチュークが「子どもの教育と発達との相互関係について」という論文を『ソビエト教育学』に発表した。
 その後、1958年のザンコフの総括論文「教育と発達の問題について」に至るまで、誌上討論が展開された。コスチュークはまず、どのような環境の下でどのような教育が行われるのか、このことが子どもの発達において決定的・主導的役割を果たすことを確認する。
 しかしながら、子どもの発達は環境や教育から直接的に導き出されるのではない、それらは子どもの発達の源泉であって、発達を生みだす原動力となるものはそうした外的条件と子どもの間に生じる内的矛盾である、とした。
 そのような内的矛盾から生じる子どもの自発的・主体的な自己運動を、引き出し、方向づけ、開花させるのが、つまり教育の仕事であるということになる。


「子どもの発達の源泉であって、発達を生みだす原動力となるものはそうした外的条件と子どもの間に生じる内的矛盾である」
「そのような内的矛盾から生じる子どもの自発的・主体的な自己運動を、引き出し、方向づけ、開花させるのが、つまり教育の仕事である」


と論じている。

教育とはなにか、と踏まえない「教育」?

 この点で窪島氏が『「教育実践学の再構築と しての臨床教育学「特別ニーズ教育」の観点から』では、一切触れていない、子どもの発達の概念やその源泉について西氏は論じている。
 発達障害。読み書き障害。書き障害。読み書き困難などなどを主張するなら、西氏のように発達と教育の本質も述べるべきだろう。
 だが窪島氏は、教育とはなにか、教育の役割とはなにかも明確に書いていないことは先に述べてきた。


子どもの教育を考えない「自己絶対肯定感」

 しかし窪島氏は、

 川合が,発達の原動力すなわち「欲求,要求の成立」を「内的条件と環境との間の矛盾等の内部への転化」 と見ていることである。
  これを外的矛盾の内在化論いわゆる内化理論として外在化理論に対置して批判するのは早計に過ぎるであろう。この転化の次元が教育実践にとって重要な意味を持っていることは疑いないのである。
 問題(ニーズ)に即するとは,教育の場における教師と子どもとの実践的関わりにおいて,子どもの人格発達を子どもの内面からとらえていく視点に他ならないと筆者は考えている。
 教育学において臨床が強調される所以は個々の子どもの自由と安心や信頼に基づく自己意識,自尊感情,自己肯定感などとして語られるその基盤(深層といってもいい)への着目である。

として、「子どもの自発的・主体的な自己運動を、引き出し、方向づけ、開花させるのが、教育の仕事」ではなく、教育実践は未来志向的な構えを相対化して,子どもの今を肯定し,安心と自分自身と他者に対する信頼を再構築しなければならない。

と子どもの肯定感だけを強調し、子どもの発達のための教育の役割を肯定していないのである。

配慮のまったくないIQの数値の具体明示

 さらに窪島氏は、西氏が述べる知能検査による知能知数を具体的にあげて例示する。
 窪島氏は、「事例 アスペルガー症候群と書字困難の併存」( 国民的課題としての発達障害問題-読み書き障害など学習障害を中心に- )として、初診時小学校2年女をとりあげ、その家族関係、医師の診断などを具体的に書き、IQの数値を2年、4年と具体的に書いている。
 そして最近の様子を具体的に書いているが、この事例でなぜ、IQの数値を具体的に書く必要があるのか理解できない。
 彼は他のところでもIQOOOだが…と具体的数値を書いている。
 このように彼は、IQの数値に依存しているが、IQの数値に対する彼の評価はまったく書かれていない。
 それにもかかわらず、子どもたちのIQを具体的に書く。
 そこには、検査対象となった子どもへの配慮があるとは思えない。


消された 検査はあくまでも「手がかり」であり
これらを参考にするけれど、教育そのものではない

 かって彼は、西氏のいう「発達テスト」や「発達診断」などを教育の場ですることを批判していた。
  窪島氏は、これらの検査はあくまでも「手がかり」であり、教育はこれらを参考にするけれど、教育そのものではないし、教育に含まれるものではない、と言うのが論旨だった。
 だが、彼はIQをさかんに採り入れてきているのが最近の状況であり、彼の書いている文章にしばしば登場する。

 教育の現場では、対象となる生徒への配慮から教師はその生徒が特定できる記述は書かない。
 ましてや成績が、数学は○○、国語は○○であったとか、テスト点は○○であったとかは具体的に書かない。


 だが、窪島氏は、平然とIQの具体的数値を「公表」している。
 大学教授だから、研究だからとしても許されない。


予算の削減が目的のアメリカのインクルージョン政策 日本でも近いうちに同じことが急浮上する


 『聴覚障害』誌2007年6月号に
「特別支援教育という構造改革に聾学校がどう立ち向かうか」
というテーマで愛知教育大学の都築繁幸氏が重要な問題を提起している。

「特別支援学校」に改められたのは
  政府の財政改革の一環であり、政治主導

都築氏は、
 2007年4月1日から特別支援教育体制への制度的な整備が行なわれ、これまでの「盲・聾・養護学校」が「特別支援学校」に改められることになった。
 今回の一連の教育改革は、政府の財政改革の一環であり、政治主導によってなされた。800兆を越す政府の累積赤字は、事実上の財政破綻とも言えるべきものである。


アメリカの現実を「空想的だ」と言っていた人々

 私は、1984年から86年にかけて米国で生活していた。

 時の米国政府は、双子の赤字に対処するために必死であった。
 その2年間、米国内の多くの聾学校を視察した。
 聾学校のセンター化、個別の教育支援計画、聾学校の統廃合等の海外情報を国内に流しても聾学校関係者や聴覚障害の研究者は、ほとんど無関心であった。
 その後、1989年、1990年に米国を訪れた。
 それらをまとめて「21世紀の聴覚障害児教育をめざして」という小冊子を全国心身障害児福祉財団・難聴児を持つ親の会から1991年2月に刊行した。
 その中で「聾学校機能拡大論と聾学校機能併設論」という観点から聾学校の存在理由を考察してみた。
 当時の校長会(注:聾学校校長会 )のある先生や教育界のOBの先生は、
「本当にそうなるのか、空想的だ」
と話されたことを思い起こす。

北米に追随する日本は同じ道をたどる

 そして1993年から3ヶ月間、カナダの多くの聾学校を視察した。
 聾学校の閉鎖問題が相次いでいた。
 1990年当時、今日の我が国の教育改革を誰が想像していたであろう。
 「日本は金持ちだ。聾学校は維持できる」

と当時の関係者は、予想していたし、外国は外国、日本は日本というスタンスであったように思う。
 我が国の教育界が北米を追従した政策をとっている限り、聴覚障害教育にあってもやがて北米と同じ道、すなわち、聾学校の規模縮小という道をたどることは必至であろうと思っていた。


数年後に「特別支援教育」の本質は急浮上する

 今回の法改正により、制度上の名称は、「○○立○○聾学校」から「○○県立特別支援学校」となったが、通称として、従来の名称である「○○県立○○聾学校」を使うこととしている場合が多い。
 そのためか、教育関係者の中には、「何も変わらない」と思っているようだ。
 聾学校卒業生の中には、「母校がなくなる」、「『ろう』という言葉を残して欲しい」という要望が見られるが、国民的な関心を引いていないし、運動も盛り上がっていない。  

 ここ数年は、大きな変化はないかもしれないが、10年後には問題は急浮上するであろう。

2017年頃に新築養護学校の校舎の耐用年数が切れるときに

 1979年に養護学校の義務制がなされ、多くの養護学校が新設された。
 2017年頃には各地で当時、新築された養護学校の校舎の耐用年数が切れる時期にさしかかる。 
 2007年問題は、団塊の世代の退職問題で揺れたが、2017年問題は、特別支援学校の建設問題で揺れるであろう。
 事実上の聾学校の統廃合問題に直面する。


アメリカのインクルージョン政策は
「通常教育主導主義」を根拠に予算の削減が目的

 先人は、聴覚障害児が社会で活躍できるよう労苦を惜しまず、邁進してきた。
 それは確かである。
 米国では、インクルージョン政策を採用している。
 盲・聾・養護学校が莫大に使っている予算を削減をするのに都合の良い「通常教育主導主義」を根拠に連邦政府が進めている。
 盲・聾・養護学校から通常学級に予算を回したいのである。


「アメ」と「ムチ」のアメリカ 「アメ」のない日本

 米国独特の手法である「アメとムチ」の政策である。
 右手に障害者の統合政策というアメ、左手に予算削減というムチを同時に出している。
 我が国においては、理念としてアメは提示されているものの現実はムチのみである。
 というのも「援助付き統合教育」を推進していないからである。


 「特別支援教育」は、崇高な理念が唱えられているが、我が国の財政破綻の危機を乗り越えるために生まれたと言っても過言ではない。


 都築氏の指摘は、極めて具体的で明解である。
 教育行財政の分析もある。
 そればかりか、実際にアメリカに行き調査・研究した立場からアメリカにおけるインクルージョン政策の目的を明らかにしている。


 何故こうも窪島氏の賛美とまったく異なって来るのであろうか。

 800兆を越す政府の累積赤字と事実上の財政破綻を考えないで、「特別支援教育」は、崇高な理念が唱えられていることを信じているからであろうか。

2011年10月27日木曜日

臨調・行革から出された財政削減のための特別支援教育論


西信高氏の論理的分析は、文部科学省が打ち出す方向の本質を突いたものである。
この分析をよく読むと、窪島氏がいかに文部科学省の「代弁」をしているかが良くわかる。
これらの文章を熟読した西信高氏は、次に最も重要な国・文部科学省などの本質を露わにしている短文を見逃しはしない。


既存の特殊教育のための人的・物的資源の配分の在り方
について見直しを見抜くかどうか、で決まる
 臨調・行革から出された財政上の特別支援教育


西信高氏は、特に次の点に注目している。
 第1章の締めくくりとして
「近年の国・地方公共団体の厳しい財政事情等を踏まえ、既存の特殊教育のための人的・物的資源の配分の在り方について見直しを行いつつ、また、地方公共団体においては地域の状況等にも対応して、具体的な条件整備の必要性等について検討していくことが肝要である。」


という文章があるが、特別支援教育にかかわるさまざまな問題を考えるうえでは、この文章は見落とすことのできないものである。
財政問題が本文中でこのように強調されることは、従来の答申や報告にはなかったことである。
これは、言うまでもなく2001年(平成13年) 4月に発足した小泉内閣によって急速に深化することとなる
「構造改革」の一環をなすからである。


臨調・行革・財政・障害者自立支援法


この「自立」は、その後の障害者自立支援法に引き継がれるている。
この法律に対しては、国会上程・審議の段階から、障害者に関連する多くの団体が強く反対した経緯がある)。
応「益」負担の問題等々が指摘され、「自立阻止法」とも揶揄されたのである。
そして政府は法の成立後、このような世論に押される形で負担の軽減策をいくつか打ち出している。




窪島氏が読むべき「重大部分を読み込む」


西信高氏の論理的分析は、文部科学省が打ち出す方向の本質を突いたものである。
この分析をよく読むと、窪島氏がいかに文部科学省の「代弁」をしているかが良くわかる。
これらの文章を熟読した西信高氏は、次に最も重要な国・文部科学省などの本質を露わにしている短文を見逃しはしない。


窪島氏が、文科省、等行政の基本姿勢が不合理として、「予算も人材も増やさず」と簡単に付け足しに書いていることを西信高氏が、同じ障害児教育学の立場から「予算も人材も増やさず」「予算を削る」ことが本質であると見抜く。


西信高氏は、窪島氏と同時代障害児教育研究をすすめてきたが、この「大きな落差」はどこから生じてくるのか次第に解明されていく。


特別支援教育は、学校統廃合のため


後にふれるが、文部科学省が特別支援教育を打ち出した時に、病弱学校、盲学校、聾学校、養護学校の順で学校の統廃合をすすめている計画を打ち出している。
これらの計画は、1960年代から文部省(当時)がすでに打ち出したもので、養護学校義務制を打ち出した時点で、養護学校の義務制で「重度障害児」の教育問題は整理されたとした。


そして、次に来るのは、普通校に在籍する「軽度障害児」だとして調査・検討をはじめたが、そこに「臨調・行革」が覆い被さり、名称の変更と学校(障害児学校も普通校も)統廃合が加速したことは、障害児教育研究を真摯にすすめている研究者なら知っていた。


国の財政破綻の危機と財政削減のため
 つくりだされた特別支援教育


これらのことは、すで聴覚障害児教育関係者はもちろん研究者の中では、1960年代から問題にされていた。

混乱というほどの抜き差しならない状態に陥っている特別支援教育


 特別支援教育指導として普通校に来る教師の少なくない実態は

 ある普通校へ特別委支援としてやってきた障害児学校の教師が、アスペルガーの生徒の指導について詳細に提示し、その指導を教師に求めた。

自分が実践していないから言える「特別支援教育」

 教師たちの中では
「そこまでの取り組みは、とても無理だ。」
という呟きが広ろがったが、管理職の厳しい眼差しの前で何も言えないでいた。
 その時、ひとりの教師が、
「先生の詳細な指導についてのはなしがありましたが、先生のその生徒たちへの実践の取り組みを話していただけませんか。」
と問いかけた。
 すると、
「私の学校にはそのような生徒はいません。」
「だから、私はそのような実践をしていません。」
と答えが返って来た。
 そこで、質問した教師は、
「では、先生のおっしゃったアスペルガーの生徒の指導については、何を根拠にしていっておられるのですか。」
と尋ねると
「本に書いてありました。」
との返事が返ってきた。
 そこでさらに、質問しようとすると、周りの教師から
「もういいでは」
「どっちみち、やれるはずないこと言っているのやから」
「出来ないとわかって,来たというアリバイづくりで点数稼いでいるのだから。」
と多くの教師が引き留めた。
 その質問した教師は、特別支援教育としてやってきた教師の障害児学校に長く勤めていて、子どもたちのことは充分知っていたが、管理職も特別支援教育指導にきた教師も、そのことすら知らなかったのである。


「形だけ」の「おざなり」の特別支援教育でも
  取り組んだことになるからと管理職

 「形だけ」の「おざなり」の特別支援教育でも、取り組んだという「こと」だけでいいのだ、と普通校の管理職が質問した教師に言い放ったのである。
 これらの事例は、数え切れない程ある。
 上から言われるから、ともかく校内研修をやらなければ……となって生徒たちのことを考えているようで、生徒たちを脇にやることがすすめられている。


混乱というほどの抜き差しならない状態に陥っている

 さらに西信高氏は、次のことをも指摘している。

 また別の例を挙げるならば、適正就学に関連しても、障害の「診断」は医師がするものであり教員は関わらないとする考えも根強いものがある。
 医学的診断は、言うまでもなく医師が行う。
 しかし、ADHDやLDと診断された子どもで、心臓病や腎臓病その他の重篤な内部疾患の場合のように、医師からその病院に「入院」するように言い渡された子どもは果たして何人いるのか。
 まさに各方面の専門家との連携のもとで、乳幼児期から学校教育修了後までを見通した中でのそれぞれの時点でのきめ細かな「教育的」診断が、日々の実践に不可欠なものとして強く求められているのである。
 「特別支援教育」は、混乱というほどの抜き差しならない状態に陥っているのではないが、いまここに挙げた例に限らずなお多くの問題をその内部にはらみながら進行している状況にある。


説得力のない なぜ今、「特別支援教育」か

 そして西信高氏は、『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』(2003年3月答申)などを分析・検討して以下のことを指摘する。
 この「概要」では、「特殊教育」を「障害の程度等に応じ特別の場で指導を行う」というように、教育の場、つまり物理的空間に着目して定義している。
 しかしながら、「特別支援教育」については、そのような「場」は問題にせず、「障害のある児童生徒一人一人の教育的ニーズに応じて適切な教育的支援を行う」こととされる。
 論理的整合性は図られていない。
 実際、子どものニーズに応じて「特別の場」すなわち障害児のための学校が必要となる場合もあるのであり、それゆえに特別支援学校として存続させるのである。
 この報告の本論をみると、なぜ「特別支援教育」かといえば、対象の拡大、教育の場の多様化、教育目的としての「自立」の強調、地方分権化のもとでの教育委員会の役割の変化、これらが従来の「特殊教育」では包含できない内容として現れているため、と解釈できる。


 しかし、これとてもやはり説得力には欠けると言わざるを得ない。

 

滋賀大学教育学部窪島務氏はファシズム(fascismo・fascism)の復活のようなハイスピード化を賛美


さらにそして、西信高氏は、島根大学教育学部西信高氏は、

 用語の成熟度如何に関わらず、現実はハイスピードで進行している。
 2001年1月には、文部科学省では、障害のある児童生徒の教育を担当する課であった「特殊教育課」が「特別支援教育課」へと再編された。


 島根県では2002年、松江市では2001年、それぞれ「特殊教育室」を「特別支援教育室」へと組織名称の変更を行っている。
 そのほかにも例を挙げれば、新たに提起された「特別支援教育コーディネーター」も、ごく短時日の間にすでに各学校に配置済みといった状況がみてとれる。
 障害児にかかわるさまざまな問題を、まさに権利の総合的・統一的保障の観点からコーディネートする教員の配置は当然必要ではある。
 しかしながら、「特別支援」ということばをかぶせることの合理性と科学性については、それなりに慎重な検討が不可欠と考えられる。


特別支援教育のハイスピード化にある
 ファシズムの復活を思わせる恐怖

 さらにまた障害児学級の廃止についても、実際に現に実践を進めているその担任が反対を唱える動きも、一部には見られたものの必ずしも全国的なうねりとなったわけでもない。

 このように、いわばこれまでの障害児教育の蓄積を十分に吟味する暇もなく精算し、いとも簡単に政府の提起に従う傾向について、個人的には全体主義の復活を思わせるようなある種の恐怖心を感じている。
格差と矛盾が増大する
特別支援教育と窪島務氏の「墜落方向」

 たしかに、西信高氏の指摘しているように特別支援学校と普通校における特別支援委員会等の設置は、かってないスピードでつくらされた。
 そのため、少なくない普通校では特別支援教育の対象が「ADHD・LD・Asperger」に限定され、それまで対応されていた障害生徒や病弱な生徒は、特別支援教育の対象外とされて行っている。
 また、多くの学校では管理職から「指名」された「特別支援教育コーディネーター」が、なにか新しい特別職、特別任務化のように振る舞っている報告も多い。


文書をよほど熟読していなければ内容を誤解もしくは曲解

 さらに西信高氏は、次の点を指摘する。

 文部科学省関連の文書をよほど熟読していなければ、まさに時々刻々変化する情勢に対応できなくなる。
 現場の多忙化がますます進行する現状の下で、文書を直接読まずにただ伝達だけを受けて、そして内容を誤解もしくは曲解している例も散見するのである。


 彼は、現在の学校現場を直視していることは、多くの例が物語っている。
 しかし、窪島氏はこれらの問題について一切書いていない。
 そればかりか、彼が評価する実践例を行っている教師に対して、学校内の教師からの批判は少なくない。

 ようは、その教師は窪島氏の言う通りや彼の言う枠内での取り組みをして、学校内の取り組みをしないからである。
 また彼が評価する教師は学校では、保健室閉鎖を是認し、養護教諭が保健室にも行けないようにしている。
 文部科学省の特別支援教育研究指定校が終了した学校に行って研究発表するのは文部科学省の追認研究ではないか、などなどのことが報告されている。
 窪島氏は、学校全体や教師たちの状況を見ない。


 
それとは対照的に西信高氏は、

「文書を直接読まずにただ伝達だけを受けて、そして内容を誤解もしくは曲解している」
と具体的問題点をあげてている。

同じ免許状の所持者が
「支援する側」と「される側」に格差づけられる

 さらに西信高氏は、窪島氏が思いつかないような重要な点を指摘する。
 「地域の特別支援教育のセンター的機能」もそのような例の一つである。
 従来障害児学校の多くは都道府県立であるがゆえに、市町村立の小・中学校とは制度的にも機能的にも日常的なつながりは必ずしも緊密ではなく、それでも特に支障が生じない状況があった。
 しかしながら、今後は「小・中学校等の教員への支援機能」「小・中学校等の教員に対する研修協力機能」が求められるものとされている。
 同じ免許状の所持者であっても、その勤務する学校種別により、支援する側とされる側に格差づけられるという問題も指摘できるのであるが、いずれにせよ、障害児学校教員の意識と姿勢の大転換が求められているのである。
 それほどの自覚と責任が障害児学校に満ち、共通認識となっているがどうか。

 時折、障害児学校の教員から、小・中学校の教員は障害児学校についての理解が乏しいとする批判も聞くが、今後はそれは障害児学校側の努力不足によるのであるという点にむしろ重きが置かれることになる。

一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の
障害児学校で長年過ごした教員が
一人の担任が複数の障害児と向き合う
障害児学級の担任に
あるいは通常学級の担任に
いかなる「支援」をおこなえるのか

 また、具体的な授業場面では、一対一かあるいはそれに類似する手厚い教員組織の障害児学校で長年過ごした教員が、一人の担任が複数の障害児と向き合う障害児学級の担任に、あるいは通常学級の担任にいかなる「支援」をおこなうのか。
 こうした課題がまもなく現実のものとなろうとしているのであるが、身近には必ずしも学校側からの切迫感が感じられない。

 まさに、これらのことが今教育現場で如実に現れている。

予算も人材も増やさないこと、そのためのに特別支援教育が打ち出されてきた


 「予算も人材も増やさない」ために特別支援教育が打ち出されてきたことすら、彼は理解できないのでいる。
 特別支援教育は、「予算も財源も増やさない」ことを基底に組み立てられている。
 窪島氏は、文部科学省の特別支援教育の各種文章を読破した上で上記のようなことを述べているのか、それとも文部科学省の特別支援教育の各種文章が読解出来ないのか、そのどちらかである。


相互に交流され広がり、高まり、学び合い、教育に還元された

 さらにもう一つ明らかにしておかなければならないのは、盲教育やろう教育や養護学校教育が義務化されたから、すべての障害児が障害児学校に入学させられた、入学出来たわけでもない。
 すべての障害児に教育を受ける権利があり、それが教育実践として障害児学校のみならず普通校でも証明されたばかりか、相互の教育実践が影響し合い教育実践の広がりと発展が野火のごとく広がっていったことも明らかにしておきたい。

 また障害児学校以上に普通校で障害児が学んだ、それに対する何の保障もないまま必死に教育実践に取り組んだ教師や学校が天空の星のごとくあったこともこの際あきらかにしておきたい。
窪島氏は天空を見ないで夜中の地面を見ていたのかも知れない

問題点と教育展望をハッキリさせた島根大学教育学部西信高教授の論文

 窪島氏の考えに対して島根大学教育学部西信高教授は、すでに特別支援教育の問題点を研究分野からも教育実践分野からも明確に書いている。
 以下、島根大学教育学部西信高教授の「特殊教育から特別支援教育への移行における諸問題Ⅰ 」~ 障害の定義と診断および教育と発達の相互関係~ (教育臨床総合研究6 2007年研究)と対比させながら、窪島氏の「改変」について述べる。


「教育は百年の計」が2年で変更

 西信高氏はまず以下のようなことを明らかにしている。順次述べて行きたい。
 従来の「障害児」教育は、その法令上の定義、制度、実際の運用において、ここ最近非常にめまぐるしい変化にさらされている。
 2001年1月15日、「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議」は『21世紀の特殊教育の在り方について~一人一人のニーズに応じた特別な支援の在り方について~ (最終報告)』(以下、「2001年1月報告」) という報告を出した。
 まさに「教育は百年の計」といわれるように21世紀を展望しているかのようなタイトルとなっている。


たった2年で何の理由もなく特別支援教育の名称が

 しかしながら、その2年後に出された、「特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議」による2003年3月28日付けの答申『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』(以下、「2003年3月報告」) では、「特殊教育」は消え、「特別支援教育」となっているのである。
 わずかの期間のうちに、そもそものおおもとをなす基本的呼称が「特殊教育」から「特別支援教育」へと変わっているのである。


と僅か2年間のうちに「特殊教育」の名称が、「特別支援教育」となった問題点を指摘する。

長期にわたる国民の意識の変化を反映させた
「精神薄弱」が「知的障害」の名称変更と比べてみても

 そして、西信高氏は、

 1998年(平成10年) に「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」が成立し、公的文書において「精神薄弱」が「知的障害」に改められることとなったが、これについてはそれまでの長期にわたる国民の意識の変化が反映されていた。
 つまり、一般的に「精神薄弱」という言い方は差別的な語感を含むものであるとの認識が長い年月をかけて広がっていたのである。

 しかしながら、これに比べれば、「特殊教育」から「特別支援教育」への移行は、そうした世論の成熟という点ではかならずしも十分ではない。