2013年1月30日水曜日

何度も時間をかけて相談する たっぷり、ゆっくり時間をとる この時間こそ大切な時間


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
  複雑な表現への疑問が飛び出した重要な時期を大切に

  「じゃ先生。行かなければならないけどイヤイヤ行く場合は」
 「行かなければならないことがうれしい場合は」
 「行くけれど、行かんならん、行きたくない、行かんならん場合は」

と次から次へと疑問。

 こういった「けれど」という複雑な表現への疑問が飛び出したことは、非常に大事なことである。

 手話には多様な表現形態がある。それは無限だとも言える。
 このことは、1970年代のことであって、現在のような「手の動き」だけで手話表現する傾向とはまったく異質のものであるといえば言い過ぎだろうか。

  「雲」は 「雲」と現せればそれでいいという考え

 例えば、テレビなどの手話では、雲が出てきたという場合、胸のあたりに「雲」を現し、「出る」と表現する。長方形の画面に制約されているためであろうか。
 

「雲がである」というのは、多くの場合は頭上であるから、頭の上に雲を現すのが自然である。
 でも「雲」は、「雲」と現せればそれでいいという考えなのだろうか、それでは手話表現をすでに限定的に現しているの過ぎないのである。

以下参照
 
http://kyoikkagaku.blogspot.jp/2011/12/blog-post_09.html

  「それそれ」とか「そうだ、その通り」
 など表情がぱっと華やぐ
 「行かなければならないけどイヤイヤ行く場合は」

⇒ 「行く」「必要」「仕方がない」
  「行く」「必要」・人差し指と中指で歩く様子を現し、ジグザグ、行きつ戻りつの動きを現す等々

「行かなければならないことがうれしい場合は」

⇒ 「行く」「必要」「うれしい」
     「行く」「必要」・にっこり等々


「行くけれど、行かんならん、行きたくない、行かんならん場合は」
⇒  「行く」「必要」「行く」「イヤ」「けれど」「行く」「必要」
     「行く」「必要」「行く」「好き」「違う」「けれど」「行く」「必要」
   「行く」「必要」・悲しい顔・「押しつけられた表情」等々


いくつかの手話表現のヒントを出す。
 すると、生徒たちの目が輝くときがある。

  「それそれ」とか「そうだ、その通り」なで表情がぱっと華やぐ。
 

  こうなれば、手話表現を自分の中で取り入れ自分の一番いいたい手話表現を取り入れていく。
 
 書いた原稿を書き直したいと言い出すとき

 そうでないときは、何度も時間をかけて相談する。
 


 この時間こそ大切な時間であり、たっぷり、ゆっくり時間をとる。

 生徒たちは、このことから滑空を初めて行く。
 そうなると楽しくなり、一生懸命手話表現を追求する。
 

 ここでもうひとつ大切な事がある。
 生徒たちは、書いた原稿を書き直したいと言い出す。

 それは、うれしい、悲しい、つらい、イヤだった、などの文章表現をもっと自分の気持ちに合った文章表現はないかと国語辞書を引いて、たずねてくる。
 そこで、

「君の表現からすると、心の奥にしまい込んでいた哀しみが抑えきれなくなった。と手話表現通りに言いあらわすことが出来るよ」

などアドバイスして、

「それそれ」

とか

「そうだ、その通り」

などと表情がぱっと華やぐ文章表現をともに考えるようになる。

 ともすれば、近年、文章と手話、音声言語と手話は異質のものであるとか、対立するものであるとか、日本語と違うが言語であるとかの意見が横行しているが、
それは拙速ではないかと思う。





http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/22858909.html
 

2013年1月23日水曜日

適応教育からの脱却は、笑いの渦の中から

 

教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
   鏡の前で手話表現すると

 健聴生徒にも聴覚障害生徒にも「手話」を教える場合は、必ずその手話表現の意味を説明し、その手話表現と自分の言いたいことがぴったりくるかを考えさせた。
 まず難関の聴覚障害生徒の「学校」「行く」「ない」
となって、学校に行くことはない、学校に行く必要はない、ということになる問題に取り組んだ。
 

 手話テキスト通り、と主張して譲らない聴覚障害生徒を

 鏡の前で「学校」「行く」「ない」

をそのままやってみるようにした。
 驚いたのは、聴覚障害生徒である。
 学校に行くことはない、と鏡に映る自分に戸惑いを感じた。

 
  適応させられてきた自分との決別

 この時、自分の思いが、相手に通じているか、どうか、そのことを考えていない自分。健聴生徒から指摘されても譲らなかった自分に対して悩み、動揺しだした
 
 このことは、先生や親の言う通りしてきた、適応させられてきた自分との決別であり、葛藤でもあった。
 

 言葉や文字を自己表現の一つであるという重要なことが、学ぶ機会がなかった、いや学ばさないで「いい」「悪い」だけで言葉や文字を教えられてきたことに対する教育の悪しき反映であったとも言える。
 


 手話であろうと口話であろうと聴覚活用であろうと、この重要な点を飛ばしてはならないのである。
 口話で徹底的に育った聴覚障害者が、口話を否定して手話を主張するときそれまでのことをすべて否定して、「手話唯一論」に陥るのは、教育の中で上記のような取り組みがされてこなかった証でもある。
 聴覚障害生徒のコミニケーションには、唯一絶対な方法はない。
それは、聴覚障害でない人もそうだろう。
 ことばで、すべてのコミニケーションをとっているわけではないからである。

  くりかえすことで強調する「ことば」

 悩み抜いた聴覚障害生徒は、必ず、「学校」「行く」「ない」をどのように表現したらいいか聞いてくる。
 
 

その場合は、「学校」「行く」「必要」とまず教える。
 すると、はなし言葉と手話が合わない、とまた順序性にこだわってくる。

 そういう場合は、「学校」「行く」「必要」「必要」と必要をくり返すことを次に教える。

 すると、「必要」「必要」などくり返す言葉は、はなし言葉にはない、と言い出す。
 

 そこで「なあなあ」「なあ聞いて」、「えらいこっちゃ」「えらいこっちゃ」とはなし言葉に多くあることを言う。
 「ことばのマッチング」だけを教えられてきた聴覚障害生徒には、そのようにくり返すことばは教えられてこなかったために、ここでも戸惑う。
 
      爆発したような疑問が

 このようなくり返しの中で。はなし言葉も手話表現も豊になって行く。
 「じゃ先生。行かなければならないけどイヤイヤ行く場合は」「行かなければならないことがうれしい場合は」「行くけれど、行かんならん、行きたくない、行かんならん場合は」と次から次へと疑問が飛び出してくる。

 爆発したような疑問が次々とでてくる。

 このことは、非常に大切なことである。
 人間の表現は、決まり切った一つのことでなく、無限な表現があることを知って行くからである。

 
  好きな女の子がいても話しかけられない

 このことを理解する聴覚障害生徒と理解出来ない聴覚障害生徒とに別れる。
 理解した聴覚障害生徒は、理解出来ない聴覚障害生徒に「好きな女の子がいても話しかけられない様子」をさまざまなゼスチャーで現し、みんなを大爆笑に誘い込む。

 人のこころと表現。

 笑いの中で少しずつ獲得していくのである。





 http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/22533255.html
 

2013年1月20日日曜日

本当に生徒のニーズを受けとめた教育とは何か、が試された


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

  手話テキストの順序にあてはめると逆な主張になる

  「学校に行かなければならない。」

  という課題に戸惑ったのは、健聴生徒だった。
「ならない。」は、否定ではなく強調。それをそのまま手話テキストの順序にあてはめると、

「学校」「行く」「ない」

となって、学校に行くことはない、学校に行く必要はない、ということになる、という戸惑いである。

  聴覚障害生徒の順序性の拘りの問題と原因

ところが聴覚障害生徒は、「学校」「行く」「ない」は、手話テキスト通りだからこれが絶対正しいのだ、と言いはり、再び「順序性」に拘りはじめた。

健聴生徒は、それでは相手に違ったことを伝えてしまうことになる、と話したが聴覚障害生徒は決して譲らなかった。
「いいか」「悪いか」

 それだけで教えられてきた聴覚障害生徒にとっては、「学校に行かなければならない。」という意味内容を把握するよりも、単語、単語の繋がりで考える傾向は非常に強くあった。

このことは、聴覚障害生徒の責任と言うより言語獲得や文字獲得期における教育指導が大きく関係しているという深刻な問題があった。
言語や文字の獲得の方法論が先行して聴覚障害生徒の理解や言語や文字の持つ意味、内容が教えられてこなかったことが表面化してきたのである。

全面否定か、全面肯定、この中間はないと言う傾向は、あえて言うならろう学校に手話の導入を主張し続ける人々の思春期・青年期の発達と大きな関わりがあるように思う。
なぜなら、人間のコミニケーションは、ある一つの手段だけで成立していないからである。

  教育とは、子どもの「本質」とその力を信頼する日常の単純な営みという単純「論法」が
      子どもたちをのちのち苦しめる

  関西のある一部の大学教授は、次のような事を主張している。

発達障害の子どもの本質、「まじめ、一生懸命、がんばり、やさしい」を現実のものとすることそのために何よりも必要なことは、子どもの「安心と自尊心」教育指導とは、個々ばらばらのスキルを訓練し教え込むことではなく子どもの歩みに伴走しつつ、見通し(展望)を示すことにあります。

展望は、子ども自身の発達する力の中にあります。そのためには子どもの「しんどさ」の深さを想い、「教えない」覚悟と指導技術が求められます。
自らの困難に、自覚して意識的に立ち向かう子どもたちは尊敬に値いすると実感します。教育とは、子どもの「本質」とその力を信頼する日常の単純な営みのことです。
と言いつつ、この子どもたちには特別なスキルが必要と主張して、講座を開いている。

そればかりか、教育とは「子どもの歩みに伴走しつつ、見通し(展望)を示す」と書き、子どもと「つきそって」「展望を示す」として、自然発生的に子どもが発達するかのように描いている。
そう言いつつ、「展望」は、「子ども自身の発達する力の中」にあり、子どもの「しんどさ」の深さを想い、「教えない」覚悟と指導技術が求められ、るとしている。
しんどさの深さを想い、教えない覚悟と指導技術が必要ということは、指導も技術も関係なく、自らの困難に自覚して意識的に立ち向かう子ともたちを「尊敬」するというまったく非論理的主張をなんの恥ずかしげもなく堂々と主張しているのである。

  教えない覚悟と指導技術をすすめればどうなるのだろうか

 このような単純な考えならば、教育を実際にすすめる教師はなんの苦労もいらないだろう。
  聴覚障害生徒は、「学校」「行く」「ない」は、手話テキスト通りだからこれが絶対正しいのだ、と言う聴覚障害生徒に「伴走」して、子どもの「しんどさ」の深さを想い、「教えない」覚悟と指導技術をすすめればどうなるのだろうか。
「うーむーあなたを尊敬する」
と言えばいいのだろうか。
 生徒の持っている内的力を引き出しそれをさらに高めていくための教育

形態は異なっても聴覚障害生徒が早期教育から山城高校に入学してくるまでの教育過程を考えるならば、それまでうけてきた教育の問題点と 関西のある一部の大学教授の主張等は、ある意味共通している。

生徒の持っている内的力を引き出しそれをさらに高めていくための教育は存在しないからである。

  「学校に行かなければならない。」
という課題は、それらを乗り越えた教育としての指導であり、単に手話を教えるという問題ではないのである。
生徒たちのニーズといいながら、あまりにもお粗末な「教育」なるものが横行している今日、あらためて健聴生徒にも聴覚障害生徒にも提起した課題が大切であったと考えている。
 


 

http://blog.livedoor.jp/kasa0774/archives/22458222.html

2013年1月8日火曜日

人間同士のコミニケーションをめざして

 











教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 手話表現で四苦八苦したのは  聴覚障害生徒だった

聴覚障害生徒たちが書いた文章を手話表現する。
まさにこのことが手話弁論大会の重要な取り組みだった。

だが、手話表現で四苦八苦したのは、大会に出る健聴生徒ではなく聴覚障害生徒だった。
私たちは、最初からこう言う言葉は、手話ではこう現す、とは教えなかったし、その後もこれだ、と断定的に手話表現を教えなかった。

 人間同士のコミニケーションをめざして

私は、今もこのことは非常に大切なことだったと確信している。

最近の手話をする人々を見ていると手話表現は、テキスト通りでまるでそのテキストの順序通りしているように思えてならない。

もっと言えば、「機械仕掛けの手話通訳」のように思えてならない。こんなことを書くと非常な反発があるだろう。

でも、私は、手話を教えてくれた数千人のろうあ者のかたがたの手話をどこまでも尊重する意味でも、その力とコミニケーションの創造をどこまでも大切にするためにも、あえて、書いておきたい。

ましてや、日本手話や音声対応手話と言った近年の「決めつけた手話表現」に迎合する気持ちはない。

  手話テキスト通りに手話で現すと
 自分が伝えたいことが相手に違う意味として伝わる

ただ、そう言った傾向が1970年代からあったので、あえて、健聴生徒も聴覚障害生徒もろうあ者や手話テキストを参考にする自学自習をまず第一にした。

一番最初に気づいたのは山城高校の手話サークルの健聴生徒だった。
手話テキスト通りに手話で現すと、自分が伝えたいことが相手に違う意味として伝わることになる、と言いだしてきた。
手話テキストの多くは、多義的表現が書かれていない。
そのため、それをあてはめていくと、違う意味になる。

例えば、「誤解していた」という表現でも、自分が一方的に誤解していたのに、お互いが誤解していたかのような手話表現になってしまうと言うのである。

 10歳頃に形成される抽象的概念を
  充分自分のものにしていない

一方、聴覚障害生徒は、文章や言葉と同様に手話表現の順序性にこだわった。
ここにこう書いてあるからこれでいいのだ、と言って言葉どうりに手話を機械的にあてはめていった。

これに対して、健聴生徒から、そんな手話ではまったく通じない、と言われても聞こうともしなかった。

条件付けられた順序性。
概念を崩しながら新しい概念をつくる。

10歳頃に形成される抽象的概念を充分自分のものにしていないことが痛感された。



      「学校に行かなければならない。」という課題

最近聴覚障害者が書いた「9歳の壁問題」を読んで見ても、書いた本人がこの時期を豊かに過ごしていず、戸惑っていることがよく分かる。


でも、多くの人々は、高く評価するが、そこに書かれている脆さに気づく人は少ない。
手話弁論大会に向けて、健聴生徒にも、聴覚障害生徒にも課題を出した。

「学校に行かなければならない。」

と言う場合、手話でどのように表現するのか、という課題だった。

聴覚障害生徒は、すぐ応えたが、考え込んだのは健聴生徒だった。

 

2013年1月2日水曜日

誰でもこういうことはあるさ


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


   友達作りに努めようとしましたが

 入学直後の一泊研修では、友達作りに努めようとしましたが、うまくいきませんでした。
 しかし、その後も新しい友達作りに努めました。
 相手に対する態度が悪かったり、失敗も多かったです。
 そんな時でも僕を理解してくれる人が現われた時は本当に嬉しかったです。


     人間関係に対する考えが変わってきた

 まだまだ僕の人間関係はよくなったとは言えませんが、努力はずっと続けたいと思います。

  さて、僕はこの頃、今の自分と中学校の自分とでは、人間関係に対する考えが変わってきたのに気づくようになりました。
 
 たとえば、中学校の時は、人に話しかけてもその人が答えずに行ってしまうと、

「あの人は僕に関心がないんだ。」

と思ってすぐ悲観的な気持ちになりました。
 しかし今は、


「ま、忙しいんだろう。」

とか、

「誰でもこういうことはあるさ。」

と考えて気楽に人と接することができるようになったのです。

 それから、感謝の気持ちがいっそう持てるようになりました。

 中学校の時は、甘えや受け身のせいでその気持ちがありませんでした。

  大切なのは、甘えや依頼心をなくすこと

 つまり、「やってもらってあたり前。」から、「やってもらって嬉しい。」に変わっていったわけです。

 大切なのは、甘えや依頼心をなくすことだと僕は思うのです。
 なぜかというと、これが世間には通用しないからです。
 それでもかたくなに甘えを通す聴障生はいます。
 そして、中学校時代の僕もそうだったのです。

 しかし、山城高校に入学して、聴障生の先輩の影響を受けたり、健聴生の友人作りに努める中で僕は、そのことに気づくことが出来たのです。

       難行苦行のはじまり

  悲しい、うれしい、腹が立つ、理解してくれない、いじめられたからいじめ返す、という文章を太らせながらみんなに分かりやすい文章をまとめ上げた。

 この頃、手話弁論大会に絶対参加しないと言っていた聴覚障害生徒から、ポッリ、ポッリと参加の申し入れがあった。
 気がつけば、全員参加することになっていた。

 文章が出来たから、それを手話で表すのは簡単だ、と思い込んでいた聴覚障害生徒は、難行苦行のはじまりだとは思ってもいなかったようだ。