2011年8月31日水曜日

ありのままの事実に目をふさぎ、必要以上の要件を求め、勝手な解釈、根拠のない断定を行う公務災害認定の根本的改革を


山城貞治(みなさんへの通信71)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その51)

(27)障害児学校での腰痛健康診断、けいわん健康診断で、労働軽減が必要とされた教職員に対し、労働軽減のための教職員を配置すること。
(28)障害児学校に、安全で衛生的で働きやすい環境をつくること。
 机・椅子・ベッド・便器などを教職員の作業姿勢を考えて調節可能なものにするとともに、あらゆる設備の安全・衛生点検を行いその改善を進めること。
 また、リフターやリフト付きスクールバスをはじめ先進諸国で導入されているオーダーメイドの人間工学にもとづく機器の導入をはかり、教職員の健康を守るなどの予防策を講じること。

 京都府高は、障害児学校のけいわん(頸肩腕障害)・腰痛裁判で公務災害認定を勝ち取ってきた。この判決に対する細川汀先生の文章は非常に示唆に富むので、紙面の都合で、けいわん(頸肩腕障害)裁判のみ京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」より転載する。

京都地裁判決(1999年7月9日)平成7年(行ウ)第11号
公務外認定処分取消請求事件(一部抜粋)

                                             主  文

1 被告が、原告に対して地方公務員災害補償法に基づき平成3年8月14日付けした公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 原告の業務の過重性
(一) 草創期による過重性



 昭和54年に学校教育法に基づく養護学校の義務制が実施され、従来、学校教育の対象となっていなかった重症心身障害児に対する学校教育が開始された。 原告が本件職場に配置された昭和55年度は、その2年目であり、いわば重症心身障害児教育の草創期であった。そのため、教員は無定量の職務を余儀なくされたうえ、教育内容を自ら考案し実践する過程で、肉体的、精神的緊張を強いられた。また、教員の1週間の動きは複雑であり、さらに、年度により大きく変化した。
 原告はかかる状況の下で、昭和55年4月から昭和59年3月まで重症心身障害児教育を担当したのであり、その業務の過重性は明らかである。

(二) 過密な労働実態の常態化による過重性
 (1) 休息、休憩時間
 制度上の勤務時間の割り振りは、8時15分から17時まで(月曜日から金曜日)、8時15分から12時まで(土曜日)で、そのうち、休息時間は12時から12時15分までと16時45分から17時まで、休憩時間は16時から16時45分までであった。しかし、1日を通して休憩、休息時間をとることはほとんど不可能で、昼休みも食事をするのがやっとの状態であった。

(2) 会議
 授業の前後や勤務時間終了後には、教育内容の検討(方針の検討、教材作り)、合同行事のための打ち合わせ、父母や地域との連繋に関する会議等の各種会議が頻繁に行われ、休憩時間にくい込んだうえ、17時を過ぎることもあり、多数回、長時間かつ高度の緊張が要求された。
昭和58年度には、ほとんど毎日会議が行われた。
 (3) 超過勤務、持ち帰りの仕事
 教材研究、教材作り、子供の記録、指導案作成、実践のまとめ、評価、生活指導などのレポート作成の仕事は、正規の勤務時間内に行うことが不可能で、自宅に持ち帰って行わざるを得ず、通常で毎日1時間半から2時間、学期末や年度末はそれ以上の持ち帰り残業があった。

(三) 教員数の不足による過重性
 本件職場の教員数は、昭和55年度は児童61名に対し12名、昭和56年度は児童67名に14名、昭和57年度は児童71名に対し16名、昭和58年度は児童72名に対し23名であった。
最近の教員数は、平成4年度は児童25名に対し18名、平成7年度は児童21名に対し22名、平成8年度は児童17名に対し17名であり、これと比べて、当時の教員数は大幅に不足していた。
殊に、本件職場は、発達障害の程度が高い児童を対象としていたにもかかわらず、他の障害児学校と比しても教員数が少なかった。
このため、原告が本件疾病を発症した時期には、本件職場で勤務する多くの教員が頸肩腕症候群や腰痛に罹患していた。

(四) 本件職場の環境の不備による過重性
本件職場には、次のような問題があり、これらが教員らに過大な負担を与えていた。
 (1) 教室数が不足していたため交替で教室を使用しており、教室設備も不充分であった。そのため、学習活動に必要な大きな教材を、授業ごとに授業準備として自ら運び、片付けなければならなかった。
 (2) 原告の発症当時、本件職場では、頸肩腕症候群に対する予防、発見、治療対策がとられていなかったため、重症になるまで事実上放置されていた。

(五) 原告独自の事情による過重性

原告は、一貫して、本件職場でも最度重症の児童の教育を担当してきた。また、担当している児童の死に直面した回数も多い。
さらに、昭和58年度は3病棟の代表になり、教員の代表として病院との連・調整役を担当したため、人間関係から心労を感じることが多かった。

4 他の要因の不存在
 原告には頸肩腕症候群や背痛症を発症する他の原因は存在しない。


三 結論
 以上の次第であるから、被告の本件疾病を公務外の災害であるとした本件処分は違法であって、その取消しを求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

HOSOKAWA ADVICE 事実にあたろうとすれば真実が分る
一養護学校教員・小谷さんの裁判勝利確定について一       細川汀
1.裁判の争点

 「頸肩腕症候群」の業務上認定は、被災者の仕事が本人にとって過重であり、この病気を起こしても当然であると考えられること、および被災者の頸・肩・上肢などの痛みが強く、その病像と経過から仕事が主要な要因と考えられること、この二つが明らかであればよい。
 それが労災法および災害補償についての今日の国際的な考え方である。
 しかし、多くの裁判において、国、自治体、企業などは、
(1)被災者の労働条件は過酷なものではなく同僚と同じ程度で、この病気を起こすとは考えられない。
(2)本人の病気は自覚症状のみであり、同じような症状を呈する他の疾病の所見や家事・育児・出産などの負担を考えると、仕事が有力な原因になったとは言えない、と主張し、業務外の裁定を支持した。

職業病の患者を出したという反省どころか攻勢するとは

 職業病患者を出したという反省がみられない。
京都の養護学校教員で入院している重症心身障害児の訪問教育を行った小谷さんの裁判の場合も、被告の基金京都支部は、
(1)被災者がこの病気にかかったとは認めがたい、主治医が鑑別診断を十分にしていない、自律神経失調症、低血圧症、頸椎不安定症、リウマチによるものと考えることができる。
(2)被災者の仕事で負担になる揺さぶり、おむつは行われなくなったし、教材の運搬や児童の移動もそれほどの負荷はなく、授業は上肢作業だけでなく、授業中の着替え・おむつ換え・食事指導は毎日でなかった。人員も全国平均に比し過重ではなかったし、同僚と同程度の「断続業務であった」ことを主張し、証人として整形外科医岩破氏が証言を行った。
一方、保母や介護、給食調理などの職種の「頸肩腕症候群」について、労働省は旧認定基準の中での作業例示の中に含めず「今後検討の上で」と言明したままで、特別の調査委員会も作らず、筆者の研究報告(科学研究助成)も採用しなかったことが、認定や裁判に大きな支障をもたらした。

認定基準の根拠が崩れると 別の理由を出す公務災害認定側

 しかし、95年中災防の「職場における頸肩腕症候群予防対策に関する検討結果報告」が発表され、特定以外の作業でも発症することが確かめられ、この病気が起きやすい作業例として「上肢等の将来の部位に負担のかかる作業」の中に「保育、看護、介護作業」があげられ、97年に通達された「新認定基準」にもこのことが示された。
 これまで認定基準を根拠に業務上を否定してきた基金側は、それでも「混合的、複合的、一時的」作業であるから、「これらの作業と頸肩腕症候群との定型的因果関係を認めたものではない」と苦しい言い逃れをする。
 反面、新認定基準が旧認定基準を引きついだ「3~6ヵ月で軽快」とか「同僚より仕事量が多い」とかの語句にはしがみつくのである。

公務災害認定側の医師の「憶測」を否定した判決

2.判決の特長

これに対して京都地裁の判決はどのようなものであったか。
第一に被災者の症状と発病から進行、および治療の経過を主に医師のカルテと本人の証言によって検討した結果、その自覚症状は全身の痛み、だるさであり、児童を抱き続けていることができず、前屈みの姿勢をとるだけでも痛みを感じ、字を書いたり、包丁を使ったり、雑巾を絞ったり、髪を洗うために手を頭にあげたりする日常生活に支障をきたすものであった。
また、実際に診察した医師の診断によると典型的な「頸肩腕症候群」であり、岩破医師の憶測する病気は認められなかった。
第二に、多くは寝たきりの状態で、筋緊張が強く、変形や拘縮を伴っている重症心身障害児(平均体重21㎏、最多42㎏)の食事、排泄、更衣、入浴、洗面などの日常生活全般にわたる介助、その多くがてんかん、呼吸器系の弱さ、嚥下困難、視聴覚障害、内臓障害を合併する子どもに注意しながら行うさまざまな「授業」、一日中子どもを抱き上げ、抱き下ろす、病棟教室問の坂道を子どもを乗せたバギー等を押して歩く、片手で子どもを支えながら身体を前屈みにして、他の手で子どもにかかわる、前屈みや中腰になる作業がきわめて多い、ことが確かめられた。
また、被災者の職場の職員一人当たり児童数は2.9~3.1人で府下養護学校でももっとも多く、頸肩腕症候群や腰痛が毎年のように発生していた。 

総合して、業務と病気の間の「相当因果関係」を認めた判決

 判決は、養護学校教員の中の発症傾向も合わせて、「児童を抱き上げたり抱き下ろしたりする等の腕を使う労作や児童を支える等の無理な姿勢で腕を中空に保持する労作が多く、上肢、肩、頸部に負担のかかる状態で行う作業である」と結論づける。
 その上で障害の重い子どもが多かったこと、教員数が少ないこと、病休をとったもののしわ寄せがあったことを指摘する。
 そして岩破医師が証言した「1日6~7時間・1週6~7日作業しなければ発病しない」「なで肩という素因がある」「他の病気かもしれない」「私が診た患者はすぐよくなった」というものを根拠がうすいとして否定し、現場も見、労働者の状況もよく知っている主治医(姫野医師)や研究者(垰田医師)の証言を真実に近いものとした。

判決はこれらを総合して、小谷さんの業務と病気の間の「相当因果関係」を認めたのである。
ありのままの事実に目をふさぎ 勝手な解釈 根拠のない断定


 97年、横浜市保母・鈴木さんの「頸肩腕症候群」の裁判において最高裁は二審(東京高裁)の判決について、「因果関係に関する法則の解釈適用の誤り、経験則違背、理由不備の違法が」業務外とした結論を生み出したと厳しく指摘している。
 小谷さんの裁判における基金の主張も横浜市と全く同じようなものであり、ありのままの事実に目をふさぎ、必要以上の要件を求め、勝手な解釈、根拠のない断定を行なったものといえよう。
 この基金の態度はどの府県でもほぼ同じであり、最近のある裁判でも「頸肩腕症候群は病気ではない、現に整形外科学会は認めていない」という弁明を行っている。彼らは98年度の整形外科学会や災害医学会がはじめてこの問題のシンポジウムを開き、事実の理解と産業衛生学会への接近を図ろうとしたことに目も耳もふさいでいるのである。

3.再び被災者を出さないために

 94年の吹田市保母・東海さんの大阪高裁判決や98年の東大阪市保母・山本さんの大阪地裁判決など、保育・介護労働者に対する相次ぐ判決にもかかわらず、基金や各自治体の姿勢は依然として変わらない。
 わずかに横浜市は最高裁判決を「厳しく受け止め、職員の健康と安全に配慮をして、職業病の発生しない職場づくりへ一層の努力」を約束し、解決金の支払いとともに特別健診と事後措置の実施、安全衛生委員会の充実、休憩時間の確保、施設設備の改善、職員の確保などについての協議や公災認定作業の迅速化を図る労使確認書を交わした。

保育・教育・福祉・医療現場の労働条件、職場環境、安全衛生態勢と自主的な活動、労災補償(認定を含む)の立ち後れを痛感

 すでに労働省の「職場における腰痛予防指針」(95年)では、重症心身障害児施設や養護学校などにおける介護作業が労働者に対して「静的又は動的に過重な負担が持続的に、又は反復して加わることがある」として、介護態勢の確立と方法の人問工学的工夫の習熟、介護機器・方法に応じた作業標準の策定、介護者の適性配置、施設・設備の構造等の改善、休憩の確保などをあげている。
 また前述の「頸肩腕症候群予防指針」にも、作業方法・姿勢・動作の改善と作業休止時間の設定、休憩の利用、温度・騒音・空間などの環境改善、特別健診と事後措置、健康相談や有症者の職場復帰や配置転換、職場体操、労働衛生教育などの実施を示している。
 筆者は1968年の秋から労働組合の要請に応えて保育所保母の労働についての研究を行い、さまざまな労働条件、職場環境の改善の提案を行ってきた。
 心身障害施設や養護学校についても1976年ごろいくつかの施設について調査したことがある。
 職員は実に多忙で、作業は分断・重複し、しゃがみ姿勢が多く、休息する間のほとんどないことが印象的であった。
 当時から職場の状況はあまり変化しなかったようである。
 1990年ごろから筆者は学校教職員の過労死や安全衛生の問題にかかわるようになり、改めて保育・教育・福祉・医療現場の労働条件、職場環境、安全衛生態勢と自主的な活動、労災補償(認定を含む)の立ち後れを痛感した。

再び同じことがないように

 小谷裁判判決について京都府(特に教育委員会)がどのように受け止め、今後の認定作業や疲労性疾病の予防に立ち向かうか注目されるが、これは京都だけの問題ではなく、今も全国的に発症が続いている現状の中で、国や各自治体が真剣に取り組むべき課題であろう。
 また、現行の認定基準も実態と学問にそぐわないものであり、早急の改善が急がれる。
 労働組合もまた全体としてこの問題の重要性を認識し抜本的に取り組み、国や基金の姿勢を改めさせることが求められているといえよう。

 再び被災者を生み出さないために。

                 (1999.7.23基金側の控訴断念、勝利確定を聞いて)

2011年8月30日火曜日

健康であることは いい仕事をするための条件 理性的な判断が出来る条件


「労働・基本的人権・いのち」より川人博弁護士講演の概要より

クラブ指導・生徒指導の常識を超越した実態

 教職員の労働について。鷲谷氏の作成し、最近まとめた「山梨県の公立の高等学校教職員組合の教職員対象の労働実態」がある。


まず、「収入生活時間」で、部活。日曜日、男性の平均で1時間26分。

 平均でというのは、やってない人も入れての平均なので、やっている人はもっとやっているということ。
学校の先生の過労死事案をしていると、部活の問題が大きい。
今、八王子の中学校の先生の過労死事案をしているが、部活と進学指導が問題。
東京では「部活未亡人」という言葉がある。
本来は、部活で土曜も日曜も、部活で家にいないからということで言われたが、今はもっと深刻。
 本当にいのちを奪われて、「未亡人」になっている事例がある。
 生活指導も大きな問題。
茨城の事案。例えば、学校の生徒が下校途中で民家の塀に小便する。すると、民家から教師の家に電話があり、教師が行って謝る。
勤務時間にかかわりなく24時間教師の役目を負わされている。
部活動の意義という問題とは別の次元の問題。
どうしてこういう事が起こるのか。

人間の限度を見極めないでいのちと健康が奪われる

 最近私は、「社会的な意義があるからといって、部活にしても生活指導にしても、受験指導にしても、進学指導にしても、「限度を超えて働いてはいけない」ということ。
 私は、日曜日の部活は労働組合が先頭に立って廃止すべきだと思う。
 

 以前、新潟に行ってそう言うと、
「それが生きがいの先生がいるから、そんなことは言えない」
と言う。
 私は生きがいはいいけれど、限度があるということを言いたい。
 そのために多くの人の命や健康が奪われていいはずがない。
 仕事としては大変だと思うが、教師の仕事ではないとわりきればいい。


限度を逸脱して働きすぎている教職員

 女房に日曜の夜に電話があって、「川人先生いますか」という保護者からの電話。
 妻は外出していて私が受け、要件を聞くと

「娘の風邪が治ったので明日学校に行かせます」

というもの。

「それだけですか」
と聞くと、

「それだけです」。
 教職員は限度を逸脱して、働きすぎている。
 利潤追求であろうとなかろうと、働きすぎはいけない。
 働きすぎを容認する考え方はダメ。
 どんなに社会的意義があろうと、いけない。
 
 


 京都府高の学習会に岡村弁護士が来て話をしたらしいが、彼はどんなに忙しくても釣りに行く。それも一つの抑制の仕方で必要なこと。
 
 


 健康であることは、いい仕事をするための条件。
 理性的な判断が出来る条件。
 

 そういう意味でも、今後の研究課題にして欲しい。
 最後は個人的な問題提起になったが、長時間のご静聴に感謝する。

HOSOKAWA ADVICE
  (健康で安全に働くための基礎 ディーセント・ワークの実現のために 細川汀編著「文理閣」より)    
      順応と破綻
 
 疲労は身体に無理がかかっているという警告だから、休憩や休養をすればいい。
 
疲れを知らぬスーパーマンはかえってこわい。病気がじわじわ進んでも、気がつかないから、急に倒れるときがある。
 人間は少しぐらいの無理にはそのうちなれる(順応)ことがあるが、いつかは無理がきかなくなる(破綻)。

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多くの人を自殺に追いやることで 「痛みを伴う改革」と言うのか 今は「連帯の時代」


労働・基本的人権・いのち」より川人博弁護士の講演の概要より

電通過労自殺はバブルの絶頂期だったが

長時間労働は景気に関係なく行われている日本・リストラされる労働者もリストラをすすめさせられる管理職もストレスは増大し続ける。
 「完全失業率と自殺率の推移」の資料を見ると、電通過労自殺の大島君が亡くなったのは91年で、バブルの絶頂期。


 その後、バブル崩壊などがあった。
 不況で、その後の自殺率はどうなったか。
 長時間労働はどうなったか。

 一部には不況で、労働時間が減った企業もあるが、一般的には、長時間労働は変わっていない。
 日本は経済動向に関係なく長時間労働。
 売れなければ売れるまで働く。
 自動車関係は今、月に休みは1日か2日。車を売るために多く働く、それで売り上げを上げようとしている。
 これが日本の企業の実態。
 しかし、労働の成果が思うように上がらず、ストレスになっている。
 バブルの頃は働いたらそれなりに成果があった。
 しかし、今は働いても働いても成果が見えにくい。
 それがストレスになっているし、リストラの不安もある。
 自殺率は人口10万人当たり何人自殺しているか。数年前世界で中位だったが、最近はトップクラスへ。それとほぼ同水準で失業率も。
 自殺で勤務問題が問題と警察庁が認めたもの、1980年は919件、それが1998年は1877件と倍加。

報道されない リストラ通告の翌日に、社寮の前で焼身自殺

 一昨年私は「過労自殺」という本を書いた。労働行政を改善させたいという思いから。この本を読んだ女性から手紙がきた。

 「22歳の会社員。父が自殺し、今は母・私・妹の3人暮らし。父が残した手紙を見ると、相当悩んでいた様子。父はリストラを言いつける仕事。リストラを言いつけた人が会社に文句を言い、採用した父が責任を取らされ配転」

 そこで、会って詳しい話を聞くと、父は、13人に退職勧告をせよと会社に言われ、勧告した。
 そのうち1人が父が採用した人。その父が、残した日記に「自宅近隣にビラをまくとの脅し。自分に対する処分は必至。ローンもあり今会社を辞めるわけにいかない」リストラ通告の翌日に、社寮の前で焼身自殺などの事案も。これは報道されていないが…。
                           

言えるのか 自殺の増加を「痛みを伴う改革」

 リストラで私が、言いたいかというと、リストラをされる側の相談ももちろん多いが、リストラする側の相談も相当数あるということ。

 リストラする側のストレスも相当なもの。ある企業の事案では、解雇ではなく、地方出向ではあったが、受け容れてくれず自殺した例もあった。

 マスコミ用語で言えば、「痛みを伴う改革」。

 リストラをされまいとする人たち、そして、リストラをする中間管理職的な人たち。
 こうした人たちの苦悩が自殺率の上昇につながっている。
 「痛みを伴う改革」という言葉を私は嫌いだ。

26時55分とか、25時16分とかいう表記でいいのか

 山一証券の課長の亡くなる直前の勤務状況。
 日本の大企業の倒産のはしり。その中で、課長が亡くなる。海外出張、帰国後、休みなく勤務。長女の学芸会の約束があったが、自宅で冷たくなっていた。
 このことで言いたいのは、彼のような徹夜労働などは、海外の経済と密接に関係しているということ。
 海外のマーケットが開いている時間は日本では深夜になるが、その時でも働かなければならない実態。
 26時55分とか、25時16分とかいう表記。
 3大女性誌の1つ「女性自身」の編集者で亡くなった24歳の青年の裁判でのタイムカード。

 なんと金曜日の出社は31時14分。
 週刊誌の編集者は夜の仕事が多いというのは想像できるが、31時14分=午前7時14分はひどい。これは記録として残っているからましかもしれないが…。

会社から見放されただけでなく
社会から見放されたという思いが中高年自殺

 企業の生き残りをかけて、市場競争至上主義が当たり前になっている。
 最近は勝ち組、負け組という言葉が流行しているが、競争の中での負け組にならないようにということが今ほど強調されている時代はない。

競争ではなく 連帯の時代

 私はこういう時代だからこそ、競争ではなく連帯を求めなければならないと思う。
 しかし、日本社会の全体の方向はそういう方向では進んでいない。
 失業保険にしても、失業が増えていて、失業期間も伸びているが、給付を減らす方向に。
 何十年働いても1年未満しか失業保険がもらえない。
 転職が容易な時代なら300日というのは長いと感じるかも知れないが、今のような時代は、300日はアッと言う間。今、給付金自体を減らす方向で議論が。

 一昨年、山田洋次の「学校Ⅲ」で職業訓練学校を舞台に中高年のリストラを描いたが、中高年はそうした学校に入りたくても入れない大変な状況。新しい技術がない中高年はミスマッチという。
 職業訓練学校の充実や、失業保険給付金の条件緩和などは急務。
 今は、高い金を払って転職のために準備しなければならないのが実態。
 公的に援助すべきだ。
 セーフティネットの強化が必要。職場の中での働きすぎは社会体制が大きく影響している。
 


 中高年の自殺の増加は、会社から見放されたというだけでなく、社会から見放されたという思いが強いのではないか。


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2011年8月29日月曜日

日本の人権裁判史に残る電通過労自殺最高裁判決


2000年京都府高・京教組共催「夏の労働安全衛生学校」のテーマ「労働・基本的人権・いのち」より川人博弁護士の講演の概要より

川人博講師自己紹介
 1949年、大阪の泉佐野の出身。生まれ。東大経済学部卒。過労死弁護団全国連絡会の事務局長。 過労死関係の本多数。「国際交流のための英語」などもある。
 教職員のいのちと健康と労働について話をしたい。妻が小学校の教師。そういう意味で私も教職員の働きすぎの犠牲者の1人。


コネも何もなく入社した前途は有望な青年が

 電通過労自殺の訴訟は、1つの事件の判決に留まらず、日本の労働者のいのちと健康を守る闘いにとって極めて重要なもので、その判決は日本の人権裁判史に残る。
 電通は毎年新入社員が100数十人いるが、かなりの部分が「どら息子」。3億の金を取りながら、コマーシャルを一切流さなかった。
 


 「ドラマの合間に流されるはず」と言われた企業が、いつまで待っても流されないので調べると、金だけ取って、ビデオは作ったが、テレビ局に何もアクションしなかったらしい。
 政治家の息子だとか、大企業の息子だとかを採用。
 だから、多数の新入社員はいるが、まともに働けるのは少ない。
 大島君はコネも何もなく入社した一人。前途は有望であった。
 一審の東京地裁南裁判長は、「出向」でILOにいたことがある。私の出身高校の三国ヶ丘高校の2つ上の先輩。外国生活が長いこともあって、日本の働きすぎを異常と捕らえる感覚があった。


電通に頭が上がらないマスコミ

 一審の東京地裁判決は、朝日新聞の東京版だが、1面トップ記事だった。
3月28日のニュースには流れない。スポンサーを獲得すのが、電通などの広告代理店。
 「民放」にとって電通は頭の上がらない存在。
 一審の判決が出た時、夕方の時間帯のテレビで報道しないので気になって、朝日新聞に問い合わせた。
 答えは記事として「出す」という返事だった。
 「もしかしたらトップかも」と、にわかには信じられなかったが、実際トップ記事だった。
 その背景に、大島君の先輩で、自殺をした社員がいた。
 その父が朝日新聞の社長だった。
 この朝日新聞社長の息子の自殺については一切報道がなかった。だから大きく報じたとは言えないが、朝日新聞社にはそういう背景もあった。


  革靴の中にビールを入れて、部下に飲ませるのは「面白半分」

 東京地裁一審の判決は、よくできた素晴らしい判決。記事になっていない部分を紹介したい。
 東京地裁判決の一部。宴席で上司が革靴の中にビールを入れて、部下に飲ませる。飲まなければ踵でたたく。これは、両親の調査で判明した。
 一郎君の交際相手が、その事で悩んでいたと言ったので、調べた。
 上司も認めた。目撃者が多数いて、隠しきれないと思ったのだろう。他にも寿司をぶつけたりした。
 裁判官の


「どうして、そうしたのか」

の問に、

「面白半分に」

と上司が回答。

過労死にはある 非人間的な逸脱行為が

 過労死裁判をやっていて思うのは、人間性の逸脱が多々ある。
 どちらが先かは、わからないが、働きすぎると、頭がおかしくなる。
 電通のこの事件は、長時間労働の問題もあるが、非人間的な人間関係も重要な問題。
 口頭弁論で、このことを一番最初に訴えた。
 電通側が訴えたのは、そのことは当時学生の間で流行していた「イッキのみ」と同じ。いじめではないと反論。新入社員の歓迎会で裸踊りなどもある。
 みなさんの教え子もそんなことをさせられているのではないか。
 こんなような非人間的な、常軌を逸した行いが電通であった。


二審の東京高裁の賠償額は減額理由は

 そして二審の東京高裁。
 ここでも会社側の責任を断罪。ただし、賠償額は減額。
 被告側は、「自殺の原因は失恋」と主張。
 一郎君の交際相手が裁判に証人に立つことに。
 会社側は別の原因を出す必要があって、無理矢理に彼女を法廷に出させた。しかし、弁論では、それをうかがわせる内容は一切でなかった。
 それで二審でも勝利。


おかしい 「まじめで責任感が強かった」ことが、賠償減額の理由

 残念なことに、二審は、「まじめで責任感が強かった本人にも責任がある」と判決。そういう意味で、高裁判決は問題があった。
 「まじめで責任感が強かった」ことが、賠償減額の理由になるのはおかしい。 また両親が、助言しなかったことにも責任があるということで減額になった。この判決には両者とも上告した。
 
 それで最高裁で画期的判決が出された。
 最高裁小法廷は、五人で判決。会社に責任がある、減額には問題がある、と二審差し戻し。
 最高裁でこういう判決は初めて。基本的には一審判決に戻った。
 企業側の責任を認めた上で、両親の監督責任を認めない。
 まじめな本人に責任があるというのもおかしい。
 本人の性格も含めて会社は採用しているのであって、これも会社の責任とした。


「殺されても離すな」と言っておいて
 死んだら本人責任とはひどい

「鬼の十則」というのがあって、鬼のように厳しい規則がある。電通の社員がもつ手帳に書かれている。
 「殺されても離すな、目的達成までは」など。


 二審の東京高裁判決のまじめで働きすぎたのが悪い、などというのはあまりにも理不尽。
 私が裁判で電通では「殺されても離すな」と言っておいて、死んだら本人責任とはひどい、と言うと、電通側は「命令ではない」と言い訳。
 最高裁は、高裁差し戻し。裁判所としては早く和解すべきとの見解。最終的に和解した。


「企業側の責任」ではなく
「自殺で、企業がどれだけ損害を被ったか」

10年間で「会社の損害論」から「会社責任」へ変化
 和解はお互いに譲歩したというイメージがあるがそうではなく、裁判以外で決着すること。
 会社側の責任を認めて賠償金を支払うことで合意。
 本人死亡から約10年。
 会社側の謝罪で終わった。


 今でこそ、理解されるようになったが、一審で裁判をたたかっていたとき、新聞記者から「会社側はいくら遺族に請求しているのか」と聞かれたことがある。
 このように10年前は、「自殺で、企業がどれだけ損害を被ったか」という感覚はあったが、「企業側の責任」などという意識はほとんどなかった。
 

職業病などでの闘いの中で
訴えてきたことがようやく認められた最高裁判決


 最高裁判決の画期的な内容

 こういう事案もあった。36歳の社員が東北で自殺。
 会社から遺族が呼ばれて、「謝罪文」を会社側から書けと言われた。
 両親は納得できず、私に相談。
 会社の感覚としては、自殺でなくなるというのはとんでもないこと、という考え。
 最近の数年間でようやく意識が変わってきた。
 今度の判決は過労死をめぐるものの集大成と言える。
 
 


最高裁判決に

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負担等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。」

という文章がある。
一昔前ならこんな書き方はしなかった。
 異常な出来事があって、病気になった場合は、労災を認めたが、蓄積疲労の場合は、長い間認めてこなかった。ところが今回、最高裁が「周知のところ」と認めたのは画期的。当たり前のことではあるが…。
 また、労働安全衛生法65条の3は特別な危険な仕事のことだけではない。すべての労働者の事を言っている、としている。


「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務遂行に伴う疲労や心理的負担等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり」~。

 当たり前のことではあるが、当たり前のことを明確に述べたという点で、非常に重要な判決。

 われわれが、職業病などでのたたかいの中で、訴えてきたことがようやく認められた。
 今回の最高裁判決は職場での健康を守るたたかいに生かしていただきたい。


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まじめで責任感が強かった本人にも責任がある、と断罪する 過労死判決を教職員は許すのかとの意見を

 

 山城貞治(みなさんへの通信70)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その50)


(26)教職員の精神衛生上の対策として、各種休暇制度を、授業や仕事の補充を無くし、自由に気兼ねなく休めるようにする。
 また生徒の諸問題を教職員個人の能力や資質や責任に返すことを取りやめ、学校として集団的に対応するとともに、学校教育の果たす役割と社会の果たす役割を区別し対処すること。
 また、管理職は、上意下達のやり方を直ちに改めること。


びっくり 大企業の役員からお礼と組合の意義を強調されて

 京都府高労安対策委員会は、さまざまな学習会をしてきた。
 特に、それらを京都府高労働安全衛生闘争その手引きとして発行してきたが、その中で特に岡村親宜弁護士の「安全配慮義務の法理とその活用」については、大企業の経営者から

「インターネットのホームページを見させてもらった。安全配慮義務について参考になる本を探しているが、どれも難しい内容が多い。労基署などに問い合わせても的を射る答えは返ってこない。その点、送っていただいたパンフレットは大変わかりやすく書かれていてとても参考になった。あれは本にして出版した方がいいと思う。」
「安全配慮義務が、明確な概念として使われ出してから、企業としてもどのように対応したらよいか苦心している。
 特に雇用形態が流動化していく中で、パートや下請けの方たちにも対象にして考えていかなければならないと思っており、実際、下請けお方にも入ってもらって委員会を作ってもらっている。」

などなどの「激励」が寄せられた。
 さらに教職員組合が府高のような労働安全衛生に取り組むことについて「大変いいことだ。」「組合こそが職場を横断的に把握出来ているから。」「この労働安全衛生活動に取り組むことは大変有意義があると考えられている。」


などなど思いもしない連絡があった。
「まじめで正直は、だめだ。」と言う判決が出たんですよ。
      教職員として、どのように思われますか

 だが私たちには、岡村親宜弁護士の「安全配慮義務の法理とその活用」の学習会で提起された「東京高裁では、「まじめで責任感が強かった本人にも責任がある」と判決。
 そして「まじめで責任感が強かった」ことが、賠償減額の理由になった。
 「みなさんは、これまじめに、一生けんめい働ければ」と生徒に言ってきてませんか。
 「まじめで正直は、だめだ。」と言う判決が出たんですよ。
 みなさん。教職員として、どのように思われますか、と言う提起だった。

 そのため電通過労自殺の訴訟の最高裁判所の弁護を行った川人博弁護士に来ていただいて講演していただこうと思い至った。
 以下、その講演内容の一部を京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」から紹介させていただく。
 その前に川人博弁護士の講演を聴いた教職員の感想を紹介させていただく。


本当に画期的ですばらしい判決電通過労自殺最高裁判決 
 自分の仕事の仕方やストレスの対処を改めて見直すきっかけとなるお話でした。
 特に、川人先生のお話は、夫が会社員ですので、身につまされるものでした。どうしたら、企業の体質を改善することができるのでしょうか。
 どうしたら、もっと人間らしい健康的な生活を営むことができるのでしょうか。
 当然ながら運動や告発を続けていくしかないと思いますが、企業では、組合が御用組合となってしまっているので、ほとんど使用者側のやりたい放題となってしまっています。
 ですから、電通過労自殺最高裁判決は本当に画期的ですばらしい判決だと思います。
 この判決をきっかけとして、多くの企業が労働・安全・健康について深く考えたり、反省したりしていってくれることを期待します。また、私達もより健康で安全な生活を目指して、一層運動をすすめていきたいと思います。


教職員の健康破壊は一向に改善されません
 他県の者でも参加させていただき大変ありがとうございました。
 具体的でわかりやすい内容で久しぶりに学生に戻った様な充実した気分です。岐阜でも各校に衛生委員会体制はひかれたのですが、ほとんどが有名無実で形を整えたにすぎない情況で、さまざまな健康破壊の状況(最たるは過労死ですが・・)があってもあくまでも当事者の問題とやり過ごされてしまっています。
 なにより当事者の教職員の健康破壊は一向に改善されません。(そうした意味でもこうした会を親組合が開催できる事はすばらしい事と思います。)
 本日の講義で当たり前の事を当たり前に感じる事と「いのちと健康と労働」の様なニュース等の発行等となにかできる所から一歩ずつ動いていかねばならないなと改めて元気をいただけた気がしております。


自らの健康について自分だけの努力でなく
 たくさんの過労死事例を聞き、とても疲れました。
 しかし、その事が身近に迫りました。私たち自身が自らの健康について自分だけの努力でなく、組織的に考え直さなければと思いました。

考えてみたい 会的意義のある仕事は働きすぎてよいのか?
社会的意義のある仕事は働きすぎてよいのか?
という問題について考えてみたい。


あたり前のことを再認識させられ
 U先生のご案内でやってきました。来てよかったです。

・社会的に意義があるからといって働きすぎてよいのか。
・労働には限度・抑制がある。
・よい仕事をするためにはゆとり、健康が必要。

ほんとうにその通りです。
 あたり前のことを再認識させられました。

組合活動も意義はあっても過労に拍車をかける
 教職員組合本部は忙しそうで、労安どころではないという気がします。組合活動も意義はあっても過労に拍車をかける現実です。
 取捨選択するとすれば、労安を第一に取るべきと仲間を失った養護教諭の私は考えるのですが、組合活動の中央にはなかなかなり得ない状況はあります。
 でも、今日の川人さんの話、京都の活動に参加でき、前進はあると実感できました。京都のUさん、ありがとうございました。

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障害のある教職員に 元学校教育課長のじわじわ退職を迫る陰湿な態度に笑顔の反撃


 山城貞治(みなさんへの通信69)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その49)
 (25)管理職などの、威圧的態度、要求無視、高圧的態度、人権無視、学校の民主的運営の破壊などは、教職員のストレスを増加させ、精神衛生上もっとも悪いものになっているのでやめさせる。

 京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」1999年1月。 府高労働安全衛生対策委員会の調査で、昨年12月中旬障害児学校長(前府教委学校教育課長)が、「異動希望調査書」にもとずくヒヤリングで「留任」を希望する寄宿舎教育ベテランの女性教職員のA先生の人権無視し、退職を示唆する「追及」を平然と行っていた事実を明らかにした。以下掲載する。

寄宿舎のない学校へ転勤と
「退職」せまる元府教委学校課長だった校長

学校長は、まずA先生に「50歳か。一番年上で長老やな。」と言いながら
「M養護学校しかないな。でも、Mには寄宿舎がないから、やっぱり、ここしかないな。」
と話しています。校長は、府教委の学校教育課長をしていて、M養護学校には「寄宿舎」がないことは百も承知。
 それをあえて、A先生に校長は切り出しています。
 この時点で、A先生は、話の方向が変だなあ、と感じたとのこと。
同一職種のない職場への転勤を主張する学校長の発言は、明らかに「退職を示唆」したもの。
 民間の会社で行われているリストラ攻撃と同一の手法を学校長は使ってきたと言わざるを得ません。
制度的保証がないと障害のある教職員に「退職計画」せまる法も知らない校長
さらに学校長は、A先生に
「障害の等級はなんぼやったかな。」
と聞き、A先生が
「1種2級です。」
と答えると、
「あっ、昨年も聞いたな。あと10年だけど将来構想はどう思っている。」
と聞き、A先生が
「特別には考えていません」
と答えると、校長は、
「1種2級の障害があっても、みんなと同じように仕事をしてもらわないと制度的保証がないので困る。」
と言い、それに対してA先生が、
「障害があって体力的にしんどい時もあるが、職場のみんなの協力や励ましでがんばって仕事をしている。」
と答えると、校長は執拗に何度も
「あと10年だけど将来構想はどう考えているのか」
と聞き続け、A先生を追及し続けました。
 校長の  執拗な追及によるショックで……
そのためA先生は、次第に追い詰められ、自分の将来の健康の不安も加わり動揺したそうです。そのため「身体が続かなくなったら……」と言うよう
な話をしたそうですが、校長のあまりにも執拗な追及によるショックで頭の中が一杯になっていたとのことです。
「身体が続かなくなったら……」と言い出した時から校長は、「異動調査書」をA先生に見せ、「(人事は)3月31日まで動いているから、気持ちが変わったらいつでもいいから直接言いに来なさい。」と言ってヒヤリングを終わったとのこと。

  厳しい労働条件の寄宿舎で必死にがんばってきたのに

A先生は、27年をこえるベテラン寄宿舎教職員。
障害を持ちながら障害児の養護・訓練の学習はもちろん夜間勤務も含む交代制勤務の厳しい労働条件の寄宿舎で必死にがんばってこられました。
それまで歴代の校長は、

「出来ることでがんばれば……」
「細く長く働くように」

とA先生を激励してきたそうです。
が、今回の学校長の態度。
憲法、労働基準法、労働安全衛生法や障害者の雇用の促進等に関する法律、雇用対策法、障害者のリハビリテーション及び雇用に関する条約などなどをあげる必要もないぐらいの人権無視の高圧的態度。しかも府教委の学校教育課長の経験者であったとのですから驚きです。

府教委の
 「新年を迎えて」の決意に「逆行」している校長
                                
府教委は元旦付けの「新年を迎えて」という文章を教職員に配布し、昨年が世界人権宣言50周年であったことなどを述べ、
「一人ひとりの尊厳と人権が尊重される社会の実現」
を強調し、
「『京都府障害者基本計画』を踏まえ、障害のある児童・生徒の社会参加と自立の促進を図るため、一人ひとりの障害の状態、発達段階、特性などに応じたよりきめ細かい教育をすすめてまいります。」
と述べている。
しかし、府教委の主張とは裏腹な現状が進行しているのです。          

痛めつけられて苦しめられたA先生の握りしめた拳と笑顔

  京都の冬は、身体まで凍らせる底冷え。A先生を訪ねて事実を聞きいたが、ただうな垂れて一点を見つめるばかり。かなりのショックを受けていた。
「1種2級の障害があっても、みんなと同じように仕事をしてもらわないと制度的保証がないので困る。」
と言う校長は、どれほどA先生を苛み、傷つけたことだろう。27年も働いてきたし、「同じ仕事が出来なかったら退職せよ」と校長が言っていることは明らかだった。
  「(人事は)3月31日まで動いているから、気持ちが変わったらいつでもいいから直接言いに来なさい。」
と言う言葉は、真っ赤な嘘。
退職は事前に言わなければならないし、3月の内示が出れば、人事異動はないことはみんな知っていた。
この間の府高労働安全衛生の取り組み、障害児学校の校長が、障害を理解できないばかりかそれを理由に退職させようとする。こんなことを許してはならないし、A先生も定年まで働きたい希望を持っている、そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。

  時間とともに、A先生は実名を出してもらってもいい。「教職員のいのちと健康と労働」に自分のことを載せてもらってもいい。そうすることで他の障害者の教職員や病気で苦しんでいる先生が退職を迫られたり、強制異動を少しでも減らせるのなら、と笑顔で話されるようになった。

そして、上記の文章が「教職員のいのちと健康と労働」に掲載された。
A先生の異動の話はピタッと止まり、同様なことを言われていた教職員の「退職」や「異動」の話はなくなった。


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生徒たちが働くときの  コンピュータ労働(VDT労働)の典型環境を示して、と


山城貞治( みなさんへの通信 68)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その48)


(24)各学校のコンピューター使用については、教職員にVDT使用時の労働安全衛生基礎知識を教えるとともに、作業環境、使用時間などの労働省基準を上回ることはもちろん、日本産業衛生学会の「VDT作業に関する委員会報告」を尊重させる。
 現在実施されているVDT健康診断を希望者だけに限定せず使用者全員が受診できるようにすること。
 またVDT健康診断の内容を大幅に完全すること。また健康診断結果について集団対策を講じること。
 各校に設置されている各種コンピューター教室は、VDT作業の手本となる環境を作ること


コンピュータ教室のホルムアルデヒド

 A高校では、早くからVDT労働(わかりやすくコンピュータ労働)と言っていたの問題点や、コンピュータ操作、環境について問題点を広げてきた。
現在では、情報教育と言われ、学校教育に導入されているが小学生が大人の機械(子供用のコンピュターを導入していないため健康を害する生徒は後を絶たない。)を操作する問題点やコンピュータ教育の環境などが全く子どもの身体を考慮されていないなどの問題も多い。
A高校では、それらを含めて生徒や教師に説明をしてきた。
 しかし、早くからコンピュータ教室があるのに改善もされなかったし、事務室・職員室などのコンピュータ労働の環境は改善されなかった。

 ところが保健部が文部科学省の学校環境調査に基づいて「ホルムアルデヒド」などの検査を学校薬剤師に「あえて」してもらうことにした。
なぜなら、コンピュータ教室の授業を受けた生徒が、気分が悪い、目がチカチカするなどの訴えが多くあったからである。
そこで、夏場に測定してもらうことになったが、当時これらの測定器は不足していて学校薬剤師が奔走して借り受けてきてくれた。

新設時からかなり高い濃度のホルムアルデヒドが

測定結果は、ホルムアルデヒドが高い数値で検出され、他にも有害物質が感知された。
コンピュータ教室が作られて数年経っていただけに、新設時にはかなり高い濃度のホルムアルデヒドなどが教室に充満していたことになる。
早速事務部と相談したところ、業者に問い合わせをしてくれて「床面」「壁面」に大量のボンドを使用したことが解り、それが夏場の暑い時期にホルムアルデヒドが教室に「散布」していることが解ってきた。

シックハウス症候群などが社会問題しなかった以前の苦労

だが、この改善も大変なことで、事務部の人々は何度も府教委に足を運ぶことになったが、府教委は新設した責任もありなかなか「改善する」とは言わなかった。
今でこそ、シックハウス症候群などと言えば通じるが、それが社会問題する以前のことだけに事務部の人々は並大抵の努力ではなかったし、必要な書類や資料、データーなども求められたので提供した。

改装業者も健康被害を心配

結果的に、夏休み全面改装が認められたが、その時、コンピュータをブラウン管方式から液晶に変更してほしい、イスはコンピュータ用か、せめて肘付きイスに変えてほしい。換気扇はを増設してほしい。との要求を出した。
それは、卒業してコンピュータ労働に携わる生徒たちが、コンピュータを扱うときは、どのような環境が必要なのか、またブラウン管方式では机を占有し、生徒は、資料などを足の上に置き首を上下、左右に動かしているという問題があったからである。
デスクワーク出来ない状況下で授業を進めるのは問題がある、と説明した。この時も事務部の人々は、教師より早く理解をしてくれたが、問題は費用だった。

 学習指導要領で情報教育が選択科目から全員必修科目になることが明らかになることが明らかであったので、府教委も渋々認めてコンピュータ教室の全面改装がされた。

作業をしている業者は、「今までのボンドがそんなに身体に悪いとは知りませんでした。
 私らだいぶどころか、吸い込んでばかりでっしゃろ。大丈夫でっしゃろか。」「今度の接着剤は、一切そんなもの含んでません。」「こんなものあるなら、最初から…」と話していたが、まさにそうだった。

絶対必要 生徒・教職員・業者にも身体を害することのない環境

生徒にも教職員にも、業者にも身体を害することのない環境は絶対必要なことだった。
出来上がったコンピュータ教室は、事務部が照明位置(ディスプレーとキーボードの明るさの差を直す、グレアーをなくす)も変更してくれていていた。
生徒は、明るく、机の上での作業がしやすくなったし、何かしら空気が違うようになったと喜んでいた。
それから、徐々に教職員のコンピュータ環境が改善されたが、事務部の人々が一番後回しになってしまった。


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コンピュータ技術が病的なストレスを生む一つの条件であることが明らか、と労働安全衛生からの警告

 山城貞治(みなさんへの通信67)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その47)
(24)各学校のコンピューター使用については、教職員にVDT使用時の労働安全衛生基礎知識を教えるとともに、作業環境、使用時間などの労働省基準を上回ることはもちろん、日本産業衛生学会の「VDT作業に関する委員会報告」を尊重させる。
現在実施されているVDT健康診断を希望者だけに限定せず使用者全員が受診できるようにすること。
またVDT健康診断の内容を大幅に完全すること。また健康診断結果について集団対策を講じること。
各校に設置されている各種コンピューター教室は、VDT作業の手本となる環境を作ること。
については、京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」」1999年5月で、次のようなことを知らせた。

 4月に府教委が府立学校の教職員のコンピュータ操作可能人数などを調査しています。その事を聞いた教職員は、「みんながコンピュータを使わされているのに、府教委は、何を調査するのやろ」「府教委は、コンピュータを購入しないで教職員にコンピュータを買わしておいて、調査するだけ?」などの意見が出されています。
府教委は、教職員がコンピュータをどれぐらい操作できるかなどの調査を行っても教職員のコンピュータ労働に対する労働安全衛生対策とそのための調査はまったく行っていません。
そこで、今後順次コンピュータ労働(VDT労働)の問題をとりあげて行きたいと思います。

コンピュータが病的なストレスを生む
    一つの条件であることが明らか

  「ストレスとつきあう法ー心理学からのアドバイスー ゆうひかく選書」に衛生学・人間工学の立場から中迫勝氏が、コンピュータ労働について以下の点を指摘されています。

「テクノストレスとは、文字どおりテクノロジーによって生じる病的ストレスと言う意味に使われています。コンピュータ技術とストレスの関連について、最近20年間の研究調査の成果を調べてみると、コンピュータ技術が病的なストレスを生む一つの条件であることが明らかになってきます。

二つに分かれるコンピュータ技術

 ここでいうコンピュータ技術は、大別してコンピュータ機器そのものにかかわるものとのコンピュターの頭脳となるシステムに関わるものに分けることが出来ます。
まず、コンピュータと関わりのある人々におこるさまざまな障害について少し見てみましょう。
コンピュータの精神ストレスは、精神疲労による神経症傾向を示す人が多い
精神ストレスの代表事例としてテクノストレスがしばしば引用されますが、コンピュータ作業者の精神ストレスは、神経症のような傾向を示す人が多く、とくに、プログラマー、システムエンジニア、管理職に携わる人の半数以上が心のカウンセリングが必要であるという報告もあります。
その大半は強い精神疲労に起因しています。

 自律神経失調症、胃潰瘍、十二指腸潰瘍
     高血圧などを引き起こす心身症

 またストレス症状として全身がだるい、動悸がする、頭が痛い、頭が重いのほか不安、いらいら、夜眠れないなどを訴える自律神経失調症、これらの症状に加えて胃潰瘍、十二指腸潰瘍、高血圧などを引き起こす心身症があります。
ブロードのいう『テクノ依存症』『テクノ不安症』は神経症の範疇には入るもので、さまざまの不安、葛藤、焦燥感などのストレスが核になっています。
 『テクノ依存症』は仕事人間がかかりやすく、疲労によって精神がむしばまれて、自分の思考が硬直していくことに気がつかなくなってしまいます。
 あげくの果ては、仕事の能率は極端に低下し、ミスを犯すことが多くなってきます。 『テクノ依存症』の人々の行動様式は日本の仕事人間のそれと著しく類似している点が多いようです。 ー略ー 『テクノ不安症』は、職場へのコンピュータ導入によって生じる機械に対する不安、仕事に対する不安・心配・恐怖が核になっていることが多いようです。」

筋骨格系の病気と目の疲労

 「コンピュータの利用と関連した『筋骨格系の病気』と『目の疲労』も先進工業国で大変大きな社会問題になっています。
さて、目の疲労ですが、コンピュータ作業者に特異な疲労症状は、目が疲れる、目がいたい、目が赤く充血する、目やにがでる、眩しく感じる、涙がよくでる、ものがぼやけてみえるなどの愁訴があります。目の疲労は画面や文字の注視と関連しています。 特にコンピュータの画面の文字がぼけていたり、文字が暗すぎるといった画質の悪い条件や照明環境の悪い条件が重なると目の疲労がよりいっそう促進され、症状が増悪します。
 最後に、『筋骨系の病気』について見てみましょう。
この病気は医師、専門家、研究者の中では『頸肩腕障害』と『背腰痛』として広く知られ、アメリカやヨーロッパの諸国でもコンピュータ・オペレータの中にこのような障害を持つ人や障害を訴える人が急増しています。
 特にアメリカでは全労働者の500人に一人が手、手首、腕等の局所筋に痛みやだるさの症状をもち、機能障害を受けていると言われています。1989年度に発症した機能障害者数は職業病と診断された労働者28万4000人の半数にものぼり、その数は十分な予防対策がないとこれからますます増加すると予想されます。」
と紹介し、さらに、

コンピュター労働は連続1時間を超えないようにし
  10~15分の休止時間を、と労働基準監督署局指針

 京都労働基準局は、すでにVDT(Visual or Video Display Terminals )作業の指針を出し、1988(昭和63)年の調査でもコンピュター労働によって「目の疲れや肩、腕、手指のしびれ、背中、腰の痛み、精神の疲れ」などの疾病がますます増えて行くとして、「VDT作業のための労働衛生上の指針」(労働省1985・昭和60年)を遵守し「VDTによる疾病の予防を万全にするよう」にという文章を配布しています。
 しかし、これらの「指針」は、京都府・京都府人事委員会・府教委によって教職員にはほとど知らされていません。
 そこで、「VDT作業のための労働衛生上の指針」の概略と、この指針に基づいて自治労連A市職労が1986(昭和61)年3月に当局と結んだ「VDT作業に関する協定書」を掲載します。

労働省労働基準局「VDT作業のための労働衛生上の指針」の一部紹介
作業環境管理
(1)照明及び採光 
      室内は、出来るだけ明暗の対象が著しくなく、かつ、まぶしさを生じさせないこと。(以下2点)
(2)グレアの防止
      CRTディスプレイは、作業者の視野内には高輝度の照明器具・窓・壁面や点滅する光源等が 
     なく、かつCRTディスプレイ画面にこれらが映り込まないような場所に設置すること。(以下5
     点)
(3)騒音伝ぱ防止
    プリンターなどから不快な騒音が発生する場合には、騒音伝ぱの防止措置を講じること。
 (4)その他
   換気、空気調和、静電気除去等について事務所衛生基準規則に定める措置をはじめとする必
   要な措置を講じること。
  作業管理
 ・作業時間は、「視覚負担をはじめ心身の負担を軽減するため、できるだけCRTディスプレイ画面を注視する時間やキーを操作する時間が短くなるように配慮することが望ましく」「一連続作業時間が1時間を超えないようにし、次の連続作業時間までの間に10~15分の作業休止時間を設け、かつ、一連続作業時間内において1~2回程度の小休止を設けること。」などが指導されています。
 そのほかに、VDT機器等、CRTディスプレイ.キーボード.イス.机または台.機器等の調整。VDT機器等及び作業環境の維持管理、日常点検と調整.定期点検.清掃健康管理、健康診断.労働衛生教育などが明らかにされています。 

VDT作業に関する協定書

VDT作業に関し、A市とA市職員労働組合は、下記のとおり協定する。1986年3月
                                    記
1,事前協議制について 労働条件にかかわる事項について事前協議し、合意するものとする。
1,研修・教育について VDT作業に従事する職員に対して、労働安全衛生教育及び機器操作等について職場内研修を実施する。
1,具体的作業基準について
(1)表示画面は前後及び上下に動かせるものとし、反射防止、放射防止をほどこし、文字の大きさ、文字フォント等配慮するものとする。
(2)入力・操作装置は、表面を眩光及び鏡面反射防止をほどこしたものとし、表示表面装置と分離し、作業者が高さ等を容易に調整できるものとする。
(3)椅子は、背もたれのあるものとし、高さ、角度が容易に調整できるものとする。
(4)作業卓、書見台等作業のための適正な設備を設けるものとする。
(5)作業時間は、常時従事者について原則として4時間以内とする。一連続作業時間は、おおむね45分とし、15分程度の作業休止時間をとるも       のとする。 
(6)照度は、500~600ルクス程度を確保するものとし、採光や照明が直接画面に入らないような環境を整備するものとする。
(7)従事職員の健康管理は、定期的な健康診断を行うなどの対策をとるものとする。
①健康診断は、常時従事者について実施するものとし、配置後1ヶ月以 内及び年1回の診断を行うものとする。 
 ②健康診断の内容は、眼科検診(視力・調節機能等)及び頸肩腕検診とする。
 ③健康相談を実施し、健康障害の予防を図っていくものとする。
(8)妊娠中の女子職員は、常時従事をさせないものとする。
(9)新しい知見の収集に努め、今後の開発や研究の成果の動向をふまえ、検討を加えるものとする。


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