2012年6月28日木曜日

生徒の要求運動から出てきた朝鮮語を!外国語講座に が中国語に変更された


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育


ー京都のほどんど知られていない
     障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョンましてや特別支援教育ではなく(16)

 ザ・タイガースの人見豊氏(瞳みのる)が復学出来たことと、彼が在学に中国語を選択したことには、重要な意味がある。

彼が、復学を申し出た頃。
 山城高校では、聴覚障害児を受け入れ教育をしてほしいという京都府教育委員会からの申し入れに対して教職員の間で大論議、対立が生じていた。特に全日制(普通科・商業科設置)よりも定時制(普通科)のほうが激しかった。

「教室にストーブを」「グランドに照明設備を」
「授業料を安く」
「仕事が終わって急いで学校に来ても空腹せめて、パンと牛乳を」
「在日朝鮮人生徒のために母国語を学ぶ機会を」

 京都府立山城高校は、もともと夜間中学校(旧制)からはじまったものであり、苦学生が多く学んでいた。そのため学習意欲は非常に強く、少なくない生徒が卒業後昼間でも入学困難な大学に進学していた。
 寸暇を惜しんで、食べるものも食べられないで学習する気持ちは「夜学生の詩」として数多く綴られ、伝承されてきた。

 これらの状況は、1970年半ば以降、一変するが、京都府立高校の中で際だって山城高校定時制の生徒たち、生徒会の行動は活発だった。

 今日では、信じられないだろうと思うが、教室は電球がわずか。

 うす暗い教室に冬は長火鉢という環境の中で、生徒たちは結束して

「教室にストーブを」
「グランドに照明設備を」
「授業料を安く」
「仕事が終わって急いで学校に来ても空腹せめて、パンと牛乳を」
「在日朝鮮人生徒のために母国語を学ぶ機会を」

などなどの要求をかかげ、時には京都府教育委員会にまで行ったりしていた。
それだけ、夜間定時制の勉学条件は悪かった。

  選択科目中国語の設置と人見豊氏(瞳みのる)

 切実な要求に教職員も一緒になって行動した。

「在日朝鮮人生徒のために
母国語を学ぶ機会を」

をという要求は、学習指導要領で外国語の選択科目に朝鮮語(当時)は、まったく入れられておらずその要求を実現するのは困難だった。

 だがしかし、日中国交がない中でも中国語の選択科目をおくことは可能であった。

 そのため「在日朝鮮人生徒のために母国語を学ぶ機会を」という生徒たちと充分話をした上で外国語の選択科目に中国語を入れることになり、京都府教育委員会に選択科目中国語の設置を申請し、それが認められ実施された。

その時、人見豊氏(瞳みのる)が中国語を選択出来る学年にいたため、中国語とであうことになったのである。

 当時、京都府立学校で、中国語を選択できるのは唯一山城高校定時制だけだった。

山城高校事件と上岡龍太郎氏の父
     弁護士小林為太郎氏の活躍

 これらの一連の動きに対して、古くから京都府教育委員会の教育長をはじめ一部に苦々しく思う教育委員会職員がいて、意図的に山城高校のやり方を内部崩壊させようと人事異動を強行した。
 1959年3月以降にこのことが大問題になり、定時制の3名の教師が暴力行為を働いたとして逮捕されるという山城高校事件が起き、刑事事件へと発展した。
 この時、この事件は全国的な問題になると共に上岡龍太郎氏の父である弁護士の小林為太郎氏の活躍で1964年京都地裁で無罪判決。
 1967年京都府人事委員会が免職取り消しなど教師側の正当性が全面的に正しかったことが証明されたのである。

 だから、山城高校定時制ではその後遺症は残っているものの、定時制で学ぼうとする生徒はすべて受け入れ、学ぶ機会を充分保障しようという考えは強くあった。
 だから、ザ・タイガースの人見豊氏(瞳みのる)が、

五年足らず活動した後、思うところがあり学校に戻りたいと願った。学校は除籍を解きやさしく迎え入れてくれた。こうして私は、ほぼ十年かかって高校を卒業したのである。

と書いていることは、山城高校定時制ではごく自然なこととして考えられていた。
 彼の有名さとはまったく関係なしに。

 だが、聴覚障害児教育となると状況はまったく違ったことになった。





2012年6月24日日曜日

ザ・タイガースの人見豊氏(瞳みのる)が復学した頃の大論議


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(15)

            ザ・タイガースの人気ドラマーが なぜ

 ザ・タイガースの人気ドラマーはなぜ、慶應高校の国語教師に転身したのか、と言うことが最近明らかにされている。

 ザ・タイガースの人見豊氏(瞳みのる)は、

武道館で行われた解散コンサートを終えると、その夜のうちに地元(京都)へ帰った。
 それ以降、一度も芸能界に戻ることなく、高校教師として生きた。

 そして、
「僕は引退する時に、もう二度と芸能界には戻らない、タイガースのことはすっかり忘れようと決めた。
 一人の普通の人間として自分に何ができるかを試したかったし、過去の成功を引き摺っているとステップを大きく踏み出せないと思ったからね。
 メンバーからの連絡に返事もせず、30年以上会いもしなかった。それなのに、頭の中には、あの時の記憶が強烈に残っている。
 夢の中身はなぜかいつも、遅刻しそうになってステージに穴をあけちゃうと焦っているものばかり。それで目を覚ますと、確めるように一人ごとを言ってしまう、おまえはもう辞めたんだぞって」

と語っているそうである。


    学校は好きであったが勉強は好きではなかった

 彼は、2000年7月 財団法人国際文化フォラム編集・発行の機関誌に

「高校中国語教育」の流れをつくる  中国語教育に取り組む教師たち
   私と中国語   慶應義塾高等学校 人見豊


として、以下のような文章を書いている。

          中国語との出会いが学習意欲を喚起

 私は現在、慶応義塾高等学校で中国語の教師をしている。
 実に中国語との出会いは古く、高校時代に始まる。
 当時、学校は好きであったが勉強は好きではなかった。


 京都府立山城高校定時制二年生の時
    選択科目に中国語の講座が

 京都府立山城高校定時制二年生の時、選択科目に中国語の講座ができた。

 祖父は日露、父は日中戦争に参戦したこともあり、かねてから中国という国に興味があった私は、早速中国語を履修した。このことが勉強に対する意欲の始まりであった。

 中国語の授業で聞く音、見る漢字、すべてが私にとって新鮮だった。

 これまで着実に勉学をしてこなかった私にとって過去の積み重ねを問われない新しい科目で、皆と同時にスタトラインに立てることが何よりも嬉しかった。
 そんな理由もあって、中国語との出会いは、遅ればせながら私にやる気を起こさせてくれるきっかけとなった。

 しかし、当初中国語は余り進歩しなかった。耳で聞き口で話すことよりも、目で覚え書くことに重きを置いたものであったためである。
 その後、言葉は耳に染み込まず口に慣れず、ただ目から頭の中を通過して、殆ど忘却の彼方へと去ってしまった。


     山城高校定時制は除籍を解き やさしく迎え入れた

 定時制は一般に四年間で終わるところ、私は卒業までわずか数ヶ月という四年生の夏休み明けに、音楽活動を行うため学校を辞めたいと担任に告げた。

 担任は私を諭したが、私は学校で過ごした日々を楽しく感じてはいたが、辞めることを少しも惜しいとは思わなかった。


 その後プロの音楽グルプとして五年足らず活動した後、思うところがあり学校に戻りたいと願った。

 学校は除籍を解きやさしく迎え入れてくれた。
 こうして私は、ほぼ十年かかって高校を卒業したのである。 

   中国への憧れと幻滅

 その後大学に進学し、中国文学を専攻した私は中国語を履修したが、その授業は原典購読を念頭に置いたもので初級の学習法は高校と余り変わらず、別に語学学校(日中学院中国語研究所)に通って発音からやり直すことにした。

 学部卒業後、修士課程、博士課程へと進み、中国文学の研究を続けた。修士終了後一九七八年に、現在勤める高等学校に就職した。
 高校教師と博士課程の学生を続けていた三十四歳の時、文部省の中国への留学制度が正式に始まった。
 制限年令は三十五歳までという。
かねてより留学したいと思っていた私にとっては、まさに最後のチャンスであった。

 勤務校の留学許可を得て、その夢は翌年実現した。( 以下略 )

 この時、彼は、山城高校定時制に必要書類を受け取りに来ている。

   教職員と府教委、教職員間どうしで大激論が

 学校は除籍を解きやさしく迎え入れてくれた。と人見豊氏が書いている1972年(昭和46年)。

 すでに亡くなられた先生は、人見豊氏(瞳みのる)が再入学する以前の学習状況を「いつも 暇さえあればステックで机をカシャカシャ叩いていた。なにしているのかなあ、と思ったけど若い頃は夢中になるのはいいことだと思っていた。」と語っていた。
 生徒をみるおおらかな気持ちは現在では信じられないだろう。

 また、退職して元気にいまも活躍されている元体育の先生は、復学してからの彼はともかくすべてのことに熱心で、他の生徒たちがそこまで熱心に勉強せんでもいいだろう、授業も受けなくてもいいだろうと言うほど彼の授業に対する情熱はすごかった。
 もともとどんな生徒も一度社会に出て学ぼうという意欲を持ってきたことは大切にしないといけないからと復学はみんなが受け入れた。
 こんな山城定時制の伝統が募集停止という形で消されたのは残念でならない。

 人見豊氏(瞳みのる)が、山城高校定時制を卒業したことを誇りに思っているように私もあの時代を誇りに思っていると話している。
 
 
 
 
 
 

 山城高校の教職員の間では、彼のフアンの多数の来校以上にそのこと以外のことで大揺れに揺れていた。

 
 特に、定時制では、教職員と府教委、教職員間どうしで大激論が交わされていた。




 

2012年6月22日金曜日

力を合わせて真に子どものしあわせになるように  1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(12)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(14)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

                      歴史の歯車を前進せしめるものが

 最後に、われわれにとって、何が革新であるか、ということを申しあげる必要
があると思います。


 私たちのまわりの現状は、むしろ憲法の道に逆行していることが多いのですが、われわれは、歴史が必然的に示すその方向を、よく認識して、歴史の歯車を前進せしめるものが真の革新であると思います。


 現代に生きる私たちの義務は
  教育が真に子どものしあわせになるよう力を合わせること

 その歯車は何がといえば、それは社会の生産関係である。それを歴史の前進方向に向ってすすめるってζとです。

 保守的な人ぴとも、それなりに、この歯車をとらえ、利用したりもしますけれど、しかし彼らは、それを歴史の必然的な方向へ発展させることはできないで、矛盾を一層激化させます。

 
 その意味で、保守と革新は、テーゼであり、アソチ・テーゼです。
 対立物であり、この対立を止揚するところに、日本の政治の道があるんです。

 教育が、真に子どものしあわせになり、革新的な地方自治が確立し、推進できるよう力をあわせ努力することこそが、現代に生きる私たちの義務であると思います。

 ありがとうごぎいました。


  びっくり仰天した京都府下の校長たち

 1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文を12回、掲載してきた。
 あえて、全文を掲載したのは、蜷川知事が学校長の集まりで「数学の先生が六角形に見えるような学校ではなく、朝起きたらいそいそとね愛人に会いに行くような学校にしたら」と提起した真意は、学校に行くと愛する人々と会えるだからいそいそと学校に行けるという比喩で言った言葉だった。
 当時、この講演を聞いた京都から参加した教師は、学校が楽しくてしかたがないという学校づくりにしていかなければ、と受けとめた。

   愛人が恋人という ことばにすり替えられたが

 だが、愛人ということばの意味は適切でないとして

「恋人に会いに行くようないそいそと行ける学校に」

と蜷川知事の言った言葉を書き替えた教師が少なくなかった。

 そのため、今でもそのように思い込んで多くのところで書かれている。

 しかし、愛人と恋人ではまったく別の意味になる。

 京都府下の学校長が居並ぶ前で蜷川知事が、「愛人に会いに行くように」と言ったことを聞いて頭の固い校長たちはびっくりして飛び上がったと聞いている。
 だが、真意を理解出来ていなかったのである。

              具体的に裏打ちされた多岐にわたる話

  このように蜷川知事は、物事の本質をずばり、言う部分と比喩的に言っている部分とが数多くある。

 知事の仕事は峠の雑貨屋、暮らしの3っつの基本、学ぶこと、地方自治のとは、などなど多岐にわたって話をしているが、そのひとつひとつは、さらに具体的に裏打ちされたものであり、単なる思いつきではない。
 例えば、すでに述べてきた

「2011年12月6日火曜日 教え合い、学び合い、助け合う集いは、不可能を可能にする」

のろうあ者成人講座は、講演の中で「私あ、絵でも踊りでも、何でも好きなことをやらせろというんです。無理して数学なんか、やらないでいいですよ。好きになる日がくるんだから、そん時にやったらいいんです。70歳からやったって、ちつとも遅くはない。人間を養うためにやるんだから。できるだけ、その子に適応したものをのばしていくべきです。」という考えの具体的現れであった。

 だから、なにを学びたいかということが徹底的に尊重されたのである。

 さらに「インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育」ではない方向がきちんと説明されている。
 


 講演中にどこにそのようなことが話されたのかと思う人もいるかもしてないが、すでに「インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育」ではない教育の方向が示唆されていたのである。

 このことについては順次説明して行きたい





2012年6月20日水曜日

「住民のくらしの立場に立った教育」「住民のくらしをつかんだ教育」  1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(11)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(13)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

 われわれが地方でやる教育ってものは「くらしの教育」である

 以上のべた、くらしの三つの問題、に努力していく立場から見るならば、われわれわれが地方でやる教育ってものは、「くらしの教育」であるといってもさしつかえないと思うんです。

 それは、みそしるをどう作るか、ということだけではなく、地方の伝統や文化遺産について、また、現在のくらしをどう充実し、さらに希望のある未来を、地方からどうやって作っていくのかについての

「住民のくらしの立場に立った教育」
「住民のくらしをつかんだ教育」

をやるということが、地方の教育の大事な「あるべき姿」だと信じます。

 教育は 地方にそくして独自に盛りこむべき 
      そのために各地方に教育委員会がある

 文部省がやっているような画一的な教育……

漁村で山の話をしてみたり、

象のいないところで象の話だけ教えてるような教科書、

教材、教育方法ではなく、それらは、まさに、それぞれの地方にそくして独自に盛りこむべきだと考えるし、そのためにこそ、各地方に教育委員会ってものがあるのではないでしょうか。




 そうでないなら

「やめてしまえ!税金のムダ使いだ」

と、私は思います。

 ごく反動的な教育委員会もありますけれど、そんなもんは「焼き払っちゃえ!」(爆笑)そんなわけにもいきませんが。(笑)


 文部省の方針を押しつけるだけの教育委員会なんて、まったく税金のムダ使いです。

 以上のように、もっと徹底してゆくということが大切だと、私あ考えています。

 このように、憲法や教育基本法の精神にもとついて、日本の民主化、平和な地方自治の発展をはかることこそ必要なのに、いまの現状は、反動化や軍国主義化がすすみ、地方自治どころか「三割自治」といわれるような厳しい実態がすすんでいます。

 

2012年6月18日月曜日

教育愛は 測れない  1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(10)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(12)   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

        問題は 機械を使用する方程式の作り方に

 京都府立の短期大学に、生活経済科という学科を設置するってことで、先日、学長さんとお話しあいしたときも、この点をお願いしておいたんですが、

生活経済、ってえと、何か、電子計算機の使い方を教えるのか、と見る向きがあるけれど、そんなことだけじゃいけない。

 電算機は、あくまでも機械であって、道具であるにすぎないんです。

 問題は、その機械を使用する方程式の作り方にこそあるんです。


 近ごろ、よくコンピューターの見通しとか、いばってますけども、選挙の当選予想など自慢して報道してますが、大てい当ったことはない。

 それは、質的なものを量化していれることができないってことであり、その方程式をつくるってことが、いかににむずかしいかを物語っているんです。


 それなのに、しまいには、嫁さんまで、コンピューターでえらぶってのが流行ってる。
 

 こんなバカなこたあないですよ。

            どうやって測るのか 「愛情」「あったかさ」「かわいさ」

 あの、勤務評定、ってのも、そうです。

 だいたい子供に教育を行う教師の働きを評価すること自体まちがいだって、私は、当時いったんです。

 
 勤評の項目はどんなものかとのぞいてみたら、「教育愛」などという項目がならんでいる。

 おどろきましたねえ。

 いったい

「愛情」とか、
「あったかさ」とか
「かわいさ」とかを、

どっやって測ろうというのだろうか。

 インテンシブなものは、エクステンシブなものにおきかえないと測れないんですよ。
 ちょうどあの水銀柱のように。

 教育愛を一体何におきかえるというのか。

 たとえば、愛情のつよさ、を量化して、抱きつく力、にするのだろうか。

 もしそうなら、おすもうさんが、いちばん愛情が強いってことになってしまう。

 私あ

「そんな馬鹿なことはやめてくれ」

って言ったんです。

                      「アホとちゃうか」  勤評などは

 府教委や京教組の考え方は別だったかもしれませんが、以上のような考え方から、京都府としては、教師の勤評は、はじめからやらなかった。

 むしろ校長にまかしておけばいいんです。

 校長によい人をえることのほうが、教育にはよいことであって、勤評などは、関西のいい方でいえば

 「アホとちゃうか」

 今でもやってる府県があるとききますが、全くナンセンスです。

 教育なんてものは、インテンシブなものなんですから。










 

2012年6月16日土曜日

人間としての生きがいを充分に享受できるための日々のいとなみを守る   1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(9)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(11)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

        くらしを守るのが私の方針である

 地方自治というとき、大切なことは、地域住民のくらしを守る組織ということが第一であり、第二は、住民みずからが、自らの組織を守るということです。

 くらしを守るってことが大事なところなんです。


 ところが、どうも、その、暮し、ってことがよくわからない人がいるらしい。

 私が昭和二十五年に知事になったとき、府議会で

「くらしを守るのが私の方針である」

と話したところ

「こんどの知事は妙な奴で、女どもばかり味方で、めしの炊き方やみそ汁のつくり方ばかりやるらしい」

という。

 くらしとは、ミソシルとかオカズでもつくることだ、と思ってるらしい。
 保守反動の議員の頭ってのは、この程度なんだ。


  人間が、その生命を維持し、発展させ
    人間としての生きがいを充分に享受できるための日々


 ところが最近は、選挙になると、くらし、を言わない者はない。

 その上、くらしから、いのちを引き出して、猫もシャクシも「生命とくらしを守る」っていいだす始末です。
 私あ、あのとき特許をとっとけばよかったな(笑)と思うんですよ。

 しかし地方では、それだけに、暮しってことが、またわからなくなっているという面もでてきました。
 私は、この、くらし、ということを、次のように考えるんです。

 ……人間が、その生命を維持し、発展させる。
 しかも人間としての生きがいを充分に享受できるための日々のいとなみ……それが暮しってものです。


くらしそれ自体  くらしの周辺    くらしの基盤

 そのような、くらし、を守るのが、地方自治体であり、その運営が地方自治なんだと私は考えます。
 そうして、その場合、つぎの三つの問題があります。

 第一は、くらし、それ自体です。

 第二は、くらしの周辺、ということ。
 人間は、社会的動物ですから、いろいろの人間的な関係、文化、芸術、教育、経済、政治ってものをも.ってくらしてる。
 人間関係と自然との関係があるんです。


 第三は、くらしの基盤、の問題です。

 これは、人間みずから出すエネルギーと、自然が出すエネルギーとをカクテルにして、人間は生きている、暮しているってことです。
 このカクテルは、世間では、産業、ともよばれてますが、この自然のエネルギーってものを、人間
 社会のために、私たちのくらしの中に、生きがいのために、 本当の意味でひき出せるかどうかが問題なんです。

 以上の三つの問題を総合しながら、なお、その一つひとつを堀り下げていくことが、くらしの研究、だと、私は、考えます。


 

2012年6月15日金曜日

住民自身で自分たちの暮しを守る 必要なことは自分たちが決めてこれを行う   1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(8)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(10)   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

       地方自治体は住民の意志にもとついて定められ 行われる

 もともと村落というのは、昔、人間が食糧のある住みやすい所へ集まって、群れになった。
 その群れになった人たちの共同体としての自治と自律が、村を形成する始まりだったのでしょう。


 群れが村になった。

 昭和二十二年四月に、地方自治法が公布されましたが、憲法には、第八章第九十二条、はっぎりと地方自治体が、地方公共団体の住民の意志にもとついて定められ、行われるものだとうたってるんです。
 それが地方自治体の本旨なんです。


 人間が群れをなしてからの歴史と、現代的な役割と将来の展望とにもとついてとらえることが必要です。

国の行政とは全く独立して 住民自身で自分たちの暮しを守る

 それをさらに具体的にいって、地方自治の本旨とは何であるのか。
 私は、こう老えてるんです。
 一定の地域の住民が……何々町、何々村って、あれですね……自分たちの暮しを守るために、自分たちでつくってゆく団体、それが地方自治体あるいは地方公共団体というんだ……と、私は解釈してるんです。
 あくまでも、住民自身で自分たちの暮しを守る。
 必要なことは、自分たちが決めてこれを行う。

 したがって、国の行政とは全く独立のものなんです。
 自分たちの意志で、必要だと思うことは自分たちで実行する
 京都府は京都府でやりやいい。
 国の予算に関係する部分はしかたがないですけれども、それ以外のことは、自分たちでやるってことです。


 国に「お願い」なんぞはしない。

  地方公共団体は、国の一部なので、国の仕事もやらされるし、国に手伝ってもらうこともある。
 そういう意味で、国と事務連絡することはあっても、赤坂なんぞで「話しあう」ってんで、一杯のませるなんてことはしない。

 よその県では、○○対策本部などを作って、自身の問題を、何かといえば、国に陳情にいってるようですが、私ども京都では、その必要を感じないし、自分たちの意志で、必要だと思うことは自分たちで実行する。

 大事なことは義務よりも
  納めた税金がほんとは何に使われているか

 二十三年聞、京都では、そのやり方で無事過してきたんです。
 大体、何かというと中央官庁へ陳情にいくのは、国の予算編成および執行について知らないからです。


 いや、知っているからこそ、裏口からの陳情が必要だというならその姿勢は、全くうしろ向きで、そんな政治感覚で、住民の権利の代行をするなんてとんでもない話です。


 また住民におもねって、住民の陳情団などを大勢くり出して交渉に使ったりするけれど、それらの経費は、みんな住民の税金でまかなわれているのですから。
 学校の社会科では「納税は国民の義務だ」なんて教えますが、大事なことは義務よりも、納めた税金がほんとは何に使われているか……問題は、そこのところをよく見つめていかなければならないわけです。

 大蔵省へのデモンストレーションや、お偉い役人のために貴重な税金をムダに使われるのでは、たまったものじゃありません。

皮膚感覚の海外旅行 赤坂で接待 必要性は感じたこともない

 なかには、よく海外へ、視察、に行く役人がいますが、外国語もさっぱりわからない.のが外国へいく。
 そこで何を見てくるんでしょう。

 よっぽど皮膚が発達してるのか彼らは「皮膚感覚で感じとってくるんだ」という。
 私にも、よく外国視察に行ってこいって、おすすめがありますが、私は、そんな必要感じません。

 ご招待くださるなら考えますが、実際いったってしようがないですよ。
 
ロンドンはロンドン、パリはパリなんです。
 絵に描いてあるとおりですよ。

 簡単に外国視察といいますが、私の府知事の給料で、ポケット・マネーでいく余裕はありません。
 行くとすれば、京都府民の税金の中から旅費を出すことになります。

 慢然とした旅行のために、住民の貴重な税金を使うことは、申し訳ないことです。

 

 まして、予算獲得などと称して、赤坂なんぞで接待費をつかうなど論外ですし、私は、二十三年間の知事生活の中で、その必要を感じたことは一度もありません。


2012年6月14日木曜日

何百年も昔から女の暮しをしばっていた制約を婦人たちの権利の自覚が打ち破る  1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(7)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(9)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

    楕円は中心が2つ そこに憲法を記念した催しをして

 三題咄の第二の問題は、「地方自治」です。

 敗戦後、新憲法が公布されました。
 公布は昭和二十一年十一月三日で、施行が昭和二十二年五月三日です。


 そこで京都では、この公布の日と施行の日を、それぞれ記念して、さまざまな催しをしています。
 楕円は中心が2つあるわけで、つまりこの二つの日を中心に、ほとんど一年中、憲法行事をして、人びとの暮しの中に、憲法を生かすように徹底きせズるんです。
いちばん困るのは水だ、天びん棒かついで水汲みの苦しい作業

 府立大学の女の先生で国語学の教授なんですが、この方が婦人の地位向上の運動に熱意のある活動をしておられます。
 この人が、京都の田舎、山奥の山村の婦人の集まりに出かけた。


 この村では、つい先ほどまで水道がひけてなかった。
 話しあいの中で


「いちばん困るのは水だ」 

って話になった。
 村の女たちは、小きな時から嫁にきたときも、ずっと天びん棒かついで、水汲みの苦しい作業をつづけてきた。

 これは、こんにちの都会の者には想像もつかない、厳しい自然条件の中での生活の営みです。

 村の婦人たちは、その集りで女の先生の話をきいて、新しい自覚をもって自分たちの暮しを考えた。

 暮しを困難にしている条件……
「まず水だ。水道がほしい」
ってことになり、婦人連は家へ帰っておやじに頼んだ。

 お役人が、そんなことしてくれっこない
     役場まで行くバス代を損するだけ

「役場へいって村に簡易水道をひくように談判してくれ」

ってね。
 しかし、おやじは腰をあげない。


「役場へ頼みごとにいくなんぞ、気が重いし、お役人が、そんなことしてくれっこない。役場まで行くバス代を損するだけだ」っていうんですね。

 母ちやんたちは、また女の先生に相談した。
 
先生は、


「京都府庁に相談してみなさい」

と教えた。
 村人にとっては、役場へいくだけでも気の重いことなので、まして府庁なんぞへ話にゆくなんて考えたこともなかった。
 しかし婦人連は、水道ふ設のねがいをもって、府庁にやってきたんです。

 私あ、あいにく居りませんでしたが、副知事がこの人たちとあって話をきいて

「どうして、もっと早く来なかったんだ」

ってことになった。
女の暮しをしばり、村の生活を貧しくしてきた水汲み作業の制約を、婦人たちの権利の自覚が打ち破った
 5分とかからない聞に、この山村に簡易水道をひくことがきまりました。

 何百年も昔から、女の暮しをしばり、村の生活を貧しくしてきた水汲み作業の制約を、婦人たちの権利の自覚が打ち破ったんです。
 この母親たちも、府がつくった憲法のパンフを、女の先生の指導で読んでたんですね。
 この中で


「おやじたちは、やっぱりおくれている」

って話になりました。

    知事は、雑貨屋のおやじ 住民の使用人

 そもそも地方自治体ってものは、地域住民の組織です。

 住民の要求を具現化してゆくためにあるのです。
 みんな、困っていることやして欲しいことを、何でも府庁に言ってくればいい。
 

どんなことにでも耳を傾けますよ。

 知事なんてものは、雑貨屋のおやじ……住民の使用人なんですから。

 それなのに陳情書……これも要望書とすべきなのに……などに「知事閣下」なんて書いてくるのがありますね。

 私は、これまで二十三年間、民主府政に尽くして参ったつもりですが、それでも、まだ一般には、地方自治の本当の姿ってものは理解されていません。

   「内務大臣閣下」などという感覚が

 昔は府庁などというと、内務省の局長クラスの人が知事になって、内務省の出先機関だった。
 


 だから、今だに「内務大臣閣下」などという感覚が、一般の間に潜在しているんですね。


 

2012年6月13日水曜日

「あ、ぼくのバスが来た」って 喜んで乗りこんででゆく養護学校の生徒の姿に 1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(6)



教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(8)

   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。
  生きる権利も働く権利も学ぶ権利まで侵害

 せっかく憲法が、それほどの国民の基本的人権をみとめていながら、生きる権利も働く権利も学ぶ権利まで侵害されている。
 これが日本の教育にいろいろの問題を起している根本であると、私は思います。
 そこを追及することが、いちばん大事なことなんです。

 中教審の委員にしても、こうした精神がないから、あんなものを選んでるんだ。 その中の天野貞裕なんて文部大臣やった男……その前は私なども同僚でしたが、文学だの、カントだのやってた……あの時分には、わりとすすんだ男だった。
 しかし、自民党政府の文部大臣になるやいなや、変になっちやった。
  まさに、存在は意識を映定する。


      憲法の存在が   日本の教育を決定する

 日本における憲法の存在が、日本の教育を決定する。

 日本の教育の、いちばん大事なところです。

 ことに主権者である国民が、一部の権力者の意志によっで主権者としての影がうすくなって、国民の基本的人権、第九条に明示される「個人の尊重」があやしくなっている。

 つまり、いまの日本では、教育め基本が危うくなっているのです。

あ、ぼくのバスが来た

 たとえぱ、心身障害児への教育の保障は、国は、いまだにちゃんとやらない。

 私ども京都で養護学校をつくって、通学バスを動かしてますが、これまで自分では全然バスの乗り方も判からなかった子が、先生と一緒に利用する。

 「あ、ぼくのバスが来た」

って、喜んで乗りこんででゆく姿を見ることができるようになりました。

 これは、たとえですが、基本的な人間の権利を守り支えてゆくこと。

 これを実行するのが、われわれの使命であり、政治の根本的な課題だと思います。

 この、個人を尊重する政治、ができれば、教育の基本は、もつと固まってくるのです。

2012年6月11日月曜日

社会も大学 大学にいきたい人は自由にいけるよう にすることが必要  1973年京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(5)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(7)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

         教育には教育委員会があるってことを知らないんだと

ところがこんどは、大学に入れない。
「京都の子どもは、どうも出来が悪い」
って選挙のときにも、ずい分言われました。

「知事が悪いからだ」
って。
この先生は、地方には警察に公安委員会があり、教育には教育委員会があるってことを知らないんだと思う。

  教育委員は選挙で選ばれたのを国が知事の任命にした

子どもたちのことを教育委員会が、ちやんと考えるために、委員は選挙制だったんです。
それを国の一方的なやり方で、知事の任命制にしたんです。

われわれの場合は、われわれと気もちのあう者を頼んできているんだから、これは問題ないんだが。
よその府県だと大変困るんです。
革新自治体が確立してたら任命制でもいいけれども、今のようでは働けないのです。

「予算はないよ」
       でおしまいです

かりに教育委員会が

「高校をもう少し増やしましょうか」

なんていっても、

「予算はないよ」

でおしまいです。

財政課長あたりで切られて、知事のところへなど来やしない。
このようなやり方では、学ぶ権利なんて保障はされていないんです。

大学もそうだと思う。
大学には大学の専門家がいるんだから、現在に向き、また将来の人材を養うような大学の組織、運営の方向を考えるべきです。
それを、文部省は、筑波大学構想なんて言い出す。
筑波なんてとこは、あれは、ガマの油を作るところなんです。これだけ見ても、インチキだってことが、よくわかるんです。

京都府が誇る大学をつくったら、それを全国に解放するのが本旨

私が知事になったとき、驚いたことがあります。
私の方の府立の大学が二つあります。
医科大学と一般の大学とです。

ところが学長も、病院長も私のところへ一度も来もしないし、注文にも来ない。
「あなた方、 へんだぞ」
ってきいたら「財政課長に言ってる」という。

権威のある大学の学長や病院長が、学校でて十年もたたないような財政課長をあいてにしていても話にならない。
私あ、びっくりして昭和25年からは、学長や病院長とは私がおあい手することにしたんです。
知事がおあいして意見もきき、注文もつける。
それではじめて、大学ってものは伸びてゆくんです。

京都の医科大学は、今年で創立百年になります。
一部の人は
「京都府立医科大学だったら京都の子どもを入れろ。他県の者は入れるな」
というのもいます。

しかし、そんな馬鹿なことはない。

京都府が誇る大学をつくったら、それを全国に解放して、希望者に来ていただくのが本旨だと思う。

 大学は   自由に選択できるようになるといい

しかし、何も大学へ入るばかりが能じゃないと思う。
社会も大学なんです。
ただ大学にいきたい人は自由にいけるようにすることが必要なんだ。
ところが日本では公立、官立、私立と縄張りがひどい。

「あそこには良い先生がいるから、あそこの大学で行政法の講議を、憲法を……」

って具合いに、自由に選択できるようになるといいんです。
ただ大学が、そこまで自信をもたないんじゃないかと思いますが。

それは、これからの問題です。



2012年6月10日日曜日

できるだけ その子に適応したものをのばしていく 1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(4)


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(6)   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

  国全体として生きる権利を保障していかなければ

 それから第三章は

「国民の権利および義務」

を規定していますが、とくに基本的権利を重視してるんです。
 ところが、本当に守られているかどうか。
 人権は、ちつとも守られてはいない。

 国民の生きる権利……おばあさんが、誰もたすけてくれる者がいないので、年末に首をつった…というような悲惨な例が沢山でています。
 憲法に規定されている生きる権利が守られていない。
 知事や町村長の行きとどかないこともあって、われわれも反省しているけれども、これは、国全体として生きる権利を保障していかなければならない。


 生きる権利を保障している社会の労働条件だといえるだろうか

 東北の出かせぎの問題ひとつとっても、父親が東京に出ていったままで生死もわからない……こんなことで、生きる権利を保障している社会の労働条件だといえるだろうか。
 働く権利も、もちろん憲法は保障してるんです。
 しかし街には失業者があふれている一方で、仕事は多い、金はもうかるというのに。
 週休二日制なんていうが、じつにうまい手ですよ、あれは。
 休んでどうするのか。
 行くところもなく、何ができますか金がなくては、レジャーもない。

 結局、昼めし抜いて、うちの三畳の間で大の字になって寝ている程度でしょう。

 いかにも良くきこえるけれど
    ウラがある  それを見抜かなきゃ

 週休二日制なんていうと、いかにも良くきこえるけれど、彼らには、ちゃんとウラがあるんだ。
それを見抜かなきゃいけない。

 やすやすと休んでも、行くところがない。
 京都あたりは、鴨川べりを全部公園にしてますから、歩くのもいい。
 入場無料です。
 でも北海道や九州から来てもらうわけにもいきませんね。


   一番大事な学ぶ権利もうばわれている

 働く権利も、それから一番大事な学ぶ権利もうばわれているんです。
 

  幼稚園に入りたくても入れない。
 早朝3時からならんで順番をまってる。
 「あのおばあさんはくじ運が強いから並んでもらおう」
ってんで、よそのおばあちゃんに日当だして頼んでくるような状態です。
 そんなにクジに強いんなら、競輪に,でもいった方がいいと思うんだが、


    好きになる日がくるんだから
      そん時に

 高校の入学も同じですね。

 高校は中学のまったくの延長であるのに。

 六・三・三制だってので、ずっとやってきたのに、急に学校の先生が変って、どうも子どもたちは落ちついていられなくなる。
 で、なるべくならスポーツなどやって避けようとするが、それもできない。

 私あ、絵でも踊りでも、何でも好きなことをやらせろというんです。
 無理して数学なんか、やらないでいいですよ。
 好きになる日がくるんだから、そん時にやったらいいんです。


 できるだけ その子に適応したものをのばしていく

 70歳からやったって、ちつとも遅くはない。
 人間を養うためにやるんだから。
 できるだけ、その子に適応したものをのばしていくべきです。


 今ごろ私など徒然草や方丈記なんて京都で読むと、意味ありますけどね、あれを「大学の試験に出るから」ってんでやった、って意味ないと思う。

 何の役にも立ちやしない。
 鴨長明は、自分がこんなことに使われようとは、夢にも思わなかったろうと思うんです。
 こんな状態で、子どもたちの学ぶ権利が失われています。



    「十五の春は泣かせまい」というスローガンをつくって

 私は、「十五の春は泣かせまい」というスローガンをつくって、「入れるだけ入れてくれ」と校長や先生方に頼んでまわったんです。
 何分ご迷惑だけど、だって可哀そうちゃないか、それに憲法の精神にも反するからってね。
 だからこの頃は全入、たいてい入れるときいています。


1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(3) 山にきく 魚にきく 木にたずねる 山にたずねる


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(5) 
 ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

           憲法は恒久平和を保障している

 第三に前文は、恒久平和をうたっています。
 前文は
「恒久平和を念願し……」にはじまっているのに、それなのに自衛隊を作つたり、戦車や基地を作ったり……
 一体、誰のために、こんなものを作るのか。

 アメリカのお先棒を、せっせとかついでるんだってことはまちがいない。
 しかし、憲法は恒久平和を保障しているんです。


  何を対象にしているのか、の何がない
             相手をきめないで、方策だけきめて

  第四は、よその国を尊重しようということです。
 タイなどへいって搾取してる。
 キックボクシングやりにいくだけならいいけど、タイの労働者を動物みたいに搾りあげて、日本の利益をあげている。
 日本で搾るだけじやたりないからってね。

 田中角栄は、都会でだめだから、田舎で搾ろうとして日本列島改造なるものをもち出してきている。
 あれは学問的に経済政策としての理論も何もないんです。


 何を対象にしているのか、の何がないんです。
 相手をきめないで、方策だけきめても何にもならない。


 山にきく 魚にきく
 木にたずねる 山にたずねる

 たとえば川をなおすには河川工学というものがあります。

 川にきいたらいいんだ。
 魚のことは魚にきく……
 人間が、へんな知恵を出して余計なことをするから、公害だ何だって、かえってダメにしてしまう。
 さっきの少女の手紙のように、木が枯れたりする……木のことは木にたずねる。山のことは山にたずねればいいんです。


 田中角栄は、何にも調べていないんだ。
 それでも、あの『日本列島改造論』が売れるってのは、やっぱりインフレのおかげでしょう。


          どの国も同じなんだと  憲法の精神

 憲法の精神からいったら、どの国も同じなんだ。
 


  とくに日本人は、白いのにはペココして、黄色や黒はざげすむ。
 変なことです。
 もつとも私あアカだっていわれてますけど。

 赤でも白でもいいが、差別するなんて、とんでもないことだ。
 こういう主旨で「平和、文化、民主、そういう国家をたてますから、どうかよろしく」って書いてあるんです。


 さいごに、こう書いてある

「日本国家は、国の名誉にかけて、全力をあげ、この崇高な理想を実現し」

力を合わせて努力しようとね。

          文部省は 憲法99条を守っていない

 憲法99条には、こう書いてます。

 「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」

99条にはきめられているんです。
 天皇は、政治に参加してはいけない。
 天皇たりとも、憲法に従がわなければならないんです。
 98条の1項で、憲法こそ最高法規だ


「これに反する法律、命令、詔勅および国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を失う」

と書いてあるんです。
 文部省なんぞも、この項をちつとも守ってやしない。


 ほんとうにしあわせで 皆がよろこんでいる状態なら
     攻めてくるものもないし内乱の起ることもない

 いちばん守られてないのが、第九条の「戦争放棄」です。

「戦力は、これをもたない」

ってのに、あの大きな戦車は、一体何か。自衛隊のあの人数は、なのか?。

 馬力である、そんなことはない。
 かといって警察官でもない。

 国のあるところ自衛隊は必要、だってけれど、誰か攻めてくるものがあるのか。

 国民が、ほんとうにしあわせで、皆がよろこんでいる状態なら、攻めてくるものもないし、内乱の起ることもない。
 そこへ何で、鉄砲だのミサイル基地だの作るのか。
 舞鶴港も国有地なので、オモチャのような軍艦が入ってきますが

「軍艦でなく、自衛艦だ」
という。こういうものが、第9条に反しないというその気持がわからない。

 女の気持ちはわからない、ってけれど、役人の気持ちは、なおわからない。

 とくに政府の考えがわからない。
 防衛庁長官だといって、とくとくとしているてのは、東京弁でいえば

「全くチャンチャラおかしい」

とにかく、この第九条は全く問題にされていない。





2012年6月9日土曜日

1973年 京都府知事蜷川虎三氏「憲法・地方自治・教育」講演全文(2)  愛人にあいにいくような楽しい学校に


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー


日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(4)
   ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

  朝おきたらいそいそと
      愛人にあいにいくような楽しい学校にしたら

 微分.積分なんてものを、やたらつめこんで、一体どうしようと考えているのか。
 しかも、XとかYとか、生活からにじみ出たものとは、ほど遠い机上の学問ばかりです。
 実際、今の学校でやっている問題は、大人にもできないものもありますよ。
 私など、昔学校で習ったもので、今もとても役立っているものもたくさんありますが、それにしても、今の学校で教えているのは、多すぎるって気がします。


 この前、校長たちの集まりで

「数学の先生が六角形に見えるような学校でなく、朝おきたら、いそいそとね、愛人にあいにいくような楽しい学校にしたら…」

と話したんですが、どうも役人がつくる学校なんてとこでは、いい人間を育てることはできないと思います。

 いい人間を育てる道……「道はただひとつその道をゆく春」てのは私の句ですが、ただ一つの道、それは昭和22年3月31日に制定された教育基本法にみる限り、憲法の道である。
 というのが私の信念です。


 未来への希望の道は
   子どもを大切にしあわせにする

 子どもを大切にしあわせにすることが、未来への希望の道であると私は信じています。

「われらは、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、教育の力にまつべきである」

 こう、教育基本法の前文にはうたわれていますが、役人は、どうもこれを忘れて、なにか他の力をかりてものごとをやろうとしている。
 だから、中教審答申なんて余計なものが出てくるんです。

 つづいて教育基本法は、

「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にして、しかも個性のゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」

といってるんです。

 私は知事になって23年間、この小さな憲法と教育基本法のポケットにはいる豆本をこしらえて全職員にいつも持たせ、欲しいとおっしゃる方にはさしあげてきました。
 もっとも「要らない」とおっしゃる方はいません。


 どうも、この「憲法の精神にのっとり」という重要な部分が忘れ去られているようです。

 怪しいし  正当に選挙された
  守られていない  われらとわれらの自由

 私は教育の道は、子どもを育てる道はだひとつだと思います。
 それは、憲法の道、……役人らしい言い方ですが、教育基本法にのっとっていいますと、文部省はしばしば教育基本法に違反しています。
 裁判所を日本じゆうにいくつ作っても話にならない位にね。

 だから、先日の最高裁の裁判官の国民審査には、全員×をつけました。役にたたない裁判官はやめてもらうしかない。
 きょうは沖縄の方もいらしてると思いますが、私は、憲法の精神の重要さについて、この「ポケット憲法」を、沖縄にも配って、早く沖縄県になるようにって訴えてきました。

 憲法に格調高くうたわれている「前文」の精神は五つあると思うんです。

第一は、憲法確定の精神です。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて」……この代表者に悪いのがいて困るんですが。

「代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

と、これが第1項目です。

 どうも、この前文でいう
「正当に選挙された」ってのは、現実には怪しいし、「われらとわれらの自由」は、ちつとも守られていない。

 私は昔、役人を少しやったことがあるんです。といっても、すぐクビになりました。
 国会の審議も、ウラ門から入って聞いたわけですが、あんなもんで、憲法のいう、代表、といえるか。
 選挙のとき、みんながしっかりしてれば「われらの代表」は選べるんです。
 けれど実際には金を使えば、誰でも入れる。
 京都あたりだと、よだれをたらしたような古い大物が……現にテレビでよだれをたらしてるのみましたよ。
 ようやくビリから二番目めで当選したりする。シリから二番目だって、当選させたらいかんのです。そういう者は。
 やはり平素の教育が大事です。


   国益なんて、憲法にちゃんと書いてあるのに

第二は、国政です。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する。これは、人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切のの憲法・法令および勅詔を排除する」

こういうふうに書かれています。

 昨年の秋ごろでしょうか、「国益とは何か」って議論がありました。
 大学の先生でテレビでベラベラしゃべるんだけど、何が何だかさつばりわからない。

 国益なんて、憲法にちゃんと書いてあるのに、わけのわかんことをしゃべるのが、国立大学の先生かと思ったら、背筋が寒くなりました。
 大学に入って、そんな政治学を習うくらいなら、子どもは、大学には入れない方がいいんです。

 そんなわけで、変な政治学を教えるんだから、子どもの大学の成積は良ろしくない。

 もう国立も、公立、私立も、わからない憲法、を教えられているんです。


2012年6月8日金曜日

1973年1月和歌山教研 京都府知事蜷川虎三氏記念講演全文(1) 心の配りができるやさしい心の人間を育てる


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育ー

日本で創造された共同教育 インテグレーション・メインストリーミング・インクルージョン ましてや特別支援教育ではなく(3)

  1973年1月和歌山県で開かれた全国教育研究集会で、京都府知事蜷川虎三氏が記念講演をしました。
 この記念講演の内容は、現在でもいろいろなところで引用されていますが、言っていないことまで、言ったかのように書かれていたり、間違って理解されたりしています。
 偶然、この時の京都府知事蜷川虎三氏が記念講演の全文の資料を見つけましたので、分割して連載させていただきます。
 よくよく 講演の中味を読んで見ると京都の障害児教育について間接的に話されていることも解ってきました。
 また講演のほとんどすべては、当時の行政、教育行政との制度上の諸問題を綿密に調べ上げられたうえで講演されていることも解ってきています。


 ※ 読みやすくするために「小見出し」をつけました。

1973年1月14日 和歌山 全国教育研究集会記念講演より
 『憲法・地方自治・教育』 京都府知事 蜷川虎三 


 「来て見れば、さほどではなし富士の山」といいますが、私などそれです。
 ただ私としては、23年間の現場をふまえたお話しをしたいと思います。


    知事は 村境いの雑貨屋みたいなもの

 もつとも、知事ってのは、村境いの雑貨屋みたいなもので、みそを売ったり、しょう油を売ったり、この頃じゃ耕運機をうったりもしますが、村境いの雑貨屋であることに変りはありません。

 さて、雑貨屋の話は「憲法・地方自治・教育」と、重大で難しい問題です。
 そこで私は、徳川時代に流行った落語の、もっとも、これは今どきの教科書にはのってませんが)三題咄をいたします。

 オチは「革新自治の確立と推進」三題咄であるからには、オチ、ってものがある。
 どこで落とすか。
 私は、まず、オチ、から話をはじめたい。
 これは大変ヤボ、なことですが、あえてそうすのは「革新地方自治の確立と推進」ってのが、私の、オチ、だからです。

 これが確立されていれば、あのムチャな中教審答由のようなものは生れなかったろうし、先生がたが、苦労されることもなかった。

 いまでは、東京には私と違ってスマートな美濃部さんがおり、外国の人あつめたり、いろいろやってる……。
 大阪には黒田さん、埼玉には畑さんと革新知事が出現していますが、まだまだこれからです。

 全国には六〇七市がありますが……これ憶えやすいんです。よくいう606の何とかの病気の薬があるってのに、ひとつたした数でね。
 120が革新首長で、やがて607全部を革新にしなきゃならない。


 人間の道を迷うことなく
   正しい希望をもってすすめる人間を育てる

 この際、いろいろな考えがあるが、現在を否定するより、肯定しながら前進できると、私ぁ考えてるんです。
 それなら一体、どういう道を歩くのか、というのが第一の問題になります。


 教育の理念など大変に難しいことですが、現場的にいえば……人間の道を迷うことなく、正しい希望をもってすすめる人間を育てること。
 これが知事としての現場レベルでのとらえ方です。


 心の配りができる人間
 やさしい心の人間を育てることが教育の第1

 私は、職業柄たくさんの人びとかち手紙をいただきますが、この正月かわいらしい字の、花のついた手紙をもらいました。

 「おめでとう」

という言葉のあとに

「私は、バスで学校へ通っていますが、窓の外を見ると、木にコブができてます。枯らしてしまうのはかわいそうです」

と書いてありました。

 忙しくて、まだ返事かいてないのですが、こうした心の配りができる人間、やさしい心の人間を育てることが教育の第1です。
 そういう教育がすすんでいるってことです。
 自衛隊に入ろうかなんて迷ったり。解析の点数が良いからなんて観点じゃなく、やっぱり


「迷わず、正しく、希望をもってすすめる人間」

ということが大切だと思うんです。










 それにしても、今の学校は、教えることが多すぎるのではないですか。