2011年9月30日金曜日

証書の裏の削りとった痕を見た


Once upon a time 1971


 ある日。身体障害者相談員がやってきてある夫婦が非常に困っているが、なにが、どのように困っているか、解らないから話を聞いてくれないか、と言ってきた。
 福祉の係長は、「行くように」とは言うけれど、なにがどうか、解らないままその夫婦の住宅を尋ねた。
 何度も行ったが、ドアは閉じられたままで夕方に行ったら灯りがついているものの、なんに返答もなかった。


極端な警戒心に現れていた気持ち

 数回繰り返した頃に、ようやくドアーを開けてくれた。
 ずっーと後になって知ったのは、人が来るたびにまた「ひどい目」に合うのではないかと恐れて身動きしなかったとのこと。

 ご主人が、勇気を出してドアののぞき穴から見たら市の制服を着た人だったから開けたと言うことだった。
 知らない人へは、極端に警戒心を持ってしまった夫婦の気持ちは痛いほどわかったが、その時は事情を知らないだけに「なぜ、ドアを開けてくれないのだろうか。」とばかり思っていた。


必死の形相は見て取れるがなにを言いたいのだろうか

 ドアを開けて、案内された部屋のちゃぶ台には、一枚の証書が置かれ、奥さんはすごい勢いで声と身振り手振りで話しかけてきた。
 その横でご主人は正座をして小さくなっていた。
 隣には、子どもさんがいるようだが、コトリ、との音もしなかった。
 奥さんの声は出ているが、ことばとしても聞き取れないし、身振り手振りからもなにを必死に伝えようとしているのかも解らなかった。
 ともかく、顔は怒りに満ちているのは解った。
 頭を抱え込んだ私を見たのだろうか、ご主人が何とか奥さんをなだめている様子が見えた。

 二人とも学校に行っていない未就学の障害者であることは解った。が、聞き出す手がかりが、見いだせない。
 時間だけが、刻々と過ぎ去って行った。
 目の前に置かれている証書は、生命保険証だった。
 これが、どうしたというのだろうか、考え込んでいた。


返された証書の裏に

 と、ご主人が、見ていた証書をひっくり返して、私に見るようにという身振りをした。
 と、とたんに奥さんが、ある一カ所を指さして身振り手振りからもなにを必死に伝えようとしはじめた。

 ご主人は、そう慌てるな、落ち着いて、と言っているように見えた。
 そこには、二人だけのコミニケーションが存在していた。
  奥さんの指さす部分を見ると、どうも削られた痕がある。それが一定の帯状になっている。
 なんだろう、これは、と思った。


言いたいことが通じた、と喜ばれて頭を抱えたが

 奥さんは、次第に落ち着いてきたようで、どうも、「女」「これ」「持って行く」「返す」「これ、こんなようになっている。」「おかしい」と訴えているようであった。
 聞こえないし、声がことばにならないし、書けないし、読めないし。でも、見たことを伝えていた。
 たしかにおかしい、と考え込むと、夫婦は、にこにこして喜びだした。言いたいことが通じた、と言う喜びだったんだろう。
 だが、私は頭を抱え込んでしまった。

 身振り手振りで、この証書に関係する書類は?とこちらも必死で「話しかけ」た。
 通じたののだろう。生命保険の申し込みなどの束ねたものが出されてきた。


行政は個人の生活まで踏み込んではならない

 書類を読んでみた。丁寧に丁寧に順番よく綴られていた。会ったその月までにずーっと保険金が支払われていた。子どもさんのために。
 夫婦が、一生懸命生活を切り詰めて支払われていることが綴られた書類が語ってくれた。

 それとともに、子どものために、という思いが切々と伝わってきた。
 必要事項をノートに書いて、頭を下げて帰る時、私の万倍も頭を下げられて、街灯がポッン、ポツンとあるたんぼ道を帰ったが、次第に悔しさが胸一杯になってきた。
 翌朝、役所で事の次第を話し、調べてこのことに取り組みたい故を説明したが、行政は個人の生活まで踏み込んではならない、の一点張りだった。
  そうだろうか。

 夫婦が困っているのは、障害がある故ではないのか。学校にも行けていないから、自分でやれないことがあるから福祉に援助を求めているのではないか、と言ったが、そんなことをするとみんなにしなければならないことになる、と言う返事だった。
 この聞き飽きたことば。何とか打ち破れないか、と深く考えた。福祉六法を読み直した。「援護」。この「ことば」があるではないか。もう一度、上司を説得した。今回に限り、と許可が下りた。
 

保険金を勝手に解約して
 懐に金を入れた犯罪をごまかす協力とは
 

 保険会社の営業所への電話。担当者がすっ飛んできた。保険はは解約されていること。そのことが保険証書の裏に書いてあること。
 でも、本人はそんなことも知らないし解約された金も受け取っていないではないか。
  青ざめた顔で、営業所の担当者が帰り、すぐ夫婦がやってきた。

 聞けば、保険証書を解約して、引き続き掛け金を受け取っていた。
 なんとか、「あの夫婦になかったことにしてもらえないか。」という話だった。犯罪をもみ消そうとしている。相手が、障害者だからとした手口が許されなかった。
  だが、係長は「やってあげたら」と言う。怒りがむくむく広がった。



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2011年9月29日木曜日

諍いのはてに


Once upon a time 1971

 市の身体障害者連合会は、肢体協会・盲協会・ろうあ協会の3団体で構成されていた。
 その中で身体障害者連合会の役員は、肢体協会が多数を占めていた。

 市は、ことあるごとに身体障害者連合会に助成金や一定の寄付金を渡すのが常であった。
 だが、職員は身体障害者連合会の役員会議に呼ばれても参加することを嫌がっていた。

 それは、いつも役員会議が紛糾するからである。

なぜ、平日に身体障害者連合会の役員会議をするのか

 そのことを知らず、身体障害者連合会の役員会議に参加するように言われて参加した。
 役員会議と言っても人数は多くない。

 それも平日の昼に行われていた。
 会議の最初からそのことで、もめた。

 盲人協会の役員は、鍼灸の仕事を休まなければならないこともあり、休んだ場合収入が減るからである。
 ろうあ協会の役員は、零細企業を休まなければならず四苦八苦して休ませてもらって役員会議に参加しな蹴ればならないからであった。


元軍人ばかりだった肢体協会の役員

 また、なぜこんな時間に役員会議をするのか、なんど言ったらわかるのか。最初から盲人協会やろうあ協会の役員から不満の意見が出された。
 しかし、肢体協会の役員は、多数。

 会長は、「みんなの都合を聞いたら、この時間しかない。」と言いきり紛糾する。
 議題には行き着かず押し問答が続いた。

 働いている障害者にとっては休んだだけ収入が減る。いくら、みんなのためと言っても生活がかかっていた。
 その点では、盲人協会とろうあ協会は意見が一致していた。


いつもとちがった助成金の配分をめぐる争い

 結局、いつものように、まあまあ、と言うことで助成金の話になったが、その日のろうあ協会の会長はいつもと違っていた。
 身体障害者連合会として行う行事は、助成金を使うことは異議がないが、残った費用の配分問題は反対だと強固に主張して譲らなかった。
 従来ならば、残った助成金は、肢体協会、盲人協会・ろうあ協会の順で配分され、ほとんどは肢体協会がその配分金を受け取っていた。


徹底的に食いさがったろうあ協会

 ろうあ協会は、それにクレームをつけた。
 ろうあ協会としては各種学習会や教養講座や読み書き援助などの取り組みをしていてみんならお金も出してもらっているが、みんなは貧しい、これ以上の負担を言うことは出来ない。
 肢体協会は、それらのことをしてないので助成金をなぜ多く受け取るのか、という主張であった。
 盲人協会からは、役員会議1つ開くのででも大変で、市内各所から「てびき」を頼んで集まるが、お礼も出来ないし、今の社会の動きを知るためにさまざまな取り組みをしているのに費用がかかって、鍼灸の仕事をしている盲人の生活からこれ以上負担を言えないと言うことであった。


助成金は三等分すべきで紛糾

 すると身体障害者連合会会長であり、肢体協会の会長は、いつものごとく「みんなも同じ。わしらの団体も同じことだ」と言った。
 いつもなら、ここで話は終わったらしいがその日はちがっていた。

 身体障害者連合会の役員は、盲人協会一人、ろうあ協会一人、であとの役員は全員肢体協会から出ていたからである。
 会長の一声ですべてが決まるはずだった。
 ところが、ろうあ協会から「肢体協会はなんの事業もしていないし、学習会も会合もほとんどしていない。のに、同じて言えるの。肢体障害者もそういうこと必要じゃないの。」というと会長は「人数が多くてやってられない。」と言い切る。
 「それなら、盲人協会やろうあ協会に助成金を回すべき。この際、3等分するのが平等では。」とろうあ協会はやり返した。
 すると、会長は、「人数は肢体協会のほうが圧倒的に多いのになにが3等分だ」と言う。

 この時はろうあ協会は、引き下がらなかった。「肢体協会に入っている人は盲人協会やろうあ協会より少ない。たしかに、市内には、肢体障害の人は多いけれど肢体協会がなにもしてないから、協会に入らないのでは。」とまで言い出した。

お国のために障害者になった おまえらと違う

 ここまで来ると会長は激怒して、
「おまえらは、自分で障害者になってなにを言う。私らは、お国のためにこのような身体になったんだぞ。」
と言い出した。
 このことばは、火に油を注ぐようなことで、盲人協会もろうあ協会も会長以上に激怒して

「俺らの責任で障害者になったと言うのか」
と役員会は終始が着かなくってしまった。

戦争で傷ついた兵士の階級差別に怒り

 でも、この日のろうあ協会は違っていた。
「お国のため、あんたらは障害者年金+軍人恩給をもらって仕事をしてないじゃないか。わたしらより、まだましな状況に置かれているではないか。」
とまた火に油を注ぎ出して、今にも暴力沙汰になりそうな状況になった。

威張る会長の失墜と新たな動き

 この時ある役員が、「軍人恩給言っても戦争の時の階級で金額が違うのです。私らは、ほとんどありません。」と言い出した。会長のほうが上級士官だったから軍人恩給が高い、と言うことをさらけ出したのである。
 この話を聞いて、盲人協会もろうあ協会も驚いた様子で、「同じ戦地に行って、一番危険な所にいた軍人のほうが恩給が少ないの」「こんな馬鹿なことはない」と怒りは別のほうに向かいはじめた。

 そして、日頃、威張る会長のほうが苦労をした他の役員より違っていたことへの同情がはじまった。
 


 収まりがつかなくなって、会長は、「三等分」と言い出して、この日の会議は終わったが、後味の悪い会議になったと少なくない人は思ったようだった。

 この日から、障害者団体同士でもめることなく、行政に目を向けていこうという動きになっていく。



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2011年9月27日火曜日

とどかなかった身体障害者手帳


Once upon a time 1971

 40年も経過すると福祉制度は、いい意味でも、悪い意味でも大きく変わる。
 でも、自動車取得税や自動車税の減免制度が延々と続いた訳を考えると、最初の一歩で充分な論議と検討がされたことがあげられるように思う。
 思いつきの制度はその時期、大騒ぎになるがいつしか消え去ってしまう。

 最近はやたらカタカナ表記が多いが、日本語訳すると何の意味もない場合が多い。
 現在では禁止用語になっている福祉の分野の「ことば」でも、振り返って考えてみれば、それなりの意味を持っているように思えてならない。
 ようは、ことばの言い回し、言い方でなく、その内容を的確に表現されているかどうか、ということではないだろうか。


障害者に遠い存在

 1971年当時、全国的にろうあ者は福祉事務所を「汽車・割引・場所」と手話表現していた。
 「幸せ・司る・事務・所」と言う表現ではなかった。
 なぜなら、福祉事務所に行く時は、国鉄の割引証の福祉事務所の証明(印)をもらいに行くぐらいなもので、他にいくことはないという縁遠い存在が福祉事務所であったからである。
 この本質を突いた手話表現を残して置いてほしいものである。

 事の本質と時代を反映したものであるからである。

悪循環の事務作業をうわまわる悲しみ

 さて、身体障害者手帳を届ける仕事は、続けた。
 続ければ続けるほど、身体障害児者の置かれている環境がよく解ってくる。
  手帳取得後の制度だけで話は終わらず、さまざまな質問や相談が出されることが多くなっていった。
 だから、昼休み時間が過ぎて役所に戻ることが多くなっていった。

 帰ってみると書類が山積みで、その中に身体障害者手帳の申請書があったりする。
 印がなかったり、必要事項の記載がなかったりなどがあり、そのため連絡を取り家に寄せていただき帰るとまた同じようなことが…という繰り返しであった。
 この中で、哀しくて辛い思いをすることも少なくなかった。
 障害者手帳には、写真を貼ることになっているが、児童の場合の写真を見ると入院中か、施設に入っている写真が時々あった。

 正面からの写真が撮れないほど重症の子どもたちであった。

 

あふれ出る涙の哀しみのはてに

 その中である子どもさんのことは今だに忘れきれない。
 障害者手帳を持って、長い坂道を三度越えたら急な下りになって道がうねっている。

 そして、その先を曲がった所にその子の家があった。
 お母さんが待っていてくれて、いつものように手帳を渡し、福祉制度を説明したが、お母さんは始終下を向いたままだった。
 なにか、苦しいことがあるのだろう、と推測できたが、それは聴いてはいけないことだった。
 そして、顔をあげられたお母さんの顔は涙で溢れていた。
 「ありがとうございます。この子がこの手帳を手にすることが出来たら…ありがとうございます。」
 それしか、お母さんは言われなかった。
 役所へ帰る自転車のペダルはいつも以上に重く感じられ、キーキー悲鳴をあげる自転車になぜか腹立たしさと愛着を感じたことだけが残った。


お母さん。詫びなくてもいいのに…

 数ヶ月して、机に戻った私の所に所長がやってきた。
 「福祉事務所が本当にあたたかいことをしていただいてと感謝された。」

と所長。
  聞けば、手帳を渡してしばらくして、受け取るべきその子がなくなったこと。

 お母さんとしては、早く手帳を返さなければならないと思いながら返せず、今日になったことを詫びておられたとのこと。
 お母さん。詫びなくてもいいのに…と思いつつ、お母さんの言っていた

「この子がこの手帳を手にすることが出来たら」
のことばが胸を突いた。
 この仕事は、辛く哀しい。

 そう思うと手帳を手渡しに行く自転車のペダルに力が入らなくなった。

 その日を境に、手帳を届けることを反対する職員は無くなったが、そんなことはどうでもいい、と言う気持ちがまさった。



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2011年9月25日日曜日

障害児の父でもある府税事務所の職員の考えから 自動車取得税・自動車税の減免制度が出来る


Once upon a time 1971

さすが、府税事務所で働いてはる人は言うことが違う

 「自分の子どもは障害がある。だから、行政として何か出来ないか。いつも考えている」
 ある京都府職員の悩みと行政の仕事から考えた末、提案されたのは
「府税事務所に障害児・者や家族の方が自動車税のことでよく来られる。子どもさんや自分や家族の援助のために高いローンを組んで、その上高い自動車取得税を払い、毎年、自動車税を払わなければならない。」
「この税金を免除してこそ、府税事務所の仕事になるのでは。」

えっ、「とる税金」から「とらない税」

 「とる税金」から「とらない税」にすることで、少しでも障害児・者やその家族の負担を減らせる。「どう思う。」という内容の話だった。
 学習会に集まっていた人々は、自動車を買うことなんてとても出来ない人ばかりだった。それほど高価だった。自動車は。
「な、それでも普通自動車でないとやっていけへん人多いのや。軽自動車税は市町村税や。自動車は贅沢品として物品税もかけられる。すごい負担や。」
 聞けば、そうやなぁ、とみんなはうなずき、「さすが、府税事務所に働いてはるだけあるわ。」とまたうなずいた。


自動車取得税や自動車税を
免除しても悪用されたらどうなるのか

 でも、当時鳥取県と同じ財政規模だった京都府(京都市は政令指定都市で別財源)の独自の税収入を「免除出来るだろうか。」という意見も出てきた。
 でも、やれるなら、やろうじゃないかという話になった。
 それから、障害児の父でもある府税事務所の職員は、仕事場や税務関係の人に話をして、理解の輪を広げて、とうとう京都府が障害児者のための自動車取得税や自動車税を減免するという方向を打ち出した。
 府税をとる仕事をしているお父さんだからの発想が、京都府の税制度まで変えることになったのである。
 「減免」は決まったものの税につきものの「悪用」問題が論議された。

  障害児者のために使うからと言って自動車税を払わないで、営業用に使われたらどうなるのなどさまざま論議されたらしい。
 そして、その話は、京都府の民生労働部まで持ち込まれて協議がなされた。

 「なんとか、もっぱら障害児・者のために自動車を使うという証明がとれないか。」などのことだった。

日本最初の障害児者のための
自動車取得税・自動車税の減免制度の発足

 本人・家族が、申請するが、障害者のために100%利用するためという条件をつけてもそれはかえって、他のことに利用させないという縛りをかけることになる。
 病院や施設に車で送ってからその間、買い物をするなどのことがあるだろう。主たる目的が障害児・者のために利用するということでいいのでは、など延々協議がされたらしい。
 なぜなら、自動車取得税及び自動車税を免除している都道府県はなく、全く初めてのことであったからである。
 後から、担当者に聞いたが、みんな何とかしよう、という意思で論議されていて、反対や却下させようという意見は全くなかったとのこと。
 結果的に自動車取得税及び自動車税は、成人の場合は車は本人名義。児童の場合は車は保護者(親権者)名義。

 主として自動車を障害児者のために使うことが記載されていればいい。
 そして、申請者である障害者や障害児の保護者(親権者)が障害者手帳を有していることを福祉事務所長が印を押せばいいという結論に達し、その書式と担当者説明会が行われた。


この子のためにと思いローンを組んで車を買っていたけれど

 福祉事務所では、自動車を持っている人は少ないためこれらの申請は少ないと思われていたが、一人、二人と申請書に福祉事務所長の印がほしい、と言われる人が出てきて、その数は次第に多くなっていった。
 ある障害児のお母さんは

「ほんま、助かります。ありがとうございます。この子のためにと思いローンを組んで車を買い、リハビリに通ってましたけれど、これから毎年自動車税を払わないですむとなれば、どんなに家計が助かることか。こんなこと言うの申し訳ありませんが…」
と言われたり、
「自動車取得税も自動車税も減免されるのでしたら…」
と新たに自動車を購入して、障害児者のために使えると喜ぶ人が増えてきた。
 

 その後、国に波及して国は物品税の減免を認めるようになった。
 今ではそのようなものはなくなったが、全国の都道府県市町村で自動車税の減免制度が取り入れられ、その対象枠が広げられていった。
 


 ある府税事務所のお父さんの発想と行動は、だれも知らなくなったが、自動車の減免制度は多くの人に知られるようになっている。

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2011年9月23日金曜日

国を動かした ある府税事務所の職員の苦しみから生まれた案


Once upon a time 1971


 身体障害者手帳が交付されると福祉(福祉事務所)から障害児・者の家に持っていくということは、想像以上の反対を受けた。
 役所は、完全な上意下達。

 今までしてきたことをほんの少し変えるだけでいろいろと言われる。

 

だれが責任とるの公文書綴りを無くせば

「手帳を受け取ったときに交付台帳に印を押してもらわなければならない。その交付台帳を持ち出すことは出来ない。」
「じゃ、その一番最近の部分だけ取り外して、身体障害者手帳と一緒に持っていって印をもらったら。」
「それを失ったら、だれが責任を持つ」
「私が責任をとります。」
「君だけの責任にならないから、言っている」(自分も責任をとらなければならないのは困るの意味。)
「そもそも、申請しに来たのに、こちらが持っていくのはおかしい。」
「では、生活保護のケースワーカーは、生活保護所帯に障害児・者が居ると障害加算されるということで、家庭訪問して、申請書に書いてもらい。交付されたら本人さんに渡しに行っているじゃないですか。」
「それは、生活保護所帯だから」


昼休みか夜に届けると

 さらに、
「君が居ない時に来られた方の対応や仕事はどうする。」
「渡して福祉に戻ってから、その仕事をします。」
あれやこれやのやりとりがあり、あちこちでひそひそ話が広がった。
 当時は、昼休み時間の窓口業務をしていなかったので、
「あの、昼の場合は昼休みはじまる前直前に身体障害者手帳を持っていきます。昼休みが終わる頃には戻れるようにします。」
「そうでない場合は、夕方から夜に届けます。」
とまで言った。
 当時、身体障害者手帳の交付は多くの矛盾や問題があり、市では交付は絶えず行われては居なかった。
 こんなやりとりのあげく、「あなたが責任持って」という条件で認められた。


手渡すまでの困難は今では考えられないほど

 身体障害者手帳が府から交付されて来ると、昼休み前になると猛ダッシュでさび付いた自転車を走らせたが、申請された方の家がわからず、また猛ダッシュで帰ってくことがしばしばだった。
 交付されたことはすぐ手紙で知らせてあるが、取りに来てもらうのは…という気持ちだった。

 このようなことを書くと、前もって電話で連絡しておけばいいのに、と思われる方があるかもしれない。
 でも、当時は電話を引くために多額の費用が必要だったために身体障害者手帳を申請される方々の家にはほとんど電話がなかった。


福祉制度の説明して残るむなしさ

 やっとたどり着いても家には表札もなかった。
 外から声をかけて、名乗ると「どうぞ」という声。
 手帳を渡し、手帳を持っていると減免やこのような福祉の制度が受けられると説明したら、やっと「助かります。」「おおきに」の返事が返ってきた。
 そんなことがしばしばだった。

 隣近所にも遠慮して生きている障害者の方々の様子を知るにつれ、手帳をやっと取得しても受けられる福祉は制限されて、目に見えて生活が良くなるなんて、およそ考えられないことだった。
 説明していてもむなしさが残った。


ある府税事務所の職員の苦しみから生まれた案が国を動かす

 だから、障害者問題のさまざまな学習会に参加したり、行政で働く人々の研究会や交流会に出席した。
 ある時、府税事務所で働く京都府職員から次のような話が出された。
「自分の子どもは障害がある。だから、行政として何か出来ないか。いつも考えているが、配属されるのは税務関係ばかり。」
「税金をとることばかりで、家に帰るとがっくり」
「税金をとるだけでなく、障害児者に何か少しでも役立つことがないかと考えてきた。府税事務所で。」
「これはどうかなあっと思うけれど」と話された提案にびっくりした。


またさまざまな意見が飛び出したが、それが国を動かす制度まで発展するとは思いもしなかった。


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2011年9月21日水曜日

Once upon a time 1971  出かける福祉と思ったが


 今は昔と言うこともあるが、1970年初頭にあったある市の福祉の話を述べる。
 いろいろな状況の変化があるが、本質的にあまり今の状況と変わっていないように思えるからである。

日曜日に野球をしたい、と障害者団体の要望を受けて

 福祉事務所にある障害者団体から日曜日、野球をしたいから、どこかのグランドを貸してくれないか、という話が出され、係長は簡単に約束した。
 市のグランドなんてない時代、係長は「小学校か、中学校のグランドを貸してくれないか、と問い合わせるように」と部下の職員にふってきた。
 電話で、いくつもの小学校や中学校に問い合わせたが、日曜日ともなれば学校は誰もいなく(当時)、管理上貸すことが出来ないという返事だった。
 ところが、ある小学校では用務員さん(当時の呼称)が理解のある方で当日出勤してやろうと言ってくれたようで、貸してもいい、との返事をもらった。


炎天下2時間の往復と「あ、そう」

 でも学校長は「市の福祉事務所の正式な依頼分をもってくるように」という条件をつけた。
 今でこそ、舗装道路が縦横に走り、高層マンションが建ち並んでいて、どこに小学校があるかわからないが、当時は違った。
 広々と続く田んぼにくねくねと曲がった道が続き、その先に小学校があった。

 バスなんて走ってもいなかったし、私鉄の駅もなかった。
 ともかく、起案書を書き、所長の印をもらい「公文書」を携えて、炎天下、市役所から延々と歩き続けて小学校にたどり着いた。
 校長に会うと「あ、そう」で終わりで、また延々と歩いて市役所までたどり着いた時には、汗で体中がビッショリ。

 往復2時間以上の炎天下の「行軍」と思えるほどだった。
 福祉事務所に何か乗り物はないのか、と聞いたところ税務課などはバイクなどの「公用車」はあるが「福祉」にはないとの返事。
 数日経って、係長が「車あった」と言われて、教えられた所に行くとさびきった自転車が一台。

 「福祉」と白いペンキで描かれてあった。
 係長は言う「福祉の仕事は出かけるものではないと。


身体障害者手帳をこちらから届けに

 ある時、「身体障害者手帳は、まだでしょうか」と言う方が窓口に来られた。
 ご主人が車いすに乗って、奥さんは車いすを押して来られたようであった。
 身体障害者手帳は、申請して府庁で審査される。

 交付まで非常な時間がかかっていた。府の担当者に聞くと「まだまだ時間がかかるとの返事」。
 「あのっ、まだまだ時間かかります。」と言うと「そうですか。」と落胆した返事をして帰られた。
 それから、事務的な作業をしてから、さびきった自転車に乗り、グランドを借りに行った小学校へ続く道をギーギーと音を鳴らして走っていたら、とっくに別れた車いすに乗ったご主人と奥さんの姿が見えた。


 一瞬、「えっ、あんなに時間が経っているのにまだここを…」と思ったが、深く反省した。
 私には往復2時間であっても、車いすではその倍もかかるのだ。
 この凸凹道を苦労されてやってこられたのに、たった数分で返事しただけ、わざわざ来られたのに…と思うと、自転車を前に進めることが出来なかった。
 そうだ、これからは身体障害者手帳が交付されるとこちらから届けに行こう、と決意した。それがどんな波紋を呼び起こすのかもわからずに。


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山城貞治からのメッセージ 自民党府政になって24 年目にして初めて、委員長と教育長が握手


 そこで、私たちは教育長に出会い「いのちと健康を守るとりくみに当局も組合もない。
 せっかく合意がまとまったんだからと、委員長と教育長で労使対等の取り組みを進める決意をこめて握手をかわし、それを写真にとって私たちの機関紙に載せたいが、どうか」 と申し入れました。
 教育長もこれに快く応じてくれましたので、 自民党府政になって24 年目にして初めて、委員長と教育長が握手を交わしている写真が府高ニュースに掲載されました。
  この写真は、本戸黄門の印籠のように文書確認以上の効果を発揮しています。
 労安体制は、労使対等ということが理解できず、組合を敵視する校長などの発言に、「この写真が目に入らぬか」と分会が言えば、「ははあ」となるわけです。
 こうした中でうれしい出来事がありました。


職場に変化生まれる

 それは、 このたたかいを通じて新しい分会を立ち上げることができたことです。
 この学校は、府教委が文部省の先取りをするいわゆる「進学校」として17年前に新設した学校でした。
 府教委は、開校した当初から、恣意的人事を事実上繰り返し、組合を敵視して、分会員が希望しても一人として異動させることを拒否してきました。
 そのため、この職場では17年間分会ができませんでした。
 新しい分会長は「今年、衛生委員会が発足しまして、衛生委員に立候補しました。

 まだ動きだしてはいないわけですが、これから動きだすにあたって、やはり分会代表という立場を明らかにしておいた方がやりやすい、ということもあります。
  それから学校の仲間にいろいろ呼びかける時でも、 ただの一個人として、というとなかなかやりにくいということがある。 やはり分会はっくっておいて、そこから展開していこうというふうに思いました」 と述べておられます。
 また、ある高校では、この学校は82人の職場ですが、組合員が過半数ない職場です。
 この職場の衛生委員会の労働者側代表を選出するのに、 分会推薦の候補者に対し、学校長の意を得たある部長の推薦で、別の分掌の部長が立候補しました。
  結果は、6 1対2 1と分会推薦の候補者が圧勝しました。
 管理職は、この部長に「君は意外と人気がないのやなあ」とぼやいたとか、ぼやかなかったとか、ということが、伝わってきていますが、私たちは人気があるとかないとか、という話ではなく、いのちと健康を守る課題に対し、職場で頑張っている分会への大きな期待の表れだと思います。
 分会は、この結果に励まされ、職場の過半数の分会にと、組合員拡大で奮闢しています。
 さらに先日、労安活動で頑張っているある職場で新しく組合員を迎え入れることができました。
 その方は病体をとられた経験もある方で、分会が中心になって取り組んでいる労働安全衛生活動に信賴を寄せての加入でした。

 また、労安体制確立以前に組合として労働安全衛生対策委員会を発足させ、機関紙「教職員のためのいのちと健康と労働」の発行、第一線の講師を招いての「労安学校」開催等を通じて組合員の力量を高める努力を進めるとともに、公務災害認定闘争など体制がない中で実質的にいのちと健康を守る取り組みを続けてきたことが、今後の労安活動に大きな力を発揮することになると確信しています。

 労働安全衛生活動で分会が元気になり、職場も元気になる

 そのような労安活動を作り出す中心として京都府高の役割は重大であることを肝に銘じて今後の発展を期したいと思います。
                        ( 京都府立高教組 )


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山城貞治からのメッセージ  京都府教委との合意


「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その67)


山城貞治からのメッセージ

 数回の連載と思いこのブログに掲載させていただいたが、最後の安全衛生委員会設置については、あまりにも紆余曲折のことが多くあり書いていると読まれる方々に多大な時間をかけるので、今回をもって「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現の掲載をやめさせていただくことになった。

 もちろん「教育と労働安全衛生と労働安全衛生と福祉の事実」のブログは続きますが。
 少なくとも京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」は、1997年7月8日NO1から2004年9月9日のNO378まで教職員の労働安全衛生や各地の様子など掲載させていただいてきた。
 それが、京都府高のホームページでだれでも入手出来るようにしていたし、府高元委員長の権利相談も掲載されていた。
 10年一昔、とも言うが10年も経たないうちに府高本部のホームページから労働安全衛生の取り組みや教職員の権利問題がバッサリ削り取られていた。
 経過をよく知る教員が本部に聞いたところ「わからない」の一言でしかなかった、との連絡を受け「これではいけない!!」と思い、ブログに掲載させていただいた。
 当時の資料がまだ京都府高本部にあるかもしれません。
 もっとよく知りたい方は、電話 075-751-1645 FAX 075-752-2988までお問い合わせください。
 最後に府教委との労働安全衛生協議がどのようになったのかについて、2003年京都労災職業病対策連絡会議(京都職対連)結成20周年に京都府高が投稿した文章を載せさせていただく。

「仲間を見殺しにしたのでは」と指摘され

 もう10数年前の事ですが、府立学校の職場で大切な仲間を過労死ともいえる病気でなくした時に、滋賀医大の沫田和史先生より「現職死亡された方は、確かに現場の忙しさや、管理体制強化の中で殺されたといえます。
 しかし、そういう状態は突然やって来るわけはないでしょう?

 常日頃、病気になっても医者にいけない、治療もできない事態があるのに、もし、仲間として声かけができていなかったとしたら…いい方がきつくて申し訳がないが、皆さんが仲間の先生を『見殺し』にしたともいえるのではないでしょうか」と厳しい指摘を頂戴しました。
 その指摘は、私たちにとって大変なショックでしたが、すべての教職員のいのちと健康を守る取り組みの方向を指し示す鋭い指摘でした。


二度と仲間が死ぬ事態を 起こさない組合運動に

 府高は、このことを契機に、二度と職場から仲間が死ぬような事態を起こさない組合運動に取り組むとともに、すべての教職員のいのちと健康を守るための総合要求と、その実現のための組合運動をさらに進めなければと、決意しました。

 学校職場に労働安全衛生体制の確立を実現

 そして、私たちの長い間の要求であった「学校職場に労働安全衛生体制の確立」が、2002年の4月からようやく実現しました。
 しかし、この体制を立ち上げるのに、5年もの年月を要しました。
 それというのも、事業者である京都府教育委員会および京都府知事が組合対策を優先したために、真に労使対等で自らの事業者責任を明確にした体制づくりに消極的な態度をとり続けてきたからでした。
 私たちは、この課題を取り組むに当たって、
 労働安全衛生問題は、教職員のいのちと健康安全を守り、安心して職務に専念できる職場づくりのためのもっとも重要な課題の一つであること。
 体制づくりだけでなく、労働安全衛生体制(労安体制)を支える分会活動とあいまってこそ、体制が真に生きること。を大切な基本としてとりくみを進めてきました。


委員長と教育長が握手の写真水戸黄門「印籠」の効果発揮

 私たちは、これを文書確認するよう府教委に求めましたが、 府教委は、あれこれの理由をつけて文書確認は拒否しましたが、以下の点で合意しました。

<確認・ 合意事項>

1.労安問題は労働条件であり、交渉事項である。
  よって労働安全衛生に関する事項は、労使対等で決定し、 労使合意のために努力する。
   以上のことは、分会と校長との関係においても同様である。

2, 労働安全衛生体制立ち上げにあたっては、法の最低限を下回らないことは
   もちろん、法をこえて実効あるものにしていくよう努力する。
   よって労安法・ 安衛則や労安法・ 施行令等を下回らないことは当然である。

 3. 事業者は、京都府および京都府教育委員会であり、代理する職としては、
   京都府教育長である。

4.「規定骨子(案)」の「委員会の組織」
  3項および「総括委員会の組織」2項にある「職員団体」とは京都府立高等学校教職員組合
  のことである 。
5.府立学校の安全衛生に関する内容については、府庁・ 教育庁の安全衛生委員会体制に定め 
  られた水準と不均等にならないようにする 。
6.双方は、これまでの協議・ 交渉で確認・合意した事項について遵守すると
 ともに.実効ある労安体制確立に向けて なお改善のための課題が残されてい
 ることを確認し、ひきつづき労使で精力的に協議・交渉し、その解決・ 改善
 に努力する。



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2011年9月19日月曜日

労働安全衛生活動五つ提案  危険なことが、なぜ危険とされなかったのか


山城貞治(みなさんへの通信86)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その66)


労働安全衛生活動五つの考えを提案して府教委協議に臨む

私たち京都府高労働安全衛生対策委員会では、府教委との労働安全衛生協議を前に次の5点を全教職員に提起し、協議に臨んでいた。

教職員のいのちと健康を守るための府高「労働安全衛生活動五つの考え」

① 教職員のいのちと健康はひとりでは守れない。いのちと健康を守るための知恵と行動は、自分を守り、仲間を救う。
 労働安全衛生は教職員のいのちと健康を守る基本的人権であり、労働条件であり、生存権に関わることである。

②労働組合(府高)があり、そのたたかいがあってこそ働くもののいのちと健康を守ることが出来る。
 今こそ未組合員・管理職を含めたすべての教職員との「対話と共同」をすすめ、労働組合の強化・拡大でいのちと健康を守ろう。

③ 教職員のいのちと健康は、体制・行政まかせでは守れない。府高のたたかいが弱まると教職員のいのちと健康は破壊される。
 執行部・分会役員は、たえず教職員のいのちと健康に関わる状態を把握し、明らかにし、要求を実現する取り組みをすすめよう。
 また「しんどい・苦しい・いたい・つらい」「どうしたらいいのか・何が原因するのか」を言いあえる職場をつくろう。

④ 朝、家を出た労働者が、元気に家に帰れるようにするのが事業者の責任であり、それを見とどけるのが労働組合の役割。
 教職員のいのちと健康に責任を持つのはだれか(事業者=京都府と府教委)を絶えず明らかにしよう。教職員がケガや病気になっても個人の責任にしない。個人の責任にすれば事業者が責任逃れをする。

⑤ 府教委・管理職との労働安全衛生(いのちと健康の問題)の話し合いの内容は、秘密にしない。
 「ここだけの話」「内緒にしよう」と約束すると教職員のいのちと健康を売り渡すことになる。労働安全衛生に関する情報は、労働者には知る権利があり、事業者には知らせる義務がある。
 個人のプライバシーは守るが、仲間のいのちと健康問題は秘密にしない。 


 協議では、府教委は安全や安全対策のつくことは、極端に否定してきた。しかし、私たちは、生徒の安全は教職員の安全に直結する。教職員の安全は生徒の安全に直結することから「安全衛生委員会」の名称は大切であると主張した。
 その根拠のひとつに、府教委は、1982(昭和57)年1月16日に「京都府教育庁職員安全衛生管理規程」を公表し、「法令の定める事業者の債務としての職員の安全衛生に関し、安全衛生管理組織、健康管理その他必要な事項を定めるものとする。」としていた。
 府教委には、「安全衛生管理」としながら府立学校には「衛生管理」とするのには明らかに矛盾があった。だが、府教委側は、それらを無視し続けた。

 この頃、京教組養護学校教員部・編集・著作の「教職員のための労働安全衛生入門」が、「新版 教職員の労働安全衛生入門」(細川汀 垰田和史共著 文理閣 )がだされ、細川汀氏は次のような文を加筆されていた。

ゴミ焼却炉に落ちて死んだ生徒
 門扉に挟まれ死んだ生徒の安全は

 たとえば、工作室で使用されている帯鋸や丸鋸、プレスやシャワーには法律で安全装置がきびしく決められていますが、正しくきちんとつけられ作動しているでしょうか。
 実際には労働安全衛生法規に違.反しているところがたくさんあるようです。これらは、直ちに改善されねばなりません。
 災害がおきたときにその原因調査をし、防止対策を立てる。
 京都のある小学校で、ゴミを捨てようとした一年生がブタをしていない焼却炉に落ちて死亡しました。このようなことは教師にとっても危険なことで、もっと早く学校として対策をとるべきでした。
このようなことがなぜ起こったのか。焼却炉は本当に必要だったのか。
 やむをえないとしてもそれはどこに置くべきか。
 どんなものを燃やしてよいか、選別していたか。
 投入れ口にはどんな安全装置がされていたか。
 子どもに投入れさせてよかったか。
 それまでに危険を感じたことがなかったか。
 あったとしたら、どうして改善されなかったか。
 これらを調査しなければなりません。
 最近は焼却炉から出る有害ガス(ダイオキシンなど)も問題になっています。
 ゴミ問題は今,どこでも重要な課題です。


目に見える「直接原因」よりも、それをひき起こした
「間接原因」やその「背景原因」の方が大切な事後原因の究明
 事故の原因の究明には、目に見える「直接原因」よりも、それをひき起こした「間接原因」やその「背景原因」の方が大切です。
 教員は学校の内外で事故が起きると自分の責任であると考えがちですが(それは当然のことですが)、事故の責任を教師に課することが正しくない場合がほとんどです。
 それは全く別の問題です。
 真の原因を科学的に明らかにしなければなりません。
 兵庫県で230キロもある重い扉を「イチ、ニ、サン」で閉めていたことも、犠牲者が出るまえに教育委員会や教職員に安全の知識があれば、誰もしなかったでしょう。
 このような危険なことが、なぜ危険とされなかったのか。
 子どもの遲刻を防止する方法として、適切なものであったのか、それはどに教師の行動をかりたてた本当の原因があったのではないか、それを追求することが、再びこういうことを起こさないために必要です。


「注意しましょう」が子防対策
になっている現状では、災害は決してなくならない
 

 多くの学校災書が本人や仲間、あるいは教職員の「単純ミス」や「不注意」のせいとされ、「注意しましょう」が子防対策になっている現状では、災害は決してなくなりません。
 本当に実効のある防止対策を考えましょう。
 交通事故の原因は交通法に違反する運転手の不注意のためであるとして罰則を課しても、一向に事故が減らないのはなぜでしょうか。
 情報収集をやっていろんな統計をとる。
そういう仕事をきちんとやらなければならない。
 それにふさわしいよい人が学校にいるか。
  そういう人をきちんと作ろうという方針が教育委員会にないことが問題です。

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学校の安全対策を最優先にと主張する考えを受け入れなかった府教委はその後の学校安全をめぐる事件で


山城貞治(みなさんへの通信85)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その65)


これ以上現職死亡と教職員の健康破壊をださないために、と

1997(平成9)年度 京都の教職員の現職死亡
( 府高労働安全衛生対策委員会調べ)
  京都教職員現職死亡 13名( 府立校 8名  京都市立校   5名)
  そのうち管理職の死亡(  府立校 2名  京都市立校 2名  )

を胸に刻んで、いきさつ経過はそれなに考えながらも私たち京都府高は教職員のいのちと健康を守るために京都府教育員会と協議をはじめた第1回は、1998年5月のことだった。

「虚偽報告」を「認め」・「否定」した府教委

 打ち合わせの段階から府教委は労働安全衛生協議の時間を1時間と主張し譲らなかった。
 第1回協議は、府高側は、府高副委員長・書記長・労働安全衛生対策委員2人。府教委側は、教職員課長・保健体育課長・教職員課法制係長・保健体育課課長補佐のメンバーで行われたが、正確な協議を教職員全員に知らせるため府高側のメンバーはきちんとした記録をとるため万全の体制で臨んだ。
 話し合いは、最初から平行線であった。
 府高側は、
 ・今回の場は、交渉に基づいて、府高と府教委が府立学校教職員の労働安全衛生をすすめるこ  とを協議する場である。また安全衛生委員会設置は、労働安全衛生対策をどうするのかという出発点でもあるという張。
 ・これに対して、府教委は、行政上の「義務」である「衛生委員会」を学校に設置する。衛生管理者の配置、産業医の配置(健康管理医で配置している)をすることだけでいいと言い切った。
 ・ところが、労働安全衛生法上でも「安全委員会」や「衛生委員会」また「安全衛生委員会」は、組合代表と同数で組織することになっているという府高の指摘には、府教委は「同意」しなかった。
 しかし、現在のすべての府立校には「衛生委員会」は存在していないことは「認め」た。
 これは、府教委の指示で人事委員会に各府立高にすでに「衛生委員会」が設置されているという「虚偽報告」を「認め」たことであり「否定」したことでもあった。


安全対策の必要性を否定した府教委の姿勢は
その後次々起きた生徒の安全対策にもハッキリと現れた

 さらに、府高側は、安全衛生委員会の設置などは、労働安全衛生をすすめるための一環という府高の考えを説明したが、府教委は、「衛生委員会」の確立で行政上の「義務」を果たしたという考えを示した。
 安全対策の必要性については、行政上の「義務」がないとする府教委の考えに、府高側は具体的事実をあげ安全対策の必要性を主張した。

 そのため
1、衛生委員会」の確立で、労働安全衛生をすすめたことになるのか。
2、事業者はダレか。
 府高側は、京都府・府教委と言ったが、府教委は明言しなかった。
2、事業場はどこになるのか。
 府高側は、府立校全体であり、各学校その元に置かれていると主張。
 府教委側は、京都府人事委員会が「学校」と言っているので、学校が事業場で あり、校長が事業者と府教委の考えではないがそうなっていると主張。
3、従って府高側は、京都府・府教委と府高との間で安全衛生委員会の設置を 主張したが、府教委は、あくまで学校に「衛生委員会」を設置することを主張。

 さらに労働安全衛生法上は組合代表とで、「安全委員会」や「衛生委員会」または「安全衛生委員会」を組織することになっている府高の指摘にすら、「組合のない学校」とのバランスがとれないとして、「同意」しなかった。
 

4、府教委側は、健康管理医を産業医とみなすことを主張。
  府高側は、健康管理医は産業医でないと主張。


労働安全衛生を真剣に考えない姿勢で終始 

などなど具体的な不一致点の主なものであった。
そして、
1、府教委側は、一月ごとの協議を言い、府高側からは次回の協議のために、「過去5年間の健康診断異常者数の状況と要精検者への手だて」「現職死亡の実態と対策」「京都府人事委員会の「事業場」調査の内容報告と府教委への指摘事項」「府教委の労働安全衛生関連予算などの資料」の提出を提案したところ、府教委は一定の検討を了解をしたもののそれらの資料を一切出すことはなかった。

 

 これらの協議は、2002年まで続くが、各協議で府教委の主張を学校現場の様子、法制度から話し合いをすすめるが、府教委は、労働法はもちろん労働安全衛生法の基礎すら知らず、早く終わりたいといううずうずした態度を始終あらわした。


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2011年9月16日金曜日

たくさんの労働者の「血と汗が文章」になっている労働安全衛生法  闘わなければすぐに形骸化する怖い分野


山城貞治(みなさんへの通信84)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その64)


随分波風があった労働基準法から分かれて
労働安全衛生法が出来るときに

 事業者とか国というものが、本来的には働く者のいのちと健康を守るという責任を有していると私は思います。
 ただ、これは天から降ってきたものではありません。
 労働安全衛生というのは、働く者の財産です。
その中に、職場の中でのいのちと健康を守るための具体的な方策がいっぱい詰まっているわけです。
  しかし、労働基準法から分かれて労働安全衛生法が出来るときには随分波風が立ち、ある労働組合の活動家のかたがたは、労働安全衛生法は不十分で、不足がある云々の議論をしました。不十分な点もあるかもしれないけれど、私はやっぱりこれは財産だと思います。


  労働者の怒りの中で労働安全衛生法
が生まれてきた

 この財産とはどういう意味かと言えば、たとえば生産職場で、具体的に労働者がケガをすることが多発する中で労働安全衛生として規則を作り、「こういう基準を作らなければいけない」という労働者の怒りの中で労働安全衛生法が生まれてきた背景があるからです。
  そういう意味でいえば、労働安全衛生法の中身というのは、たくさんの労働者のかたがたの「血と汗が文章」になっている財産だと思っていただきたいと思うのです。
 しかもそれは、一人ひとりの労働者がいろいろと言って勝ち取れる内容ではないのです。
 やはり労働組合が団結して、いろいろな運動をして、その力で勝ち取ってきたものです。
 しかも闘わなければ、労働安全衛生というのは、すぐに形骸化して形だけのものになってしまうという、怖い分野です。


ひとりの労働者の「意識」だけでは絶対なくならない労働災害 

 そのことは、みなさんも実感されてきているかもしれないし、この数年の問に
「えっ、教職員の職場にも労働安全衛生法って、関係あったの」
という議論から、出発していった面があるかもしれません。
 実際は、みなさんがこの間の闘いの中で実感していくことだと思いますけれども、闘って具体的な要求をあげていく中で、一つひとつ前進を勝ち取っていくと思います。
 先ほども言いましたが、一人ひとりの労働者の「意識」だけでは、労働災害は絶対なくなりません。
 だから、労働安全衛生法3条で、
「事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけではなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて、職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない」
と、わざわざ書いてあるのです。

 事業者にこそ、労働者の健康を守る責任があるということです。

労働安全衛生法の学習を先にやろうと思うと絶対出来ない

 ただ、こういう議論でいろいろと条文に入っていくことは、今日はあまりしません。
私の発想でいうと、あまり頭でっかちになっても駄目だと思うのです。
 だいたい労働安全衛生法には細かい条文がいっぱい書いてあって、安全衛生規則なども連動して読まないと全体のイメージが解らないというような法律でもあるのです。

 だから、そういう学習を先にやろうなどと思うと、だいたい半分ぐらいで眠くなって、最後まで絶対いかないことは、私が保証します。
 そういうことではなくて、働く者の財産であって、労働者の血と汗によって作られてきたものだということを、なぜ強調したのかというと、あえて言うと働く人々はそういう難しい勉強をして労働安全衛生が出来てきたものだとは思えないのです。

労働安全衛生法学習よりも  一人ひとりの仲間の健康といのちを守るという視点からとらえ直して むしろ、現場なり職場の中で寄り合いをしたり、労働が終わった後に一杯飲み屋に行ったりして、
「今日はこうだった」

「こういうのはしんどいな」
「俺、身体の調子はこうなんだ」
というような話をする中で
「じつは、俺もそうなんだ」

「何かおかしいのと違うか」
「どこかで話を聞いてみようか」
ということになり、そこから具体的な職場の安全衛生が出発したようなところがあるのです。
 そういう意味で、一人ひとりの仲間の状況を健康といのちを守るという視点からとらえ直していく。
 そういうことの方が、労働安全衛生法のいろいろ難しい条文をいっぱい読むよりも、私は必要ではないかと思うのです。
 そういうことでは、みなさんの安全衛生対策委員会の中で、なるべく分かりやすく、こういうことでどうなんだと、みんなで話をすることの方がいいのではないかと、私は思います。


組合など関係なく
「あの人がしんどそうだから、私が手伝ってやる」があったはず

 具体的にいうと、たとえば組合員でない人も含めて、職場の一人ひとりの健康状況や仕事のことをどう思っているのか、などみなさんの組合や分会でつかんでいるか、ということです。
 教職員のみなさんのいろいろな人と話をするのですが、みなさん非常に「多忙」で、お疲れになっている。
 でも昔は学校でも、いろいろな職場でも、ある意味で力のある人がいて、いろいろな人のしんどいところの状況が分かっていて、
「あの人がしんどそうだから、私が手伝ってやる」
というようなこともあった。
 職場の周りの状況をある程度把握しながら、お互いに融通しあいながらやっていくというようなことが、組合など関係なく、職場でやれた時期はあったはずです。
 それが今はどうか。

 その辺のところを、十分把握できているかどうかです。

労働安全衛生の出発点は
職場の一人のひとりの健康状況や働き方
「想い」といったものを受けとめていないと、何もできない

 労働安全衛生というのは、職場の一人ひとりのいのちと健康を守るための取り組みです。
 そういう意味でいえば、出発点は職場の一人のひとりの健康状況や、働き方、「想い」といったものを受けとめていないと、何もできないということであり、そういうことを率直に話し合いができ、把握しあうような場があるかどうかということです。
 本来であれば、そういうことは学校長がやらなければいけないと思うのです。
 全教の三栄国康さんが、どこかの雑誌で、学校長が朝の朝礼で
「教職員のみなさん、今日のみなさんの体調はいかがですか。身体の調子の悪い人は、ぜひ私に申し出てください。いろいろな職務分掌も含めて検討したいと思いますので」
というような挨拶をすることがあってもおかしくない、と書いておられました。
 校長は事業者である府教委などより、具体的な職場の中での実行行為者として責任を持っているわけですから、本来ならば学校長がそういう形で職場の安全衛生の問題に率先して取り組んで、一人ひとりの健康状況について申告して議論しようという雰囲気を作っても、何もおかしくないのです。


 ただ、いっぺんにそこまではいきません。


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先生は私たちのことを思ってがんばってくれた。よし、私も大きくなったら、と過労死する教育をするの


山城貞治(みなさんへの通信83)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その63)


それでいいのかな、と思ったときにはもう遅い

 府高の腰痛.頸肩腕障害(頸腕)の裁判で言うと、障害児学校などでは生徒の発達保障をするために、延々とすごい姿勢をされているわけです。
 それで腰痛になったり頸腕になったりする。垰田和史先に言わせると
「もう話にもならない」
というような無理な姿勢を強いられて、延々と授業されるわけです。
 それは子どものために必要だからと、やってきたわけです。
 しかし、そのために教職員は健康を破壊されたわけです。
 でも、それでいいのかな、と思ったときにはもう遅かったのかも知れないのです。
 そこのところの問題で、子どもにとって必要なことをやるということと教職員の健康ということについての中身をもう一度論議しなくてはならないのかな、と思います。




あの先生は私たちのことを思ってがんばってくれて
身体を傷めた。よし、私も大きくなったら

 「あの先生は、私たちのことを思ってがんばってくれて身体を傷めた。よし、私も大きくなったら、そういう労働者になるんだ」
と思って、仕事をやりすぎて過労死したらどうしますか。極論ですが。
 私が言いたいのは、ようするに子どもは、先生のいろいろな授業の内容や発達保障だけではなくて、人間の生きざまも含めて見ながら成長するのです。
 私自身がそうでした。
 中学校の頃の状況と今の状況を比べたときに、やはり先生の生き方でこうなったんだ、という面がないわけではない。


先生の健康問題は、日本の将来にかかわってくる

 そういう意味でいえば、本当に学校の先生の健康問題というのは、どういう視点で、どういう形でそういうものを「体現」するのかということが日本の将来にかかわってくる、と私は思っているのです。

子どもの状況を受けとめきれる余裕が教職員にあるのか

 子どもの状況を受けとめきれる余裕が、今のみなさんにあるか、ということです。
 子どものためにがんばるといいながら、子どもの状況を受けとめきれる余裕がなければ、どうなるか。


生徒と接するときには、健康でベストコンディションで

 子どもや生徒と接するときには、健康でベストコンディションで臨むということが、子どものためには不可欠なのではないかと思うのです。
 学校教育の中で、人間が人間として尊重されるということを教科を教える中で先生が「体現」していく。


自分のいのちと健康を大切に 仲間のいのちと健康を大切に

 人間が人間として尊重される。
仲間を尊重して大切にすると同時に、自分も大切にする。
自分のいのちと健康を大切にする。
仲間のいのちと健康を大切にする。
 そういう思い、考え方、姿勢、というものが必要なのではないかと思います。

WHOの憲章には、そういうことが書いてあります。
 「健康とは、単に病気や障害がないというだけではなく、身体的、精神的、社会的に健全な状態にあることをいう。最高の健康状態を享受することは、人種、宗教、政治理念、経済状態の区別なく、あらゆる人間の基本的権利である」。
 健康というものを考えるときには、この辺のところが大切ではないかと思います。


教職員の考え方や姿勢が悪い
 個人の責任と言っているのではない

 今のような話だけをすると、一人ひとりの教職員の考え方や姿勢が悪いからいけないのだ、という話になりかねません。
 これは府教委などが言う話になってきます。
 しかし、私はそうは思わない。
 健康に対する基本的な視点や考え方というものは、みんなが身につけていく、考えていく、議論をしていくことが大切だということを強調したいわけです。
 問題は、個人の責任や意識の問題だ、とは私は思っていません。
 いまのWHOの憲章でも、
「国は適切な保健及び社会手段を充足させることによって、その国の人々の健康を保持する責任を有している」
ときちんと書いてあります。
 だから、いま申し上げたような問題提起を、みなさんには議論していただきたいと思うのです。
 


 それを個人の責任や意識の問題にすりかえてしまったらいけないと思います。
 


  そうではないのです。
 そこを、大切にしてほしいなあと思います。
 そのことは、何のために労働安全衛生法ができたのか、ということとも関わりがあるのです。



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2011年9月13日火曜日

いかに社会的に必要、かつ有益な事業であるからといって、業務遂行の過程で労働者の身体健康の障害が発生することは許されない、との判決を


山城貞治(みなさんへの通信82)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その62)


労働安全衛生で学んだことをみんなのものに

 京都府高労働安全衛生対策委員会は、学習会をしたことは必ず冊子にして教職員だけではなく、多くの方々に学んだことを広めてきた。
 たとえば、

「安全配慮義務の法理とその活用 弁護士 岡村親宜」
「教職員組合労働安全衛生委員会の労働者側委員は、なにをなすべきか 大阪労働健康センター 北口修造」
「教職員の精神衛生を考える 医師 鈴木安名」
「教職員のみなさんとともに考える労働時間 弁護士 伊藤誠一」
「教職員のためのリラクゼーション 長崎県大浦診療所 井出政子」
「京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働合本1、2、3、4、5」
その他出版したものとして、
「教職員のいのちと健康を守るために 京都からの発信 川上雅詮編 文理閣」
「学校がよみがえる労働安全衛生 辻村一郎・川上雅詮編 文理閣」
などなど多数ある。
 本当に多くの方々の協力と援助で京都府高が学習できたのだと思う。
 そこで、今後のために「学校がよみがえる労働安全衛生」の内弁護士 佐藤克昭氏の「だれでも共感できるいのちと健康 今こそ言いたい、教職員の労働安全衛生」の一部の概略を紹介させていただく。


一番に言いたいことはいかに有益で必要な事業であっても、労働者の身体を壊すようなことは許されない
 

 1995年9月に福岡高裁で、長崎じん肺の判決が出ました。この判決文の中で、裁判官がこういうことを書いています。
「いかに社会的に必要、かつ有益な事業であるからといって、業務遂行の過程で労働者の身体健康の障害が発生しても、それが許されてよい、という理由は見出し難い」。
 どんなに社会的に必要で有益な事業だといっても、そういうことをやる中で、労働者の健康や身体が壊れるようなことがあったら、いかに有益で必要な事業であっても、労働者の身体を壊すようなことは許されないということを、福岡高裁の長崎じん


肺判決は、判決文の中でいっているわけです。
 どんな立派な事業内容や仕事であっても、その中で働く労働者の健康被害が発生するようなことがあれば、それは駄目だと思います。
 それはおかしいのです。
 そういうようにみなさん自身、思っておられますか、ということです。
 ここが、今日の私の一番言いたいところです。


危機感を感じることがない
「ああ、忙しい」「忙しいことがたくさんある」なのか

 教職員のみなさんにいろいろお聞きをすると、京都の教職員の現職死亡というのは、1991年から1996年の6年間に100人だそうです。
 1ヵ月以上の長期病休者というのは、毎年200人以上おられるそうです。
「ああ、そんなものか」

と思われる人がいるとすると、私もショックです。
 京都府高の川上委員長の決意がすばらしいと言いましたけれども、はっきり言って、学校の先生は、砕けた表現をすれば、「へろへろ」になっているのではないかという感じがしているのです。(注:京都府高労安対策委員会機関紙「教職員のいのちと健康と労働」合本1の冒頭「発行にあたって」に「1997年、私たちはこれ以上、教職員仲間を殺すことや、健康破壊を許さないと、背水の陣を構えた」と書いていること。)


しつくりこない「多忙化」という言葉

 「多忙化」ということが、京教組の新聞などに出ていますが、私は率直にいって、この言葉がしっくり来ません。
 「多忙化」というのは語感として、「ああ、忙しい」「忙しいことがたくさんある」というだけで、あまり危機感を感じることがないのです。
 冒頭にいった「背水の陣」と「多忙」というのは、私の語感ではちょっとズレるのです。

 「忙しいことがたくさんある」
ということではなくて、
「えらく大変だ。背水の陣だ」
という京都府高の川上委員長の言葉の方がすっきりします。

大変な 年間300人以上の教職員の過労死が出ること

 現状認識と用語のズレということだけなのか、「多忙化」には、もう少しいろいろな思いがこもっているのか、教えていただきたいところです。
 ちなみに、今のような状況で抜本的な教職員の労働条件の改善がないと、全国で年間300人以上の教職員の過労死が出ると、全日本教職員組合(全教)の常任弁護団は言っているそうです。
 私は常任弁護団ではありませんが、年間300人以上の過労死が出るということになれば、これは大変なことです。
 先ほど青年労働者の実態をご紹介しましたが、それに匹敵するということです。


年間総労働時間が3000時間を超えると「過労死軍団」

 だいたい全国の過労死弁護団の議論でいうと、年間総労働時間が3000時間を超えると、まず「過労死予備軍」でなくて「過労死軍団」です。
 ようするに、過労死事案で申請や裁判で闘うときに、年間総労働時間を計算して、裁判でこういう労働実態だとやるのですが、過労死で倒れるというのは、3000時間が1つの目安になってきている。
 率直に言って、私は教職員が「多忙」というより「過労」ではないのか、という感じがします。
 しかもそれについて、背水の陣なのかもしれないけれども。
 じつを言うと私の兄は京都府立高校の先生をしているので率直に思うのですが、本当に危機感がないというか……。
 「あなた、自分の身体をどう思っているの」

と、思わず言ってしまいたくなるぐらいです。

子どものためにここまでやらなくては駄目だから
  これは手を抜けない、と

 みなさんの中には、休むということを躇躇する、ということはありませんか。
「いや、今は休めない。これとこれがあって」
と言われれば、
「あなた、休めないのはいいけど、家族はどうするの。まだ子どもさんは高校だよ」
と思ってしまいます。
 しかも、倒れたら
「残された生徒は、どうするのですか」
と思ってしまいます。
 実際に話をすると、どうも学校の先生の基本姿勢というのは、

子どもがいて、やることがあって、これこれをやらなければ自分の教職員としての使命が果たせない。
 だから、子どものためにここまでやらなくては駄目だから、

これは手を抜けない、ということになっていないだろうかと思うのです。



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2011年9月12日月曜日

学校がよみがえる労働安全衛生    違法を許さない労働基準法・労働安全衛生法などの「申告権」行使を


山城貞治(みなさんへの通信82)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その62)


 立ち遅れている  民間労働者・労働組合の申告権行使

 いのちと健康にかかわる問題は当の労働者にいち早く知らせるのが当たり前のことである。
 知る権利、知らせる義務の問題である。
 それでなくても毎日・まいにち健康障害が進行しているのだから。
 申告権の行使は大事な運動である。
 民間労働者・労働組合の申告権行使も、いくつかの単組や職場の「健康を守る組織」は、意外に非常に遅れているたたかいの分野である。
  この運動のすすまないのは企業意識にとりこまれているかリストラの波の中の「不安定な身分」に大いに影響されていることによるところが多いと思う。

 少なくとも各地域において教育委員会ならびに人事委員会に対する「立入調査」結果を公表させるはたらきかけが必要である。

学校の合理化がつくる 教職員の健康破壊・過労死・過労自殺

(3)私は、学校職場のケガや病気だけでなく健康障害や不健康状態、過労死・過労自殺などは学校「合理化」の結果であることを指摘し、学校「合理化」を次のように定義した。

 国および財界は、学校職場を国の教育政策と文部省の教育行政、そして直接的には教育委員会により、体系的な多忙化攻撃、とくに労働条件切り下げと管理強化によって、安上がりで政府財界の期待する人づくりの構造にたえず変えようとしている。
 この支配と安上がり(搾取)の体系的方法を学校「合理化」と呼んだ。
 なお、多忙化という用語について、あいまいであるから使わないほうがよいという考えもあるが、私は教職員のなかで日常使い慣れているようなので、私なりに解釈して使った。
 ただ、行政による「多忙」の押し付けとその結果の「多忙状態」の拡大・深化を区別しながら実態に迫る必要を提起しておいた。
 ところで、多忙化状態といわれる現状すなわち教職員のいのちと健康を破壊し、生徒の教育条件悪化をもたらしている実態の分析は急務である。


教職員・生徒のいのちと健康を守る立場から
教育政策、教育思想、教育行政が目指すものを分析を

 そのためには、

 第1に現場の教育労働すなわち、毎日まいにちの学校職場で果たさなければならない、あるいは、果たし切れない「仕事」のいっさいがっさい、及び管理支配が教職員に与えている心身への労働負担 (あわせて家族への影響と生活障害さらに生活障害が教職員にはねかえる負担)の調査研究が必要である。


 第2に、その背後にある教育政策、教育思想、教育行政が目指すものを教職員及び生徒のいのちと健康を守る立場から分析する必要がある。
 多忙化の分析、労働負担と教育政策と管理方式の研究に対しては教職員の健康障害を対象にした労働衛生、教育学者、社会科学者らの先ずは現状認識を共通にするための意見交流i勉強会などの場が必要なのかも知れない。
 運動の主体である教職員組合の意向にまかせたい。


いのちと健康を守る攻勢的運動は
労働安全衛生活動として運動化できなかった原因の確認から

ところでこのような積極的な運動として第2 ラウンドを前進させるためには1972年以来20年近くも労働安全衛生法が適用されなかったということが、単に政府。文部省の「怠慢」とし時の教職員組合のいのちと健康を守る考えや運動に対する問題点とくに労働安全衛生活動として運動化できなかった原因の確認が必要である。
 この確認は、単に観念的な反省や発想の転換ではなく学習と経験交流となによりも毎日の安全で健康で快適な職場改善活動のなかで実践的に可能になるものである。
 かくして、攻勢的ないのちと健康を守る運動を前進させることができるのではないか。


 第1 ラウンドの学習熱を冷めさせないこと。
 経験交流はとくに他産業・他職場の労働者との交流が有効である。

その労働者は教え子や生徒の父母兄姉にもっながる人達であることに目を向けることも大切である。


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2011年9月11日日曜日

学校がよみがえる労働安全衛生      いのちと健康にかかわる問題は 当の労働者にいち早く知らせるのが当たり前のこと


山城貞治(みなさんへの通信81)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その61)

府人事委員会の情報開示のことについて、述べてきたが、京都府高アドバイザーの辻村一郎先生(当時同志社大学教授)は、すでにこれらのことを指摘していた。
以下、大阪職対連機関誌「労働と健康」(1999年7月)に掲載された文章を紹介したい。

 教職員のいのちと健康を守る攻勢的運動

 今から30年前に私のゼミ生が卒業論文に 「教職員の労働条件と健康問題」をとりあげ当時の京都教職員組合で聞き取り資料収集をし、論文にまとめたことがあった。
私も関心をもっていたのでその後も健康調査結果や母性保護などに関する権利を獲得したと聞けば資料の依頼をした。
1980年代前半に勝俣咲史他「教師の自殺」(注:勝俣瞑史・佐々木保行・丸谷真智子・大坪功「教師の自殺」有斐閣新書1983/6)を読んで教職員の精神疾患と自殺の深刻な状態に驚いたこともあった。
 このような教職員組合の健康を守る運動や研究はあったが、労働安全衛生の立場で運動がすすむようになったのは約10年前からである。
 労働安全衛生(法)とは何か、安全衛生管理体制、なかでも健康診断や安全衛生委員会に関心が傾きながらいのちと健康を守る意義や課題について、学習会及び健康調査などが盛んにおこなわれた。
 他方、教育委員会は労働安全衛生管理に関する規則・規定などを作成してきた。
 その地域の教職員組合の十分な検討を待たずに規則を作成し導入したところや教職員組合の修正要求があったにもかかわらず、それには応じることなく強引に導入したところ、教職員組合の要求にそった内容で実現したところ、あるいは教職員組合の道理ある要求が安全衛生法を下まわる規定案をねばり強く阻止しているところもある。
前二者は労働安全衛生法に抵触するようなものであり、引きつづき改善要求がなされているはずである。

労働安全衛生の第ニラウンドがはじまっている

 昨年11月、辻村と川上雅詮編「学校がよみがえる労働安で峠田助教授(滋賀医科大学)は、「教職員の労働安全衛生」 は1990年からはじまったこと。
そして学校保健法と労働安全衛生法の『運用』をまちがったか、あるいは『無視』していた文部省が労働安全衛生の理解不足だったといい方針を転換したこと。
そして第一ラウンドは教職員の労働安全衛生では前進し、つづいて第ニラウンドは、今、はじまっている、と述べている。
今度は、
「どのような労働安全衛生をどれだけ実効性のあるものとして生かしていくか」
(78頁)であり
「学校数育と先生たちの安全や健康をどのように両立させていくか」
が課題であると提起している。
 そして貴重な提言をいくつかしている。私も同感である。
 それをも踏まえてこの小論では私なりの提言をしたい。

教職員・教職員組合は教育委員会の
 その施策の枠内に即応した運動になりがちだった

(1) 職場に労働安全衛生法を運用するための規則(安全衛生管理規定とか安全衛生管理要項など)を教育委員会が作成し強引に決めてしまうやり方には大いに問題がある。
 それも、労働安全衛生法の基準以下のものである。
また、労働安全衛生法全体を安全衛生管理体制に矯小化したかのようなものになっていることも見逃せない。
ところで、ここで指摘したいことは運動側の問題である。
 教職員・教職員組合は教育委員会のその施策の枠内に即応した運動になりがちだったことである。
つまり、労働安全衛生管理体制に目がむきがちで、肝心の職場における日常的な安全衛生活動(労働条件・教育条件・労働環境の改善、安全で健康で快適職場の要求運動)が進めにくかったことである。

健康で安全で快適に教育できるように学校をかえる責任が
 事業者にあることを明確に出来ていなかった

その理由の一つは、教職員が健康で安全で快適に教育できるように学校をかえる責任が事業者にあることを明確に出来きなかったことである。
 労働安全衛生法の目的(第1章第1条)は、労働基準法と相まって労災防止のための危害防止基準を確立し、責任体制の明確化及び自主的活動促進など総合的な対策を推進することによって労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境形成を促進すること、とある。
 そしてこの目的遂行のために事業者は法の最低基準を守るだけでなく快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通して労働者の安全と健康を確保するようにしなければならないことを事業者に義務づけている(第3条)。
知事、市長、教育委員会は、教職員を採用・雇用した瞬間にこの責任が生じているのである。
  労働安全衛生管理体制はいいかえれば労働安全衛生管理責任体制である。

被害の事実を踏まえた権利意識の
    あいまいさと結びつく責任追及

 この点の職場からの責任追及が不足している。
責任追及が弱いということは被害の事実を踏まえた権利意識のあいまいさと結びつくものであり、また、いのちや健康の社会的な大切さの自覚の不十分さに関係する。
この点に関してはひとり教職員だけの問題ではない。
さらに、教育という職域の特性がこのことをより困難にしていることは事実で、あとで述べるが、この面の調査・研究はこれからの課題だろう。
しかし、自覚的な教職員・教職員組合のこの10 年の安全衛生闘争や過労死、けいわんなどの認定・補償闘争のなかでは事業者責任を追及する方向性が部分的にみえてきたことも事実である。

「立入調査」結果が教職員に知らされているかどうか
   直ちに法違反が是正されているかどうか

(2)人事委員会に目をむけた運動をすすめることが必要である。

 労働基準監督署や人事委員会(公務員)は労働者(教職員)を保護する労働基準法や労働安全衛生法が実施されているかどうかを監督し法違反があれば是正させる行政機関である。
労働基準監督署や人事委員会は必要があると認めたときに立ち入り調査をおこなうだけでなく労働者の申告(権)にもとづいて立ち入り調査も行う(なお、京都では、養護学校の寄宿舎・給食の職員は労働基準監督署の管轄下に入る)。
問題は人事委員会によって、すでに行われて いるはずの「立入調査」結果が教育委員会に報告され、教職員に知らされているかどうかである。
 さらには直ちに法違反が是正されているかどうかである。

  京都府立高等学校教職員組合は「立入調査」を府教育委員会によって公表させるところまで前進している。


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2011年9月10日土曜日

人事委員会の立入調査を知らしてほしい、の声に校長は激怒して 職務を侵害する、とまで言う


山城貞治(みなさんへの通信80)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その60)


労働監督の責任がある人事委員会が
    府教委・学校の虚偽報告を認め続けていた

「あのう。事業場調査台帳には、衛生委員会設置や開催や衛生管理者が空欄になっているのですが、人事委員会立入調査の資料には、衛生委員会が月一開かれ、衛生管理者が置かれているとなっていますが。」
「異動されたから空欄になっている。」
「でも、2年後の事業場調査台帳には、同じ衛生管理者の名前が書かれていますが。」
「……」
「あのう。人事委員会立入調査はこの10年間に2回行われた府立学校もあるのですね。」
「そうです。一定の年度ごとに回るので、今回の開示では、同じ学校の資料も出しています。」
「そうですか。でもこの高校への人事委員会の指摘事項とそれを受けて高校が出した改善などの措置の文章は、同じものをコピーされたのでは。全く同じ指摘事項と全く同じ改善などの措置の文章ですが。」
「どれですか。ああ、こちらのコピーの間違いではありません。日付を見てください。」
「日付は違いますが、人事委員会が労働基準法と労働安全衛生法の条文をあげて指摘・改善され、学校から指摘・改善することが書かれています。でも、数年後に人事委員会が同じ文章で同じように指摘して、学校は同じ文章で同じように改善すると全く同じですよね。違うのは日付だけですね。」
 人事委員会は、黙り込んでしまった。
「おいそがしいようなので、お仕事に戻られたら。私は見て気づいたことがあれば、連絡しますから」
「いやいや、残らなければなりませんので」
 府人事委員会は、ここまで書類を読みこなされるとは思わなかったらしく私が何者かと訝しがっているようだった。
 ともかく、府人事委員会は、アリバイだけでなんの「労働監督」もしていないばかりか、虚偽報告を10年以上も認めてきたことになる責任は重大だった。
 

労働基準法や労働安全衛生法の処罰規定は全く無視

 書き出したら山のようにある虚偽報告。
 教職員がこのようなことをすれば処分を受けるだろう。
 しかし、最も責任の重い府人事委員会や管理職が虚偽報告を長く続けてきたことに対して、大問題を感じただけでなく、労働基準法や労働安全衛生法の処罰規定が全く無視、放置されていることに何とも言えない気持ちだった。

和歌山県のホテルで料理長の過労死で国家賠償請求訴訟を
  すすめた料理長の奥さんと連帯するためにも

 和歌山県のホテルで料理長の過労死で、奥さんが、新宮労働基準監督署に申請に行った時、そこで担当者のNから浴びせかけられた言葉。
「労災申請は、会社を通じてしかできません。」
「仮に会社を通じて申請してもらってもダメです。まず労災は下りません。自宅で行っていた献立の作成は、業務ではありません。後払いや手当など、会社から基本給以外に少しでもお金をもらっていたら、時間外手当をもらっていたことになります。」
「奥さんが知らないだけで、朝、ご主人は奥さんに会社に行くと嘘をついて、どこか別のところへ(小指を立てながら)行っていたのかもしれませんよ。」
「奥さん、女だてらによく一人で来たな。あんたらみたいな人が来ると僕らの仕事が余計忙しくなってくるんや。もうこんといて。」
 この日から奥さんがショックのあまり、食欲不振、嘔吐、不眠、極端な人間不信、対人恐怖症。労働基準監督署に行くと、震えが止まらず、椅子から崩れ落ち、声も出なかった。そして、「うつ病」と診断され、現在も通院治療を受けた。
 奥さんは、一時は労災申請自体取り下げようとまで思い詰めたが、大阪過労死家族の会に出会い、互いに励まし合う中で、労災申請を最後まで貫くとともに、会社に対する損害賠償請求を行なうことを決意した。
 また、会社を被告として損害賠償請求訴訟を和歌山地裁に提訴し、続いて去労働基準監督署の担当者Nと国を被告とする国家賠償請求訴訟も提訴した。
 この涙ながらの訴えを聞いた時、涙とともに、情報開示だけに済ましたことは、甘かったなあ、と深く反省した。
 いのちと健康に関わる重大事項を虚偽で固めていた府人事委員会や府教委や管理職を訴えてこそ、本当の料理長の奥さんとの連帯だ、と思ったからである。


人事委員会の立入調査に参加を、と言うと校長激怒

 ともかく、情報開示されたものをCD-ROMに焼き付け全校に配布した。
 府民なら誰でも入手できる書類が、直接関わりのある教職員に知らされていなかったからである。ところが思わぬことが生じた。
 ある分会で校長交渉をして、人事に関する申し入れも済み、最後に「人事委員会の立入調査」についての緊急申し入れをした。
 申し入れをしたとたん、校長の態度がなぜか一変。
 申し入れの第一は、「人事委員会の立入調査に労働者側代表(分会代表)を同席させてほしい。」というもの。(以下分会ニュースの要旨を掲載)
 これに対して校長は、「校長の職務を侵害するつもりか。」(校長発言については正確ではありません。趣旨のみをお伝えします。)という返答。
 ついには「気分がおさまらん。」とまで言って怒り出す始末です。
 これまで人事委員会への報告では、「衛生委員会」があることになっているにもかかわらず、

「衛生委員会がない。できたらその時に考えるが、今は、校長の職務として行うものだ。そこに口出しするな。管理職が対応すればいいんだ。」
の一点張りだった。
 そのため「では、最低限、事前調査の報告書はぜひ見せてほしい。」とせまりまった。
 校長は、「校長の職務で作成した書類はいろいろある。それらをいちいち見せろというのか。」と言う。


労働条件がきちんと報告されているかどうか
   確認したいだけだったが

 「私たちは、他の書類を見せてほしいといっているのではない。事前調査に、私達の労働条件がきちんと報告されているかどうか確認したいだけだ。
 人事委員会に情報公開制度を利用して資料請求できるが、人事委員会としても、校長から書類を見せてもらえばいいではないかと言っている。
 本校でも、すでに衛生委員会があると報告されたり、組合との協議もなしに、職場の誰も知らない勤務時間の割り振りが報告されているではないか。」
と話をした。
 が、「情報公開でもなんでもすればいい。私の知ったことではない。」という校長の返答。


教師の時間外は無視して報告

 聞くところによると、今回の事前調査における「時間外勤務」の欄は、事務室のみのデータが記載されているとのこと。
 他の教職員については、「測定不能だから書けない」のひとことで片づけられていた。
 今まで、一度の調査、アンケートもなく、「持ち帰り仕事」等も報告されていないのは明らか。
 私たちは、本校の管理職の責任だけを追及しようとは思っていない。頑張ってくれていると思ってる。
 一緒になって「労働条件」を考えたい。
 他校では、教職員の全く知らないことが人事委員会に報告されているそう。

 事実に基づかない公的報告は「うそ」の報告になるのではないでしょう。



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2011年9月9日金曜日

労働安全衛生体制は労働安全衛生法成立時にとっくにつくられていた? 労働安全衛生法は教職員に適用されていない、はまったくの嘘 また嘘でだまされていた教職員


山城貞治(みなさんへの通信79)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その59)


個人情報を守る名目で災害原因が解らなくしてある

 府人事委員会の職員を前にして膨大な資料を一枚一枚見てゆくことになった。「労働者死傷病報告」の所では、黒く塗りつぶしてある箇所があった。
「どうして、黒く塗りつぶしてあるのですか?」
「誰であるか、特定できるから。個人情報を出すことになるからです。」
「でも、他の文書の箇所所では、個人名が多く出てくるけれど?」
「それはいいからです。」
「この災害図も消してあるのですが、これは労働災害がナゼ起きたのか知る上でも、またこれから労働災害を防ぐためにも知りたいのですが、これで個人情報は解らないでしょう。」
「いや、解ると思うから消してあるのです。」
「それにしては、少ないですね。労働者死傷病報告はこれだけですか。」
「はい。」


「労働者死傷病報告」と
公務災害認定の数のあまりにも大きな違い

 府人事委員会は、公務災害の認定数も把握していなかったからかもしれないが、1990(平成2)年度から2000(平成12)年度にかけて公務災害認定された件数と「労働者死傷病報告」の件数は、あまりにも違いすぎた。
 ほとんど出されていなかった。

 労働安全衛生法第100条(報告等)に基づく労働安全衛生規則第97条(労働者死傷病報告)では、
「事業者は、労働者が労働災害その他就業中又は事業場内若しくはその附属建設物内における負傷、窒息又は急性中毒により死亡し、又は休業したときは、遅滞なく」「報告書を所轄労働基準監督署長に提出しなければならない。」「休業の日数が四日に満たないときは、事業者は、同項の規定にかかわらず、一月から三月まで、四月から六月まで、七月から九月まで及び十月から十二月までの期間」「報告書をそれぞれの期間における最後の月の翌月末日までに、所轄労働基準監督署長に提出しなければならない。」
労働安全衛生法第120条
 次の各号のいずれかに該当する者は、50万円以下の罰金に処する。

等々となっているが、府人事委員会は、労働基準監督署のように労災補償と結びついていなく、公務災害補償基金支部とは別なので「労災隠し」はまかり通っていたのである。
 このことをいいことにして府人事委員会も府教委も学校もごまかしていたのである。

 少なくとも「労働者死傷病報告書」には、学校から府教委を経由して、府人事委員会に届けがなされるようになっていた。
 1990(平成2)年度から2000(平成12)年度にかけて公務災害認定された件数は、「労働者死傷病報告」しなくてもいいと言うことになる。
 こんないい加減な「労働者死傷病報告」が10年間まかり通っていたのである。

 また情報開示された「労働者死傷病報告」は、記載内容もいい加減なものでこれでよく府人事が受け付けたと思わせるものばかりだった。

えっ、自分の名前が しかも衛生委員?いつなったん?

 そこで、「立入調査」の資料を見て思わず吹き出してしまった。
 私の名前が記載されていた。しかも衛生委員として。
 異動になった年度の4月1日、職員選出の衛生委員となっている。

 そんなのは、私自身も知らなかったし、異動先の学校に衛生委員会があるなんて誰も知らない。
 しかし、メンバーをよく見ると保健部の部員すべてが衛生委員になっている。

 府教委は、保健委員会などの「委員会」という名称は、学校の中心である校長の指示に従うということで委員会という名称は「会議」という名称に変更されていた。のに委員会の委員なんて。
 馬鹿にするのもほどがある。

 考えれば、勝手に、衛生委員として名前を届けたなんて無性に腹が立ってきた。
 たとえ、保健部=衛生委員会であったとしても等の本人はもちろん、教職員で「選出」されたものではないし、誰も自分が衛生委員であるとは知らなかっはずである。
 しかも、衛生委員会は月一回開催され事業者側には管理職、衛生管理者には事務部長、産業医には学校医の名前が書かれていた。
 保健部の会議は週1回行われていたが、管理職や事務部長や学校医は一度だって参加したことはない。
 ましてや、衛生委員会の主な議題などまったく知らない。


労働安全衛生法は教職員に適用されていない、と
頑なに主張していた教師も衛生委員として届けられていた

 他校の衛生委員会の名称を見ると、府高労安対策委員会のメンバーはもちろん、「労働安全衛生法は教職員に適用されていない」と言いはじめた教師も言う以前から衛生委員として人事委員会に報告されていたのである。
 それも職員による選出に丸がされて。
「ええっと立入調査の資料は、1990(平成2)年度以前は開示されないのですか。」
「はい。10年保存になってますから。」
「この衛生委員会は、いつ頃から設置されているのですか。」
府人事委員会の職員は資料をいろいろ調べて、
「労働安全衛生法が出来てから届けらるようにしてしていますが、保存期間が過ぎているので」
という返事だった。
 学校に労働安全衛生体制が確立していない、という人々の言っていることはなんだったんだろうか、と思も思ったし、勝手に「幻の衛生委員会」を届けることが許されないと思った。
 そこで、「労働安全衛生法(労働者の申告)第九十七条 労働者は、事業場にこの法律又はこれに基づく命令の規定に違反する事実があるときは、その事実を都道府県労働局長、労働基準監督署長又は労働基準監督官に申告して是正のため適当な措置をとるように求めることができる。2 事業者は、前項の申告をしたことを理由として、労働者に対し、解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。」の「申告」のことを聞いてみた。
「違反の申告はないかどうか情報開示を求めましたが。」
「先ほどもいいましたが、却下の中に含まれていまして、申告はゼロです。」

だんだん腹が立ってきて、書類をくりながら、書類の質問を続けた。



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2011年9月6日火曜日

山と積まれた人事委員会の労働基準法・労働安全衛生法・船員法の「監督権行使文章」を数時間見つめて


山城貞治(みなさんへの通信78)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その58)


 規則は一枚10円、でも20円払うように言われたけれど

 府情報公開室に行き、情報公開担当者に「通知文」を見せると「コピー代金は、1枚10円となっています。今回両面コピーしたので1枚20円となります。」と言い出した。
 私は、CD-ROMに焼き付ける関係があるので、

「両面とは事前におっしゃっていなかったのでは。確認の電話を何度もいただきましたが、その時も両面の話はありませんでしたが。」
と言うと
「じゃ、コピーし直しますのでまた改めて来てください。」
との返事。
 ええっ、また年休とらないと、と思い、窓口の対応に腹が立ったので

「1枚10円と規則で決められているのなら、両面刷っても1枚と数えるから10円になるでしょう。」「規則を見せてください。」
と言ったら窓口が慌てだして、
「両面刷ってしまったものですから、これでご勘弁を」
と言い出した。
 最初からそう言えばよいのにと思いながら「じゃ、コピーもらいます。」と言った。
 あとで、解ったのだが、府人事委員会の資料はすべて両面刷りと思い込んでコピーされたようで裏面が空白の部分もあった。

 でも、コピー代と言っても数万円払わなければならなかったので、片面刷りか、両面刷りか、は私の懐を痛ませることになるので、いい加減には出来なかった。

府人事委員会に数時間見つめられて

 ともかく、机に座って待つとコピーがうずたかく積まれ、4人ほどの職員がやってきた。
「すみません。どなたですか。」

「京都府人事委員会のものです。」
「ええっと、なぜ、来られたのですか。」
「開示が申し出で通りかどうか、ご質問等があると思いますので、待機させていただきます。」
「いや、お忙しいと思いますので、お仕事してください。」
「いや、規則でそうなっていますから」
こんなやりとりがあって、ともかく私は数時間膨大な資料をひととひとつ点検することになった。

 1990(平成2)年度から2000(平成12)年度にかけての府立学校から出された
1、「事業場調査台帳」(注:府立学校が毎年人事委員会に提出している文書)
2、「人事委員会立入調査資料」(注:学校が立入調査に先立ち人事委員会に提出した文書)
「調査の概要」(注:2000「平成12年」以降は「実地調査報告書」と名称 変更
「事業場調査の結果」(注:人事委員会が人事委員会立入調査の結果を学校宛に通知した文書・要は労働基準法・労働安全衛生法・船員法の違反事項の指摘)
「事業場調査結果の対応について」(注:学校が調査結果を受けてどう対応するか人事委員会に報告した文書・要は違反と指摘した事項をどのように改善したのかを報告したもの)
3、「府立学校から提出された衛生管理者選任報告」
4、「府立学校から提出された労働者死傷病報告」
5、「府立学校から提出された断続的な宿直又は日直勤務許可申請書」
6、「府立学校から提出された定期健康診断結果報告書」
7、却下

というものだった。

法的に義務づけられている「届け」を「開示却下」でごまかすの

まずざっーと見て
「却下っていうのは情報開示出来ないということでしょ。何で出来ないのですか。」
と問いかけると
「いや、学校から一斉休憩除外届やその前提になる教職員代表との協定等々が提出されていないからです。」
「すべての府立学校で?」
「はい。全く。」
「知事部局では出ているんですか。」
「はい。すべて。」
「なら、これは却下と書かれるのではなく、法に基づく届けがなされていないので開示出来ないとすべきでしょう。」
「その通りでした。そのように書き直します。」
と府人事委員会担当者の返事。
 府立学校が法的に届ける義務があるものを届けていないのに、府人事委員会はいったい何をしているのか、無性に腹立ちを覚えた。
 参考のために以下「事業場調査台帳」の一部を掲載する。






「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。

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卒業式がある日さえ知らない府教委と労働安全衛生協議をはじめたが


山城貞治(みなさんへの通信77)

「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その57)


(28)障害児学校に、安全で衛生的で働きやすい環境をつくること。
 机・椅子・ベッド・便器などを教職員の作業姿勢を考えて調節可能なものにするとともに、あらゆる設備の安全・衛生点検を行いその改善を進めること。
 また、リフターやリフト付きスクールバスをはじめ先進諸国で導入されているオーダーメイドの人間工学にもとづく機器の導入をはかり、教職員の健康を守るなどの予防策を講じること。


 この項目については、1970年代に北欧で医療職等で「腰痛が多発」した時、機械導入による介助などの方法で「腰痛」が激減したことを調べて、障害児学校での導入検討をという意味で政策化したが、子どもたちを「抱きかかえる」ことが教育で、機械導入では人間と人間のふれあいがなくなるという意見が障害児学校の教師から強く出された。
 この時の論議は、子どもとのふれあいで教師が腰痛・頸肩腕障害になるならそれは、教師が健康を破壊してこそ教育であるということになりかねない。
 教師の身体的負担を減らすことで、もっと教育内容が進むのではないか。
 北欧では、さまざまな機器が開発され、それが導入されれば今でも教師の身体への負担をなくすことが出来る。
 などの意見を出したが、一部の教師はそれは「教育を放棄することになる。」と言って激しい反対意見が出された。
 そこで、エルゴノミックス ( Ergonomics・Human factors・日本語でいう「人間工学」)の推進を説明したが、受け入れられなかった。

  しかし、現実には、障害児教育の分野では、古くからエルゴノミックスが導入されていた。
 近年日本でも、ノーリフトやノータッチという考えが広がっている。

 しかし、政策「労働安全衛生対策について」そこまで踏み込めなかった。

「知っていますか?労働安全衛生法」
という教職員組合ほど労働安全衛生法すら見ていない

 最近、教職員組合の一部でこのようなことが宣伝されている。
 「知っていますか?労働安全衛生法」として、

 長時間・過密労働が健康を破壊します
「1日24時間のうち、 3分の1の8時間の労働が、健康上も人間らしい生活を送るためにも不可欠です。8時間以上の労働を毎日続け、しかもその労働の質が過密なもので、強度のストレスにさらされるものであるほど、健康破壊が進みます。」
「教職員(労働者)の1日は、24時間です。でも24時間オープンしているコンビニとは違います。8時間労働して、8時間睡眠して、あとの8時間は食事や洗面や入浴、そして家族のためやプライベートのために費やす時間です。」
などなど、長時間過密労働労働は、労働安全衛生法で防ぐことが出来たり、健康を守ることが出来るという主張である。
 府高労働安全衛生対策委員会では、当初このような意見があった。しかし、労働基準法と労働安全衛生法を混同していると指摘して来た。
 事実、先に挙げた「知っていますか?労働安全衛生法」と主張する教職員組合の役員は自分自身で労働安全衛生法を読んでいないことが解る。
 1日8時間労働は、労働基準法で定められていることも知らないのである。
  非常に残念なことにこういうことが未だ横行している。
 では、労働安全衛生体制を強調する部分では、
「衛生委員会(労働者側選出の委員と、使用者側委員と同数の委員によって構成。」(注:労働安全衛生法では、使用者ではなく事業者)
とも説明している。
 だが、これは労働安全衛生法を読んでいるのか、読めていないのかと不思議に思う。
 議長は、事業者側で、衛生委員は事業者側と労働者側同数であるから、衛生委員会は事業者側が多くなるのが労働安全衛生法に基づく最低基準である。
 もちろん、民間では労働協約に基づいて議長を順番制にしたり、労働者側委員を多くしているところもある。
 だが、地方公務員の教職員の多くは、このことが出来ないでいるばかりか、校長が事業者とする衛生委員会では、校長が議長となりしばしば不都合な事態が起きると衛生委員会が開かれないという問題がしばしば生じている。
 労働安全衛生法は万能であるかのような幻想を今だ振りまいている教職員組合がある。

なにが法で、学校がどんなことをしているのかも知らない
   府教委と労働安全衛生協議

 さて、「労働安全衛生体制の確立は教職員のいのちと健康を守る」「労働安全衛生法を教職員に適用を」という京都府高の上部団体である全日本教職員組合(全教)が言い出したとき、「労働安全衛生法はもともと教職員に適用されているのに何を言っているのだろうか。」と思った。
 しかし、そのこといくら説明しても「適用されていません。」の返事しかかえって来なかった。
  今も労働安全衛生体制があれば、と思っている教職員組合は多いらしい。
 府教委と府高との第1回労働安全衛生協議は、1998年5月12日からはじまったが、それ以前から私たちは府教委の対応に非常に疑問も持ったし、また府人事委員会との会談でも多くの疑問を抱いた。
 そのため府人事委員会が、労働基準法・労働安全衛生法・船員法に基づく法違反がないか、どうか、の監督権をどのように「行使」しているのかを徹底的に調べた。
 府人事委員会が、それらの資料を情報開示していることはすでに述べてきた。

 しかし、その全容を解明するには少なくない「知識」を必要とした。
 私、山城貞治はまず労働基準法とその関連法規・通達・通知など調べた上で、労働安全衛生法を徹底的に読もうとした。
 労働安全衛生法は120条を超え、労働安全衛生法施行令・労働安全衛生規則及び労働全書・安衛法便覧、各種事例などすべて「目を通した」。
 読みこなせたものではないが、ともかく読んでおこうという意気込みだけで読んだが膨大な量で毎日深夜まで「目を通した」。
 後で労働法関係を専門にする弁護士から「あんなの読んでられないよ。弁護士でもほとんど読みこなせている人はほとんど…」と言われた。
 「なんだ、そうなのか。」と思う反面、労働安全衛生体制の確立は教職員のいのちと健康を守ると主張する人々の「いい加減さ」に驚いた。
 労働安全衛生法を読んで、これはいのちと健康を守れる、と読めるだろうか。
  だだ、のちのち、生徒や卒業生の労災・職業病や安全対策の相談にはとても役に立った。

 だが、私は、とてもじゃないがこの法律で、いのちと健康を守れる、とは言い切れないと思った。また問題があまりにも多い法律だと思ったのが率直な感想である。
 
 
  だから、府教委と府高との第1回労働安全衛生協議で府教委が「法によれば…」と言うとすかさず「それは法ではなく、労働安全衛生規則じゃないのか」と言うことが出来たが、府教委は、労働安全衛生法、労働安全衛生法施行令・労働安全衛生規則、労働省通達まで「法律」と「まとめて」言うのには驚いた。
 そればかりか、彼らの言う「法律」に書かれていることが解らなくて「曲解」しているので、しばしば「解説」しなければならなかった。
 本来教育行政は、法に基づき教育行政の仕事を行っているのに「法」を読めてないのである。
 これらのことは、山ほどあるが、私が一番驚かされたのが「次回の労働安全衛生協議は3月1日午前中」と言った時だった。

 「本当に3月1日」「そうです。」「その日は府高(教職員側)とてして、全員でられない日です。」「何でなんですか。」「卒業式の日でしょう。」「ああそうですか。」
 こんな会話は考えられなかった。その当時、府立学校は一斉に3月1日が卒業式だったが、府教委側はその日すら考えていなかった。
 卒業式や入学式のあり方にあれこれ言うのに、卒業式がある日すら頭にないのには驚き以上の衝撃を受けた。
 学校のことを知らなさすぎる、と。


怒りと虚偽の連続からはじまった
  府人事委員会資料の情報開示が

 この前後から、このままでは前進みしないとかんがえていた時、西垣腰痛裁判が1999(平成11)年12月8日に勝利をした。西垣さんから、支払われた費用を労働安全衛生のために使ってほしいとの申し出があった。
 でも、その費用は西垣さんが被害を被った費用で積み上げ補償はされていない。それを使うことは出来ない、と全員でお断りしたが。だが、ぜひ、という返事があった。
 そこで、「申し訳ないけど少しカンパという形でお願いしたいことがある。府人事委員会の労働基準法・労働安全衛生法・船員法に基づく違法を調査した全資料を情報開示でとって、それをデーターベース化して全校に配りたい。その費用を出してくれないか。」と打診したら、即快諾の連絡があった。
 今なら簡単にデーターベース化出来るが、当時難しく、業者と話をして費用を見積もった上で府人事委員会に府立学校全校に関する「労働基準法・労働安全衛生法・船員法に基づく調査した全資料」を個人で申し入れた。


 府情報開示の担当者から「資料の保存は10年で、それ以前は処分しています。膨大になるので、開示が出来るまでかなりの時間がかかるけれどよろしいですか。」と連絡があり、数ヶ月して「開示」資料がそろったので取りに来るようにとの連絡があった。
 年休がとれる日を言って、府庁に行ったが、怒りと虚偽の連続が待ち受けていた。


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2011年9月3日土曜日

公務により災害を受けた労働者を正当に救済するものでなくてはならない公務災害認定が 中央の判断待ちとは

山城貞治(みなさんへの通信76)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その56)
 
第107回国会参議院地方行政委員会会議録1986 (昭和61) 年11月26日 (水曜日)より一部掲載
 
労働災害と公務災害との補償手続き・制度の違いがあるのか
 
 公務員の方は、書類が不備だとか何じゃかんじゃ言って出てこない。労災と地方公務員の災害補償に認定基準に差違があるのか、 違いがあるのかといろいろ聞いてみましたが、 違いはないという説明を受けています。
 事実、労働省の基準局長の認定基準に関する通達及び補償課長の運用上の留意点についての説明書と、地公災の基金理事長通達による認定基準及び基金補償課長の支部事務長あての説明文書の内容はさした違いではないんですが、この辺は一体こういう養護学校なんかの腰痛、 頸肩腕症候群の認定についてはどういう状況になっているんでしょうか、基金の方にお願いしたいと思います。

労災、 国公災、 地公災大体同じ認定基準でやっていると言うが
 
○参考人(柳澤良治君)
 認定基準の問題でございますが、今御指摘のございましたように、労災、国公災、地公災大体同じ認定基準でやっております。
 先生も御存じのとおり、大体公務災害認定の処理状況は2カ月以内に98%までは処理されております。ただ、 残りの2%にいろいろ問題があるわけでございます。
 病状が非常に複雑であるとか、あるいは関連の資料を収集しなきゃならぬというふうな関係でおくれておるのではなかろうかと思いますが、いずれにしましても職員にとっては非常に大事な問題でございますので、この前の委員会でも先生から御指摘されまして、昨年の9月に支部に通達を出しまして、 認定業務を迅速にやれというふうな通達を出して、 基金としても今後努力してまいりたいと思っております。
○神谷信之助君
 私は地方公務員の災害補償の場合、今もおっしゃったんだげれども、いろんな資料出せとおっしゃるんだが、これから後でその問題も取り上げますが、問題は安易な災害主義ではなしに、 非災害性のそういう疾病ですね、これには何といいますか基本的に、やっぱり労働者に対する負担過重蓄積といいますか、 疲労の蓄積といいますか、こういったものの判断を避けているのではないだろうかという気がしてならぬのですよ。
 
頸腕症、背痛症発生の要因については所属長である
   校長が事実証明を出していても
 
 そこでお伺いしますが、 京都の南山城の養護学校の教諭の小谷美世子さん、この人が昭和60年の5月7日に支部に公務災害認定請求書を出しました。
 頸腕症、背痛症発生の要因については所属長である校長が事実証明を出しています。
 同じような職場ですから、「直接原因とした災害発生の事実としては」、昭和58年5月ごろに子供を、「二人で抱き上げようとしてよろけた時から右上腕部に徐々に痛みが出てくるようになった」ということですね。それから、 59年の2月にもう一人の子供を、二人で抱き上げベッドヘ移動中」 に今度は子供が、「急にからだをそらせた為抱き直した際右背から肩、首にかけて痛みが走った」、こういう事実を校長は確認しています。
 そしてそれが、現在の疾病と日々の教育活動との因果関係の有無については、医学専門家の範疇であると考えている。
  しかし、本人が全面介助を必要とする重症心身障害児の教育に4年間たずさわって来たこと、重症心身障害児の教育現場においては、指導者の頸、 頸腕、 背、 腰に継続して負担がかかっていることは事実である。
 肉体的負担がかかるのは、単に子どもの体重そのものの負荷のみでなく体の変形、拘縮、骨格・筋肉の弱さ、異常緊張や反射運動などにより、抱き上げる指導者の姿勢に無理が生じ、一層負荷がかかる実態にある。
 なお、精神的な緊張を持続しなげればならないことも見逃すことのできない事実である。という校長さんの事実認定に基づく意見書を出しておられます。
 
京都の養護学校でも
一例も公務災害認定がされていないのはナゼか

 ところが、これ現場の校長さんもそういうものをつけて出しておりながら、それが1年半経過をしている。まだ、いまだに結論は出ていないんです。まだ京都では、養護学校での非災害性の認定事例が1件もない。
 そこで、基金支部の方は中央へ問い合わせ中だと言うんですよ。
 これは参与の委員がそう言っているのです。
 そうしますと、基金の支部の方はこうした非災害性の判断に当たって、すべて中央と協議しなきゃならぬということになるのかどうか、この辺はどういうことなんでしょうか。
○参考人(柳澤長治君)
 非災害性の腰痛につきましては支部に一任されております。ただ、支部でどうしても判断困難であるという場合には、本部に協議していただいても差し支えないと、こういう形になっております。
 
公務災害基金支部の審査会としては認定をしたいと思っているんだけれども
 基金の中央に間い合わせたらなかなかうんと言ってくれぬ
 
○神谷信之助君
 そこのところが問題です。私もかつて京都支部の審査会の参与をやったことがあります。
 あれも2年余りたしかかかったと思いますよ。
 大体審査会の委員さんなんかは、これはその事件が終わってそして数年してからの話ですけれども、支部の審査会としては認定をしたいと思っているんだけれども、基金の中央に間い合わせたらなかなかうんと言ってくれぬと、それで長いこと暇がかかったよ。
 もうやいやいつつかれておうじょうしたという話をしてくれたことがあります。
 だから、 認定が非常に微妙だ、 あるいは困難だというからできない、その場合は中央へ相談をするということなのか。 学校長自身もそう言って事実を認めているわけですね。
 この辺はひとつもっとてきぱきとやれるようにする必要があるのではないのか。 こういう制度の趣旨を生かすこと、 迅速公正に行うこと、 この点から私は改善が必要だと思うし、認定基準のあり方、 その運用について見直す必要があるのじゃないかと思うのです。
 
公務災害の認定基準は
 公務により災害を受けた労働者を
 正当に救済するものでなくてはならない
 
 ちょうど私はここに、これは55年の6月に出た基金の京都支部の審査会の裁決書ですけれども、 城陽市の保母さんの同じような疾病です。
 頸腕症候群あるいは腰痛症の認定外に対して、これは認定外の決定を取り消して救済をしたわけです。
 その中にこういうのがあるんですね。「公務災害の認定基準のあり方」について判断を出しています。それは、公務災害の認定基準は、公務災害補償制度の目的と理念に見合って公務により災害を受けた労働者を正当に救済するものでなくてはならない。
 この場合、公務災害の認定のために必要な要件としては、公務関連性があれば足りるものである。
 たとえ、公務と疾病との間に相当因果関係が必要であるという説に立つとしても、この因果関係の内容は、労働者の生存権、労働基本権を保障するに値するものでなければならない。
 従ってこの因果関係の判断は、一般の不法行為における因果関係の判断より請求人にとって軽減された内容でなければならない。
 こういう判断を示している。私は、これは至当な判断だというふうに思うんですが、参考人はどういうようにお考えでしょうか。
○参考人(柳澤長治君)
  本部審査会でございますね、 今のあれは。
○神谷信之助君
  京都支部の審査会です。
○参考人(柳澤長治君)
 審査会は、私の方は認定機関でございますが、支部審査会は一応第三者機関でございまして、 客観的、 専門的な立場で公正な判断をされると思います。
 そういう点で、今私も初めてそのお話を伺ったわけでございますが、そういう御意見はできる限り尊重したげればならないと、 かように考えております。
 
公務災害の認定基準のあり方とは
 労働権、 生存権を保障する見地から
 
○神谷信之助君
 私は、公務災害の認定基準のあり方としては、いわゆる裁判、あるいは不法事件における因果関係ということではなしに、そういう判断が請求人にとって軽減される内容でないと、いわゆる労働権、 生存権を保障するという、そういう見地に立って検討される判断の基準の一つに入れなきゃならぬという意見については、 非常に大事な考え方ではないかというように思うんです。
 この問題についての最後にお伺いしたいのは、文部省にお願いしますが、今も言いましたように滋賀県だけではなしに京都養護学校の実態も非常に厳しいわけです。
 障害児を抱きかかえたり、いろいろな介護をしたりしなければいかぬわけですから、そういうために無理な体形をとるというのはしばしば起こるわけで、こういう職場の公務災害の未然防止、予防というのが非常に大事だというように思うんです。
 その点で、 関係者は
 


一つは職員の定数増、当面の重度加配の措置をしてもらいたい。
二つ目は、施設設備を子供の実態に合ったものに改善をしてもらいたい。
三つ目は健診の充実と発症の早期発見。

 こういったことが要望されているんですが、 こういった養護学校のような、 そういうとりわけ重度障害児を抱えているようなところでの労働条件あるいは環境の改善、これについての見解をお聞きしたいと思います。

教職員の健康管理が適切に行われるよう
 文部省として指導あるいは努力
 
○説明員(下宮進君・文部省体育局学校保健課長)
 お答えいたします。
 養護学校も含めました学校の教職員の健康管理につきましては、学校の設置者は、学校保健法の規定等に基づきまして毎年度定期にまたは臨時に健康診断を実施いたしまして、その結果に基づき治療の指示や勤務の軽減等の措置を講じているところでございます。
 また、このような措置とあわせまして、先生御指摘のような勤務環境の整備やあるいは養護学校の教職員の定数増につきましても改善に努めているところでございます。今後、こういった措置を充実いたしまして、教職員の健康管理が適切に行われますよう、文部省といたしましても指導あるいは努力してまいりたいというふうに考えております。
 ○神谷信之助君
 先ほど言った滋賀県の場合のように、校長が上から言われたら不備や不備やというようなことをやっているんじゃなしに、やっぱり片方山城の養護学校の方は、校長が意見書を出して勤務の特殊性も明らかにして、支部へちゃんと申請を出しているわけですから、そういう点は調査をして指導をぴちっとやってもらいたいということと、それから、私の家の近所にも養護学校があるんですが、確かに大変な状況なんで、こういった点についての教員の加配、重点加配とか施設の整備等、これはぜひお願いしておきたいと思います。


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新校長が金庫をあけたら、 公務災害申請書がいっぱい詰まって放置されていた     教師は、認定されないのですか、と何度も聞いたのに


山城貞治(みなさんへの通信75)
「教職員の労働安全衛生問題の政策とその実現のために 第1次討議資料」の実現した事項(1997年から2006年までの約10年間)
政策「労働安全衛生対策について」はどれだけ実現したのか(その55)


公務災害認定までの長い月日は、あまりにも多くのものを奪う

 京都府高は、障害児学校の教職員の二つの公務災害認定裁判に取り組み、二つとも勝利判決を得た。
 だが、小谷健康裁判は、1985(昭和60)年5月7日に、頸肩腕障害として公務災害認定を請求し、1991年(平成3)年8月14日付けで公務外認定処分。同年9月4日に本人に通知。

 裁判をして、京都地裁判決(1999[平成11]年7月9日)で認定されるまで約14年の月日がかかった。
 また西垣腰痛裁判は、1986(昭和61)年9月22日付けで、背腰痛症は公務に起因するとして公務災害認定請求をし、1991(平成3年)11月5日付けで右疾病を公務外と認定処分。同年11月24日に通知。

 裁判をして、京都地裁判決(1999[平成11]年12月8日)で認定されるまで、約13年の月日がかかった。
 これらの長い月日は、公務災害認定という被災者を救済する趣旨にも大きく反していることは繰り返し述べてきた。
 また同様なことが今だ各地で起きている。
 そこで、参考のため小谷さんの公務災害認定をめぐる問題が参議院地方行政委員会で取り上げられた会議録の一部を紹介する。長くなるが、現在も採り上げられた問題が基本的に改善されていないように思う。


第107回国会参議院地方行政委員会会議録1986 (昭和61) 年11月26日 (水曜日) より一部掲載 

1984(昭和59年)度では、腰痛は寮母が21.9%、 教員が16.2%、 頸肩腕症候群は寮母が10.5%、 教員が4.8%

○神谷信之助君 (参議院議員)
 まず、 文部省にお聞きをしたいんですが、 養護学校の教職員の疾病異常の率、 これは文部省調査をなさっておられるんで、 それを見ましても非常に高いんです。 それで、 その中でも滋賀県の場合は特に高いのではないかと思うんですが、 腰痛それから頸肩腕症候群、 これについて全国平均と比較してどうなっているか、 まず報告をしてもらいたいと思います。

○説明員(下宮進君・文部省体育局学校保健課長)
 お答えいたします。 昨年7月に文部省では、 養護学校教職員の腰痛、 頸肩腕症候群等の実態について都道府県教育委員会を通じて調査を行ったところでございます。 その結果によりますと、 昭和59年度における疾病異常の割合は全国では、 腰痛は寮母が21.9%、 教員が16.2%、 頸肩腕症候群は寮母が10.5%、 教員が4.8%であります。
 また滋賀県につきましては、 腰痛は寮母が71.0%、 教員が38.6%、 頸肩腕症候群は寮母が19.4%、 教員が7.7%でございました。


腰痛検診で85.3%以上もあるのに公務災害認定がない

○神谷信之助君
 これを滋賀県の八幡養護学校で見てみますと、 昭和60年6月の腰痛検診結果では、 検診を受けた者75名中異常ありとされた者が64名、 85.3%、 それから精密検査を要する者というのが23名であります。
 60年度に腰痛それから頸肩腕症候群、 妊娠異常、 これによる特休者は19名に及んでいるわけです。
 こうした状況にもかかわらず、 公務災害の認定は一体どうなっているのか。 非災害性の腰痛等の公務上の認定はまだ一件もないというように聞いているんですが、 これはそのとおりでしょうか、 お伺いしたいと思います。

○参考人(柳澤長治君・地方公務員災害補償基金理事長)
 お答えいたします。 非災害性の腰痛についての認定はございます。

○神谷信之助君
 いや、 八幡養護学校。

○参考人(柳澤長治君)
 滋賀県ではございません。


20名が公務災害申請をしたのに
 ナゼ 校長 県教委で止まっているのか

○神谷信之助君
 認定された者はないんですよ。 それで聞いてみますと大変な状況なんですね。 実情はどうかといいますと、 八幡養護学校で14名、 北大津養護学校で6名が申請をしたんです。
 早い人は昭和59年の11月、 遅い人はことしの8月。 ところがこの八幡養護学校の分は、 6人が県の教育委員会に、 それから8人は校長のところでとまっているんですよ。 だから、 支部まで行ってない。
 本人は出したけれども行がたい。 北大津養護学校では今年度に入って新校長が金庫をあけたら、 その書類がいっぱい詰まってその中に入っておった。
 金庫の中に詰まっておる。 支部に届かぬのですよね。 こういう状況がある。
 当時その前の校長には、 まだですかと何遍も聞いたけれども、 基金より何も言ってこぬと言うてそのままになって、 金庫に保管されたままになっています。 基金支部に申請書が出される前に、

早い人ではもう既に2年を経過しているという状況がわかりました。

放置された公務災害申請によって
 賃金ダウンや病気再発などなどが続いて

 この人たちはそうなるとどうなるかというと、 特休をとりますわね。
  しかし、 6ヵ月間は20%賃金ダウンだし、 その次の6ヵ月間はさらに20%ダウンされますね。 治療費は自分持ちだし、 そのために無理して勤務したらどうなるか、 また再発ですわね、 こういう状態が続いているんです。
 こういう状態は私は放置されてはならぬと思うんで、 果たして滋賀県だけの状況であるのか、 .あるいは全国的にそういう状況があるのかよくわかりませんが、 問題は、 そうなる原因は一体、 どこにあるのかという問題なんですよ。
 基金が求めている手続が複雑煩瑣なのか、 あるいは教育委員会とか学校当局が災害補償の実務に欠けているのか、 どうしたらこれは改善できるのか、 これが問題だと思うんですが、 この点について自治省、 文部省、 それぞれお答えをいただきたいと思います。 校長のところにとまったり、 教育委員会にとまったりしておりますからね。


公務災害補償の迅速な実施が出来ないのは
 本人に責任が と自治省・文部省

○政府委員(柳克樹君・自治省行政局公務員部長)
 手続の問題といたしまして、 公務災害の認定請求の際に所属長の証明を受けた請求書、 それから任命権者を通じた認定に必要な資料を添付の上基金に提出するということになっておりまして、 これは結局、 任命権者等の、 あるいは所属長の意見を十分反映して、 公務災害の認定を円滑に行いたいということであろうかと存じますが、 一般論はそれといたしまして、 御質問の件につきまして所属部局で書類がとどまっている。
 そういう不必要に長く時間がかかっているということでございますれば、 補償の迅速な実施という法の趣旨に沿いませんという問題でございまして、 大変遺憾なことでございます。 実情を調べるように指示をいたしまして、 適切な措置を講じなければいけないと存じます。

○説明員(奥田與志清君・文部省教育助成局地方課長)
 お答えを申し上げます。
 滋賀県の方に照会をいたしましたところ、 本件の場合におきましては、 先ほど公務員部長さんおっしゃっていただきましたように、 本人におきまして用意すべき書類がございます。
 そういうものを用意していただくように再三にわたって督促をしているというふうな状況でございまして、 教育委員会も校長も、 この制度の趣旨に沿ってできるだけ速やかに手続を進めたいというふうなことでございます。

階段をはって歩かなきゃならい痛みのある教師に次から次へと書類の追加を言い、放置したまま
○神谷信之助君
 本人に書類の不備を言って指導したけれども、 出てこないからおくれたということでしょう。
 実際はどうかというと、 例えばある先生がここに実情報告をしているんですが、 この先生は54年の4月に臨時講師として養護学校の高等部に勤務して、 もう1人の女の先生と2人でストレッチャーで移動するという重度の生徒を、 これを食事やトイレの介助をするという仕事をやっておった。
 7月ごろになって腰痛が起こり出した、 これは54年ですね。 56年度に正式採用になって、 ちょうど妊娠をして育児休暇に入りました。 育児休暇で休んでいる間は腰の痛みはいつの間にか忘れるようた状況になった。
 勤務をいたしまして58年度に今度は小学部の低学年に変わった。
 抱きかかえる子供が多くなったんですね。 それに伴って再び腰痛があらわれてくる。 前屈姿勢で大変痛みを感ずるようになって、 座った姿勢でも痛みを感ずる。
 それで家でだんだん仕事ができない状態になって、 3月ごろにはもう子供のトイレ介助のときの姿勢で激痛を感ずる、 子供を落としそうになったこともしばしばある。 そして、 車の運転中も痛みを感じ、 しんどい状況が起こる。 59年にクラス編成がえがあって、 今度、 また抱きかかえの子供ばかりのクラスになるんですよ。
 そして、 7月ごろからは運転中に激痛を感ずるようになって、 学校まで運転ができるかどうか、 そういう不安を感ずることがしばしばである。
 学校での勤務中は気持ちも張っているし、 痛さはあるものの何とかやっていける。
 けれども夜になると大変痛みを感ずる、 階段をはって歩かなきゃならぬ、 自分の子供も抱いてやることができないようになっている。
 そういう状況が起こり出して、 そして医者に行ったら、 専門医に特休をとりなさいと言われて、 59年の11月から61年の1月まで特別休暇及び普通の休暇、 これをやって治療に当たった。
 そして戻ってきているんですけれども、 60年の3月に申請用紙を学校長に出した。
 ところが、 同じ職場の別の先生の申請がまだ通ってないこともあって、 ずっと60年の9月まで半年間校長の手元にあった。 それから9月から11月にかけて校医検診とか専門医の検診の結果、特休者が先ほど言いましたように続出をいたしました。
 そういう状況があって、 みんながどんどん申請をするようになりました。
 このときに腰痛に至る経過説明をせよという指示があった。
 それでクラスの実態等を含む資料と経過説明を出した。 その後全校児童生徒それぞれの体重とその平均値を出せ、 こういう指示が出た。 校長からクラスの実態を書けと指示があった。
 以前提出した資料にもクラスの実態を書いているので、 書き直せということかと言うと、 そうだと言ったけれども、 しかし、 前に出した書類は返してもらえない、 こう言っています。


民間のびわこ学園の労災認定と比べても
   あまりにもおそい公務災害認定

 だから、 本当に何といいますか、 てきぱきと処理を迅速にしてやる、 そういう援助をしてやるという状況ではないんですね。 こういう.のが実態の姿なんですよ。
 そこでお聞きをしたいんですけれども、 同じ滋賀県に民間のびわこ学園という養護施設があります。 同じような症状でここでは申請をすれば労災の認定が大体2, 3カ月でおりてくるんです。
 だから、 一般の民間の労働者、 そっちの方では同じ養護学校、 養護施設で2、 3カ月でどんどん労災の認定がおりる。


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