2013年9月2日月曜日

残酷な「ことばの宿題」の背景の理屈 ( 早期教育・インテグレーション・言語指導の問題と課題 ① )

 
 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
   すでに掲載したことをより深く考えるために

すでに以下のことを掲載してきた。

 残酷な「ことばの宿題」の項

  1969年当時、私はろう学校に用事があって行くときはいつも嫌だった。
 仁和寺のバス停を降りて、ろう学校に行く道すがら、青々とした樹々に覆われた道に心が洗われるのではなく、非常に苦しく、悲しい情景を見なければならなかったからである。


 樹々に覆われた道は夏は涼しく、春夏は心地よく、冬は京の底冷えを防いでくれた。
 だが、幼稚部から帰路につく親子の姿を見るのは辛かった。

 多くの場合は、お母さんが本気で子どもにビンタを打ち続けるか、拳を振り上げ頭をたたいているかのどちらかであった。
 その他の光景は見ることはなかった。

 お母さんの言っている様子からすると、子どもが今日の「授業」でしくじったこと。ことばを覚えていないことを大声で繰り返し、子どもに「教えて」いた。
 子どもは泣いて、お母さんはすごい形相をしている。
「ナニナニでしょう。もう一度行って」
「〇∥…~」
「ちがうでしょ。もう一度。」とビンタ。
 何度そのような姿を見たか知れない。

 親の必死さは解らないでもないが、あの暴力の中で5歳までの子どもたちが「ことば」を教えられていいのだろうか。

 そんな思いがするのでいつも幼稚部帰りの親子に出くわさないように行くのだが、「ことば」を覚えていなかった子どもは残されるので、遅く行けば行くほど「見てられない光景」に出くわした。

 その当時、ろう学校幼稚部では親子がそろって授業を受け、多くの宿題を持ち帰って「ことば」を覚えさせる「宿題」があった。
 それは小学校入学までに覚えれば覚えるほどいいのだ、とされていた。

 そして、それがこなされない子どもは、たとえ普通小学校に入っても「9歳の壁」にぶつかり、ろう学校にUターンせざるを得なくなると経験主義から出された方針が一水の隙もないほどに貫徹されていた。

 声を出さない私達の口形が どれだけ読みとれますか ろう学校授業拒否事件生徒たちの意見(3)の項

  ある先生のお話では、このためには、やはり三才位から、十分な教育条件を整えてやらなければ不可能だとおっしゃいました。

 私達は殆どが六才~八才になってろう学校へ入って来た者ばかりです。
 当時は幼稚部もありませんでしたし、かりにあっても家庭の事情で、その教育を受けられるものばかりではありませんでした。

 家が遠く寄宿に入っても寮母さんは私達の食事や身のまわりの世話に忙がしくて、とても学校で学習したことを教えて下さる余裕はありません。

 これらの現象の背景になった幼稚部教育の考えを当時のC先生の文章を以下、掲載したい。

口話教育
 1965年前後ろう学校がすすめていた口話教育
   (対応教育)の理屈と実際

  京都ろう学校幼稚部におけるインテグレーションの考え方

 ろう児を普通小学校に入学させて、普通児と共に勉強させることは可能であるという基礎には、幼児期に特別な教育方法をとることによって、ろう児も普通児と変わらない言語能力を獲得させることが出来るという考え方である。
 従来の「純粋口話法」の批判の上に立った新しい方法をとることによって、たしかにろう児の言語能力は著しくのびたといえる。
 以下は、京都校における言語指導法の基本的な考えをまとめたものである。


  京都校における言語指導法の基本的な考え方

 あらゆる末梢的な技術的な方法の根本となるものとして、私たちは、ろう幼児の学習能力をどのように評価し、把握すべきかという問題、即ち、ろう幼児に関する私たちの認識の問題がまず明確にされる必要があると考える。

 私たちは、この問題に関しては、長い間、心理学者と現場のろう教育者の間に対立があったこちを知っているが、はっきりと心理学者の側に立っている。
 即ち、ろう幼児の潜在学習能力が耳の聴こえる子供たちに対して、なんら劣るものではないという見解を積極的に支持する。
 そして、ろう幼児が耳の聴こえる子供たちと同じように伸びないとすれば私たちの指導法の側に問題があると考える立場に立っている。

 これは、大脳生理学的に見ても明確に判断の下せることである。聴覚障害者は
言語獲得のための決定的なダメージではない。

 単に聴覚を奪われただけのろう幼児の場合、その大脳は経験し、記憶し、それを概念化し、さらにそれを記号と結びつけて言語を習得していくためのどの重要な部分にも克服できない程、広範囲に及ぶ損傷を受けているという根拠はないのである。
 その根拠を最も端的に立証したのは、ソビエトにおける指文字を導入したろう幼児教育の実践である。

 全ゆる条件をコントロールされた実験群と統制群の間の大きな言語的能力の修得度の差は、はっきりとろう幼児が伸びるか伸びないかの差は、彼らに対する指導法が適切であるか否かという問題があることを教えてくれている。

                                                                   ( つづく )

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