2012年2月9日木曜日

名もなく貧しく美しく  もういちど京都へ出て絵の仕事を とねがったが

 

Once upon a time 1969



 
  夫は日本画家なのです。
 菊池契月先生のお弟子で、藤田威といいます。
 10オのとき中耳炎で耳がだめになりました。


 だから、私とちがって、聞えなくても話せるのでときどき相手をまごつかせるようです。
 小学校の高等科をふつうに出てから京都府立ろう学校の中等部3年に入り、そこの研究部の図画科を卒業しました。

 私もおなじ学校の研究部を出ましたが、私の方は生れつきですから、数え年で5オから幼稚部へ入り、20オの春までずっとここで勉強しました。
 夫は学校を出てからも京都にいて画を描いていました。
 文展や市展にもたびたび入選して、この道一すじに生きてゆくつもりだったようです。


 それが戦争が激しくなって仕方なしに故郷へ帰ったわけで、ろう学校の先生の口がかからないまえは、もう一ど京都へ出て図案書きの仕事でも見つけたいふうでした。
 いまでも、休みの日は画を描いていますが、学校が忙しくてなかなかひまがないのが、やはりつらいようです。

 ここが私たちの住いです。
 これは学校の中の一棟を改造した職員の公舎で、私たちは二階です。
 10帖と4.5帖がタタミ敷き、それに約3帖の板の間と台所です。
 10帖を居間兼寝室に、板の間の一部を子供の勉強室に、4.5帖を夫の画室、と一応はしていますが、もともと住むために建てたものではないかち、なにかと不便です。
 便所は下で、写真にみえる入口の左側です。
 入口の上にみえる窓が、私たちの台所で、その奥に妬帖と板の間、下の写真は10帖で、向って右がその板の間です。


 諸寄(もろよせ)から出てきたときは、ここに写っているタンスと夜具だけ、いわば着のみ着のままでしたが、こうして洋服ダンスも本箱も食器戸棚も買えるようになりました。 
 こたつ板も3千6百円のデコラです。この他に電気ミシンとセンタク機も月賦で買いました。

 月々の収入は2万5千円くらいですが、毛糸や万年筆まで月賦なので、これに5、6千円とんでしまいます。
 内職のつもりの編みものも、なかなか註文がないので、とても予算には入れられません。
 




 東京のろう学校は洋画 京都のろう学校は日本画

 東京のろう学校は洋画。京都ろう学校は日本画。

と互いに競い合っていたいた頃の京都のろう学校には優秀な日本画を描くろうあ者は多くいたが、絵で生活は出来ず、友禅、清水焼きなどの伝統産業の仕事につかざるをえない人々が多かった。
 
京都ろう学校、研究部の図画科を卒業したろうあ者のスケッチをたくさん見せてもらったことがあるが、その見事さには驚かされることがしばしばだった。

 色の巧みさ、微細な眼力と表現。

 真冬の凍り付くような寒さの中で描いた数々の絵には、凍り付く寒さを溶かす情熱が見られた。

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