2012年2月15日水曜日

名もなく貧しく美しく  まねする事が出来ない手まね


Once upon a time 1969

 「学ぶ」とはもともと、
1,まねてする。ならって行う。
2,教えを受ける。習う。
3,学問をする。
などの意味合いからきている。


 そのため「手まね」(手話)は、もともと手を「まねてする。」と意味合いを持っている。
 だから手話は、ろうあ者が伝承してきたものである、と教えられてきた。


 だが、手まねには、「まねする事が出来ない手まね」があることを知ったのは、この藤田さんの「小鳥の求愛の手まね」からである。


 この「まねする事が出来ない手まね」は、ずっーと宿題だったが、いくつかのヒントをえることが出来た。
 それは、藤田さんのご主人が画家であったことにもあるように思うようになったからである。

 全国各地で「絵」を仕事にしているろうあ者は多くいた。
 その人々と会い、その描く様子を見ていて、驚いたことある。


 
 一瞬見た光景を、写真のシャッターを切るがごとく細部まで表現されること。
 その表現には、動きがあることである。


 手話は、ひとつひとつの手話の繋がりだけではなく、「映像」でもある、と思い至ったのは全国各地のろうあ者と出会って、その手話を「まねよう」としても出来なかったからだけではない。

 コミニケーションの真髄が理解が不足していたからである。

 その理論の解明が出来つつあるが、ここではそれは紹介しない。

 それよりもろうあ者が、どれだけ「相手に伝えようとする知恵と工夫」の努力をしていたか知ってほしい。 



 

0 件のコメント: