2012年11月12日月曜日

「聞こえない」からという決めつけや同情ではなく

 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


  1年生の合唱は聴覚障害生徒も
  一緒に出来なかったから演劇となったが

「文化祭を迎えて、二年一組のホームルームでは演劇をやろうということが決まりました。

 それは、一年生のとき合唱のため、聴覚障害生徒がついていきにくかったためであり、『演劇ならみんなが参加できる』と考えて『白雪姫』をすることが相談されました。(「白雪姫」は原作どおりではなく、生徒の苦しみや学校への要求、ベトナム問題などを含んだ脚色されたものでした)。

  おかしい 聴覚障害生徒を見下した考えがみんなにある

 クラス全員は積極的であり、各人が役をかってでました。
 ところが、召使いの役に決まった一人の聴覚障害生徒(女子)が


「聴覚障害生徒が小人の役や召使いになるのは、おかしい。聴覚障害生徒を見下した考えが、みんなにあるのではないか」

と怒り泣き出してしまった。
 ホームルムの中心メンバーの健聴生徒と(女子)は、びっくりして聴覚障害生徒に話したが、問題を提起した聴覚障害生徒は教室を飛び出してしまうという状況が生じた。

 クラスの一人として誤解はなくす必要があるが要求が通らないからと

 そのため、後日引続き討論されたなかで、病弱な聴覚障害生徒(男子)からみんなの前で初めて発言して、

「ぼく、無理矢理役を押しつけられたのではなく、やりたかったので申しこんだのや」
などの意見が出された。

 ①聴覚障害生徒を見下して、役が決まったのではない。
 ②クラス全員がなんらかの役を持つこと。
 ③聴覚障害生徒が怒って発言したとき、健聴生徒に対して言いすぎがあったこと


などを、互いに厳しく反省する中で、演劇の練習が始められていきました。

 このことは、

『聴覚障害生徒が言ったから聞かねば』

という健聴生徒の同情が、

『同じクラスの一人として、誤解はなくす必要があるが、要求が通らないからと言って、勝手なことを言って教室を飛び出すのはおかしい』

『聴障生をのけものにするのはおかしい』

という相互批判ができるようになったということであり、互いに決まったことは
やり抜くのだということが明らかになっていったことで示されています。」
(1972年、山城高校聴覚障害教育のとりくみより)


   互いに批判するだけでなく、一つの目標にむかって行動するという共同行動が
 誤っているならそれを正す、でも、筋違いのことは反論するという健聴生徒の動き、筋違いのことは通らないのだという聴覚障害生徒の認識、こういうことは無数に広がりをもっていった。

 しかもさらに重要なことは、たんにたがいに批判するだけでなく、一つの目標にむかって行動するという共同行動が生まれてきた。

 この動きの中で、学友として仲間の連帯が、がみんなのものになっていった。

  「聞こえない」からそうなのだという決めつけや同情ではなく

 おたがいに真に自由に語り話し合える状況が作り出され、おたがいの学び合い。
 「聞こえない」からそうなのだという決めつけや同情ではなく、生徒として人間としての前提のうえに、障害者問題や定時制での生活を統一して考えるようになってくるといえた。

 このことは、学校を卒業してからも生徒達の中で一層深まりを示してきた。
 
  全日制では「もっと聴覚障害生徒がいたら」 

 ところが、山城高校の聴覚障害教育の発足当時は、全日制は三年間。二名の聴覚障害生徒のみになってしまい、聴覚障害生徒の仲間しかいなかった。

 でも、二名の聴障生は健聴生集団の中に積極的に参加してゆく。
 その中で感じたこと、思うことについて二名の中で定期的にに話し合うが、意見が異なった時にはそのままになりがちだった。

そのこともあって

「もっと聴覚障害生徒がいたら」

というのは、彼等の切なる希望だった。





 

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