2012年11月30日金曜日

山城高校で 手話を教えることは ろう学校と同じになる?

 

教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
             「聴覚保障」と手話

 山城高校の聴覚障害教育では、「聴覚保障」を柱にしていたことはすでに述べた。
 だから、あらゆる「聴覚保障」の取り組みを考えてきた。

 今までは非常に安価になっているが、ボードに打ち合わせたことを印字して、もう一度確認することの出来るボードなども購入していた。
 聴覚活用では、ろう学校の聴言室と連携したり、そこの担当者が異動してきたりしていた。

 だが、「聴覚保障」は、聴覚障害生徒がただ単に「してもらうという受け身」ではなく、自らも働きかけ、みんなと協力・共同することも重視してきた。
 その中で、新たなる「聴覚保障」が、見いだせることもあった。

 
手話を学校が取り組むというのは
      ろう学校と同じになる

 山城高校内での手話の広がりと手話部というクラブの活動は、「聴覚保障」の重要な一つとしてみんなで学んでいく必要があった。

 だが、この手話に対して一番多く抵抗したのは、聴覚障害生徒たちと保護者であった。

 手話を学校が取り組むというのは、普通高校に来た意味がない。
 手話を学校が取り組むというのはろう学校と同じになると言うことではないのか。

 激しい意見が出されてきた。
 だが、おかしいことに、ろう学校では手話は少なくない場面で取り入れられていたが、すべてではなかった。
 手話=ろう学校でもなかったし、口話=ろう学校ではなかった。
 これらのことは、聴覚障害生徒も保護者も充分知っていながら「ろう学校と同じになると言うことではないのか」と山城高校の聴覚障害教育を批判したのである。
 聴覚障害生徒の中には

「私は難聴だ。絶対ろうではない。」
「難聴とろうと同じにしてほしくない。」
「絶対、手話を学ばないし、覚えようとはしない。」

と言い切る生徒も多かった。

   くり返してはいけない
 抵抗を持つ聴覚障害生徒を一方的に押さえつけること

  ろう学校から来た生徒は、手話が出来ると思い込んでいるものの手話を否定する聴覚障害生徒に何も言えない状況があった。
 山城高校で最低必要な手話テキストを創ることは簡単だった。

 だが、そのテキストで教えると、コミニケーション手段に抵抗を持つ聴覚障害生徒を一方的に押さえつけることにもなる。
 当時話題になっていたスウェーデンのろう学校・カルフォルニア州立大学で手話を取り入れれた経過を調べてみ
た。
  どちらの場合も、現にその国で使われている手話を徹底的に調査、記録していた。

 さらに、学習に必要な用語で、手話が確立していない場合はその用語に近い手話の特質を踏まえて考えられていた。

  生徒の自主性と自分に合った表現 コミニケーション

 前野良沢と杉田玄白が、解体新書を翻訳したような取り組みがなされていたのである。

 しかも、スウェーデンのろう学校では、日本で言う高校の時期には

「手話で受ける授業か」

それとも

「口話で受ける授業か」

が生徒の選択講座として位置づけられていた。

 このことは、聴覚障害教育だけでなく、教育全体でも重要な意味を持っていた。

 それらのことを考えて、手話テキストを作って生徒に教える方法は、よくない。
 生徒の自主性と自分に合った表現、コミニケーションが必要ではないかと考えた。





 

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