2013年4月24日水曜日

特殊教育でない特殊教育研究会


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


 ( 解説 )

  「戦争孤児」「戦争浮浪児」を中心とした
     すべての子どもたちの問題として

  京都師範学校を中心とした「戦争孤児」「戦争浮浪児」たちへの健康と教育の取り組みは、研究会を作ってもっと子どもたちの教育を考えなければならない、ということで特殊教育研究会(浮浪児援護同志会から児童問題研究会へと研究会の名称が変わったとする記録が有力であるが、今回は、S氏の記録を元にした。)がつくられた。

 特殊教育研究会は、師範学校の寮長であり、鞍馬の赤天狗といわれたS氏(後に京都私立小学校にの教師)を中心にいくどとなく学習会が開かれたが、それは机上の空論だけではなく「戦争孤児」「戦争浮浪児」を中心としたすべての子どもたちの問題として取り組まれた。

 「すべての子ども」を視点に  特殊教育研究会

  特殊教育研究会は、学校教育法に定められた「心身に障害をもつ人びとにたいする」(Special education)だけでなく、ともかく困ったり、つまずいたり、社会生活や学校生活について行けない子どもたちなどの「すべての子どもたちの問題」が重視され取り組まれた。

 それ以降この研究会に参加していた学生達は、教師になり教育実践をすすめてもたえず「すべての子ども」を視点において取り組んだ。

 今日、特別支援教育なり、「発達障害児」の取り組みを進めている少なくない研究者の中で、また京都の障害児教育をよく知る研究者の中で、「発達障害児」普通学級で放置され、子どもたちの持っている「まじめさ」「正直さ」などなどが、無視されてきたと全面的に断定する傾向が強い。
 
 

 だが、LDなどなどの名称やレッテルが貼られなくても、その子どもたちを含んだ教育が営々とすすめられて来た事実を無視することは出来ない。
 いや、無視するから普通学級で課題を持った子どもたちが、放置され、基本的人権が蹂躙されてきたと言い切るのだろう。

  アメリカなどの直輸入の「教育論」は
戦後の教育の中で取り組まれてきた実践成果を否定する


 戦後の教育の中で取り組まれてきた事を調べもしないで、アメリカなどの概念を「直輸入」して日本の教育を批判しているに過ぎない。

 それは、戦後の何もないないなかで、空腹に耐えながらも日本の未来を担う子どもたちの教育に取り組んで来た教職員への最大の「侮蔑」でもある。
 私たちは、決してこのような「特別教育論」「発達障害論」を唱える撹乱者を許してはならない。

 それは、子どもたちの未来を拓くのではなく、言葉と裏腹に混乱とさらに非人間的な状況に教育を追いやる役割を果たしているからである。

 「出来ない子はいない」「すべての子どもに教育を」

 そのためには、 教育に「魔法」はない

という取り組みの裾野がぐーんと広がり、その上で障害児学級や養護学校がつくられてきたことが理解しなければならないだろう。

 このことが理解出来ない研究者は、ある特定の子どものある「特殊な方法」で、子どもたちが成長し(あるがままで、成長しなくてもいいという考えも出されているが)学校教育が変わるかのような「魔法」にとりつかれている。

  A先生の特別学級(Special education classes)
             をつくろうとした時代

 すべての子どもに教育を、どんな子どもも成長する、すべての子どもに教育をうける機会があるのだ、などを実践的に検証してきた京都師範学校の学生を中心にした特殊教育研究会のメンバーは、京都を中心に各地の教師になっていく。

  A先生は、ふるさとの小学校の教師になる。

 そこで教師をしながらA先生は普通学級で、先生が創意工夫してもどうしても理解出来ない子どもたちが居ることを知る。

 
 そこで、A先生は、 特別学級(Special education classes)をつくろうと教職員に提起した。


 当時の学校教育制度では、特殊学級なり、特別学級(Special education classes)がつくったとしても教育行政から人も物も一切の対策は講じられなかった。
 そういう教育行財政制度がなかったのである。

 金もない、教師が不足している、何もかもがない中でのA先生の特別学級(Special education classes)をつくろうという提案。

 教職員がたじろぐのは当然であった。
 一人でも教師が必要な中で学校に特別学級(Special education classes)をつくる。
 実質教師が減り、金もなくなる。
 小学校は、たちまちそれ以上の困窮を抱え込むことになる。

 でも、A先生のいうことは、その通りだった。

 日頃、この子どもには、もっと手厚い教育とその子どもの持つ課題をしっかり焦点を置いた取り組みが必要だ、と思っても50人というクラス生徒の中でその子のことだけに取り組むことが出来ないという矛盾。

 矛盾だらけの中でのA先生から提起。
 教職員の中で、数え切れないほどの論議がくり返されて、特別学級(Special education classes)をつくろうという結論に達する。

 その「未踏の特別学級(Special education classes)」の担任にA先生が名乗りをあげた。
                                                                                        ( つづく )

 

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