2012年12月10日月曜日

文章表現から手話表現へ

 
教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー


   「書ける」「間違いないように書く」ことが強くもとめられ

 文章の順序性に「拘る」のは、聴覚障害生徒のそれまでうけてきた教育と大きな関わりがあった。

 ことば獲得期における「受け身的発声」それに対する評価。
 自分の言いたいこと、感じたこと、疑問に思うこと「なぜなぜ」「なんで……」なども発することなく、言うとおりに発するで評価される「受け身」の言語指導を受けてきた。


 文字を習う場合も、「書ける」「間違いないように書く」ことが強くもとめられ、一つの文章が出来れば、それで評価されてきた。

  自己表現として「読む」「書く」「話す」
 と言うことは ほとんど教えられてこなかった

 そこには、聴覚障害生徒が、人間発達を遂げて行く上でなんの「疑問」も出すことが出来なかったことが次第に明るみになって来た。 

 そのため「読む」「話す」「書く」と言うことがすべて教師や保護者の言う通りにすることが、「出来た」「勉強した」とほめられてきた。

 この時点で、聴覚障害生徒自身のため自己表現として「読む」「書く」「話す」と言うことは、ほとんど教えられてこなかったことが手話弁論大会の取り組みで明るみに出てきた。

 このことは、聴覚障害教育のためだけでなくあらゆる教育分野でも考えられなければならないこととして提起し続けたが、当時ほとんど研究者などには受け入れることなかった。
 ことばの教室やきこえの教室やろう学校の一部の先生や心ある耳鼻科医の間で意見・交流し、言語指導や聴覚指導、文章指導の基本的原則を確立していった。

  過去の教育実践が研究されないで 自画自賛でいいのだろうか

 そのことを調べようとしない研究者は、近年さかんに普通学校や普通教室にいた障害のある子どもたちの「専門的な読み書き指導」が放置され続けてきたことを強調し、自分たちの専門研究が以下にその子どもたちを援助し、人としての教育、人権としての教育を守り続けているのかを主張している。

  だが、それは全面的な過去の否定であり、諸外国の研究の「模倣」としか思えないように思える。

 少なくない京都の教師は、教育行政がやろうとやるまいと教育実践上の課題を可能な限り追求してきたのである。

              頑張りました しかし だめでした

 弁論大会における聴覚障害生徒の文章の一つの例をあげておきたい。
 最初次のような文章を書いていた。

 
  僕は、N中学校に入学した時友だち作りに頑張りました。
 しかし、だめでした。
 一年生の時は、難聴生徒にいじめられ、嫌がらせを受けました。
 二年生になると今度は、僕が嫌がらせをしました。
 長期交流(注*:聴学級から普通学級で学ぶ方式)でもいじめを受けました。
 僕は、心から僕を理解してくれる友人が出来なかった。


というもので、「先生これ以上書けません」と言い出して、もともと手話を否定していたことから、手話弁論大会には出ないと言いだした。

      文章を書くことは 自分との格闘だ

 そこで、手話弁論大会参加の準備をすすめている健聴生徒と聴覚障害生徒と交えて話し合いをした。
 すると、

1、友だち作りはなぜだめだったの?
2、なぜ、いじめらつらい思いをしたのに二年生になると嫌がらせするようになったの。
3、長期交流でどんないじめを受けたの。
4、聴覚障害生徒同士でいじめ合い、健聴生徒にいじめられたら、今度は健聴生徒をいじめるの?
5、そんなことが正直に書かれているかなぁ。


という意見が出た。
 意見を出した自分もそういうことが書けてないので、自分の文章を書き直し始めた。

 ここから、書いては直し、意見を聞き、書く。

書いたものを読んで見るの取り組みが、自主的に延々と続いた。

 あとで、お母さんから

「あんなに自分で悩み、自分で書いては直す姿は初めて見ました。」

「文章を書くことは、自分との格闘だ、と言ってましたけれど、すごく険しい表情でした」

と話があった。










 

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