2012年12月7日金曜日

適応と順序性から「脱却」がもとめられた聴覚障害生徒

 
 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
    3段階を踏まえた手話弁論大会

  生徒たちと話合って、手話弁論大会は、次のような順序で準備し、当日ろうあ協会の人々を必ず招待することとなった。

① 弁論大会で発表する内容は、あらかじめ原稿用紙に書いて、みんなと意見交換しながら創り上げる。

② 原稿が出来た段階でその原稿にもとづいて、手話表現に挑み、手話をより深く学んで行く。

③ ①、②が出来た段階で、発表することをすべて覚えて、手話弁論大会の時は参加者に向かって発表する。

という3段階を踏まえて取り組むことになった。

     与えられたテーマでないことに苦しむ

 まず、発表は自由と言うことで、健聴生徒も聴覚障害生徒もとまどいはじめた。
 自分は、なにを言いたいのか。
という戸惑いである。
 それまで、与えられたテーマに答えることばかりしてきた健聴生徒も聴覚障害生徒も次第に苦しみはじめた。

 そして、教師のところに何を発表したらいいか、たずねてきたが一定のアドバイスをしても「自分のテーマは、自分で決める」と言い続けた。

 参加者は、自由だったので手話は説対したくないという聴覚障害生徒は、時折その様子をチラッと見る程度だった。
 
      すべて順序通り書く

 

  原稿を書くことについては、非常に時間がかかったが、最初の原稿を見て聴覚障害生徒の書いていることに共通性があった。

 あることを書くのにすべて順序通り書く。

 例えは、普通小学校でひとりぽっちであったことを書くのに、いつ入学して、どのこの学校で、クラスは○年○組で……と京都から大阪に行くのに停車した駅を順番に書いて、大阪で起きたことになかなか行きつかないのと同じような書き方であった。
 
  停車した駅を書くことを飛ばして大阪に着いたところから書くことが出来ないばかりか、それを省略することに対しても激しい「抵抗」をしめした。


 そのため、原稿用紙の量は増えるだけで、自分の中で混乱して「何を書いているのか、分からなくなった。」とまで言い出した。
  
  
     自己表現が出来ないことの「脱却」

 そこで、書いた原稿を読んで見るようにアドバイスした。
 読めば、


「なにかへん」「言いたいこと書けてない」

と分かりはじめてきた。
 

  それは、聴覚障害生徒が、幼児期から受けてきた「言語対応」「書き対応」などの「マッチング」への決別であったことに気づくのは、ズーと後のことであった。

 自己表現が出来ないことの「脱却」。

 これが手話弁論大会の第一の難関であった。





 
 

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