2012年12月24日月曜日

虐げられてきたことの連帯と共感が笑いに変化の笑い


   教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
                 哀しい話なのになぜ笑う

  哀し話なのに「アンタも同じやったんや」と分かって笑う。

 このようなことは、ろうあ者の集まりや学習会で数多く経験してきた。

 最初は、哀しい話なのになぜ笑う、と疑問に思っていたけれど、それが次第に「共感の笑い」に気がついてきた。

 だから、前回は、「共感の笑い」、と書いたが、そのことは多くの人々のとってなかなか理解出来ないのではないか、と思えてならない。

  虐げられてきたことの連帯と共感が笑いに変化

 虐げられてきたことの連帯と共感が、笑いに変化するとき、真の友情と連帯が産まれる。

 ここに、聴覚障害教育の重要なポイントがあるように思えてならない。

 このことを踏まえて、健聴生徒も聴覚障害生徒もお互いが学び合い、意見を交わして成長していった。

 そして以下のような文章が出来上がっていった。




   ちょっとしたからかいのつもりでも
        いじめられた方は傷ついてしまう

 僕は、N中学、山城高校での経験を通して、思った事を話したいと思います。
 N中学校に入学した当時、僕は友達作りを頑張ろうと思いました。
 しかし、2学期、3学期と月日が流れていくにつれて、その意欲を失っていきました。
 僕は難聴学級に通っていました。

 1年生の時は何かというと難聴生達にいじめられたり嫌がらせを受けたりしました。
 例えば、机をゆさぶられて中の物を出されたり殴られたり、僕はとても苦しい思いをしました。

 相手はちょっとしたからかいのつもりでも、いじめられた方は傷ついてしまうのです。
 
  自分をいじめた相手にうっぷん晴らしや嫌がらせ

 2年になると、今度は僕が自分をいじめた相手にうっぷん晴らしや嫌がらせをしました。

 たとえば、相手が話しかけてもそっぽを向いたり、相手に意地悪をして、それを正当化しました。

 健聴生との関係もよくありませんでした。

 たとえば、2年生の3学期に難聴生が健聴生のクラスで授業を受ける、いわゆる長期交流がありました。
 そこで、勇気を持って話しかけても相手はからかって笑ったり、聞き流したりしました。
 他に女の子に『好きだ。』と告白するように強制されたりもしました。

 また、発音の悪さをいじめのタネにされたこともしばしばでした。

 たとえば、僕は『7』の発音が苦手です。
 『7』」を発音するのに苦しむ僕をからかって楽しむ生徒もいました。


 そのため、この交流が終わっても何も学べないまま暗い気持ちで難聴学級に戻りました。


   これから話したい  いろいろ考えたことを

 とにかく、僕は難聴生にしても健聴生にしても、心から僕を理解してくれる本当の友人がほとんど出来なかったのが何よりも残念でした。
 

 なぜ、こんなふうに、僕はいじめや批判を受けたのでしょうか。
 いろいろ考えたことをこれから話したいと思います。

 
   周囲の人々の気持ちを傷つけて

 まず、僕の気持ちが狭かったからではないかと思います。
 具体的にいうと、人の意見をとり入れずに、自分の考えだけで行動したりすることです。

 これでは、周囲の人々の気持ちを傷つけてしまうことになります。

 それから、短気も原因だと思います。
 たとえば、人の批判や反論を少し聞いただけで腹を立てたりするなどです。


 これでは、周囲の人々が僕を避けてしまってもおかしくないと思います。

 そして、生真面目さもいじめの大きな原因になったと思います。

 冗談を真に受けて相手を不愉快にさせたりもしました。
 
  今度こそ 本当の友人を作りたい

 僕が山城高校に入学した理由は、聴障生に対する配慮があったからで、また聴障生の先輩がいたからです。
 そして、今度こそ僕は、本当の友人を作りたかったからでもあるのです。
  
                                                                                                       (つづく)





 

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