2013年2月21日木曜日

教育にすべてをかけた親子の苦闘へ校長は


教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
 ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
 躍起になった母の顔が ときどき怖くなって

 子どものことばの発達・獲得は、生後すぐから始まり、母とのことばのやりとりで伸び てゆきます。
 


 また、そのことが知能を伸ばす原動力となります。
 しかし、聴覚に障害があれば、この世の中にさまざまな音が存在し、人間はことばをもって自ら考え、また他者にかかわっているのだということが理解できません。

 「ことばの存在に気づく」

ということは、Nさんにとっても大きな山でありました。

「私に一語でも多く覚えさそうと躍起になった母の顔が、ときどき怖くなって泣き出した」

とNさんは語っています。

   受動的な姿勢をかえることができず
 Nさんは難聴学級があるD小学校へ入学します。

 発音のまずさから健聴児に相手にされなかったり、いじめっ子がおったりして、健聴児に対し不信感を抱き、消極的な生活におち入ったりします。

 人はみな自分の発音のよし悪しを自分の耳で聞きわけ、声の高さ・抑揚・音色・息っぎなどを調節します。
 ところがNさんは、自分の声を自分の耳で確めるすべをもちません。

 NさんはN中学校へ入学します。
 そこで生き方のしっかりした先輩に出会い、耳が聞こえないということにっいて話し合う機会をもちます。


 しかし、

「自分では何もしないで、健聴者よ、私らをもっと理解してほしい」

という、受動的な姿勢をかえることができず、障害者だけが集まってしまいます。

  ろう学校はとても良い点はあるが……

 高校受験期を迎えます。
 


 ろう学校はとても良い点はあるが、健聴者にコンプレックスをもっ、自分の消極的な性格を克服するのには不向きでなかろうか。
 だからといって健聴者だけの集団の中では、障害認識が希薄となって、自分の障害をかくそうということになるのでないだろうか。

 聴能検査室・訓練室などの施設設備や、集団補聴器などの備品が充実しており、健聴者たちと授業が受けられ、他方、聴障者たちとも交流しあえる、山城高校へ入学するのが一番適切だと考えます。

 そして毎日2時間余りかけての通学が始まります。

  つくり笑い そのつど底知れないさびしさ

 不安だったのは友人のことでした。
 健聴生は、Nさんと話そうと心で考えても、話題が  浮かばないので控え目になり、Nさんは、

「私のことおもしろくないと思ってるんだろうなあ」

と考えこむ。
 やっと友人ができても一対一で話すとき十分意志が通じるが、何人か集まって話がはずむと、しだいに内容が掌握できなくなる、隣の人にきくと、話の流れが中断してしらけてしまう、そのためだんだん遠慮して寡黙、冗談でみなが笑うと、それにあわせてつくり笑い、そのつど底知れないさびしさに襲われたそうです。

 私たちが悩んでいる複雑な問題の解決方法を、高速度写真を見ているように明確にしてくれることがある

 しかし、友人や先生、両親に励まされ、手話部部長として活躍、大学に進学します。
 現在、地域のボランティア活動に多忙だとのことです。
 これはNさん個人の生育歴でありますが、Nさん親子の葛藤の記録でもあります。
 しかし、Nさんだけのことでなく、聴覚障害者とその家族すべてに共通するさまざまな問題点を明らかにしています。
 そして聴覚障害者に限定された問題でなくて、健聴生にも深くかかわり合っていることがわかります。

 耳が普通に聞こえるとき、その子どもたちがもっ多様なつまずきが、表面化しないで深くひそんでいることがあります。
 そのため、時として私たちはそれに気づかないことがおこります。

 中途退学・登校拒否・家庭内暴力・劣等感・いじめ・学力不振・教師不振・孤独・粗暴行為・無気力など多くの課題があります。

 しかもその解決は困難であり混迷しているのが現状です。

 聴覚障害教育は、私たちが悩んでいる複雑な問題の解決方法を、高速度写真を見ているように明確にしてくれることがあります。

 聴覚障害教育をしつかりみっめることで、打解の緒を手繰りよせることができるのでないでしょうか。
                                                                                                      ( つづく )





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